十二章〈波紋〉後
ヤバル (本名:サクラス・ザラスシュトラ 潜入捜査中偽名:サイ・セセラギ・シルヴィア)
マリア・オルレアン (滅びの魔女と恐れられている)
ジューダス・ガリラヤ(貴族・国衛軍第六部隊・中尉)
モート・ギリティナ伯爵(貴族・港町プロピナの領主)
アーロン・クイール・シルヴィア(国衛軍百十三番隊国衛軍安全調律部隊第十分部隊副分部隊長・伍長)
レミエ・ラグドロビン(国衛軍百十三番隊国衛軍安全調律部隊第十分部隊・兵長)
クラーク・サスラ(ヤバルのクラスメイト)
ウェールズ・アンヌーン(ヤバルのクラスメイト)
ヒスイ・ルサールカ(スラオシャ大神殿の従業員として潜入調査中。アーロンの協力者)
マイカ・カスヴァス(スラオシャ大神殿の業務員として潜入調査中。アーロンの協力者)
スラオシャ大神殿区域内第三病棟は、軍人や各国の重役も利用することがあるため、厳重の警備が敷かれている。
病棟はスラオシャ大神殿に隣接していて、四方を壁で囲っている。
壁の外は、幅のある道路が通っていて、接近するまで物陰にできるものはほぼない。地上の正門と裏門以外は、病棟二階がスラオシャ大神殿と連絡通路で外界へ通じていた。
防犯上のためもあって、スラオシャ大神殿とは一部接続された造りになってはいるものの、全体としては他の施設と隣接しないようになっていた。
白い建物の一角で、ヤバルの泊まる部屋があった。
昨日の騒ぎから今まで、トイレの時以外、ずっと部屋に入れられていた。軟禁状態なのだが、この国に来てからというもの、そういう場面があまりに多すぎて、ヤバルは退屈なため息を漏らすのみだった。
見張り役もしっかり就いていて、患者というより重役の扱いをされていた。
大神殿の鐘が鳴る。
ダカーハージ学園では、今頃一限目が始められたころだ。
教室での乱闘騒ぎから、一晩経過していた。
ヤバルは、事の成り行きに任せる構えで、とりあえず負傷した身体を癒やしている。
傷は、右肩の脱臼と、腕の骨折で済んでいた。
脇腹も一部痛めているが、打撲程度だ。肋骨が折れていなかったのが幸いだ。
しかし、ヤバルは隻腕の身で、右腕が折れてしまっていては完全に物が持てない状態にあった。アイオーンは、患者でありながら、拘束具をつけられたままで使えない。
なので、食事も、下の処理も、看護師か見張り役の世話になるしかなかった。
ヤバルとしては、そのあたりが唯一不服のようで、最初は用を足すとき自身のみでやろうとして失敗寸前にまでなった。危うくズボンも下着も大変になる有様で、さらに恥をかくところだった。今は完全に諦めて、まだ恥が残る表情ではあるが、どうしても手を使わなければいけないときは、すべて任せていた。
事件から半日しか経っていないが、順応していた。これまでのヤバルの経験を、物語っていた。
昨日の教室での乱闘騒ぎで、ヤバルの事情聴取は中断されている。
金髪になぜ襲われたかも、簡単な質問のみで済まされていた。
まだ事件直後であるため、後日に見送られたのだ。
一晩経てば、傷はまだ多少痛むが、状態は落ち着いていた。傷の回復と安全が確認されたら解放されると、軍人から説明は受けている。
ヤバルは、それに甘えることにして、軟禁を受け入れたのだ。
「邪魔するぞ」
部屋に入ってきたのは、見覚えのあるトレンチコートを羽織った男だ。
今のヤバルの雇い主で、アーロン・クイール・シルヴィア。彼は病室に入って、ベッドに座るヤバルを見つける。その負傷ぶりを一目で看破し、馬鹿にする笑みを浮かべた。
「なんだ。意外と無事そうだな」
「たかが脱臼と骨折で保護者登場かよ」
三ヶ月ぶりの再会を、舌打ちで迎える。
アーロンは、ヤバルの学園生徒としての身分、サイ・セセラギ・シルヴィアの親戚にあたり、保護者になっている。
「親馬鹿というか叔父馬鹿に当たるのか。どっちでもいいか。大切な親戚の子どもが傷をしたと報が入ったものでね。ちょうど、ここに来る用事もあったから、こうしてわざわざ様子を見に来た次第だ。うれしいか? 親愛の表現でも真似て抱き合ってみるか。大丈夫だ。お前とのエピソードは、おむつを換えてやった仲のところから始まるぞ」
「気持ち悪いから今すぐやめろ」
心の底から不快だと、アーロンを睨んだ。
「レミエの姉ちゃんはどうした。中年に愛想尽かせたか」
「あいつは外で待てのお使い中だ」
アーロンから深いため息が漏れる。
そんなことよりだ、と言った。表情から温かさが抜け落ちる。冷たい目になった。
「糞ガキ。マリア・オルレアンだけでなく、ジューダス・ガリラヤにも接触したそうだな、おい。断頭台の階段は駆け足であがるもんじゃねえだろ。そんなに死にたいか」
「現状はどうなっているんだ」
「どうもなってないから、ぶち切れ寸前まできてんだろ。気味が悪すぎだ。何かアクションがあってもいいくらいだ。それがまったくだぞ。お前から聞かせろ。ジューダス・ガリラヤは、お前を見て、どんな反応をしていた」
「あからさまの他人のふりだ。嬢ちゃんもだったが、こっちを知った口で話すような素振りはなかった。そういえば、アナーヒターを知っているかどうかを聞かれた」
「アナーヒター……。ああ。で、お前は、知らないと答えたんだな」
「それはなんだ」
ヤバルは単刀直入に聞いた。
アーロンの反応は、アナーヒターを知っているようだった。
「マリア・オルレアンが焼いた、故郷の名だ」
「………」
当然、ヤバルは知らない。
わざわざ見逃す口実を作ってくれていたのだ。
「どうした。何か気になることでもあるのか」
いや、とヤバルは首を振った。
「あいつらが、俺を放っておく利点はなんだ」
「お前をここに送り込んだ奴がどこの所属か、どんな目的で動いているのか、探るためと考えるのが妥当だ。つまり、俺だ」
「だったら、問題ないだろ。俺にセセラギの名をつけたのは、そのためでもあるんだろうが」
セセラギは、シルヴィア家の称号だ。
無手の対人武術。セセラギ流。
起源は、アイオーンの神聖視から始まる。アイオーンを、戦いで血に汚さぬようにと編み出された。
武器を必要としない戦い方の模索、方法を試行錯誤した結果だ。
代々のシルヴィア領主と、セセラギ流の正統継承者に認められた者だけが、セセラギの名を持つことが許されている。
シルヴィアの一族はすでに貴族から没落していて、歴史の表舞台から降りている。時代の流れには逆らえず、セセラギの名は受け継がれなくなっていった。
最後にセセラギを名乗ったのは、アーロンの妹だった。彼女はすでに他界している。
「今回の潜入捜査は、俺個人だ。もし足を掴まれたら、お前は即首切りだぞ」
「なら、派手な名前もいらなかっただろ。おかげで、妙に注目されるし、面倒ばかりだ。何のために名乗らせた」
「意味はあった。だがそれは、お前がサイ・セセラギ・シルヴィアとして振る舞っていたときの話だ。お前は目立ちすぎた。悪い方向にだ。たった三ヶ月で、立派すぎる問題児に成長しやがって。ヤバル、お前はやりすぎた。失敗だ」
セセラギの名は、ヤバルの推測の通り、注目させるための飾りだった。
探りを入れてくる連中の裏を、アーロンや、その協力者が調べるのが通常手段だ。
だが、ヤバルは、この作戦を破綻させてしまっている。
よりによって、ジューダス・ガリラヤとマリア・オルレアンに接触するどころか、騒ぎを起こし、学園内外にまで周知させてしまったのだ。
ヤバルに集まる注目の質は一変し、本来無関係であるはずの人間でさえ、ヤバルを注視するようになった。これでは、アーロンたちだけでは、調査に限界が生じる。
最大の問題は、国衛軍にヤバルのことが知れてしまう恐れだ。
無断の潜入捜査、容疑者の使役、戸籍の無断改ざんなど、罪状が膨れ上がる。セセラギの名が、アーロンとの関係性を物語っているため、もしヤバルが国衛軍に掴まれば、アーロン自身危険に晒される。
もし万が一バレたとしても、のらりくらりで乗り切るはずのアーロンの計画だった。だが、ジューダス・ガリラヤが絡めば、それすらも難しくなる。
ガリラヤ家の力は、一介の没落貴族が相手にできるものではない。ましてや、軍の階級も相手が上だ。権限も、権力も桁が違う。
しかも、ジューダスはヤバルの存在を知っている。
ヤバルとアーロンとの関係性も、名前を変えていることから、すでに推測されている可能性もある。
もうすでに、完全に看破されているかもしれなかった。
ここでアーロンが取る最善は、一つだけあった。
ヤバルは、アーロンが零した言葉を受け止めて、結論を促す。
「で。用なしか」
「そうしたいのは山々だ。質屋でも金にならないお荷物は、ゴミとして処分するのが妥当だ。だが、俺は質屋じゃない。貧乏人は物を使い潰す工夫が得意だ。ゴミでも使い道はまだあるだろう? なあ?」
アーロンが冷たく笑ってみせる。
脅しだった。
「ゴミの俺に何をさせる気だ」
「貴族のクソガキくらいに仕立て上げた苦労の元手は取らせてもらうぞ。サイ・セセラギ・シルヴィア。お前には、もうこちらから要求はしない。サイの名前も戸籍も、そのままにしといてやる。むしろくれてやる。自由にしろ。俺も、そうさせてもらう」
「どういうことだ」
ただならないものを、ヤバルは感じ取っていた。
「お前には、これから二つの容疑がかけられる。いや、もうかけられている。一つ目は、ハイリ・セラピアの殺害。もう一つは、スラオシャ大神殿内の情報漏洩、その共犯だ」
「情報漏洩だあ? そりゃあんたの不手際だろう」
冗談言うなとばかりに眉根を寄せて、アーロンを睨んだ。
「これに関しては、俺個人の捜査は無関係だ。共犯と言ったはずだ。スラオシャ大神殿内に施設を置いている、軍部などの資料を横流しする協力者だと、疑われている」
「おいおい。ますますあんたらのとばっちりみたいじゃねえか」
「無関係だ。なぜなら、お前からの報告は、今はすべて保護者への学生近況報告を使わせてもらっている。問題児だそうだな。こちらも利用させてもらっていた。学園側から、問題児の対応の報告と相談等の資料に混ぜて、送らせていた。バレたのなら、まずはマイカが捕まっている」
「………そうかい。ちなみに、どんな情報が、俺(仮)から外の誰に流れる予定だったんだ」
「国衛軍の、学園役職の人選や、学園内巡回のスケジュール。これくらいなら、むしろ生徒から漏れる可能性も考慮されていて、問題にならないことの方が多いのだが。軍本部や行政本部の書類自体が、持ち出された可能性が検出されている」
「へえ。よっぽどか」
「他国とのやり取りの記録などは、最悪の展開だな。永世中立国であるための根底が覆り兼ねない」
各国の啀み合いなどは、歴史から絶えたことがない。
戦争にならないための調整の密約も、存在していた。
永世中立国ワヒシュタも、例外ではない。
「とはいっても、今回は一ヶ月間の報告書の一部らしいけどな。流出はまずいが、最悪はまずないと、軍本部は見ている」
「何が盗まれたかなんて興味ない。で、結局のところ、俺はどうして疑われているんだ。今回の殺人事件で殺された、ハイリ・セラピア? そいつと俺は知り合っているのか」
「お前の腕の怪我も少しは関係しているぞ」
あー、とヤバルは面倒くさそうに声を漏らした。
察したようだった。
「あの三年生がらみか。ということは、殺されたのは、あいつらの誰かか」
「そういうことだ。あとは好きにしろ」
「おいおい。もう少し情報くれてもいいんじゃないか。こっちはまだあんたと協力する気はあるんだぜ」
「こちらはない。協力のメリットがない。ジューダス・ガリラヤを頼ってみたらどうだ? 俺の予想は、握手の代わりに首が飛ぶと思っているぞ。せっかく逃がしてやった奴が、また捕まってる状況は向こうさんにもよろしくないだろう。まあ、いずれにせよ、事件の大まかなところは、どうせ次でわかる」
そう言ったアーロンの後ろで、ドアが、トン、と鳴った。
軽く打たれたような音だ。
ドアの向こうから、僅かに声が漏れていた。
「えっと、一応、ここで立っているように言われてまして。いえ。止めろとは言われてません。はい。私は何も……」
レミエが誰かと会話しているようだった。
誰かが来たとき、それとなく伝えるように命令していたのだとわかる。
アーロンの顔は、にやりと笑っていた。
「そろそろ頃合いだと思っていた。せいぜい頑張れ。なんなら、あっちにすがってもいいぞ。俺なら絶対にしないが」
ドアが開かれた。
軍服の数名が部屋に入る。半ば押し入るようなものだった。
アーロンは、軍人の登場に驚かない。滑らかな流れで、振り返った。笑顔で、すみません、と謝った。対照的に、軍人たちは表情を厳しくした。
警戒を強めるヤバルの前で、国衛軍に話す。
「大事な時間と取らせていただき、ありがとうございました。元気そうで安心できました」
「こちらは許可をした覚えは一切ありませんよ」
「大事な親戚の子がこちらの病院と聞いて、いてもたってもいれらなくなったのです。見逃してください」
「できるわけありません。アーロン・クイール・シルヴィア。国衛軍安全調律部隊、第十分部隊、副隊長殿。無許可立ち入りの件は、後に処分を伝えます」
「おや? どこかでお会いでもしましたか」
自分の身元をあっさり明かされたところで、アーロンはどこ吹く風の様子だった。
これには代表として話していた軍人も呆れる。
「一応同じ部隊ですよ。国衛安全調律部隊、」
「第二分部隊、副隊長、シェミア・ローシ。で、あってますか」
虚を突かれて、相手の軍人が面食らう。
からかわれていた。不快な顔をする。
「話に聞いていましたが、その通りなのですね。少しは自分の風評に気をかけるのをおすすめします」
「もう掛けるところがなさ過ぎて。ああ、そうだ。せっかくですし、始末書のコツを教えましょうか」
「結構です。それで、親戚の子どもでしたっけ? その子を使って何をしているのですか」
「何も。本当に何も。あとで聞いてみたらどうです?」
「………わかりました。ともかく、この場の権限は私にあります。あなたには病院からの退出をお願いします。おい。外まで案内してさし上げろ」
シェミアが隣の軍人に指示を出す。
その軍人が前へ出ると、アーロンはあっさり病室のドアへ歩いた。案内されるより先に退出しようとする。
「案内されなくても、寄り道せず出て行きますよ。レミエ、帰るぞお」
外の廊下から室内をのぞき込んでいたレミエに声をかけた。
アーロンはレミエを連れて、病室から離れていく。そのの後を、軍人がしっかりと追った。
軍人たちが、それぞれ軽蔑の態度でアーロンを見送ったが、さて、とシェミアが改めて、ヤバルに向き直る。
「無駄な時間を取ってしまいましたね。今日ここに来たのは、もう察しの通りです。今から事情聴取を始めようと思う。と、自己紹介がまだだったね。君の伯父がすでに言っていたが、改めさせてもらうよ。私は、シェミア・ローシだ。よろしく」
ヤバルの座るベッドまで歩くと、握手を誘った。
アーロンへ向けていた威圧は露程もなかった。友好的で、柔らかな表情も浮かべている。
ヤバルはサイになりきって、困った顔を浮かべる。いきなりですね、と答えながら、シェミアと握手を交わした。
殺人事件当日の全体朝礼の時、生徒たちの前に並んだ軍人の中に、彼の姿はあった。
ヤバルの反応に満足してか、シェミアは頷いて、一度距離を置いた。
他の軍人たちの前に立って、代表の立場で挨拶をする。
「申し訳ない。本当は、まだ数日間を置いておくつもりだったのですが。少々問題が起きまして、日程を早めることにしました」
「アーロンさんのせいでもありますか」
「それもありますね。もしかして、アーロンさんからすでに何か聞いていますか」
「いいえ。何も。たださっきの様子で、迷惑をかけたようだったので」
ここは、ヤバルは何も知らないことにした。
まだ相手の意図を把握し切れていないからだ。
「ああ、そういうことですか。彼は、あれが平常運転ですから、こちらもあまり構いませんから、君が気にするようなことでもありませんよ。事情聴取ですけど、怪我人に無理はさせるつもりはありませんので、姿勢は座ったままでいいですよ。楽にしてください。こちらの聞いたことに答えてくれるだけでいいので」
ヤバルは生返事をする。進行は相手に任せた。
それでは、とシェミアが仕切る。隣の軍人が、メモの用意をした。
「まず、殺人事件当日、あなたは何をしていましたか」
「寝てましたよ。起きて、顔を洗っていて、なんか変だなと思って、騒ぎの方へ歩いたんです」
「なるほど。そのとき、誰かと一緒にいましたか」
「顔を洗うとき、井戸でクラークと会ってます。同じクラスメイトの友達です」
「はい。それでは、その前日、昼あたりからでいいでしょうか。何をされてましたか」
「昼休みが終わって、教室に戻って授業を受けてました。夕方、寮に戻って、夕食を食べてからは部屋で一人でした」
「はい。ありがとうございます」
あっさりしていた。
シェミアは記録係の軍人の手元を確認してから、一つ頷く。
柔らかな笑みを浮かべたままで、ところで、と言葉を続けた。
「殺害された少年ですが、ハイリ・セラピアといいますが、あなたと面識があったと情報があります。いつ、どこで会いましたか」
「名前は聞いてますけど。僕には誰だかわかりません。本当に会ったことがあるのですか」
「ええ。君を襲った三年生の、ライナー・ディープスですね。彼と仲が良かったそうです。よく一緒にいたとか。水色、というか、空色の長髪の少年です」
ヤバルの、困った顔の頬がぴくりとする。
会っていた。
話もしていた。
「たぶん、会ったと思います。でも、あれは自分からではなくて、三年生に連れて行かれたところで会ったんです。殺されたのは、あの人なんですね」
「そういうことになるね。名前、知らなかったのですか」
「はい。いろいろ聞かれましたが、それほど仲が良かったわけでもありませんから」
「いろいろ、とは」
「特別変わったことではありません。セセラギ流に興味があったようでした」
「そうか。君は、セセラギの名を継いでいたね」
「ただの飾りです。外向けの服装のようなものですよ。僕自身は、基本しかできません。田舎者扱いされるから嫌だったのですが、学園に通うなら、とアーロンさんに」
ささやかな嫌がらせのつもりで、アーロンの名を出した。
ヤバルも、シェミアの反応を窺う。一瞬だったが、シェミアは目つきを引き締めたようだった。
「アーロンさんが……。少し脱線しましたね。ええと、では、君がハイリ・セラピアとそのグループに会ったときのことを、もう少し詳しくお願いします。セセラギ流以外に何を話しましたか」
「本当に変わったことはありませんよ。マリア・オルレアンに掴みかかったこととか、少し話しましたけど。セセラギ流をさわり程度話したところで、あとは彼らで勝手に盛り上がってましたから。僕はほとんど質問に答えるばかりで、会話らしいものはなかったと思います」
「そういえば、君は試験試合の後、マリア・オルレアンに掴みかかったそうだね。あれは、どうしてなのかな」
「ジューダス・ガリラヤさんには説明しましたよ。彼女の強さに興奮しすぎて、思わず、怒鳴り散らすような醜態を晒す様になってしまっただけです。他に理由はありません」
「他に理由がない、ですか。まあ、いいでしょう。ところで、君は、三年生にばらされたと疑われて、そのことが原因で先日の騒動が起きたらしいのですが、何か覚えはありますか」
マリア・オルレアンに掴みかかった事件は、それなりに大きな出来事だ。
今回の事件に関係がないためか、シェミアは深く聞こうとしなかった。
代わりとばかりに振られた話題だが、ヤバルは心当たりがない。
「いえ。わかりません」
嘘偽り無い回答だ。
ヤバルは、あの三年生に恨まれるようなことをした覚えがない。
いきなり、彼が激怒していて、襲われたのだ。
「僕のほうが知りたいくらいです」
「ばらした、と彼は怒鳴っていたそうですが」
「わかりません。僕は彼の何かを誰かに話すほど、彼とは仲が良くなった覚えはありません」
シェミアは、ふむ、顎に手を当てた。
再び隣の書記役に視線をやる。
ヤバルとのやり取りが書き記されるのを待ってから、ありがとう、とヤバルに微笑んだ。
「事情聴取は以上になります。また何度か聞き取りに来るかもしれないけど、今日のところは帰ります。退院まで、ゆっくり身体を休めるといい」
失礼するよ、と言って、他の軍人を連れて、シェミアは退室した。
残されたヤバルは、ベッドの上で、考えに耽る顔をしていた。
容疑をかけられた、とアーロンからは聞かされていた。
しかし、実際に行われたのは、単なる取り調べだった。
深く聞き取りをしようともしなかった。
現状、アーロンの言葉がどれほど事実なのかさえも、わかっていない。
まだ、捜査が初動だけなのかもしれないが、それさえも、ヤバルに把握する手段がなかった。
「ばらしやがった、ね……」
ヤバルを教室で襲った三年生、ライナー・ディープス。
彼に恨まれるような覚えはない。
†
入院生活は、ヤバルにはつまらないものだった。
日中、院内をぶらりと歩くのも、その鬱屈しそうなのを紛らわすためでもあった。
病院から抜け出そうとせず、決まった時間帯で検診を受ければ、特に何も言われない。
しかし、今日はとある廊下で、予想もしなかった人物を目の当たりにして、動けなくなってしまう。
「―――っ」
息を呑んで、固まった。
相手も、ヤバルに気づく。彼女はどこかへ向かう途中のようだった。しかし、その足を止めて、ヤバルに近寄った。
「傷はどうなの?」
マリア・オルレアン。
滅びの魔女と忌み嫌われる存在。
彼女は、ジューダス・ガリラヤとも関係している。
必要以上の接触は、危険だった。アーロンの言葉は忠告だった。
だが、それでもヤバルは、マリアを無視できなかった。
「なんで、ここにいるんだよ」
「……定期検診なの。昔から、背中に傷みたいなものがあって……。あなたは、大丈夫そうね」
彼女の顔に安堵が滲む。
ヤバルは、苦い顔をする。演技そっちのけで。
「こんなもの、心配されるもんじゃねえ」
「そうもいかないでしょ。あなた、そのままだと食事も何もできないじゃない」
「おかげで上も下も、全部ここの白衣のお姉様たちにお世話様だ。もう何を見られても恥ずかしいなんて思えねえ」
「嬉しそうね」
下品な話になったためか、マリアは眉を顰めた。
「冗談。うんざりだ」
「退院までの辛抱でしょ。……ねえ、あなたは、いつまでここにいるつもりなの」
問われたのは、どちらの意味か。
ヤバルは、ほんの少し間を置いてから答える。
「さあな。傷だって、治るまでは一ヶ月かかると言われた。こんなところ、うんざりして出て行けるなら、とっくにやってる。どうにも合わないのは十分に味わえた」
どうして、とマリアが聞こうとしたが、人が通過して遮られてしまう。この病院の入院患者だった。ヤバルと同じ、患者の服を着ていた。
マリアは、やや顔を俯かせて、廊下で二人だけになるのを待った。
先に口を開いたのは、ヤバルだった。沈黙でいるのを絶えきれなかったという顔で。
「仇がいて気分悪いだろうが、まだ少し我慢しろ。いつまでもここにいようと思っちゃいねえ。ちゃんと出て行く。それとも、今ここで、俺を殺すか」
「嫌よ。完治してからにするわ」
「命拾いさせてくれてありがとうございます。貴族様」
ヤバルの挑発に、マリアは、表情を変えなかった。真っ直ぐに見つめる。
「完治まで、一ヶ月と言ったわね。少なくとも、それまでは大人しくしていなさい」
「するかどうかは、俺が決めることだろ。あんたは関係ない」
マリアは、ほんの少し驚いた顔になった。
すぐに、むっとする。
「そう。勝手にしなさい。傷はしっかり治しなさい。私、もう行くから」
「おう。お大事に。……で、合ってるんだよな?」
「あなたも」
マリアは最後に声を潜めて、ヤバル、と名を呼んだ。ヤバルの耳にも届く。
背を向けて去って行く。怒っているのは、歩く後ろ姿からも伝わっていた。
「わかってる。ここは、俺の居場所じゃねえ」
言葉がこぼれる。
ヤバルの視線が、ふと、左腕にいく。
当然、ない。
拘束具もつけられたままだ。まだ、アイオーンも出せなかった。
舌打ちする。そうして、ふらりと、マリアとは違う方角へ歩いて行った。
彼が去った後、老人が一人残る。
彼は、自称職人。
「もう一度、もう一度、あれに触れれば我は思い出すのか。この想いも、ソフィアも。もう一度、触れれば」
丸めた背中の向こうで、カチ、カチ、と何か常に積みあげている。
「我は何を失っている。否、失っているのはとうに承知。足りないのはすでにわかっていたことだ。我はただの枯れ枝。それにすぎない。覚えているのは、あの神の使いへの憎しみと、この、腕の使い方……。そして、この世界への愛……。すべて欠片だが、我は知っている」
職人の言葉を拾う者はいない。
ヤバルにも聞こえていなかった。
ただ一人、言葉をつぶやいて。
職人は、まるで空気へ溶け込むように、ふっと消えた。
†
ヤバルが入院してから、一週間がすぎた。
あれからシェミアが何度か事情聴取に病室を訪ねていた。質問内容は変わりなかったが、ライナーがヤバルを恨んでいる理由は教えてくれた。
ライナーが、殺されたハイリと、何かしらの犯罪行為を行っていた。
殺害事件の後、その犯行が疑われたことで、ヤバルがどうやってか知り得て、ばらしたものと思い込んだのだ。取調をしたところ、ヤバルと同じクラスの一年生から、その情報を得たらしい。
一年生が、なぜ三年生にヤバルが疑わしいと言ったのか。その理由は、グループにも入っていないのに優遇されていて、ライナーとハイリから気に入られていることに腹が立ったからだった。
完全に腹いせだった。
ヤバルは、シェミアから話を聞いたときには、ため息しか出せなかった。その一年生は、まさか大事になると予想もしていなかったようで、動揺も激しかった。シェミアの部隊員の一人から聞き取りされて、あっさり白状している。
ただの嫉妬心で、危うく殺されかけたのだ。
とはいえ、ヤバルの疑いが完全に晴れたわけではなかった。
ライナーとハイリが何をやっていたのか、教えてくれなかった。何より、ヤバルが入院するはめになった騒ぎの発端、殺人事件が、まだ解決していない。
そのあとも、しばらくシェミアは聞き取りに、わざわざ病室まで訪ねてきた。
半月を過ぎたあたりで、警護役の軍人も解任されたのかいなくなり、個室で入院している以外、ほとんど他の患者と変わらない扱いになっていた。
外部からの面会も許可されている。
しかし、保護者はすでに無許可で面会済みだった。
あとは学園の知り合いくらいだが、クラスメイトにも友人の少ないヤバルを、わざわざ病院にまで訪ねるのは、限られていた。
マイカとヒスイは来ない。
アーロンが、手を切るような発言をしている。彼女たちも、ヤバルにはもう接触しないかもしれなかった。
そんなヤバルに、面会許可になってから二日後の夕方、病室を訪ねた人がいた。
同じクラスの友人、ウェールズ・アンヌーンだ。
手入れの行き届いた金髪が、窓からの夕日で眩しく煌めく。
美少年が病室のドアを開けて、その青い瞳がヤバルを見つけると、安心したように微笑んだ。
「元気そうだな」
彼は、ベッドの傍の椅子に座る。
入院生活を労い、羨ましいとも言った。
やがて、会話は、ヤバルの近状から、学園に移った。
殺人事件当時のような、国衛軍による厳重体制は解除されていた。
しかし、まだ事件そのものの解決はしていないため、軍人の聞き取りや調査は、日中行われている。
ライナーは、学生一人病院送りしたこともあるが、他に容疑をかけられて、国衛軍が取調のために連れて行った。まだ帰ってきていないらしい。
一方、学園では授業が通常に行われている。緊急事態として、学業を止めたのは事件当日から翌々日までだ。
入院しているヤバルを置いて、授業内容は進んでいた。
追いつくことに苦労するぞと、ウェールズは笑ってみせた。
一時、二人の雰囲気も和んだ。
だが、ウェールズがぽつりと漏らしたのだ。
暗い感情のある顔を、俯かせて。
「学園、最近、おかしいんだ」
先月は、更新を休んでしまって申し訳ございません。
白風水雪です。
皆さんも、風邪や突然の体調不良には重々注意しましょう。
それでは。またの更新をお待ちください。




