十二章〈波紋〉前
ヤバル (本名:サクラス・ザラスシュトラ 潜入捜査中偽名:サイ・セセラギ・シルヴィア)
マリア・オルレアン (滅びの魔女と恐れられている)
ジューダス・ガリラヤ(貴族・国衛軍第六部隊・中尉)
モート・ギリティナ伯爵(貴族・港町プロピナの領主)
アーロン・クイール・シルヴィア(国衛軍百十三番隊国衛軍安全調律部隊第十分部隊副分部隊長・伍長)
レミエ・ラグドロビン(国衛軍百十三番隊国衛軍安全調律部隊第十分部隊・兵長)
クラーク・サスラ(ヤバルのクラスメイト)
ウェールズ・アンヌーン(ヤバルのクラスメイト)
ヒスイ・ルサールカ(スラオシャ大神殿の従業員として潜入調査中。アーロンの協力者)
マイカ・カスヴァス(スラオシャ大神殿の業務員として潜入調査中。アーロンの協力者)
ダカーハージ学園は、朝から異様なざわめきで満ちていた。
全学園生徒が闘技場に集められて、整列した。全体朝礼はいつも外のグラウンドか、この闘技場のどちらかで行われる。
闘技場の観客席には、簡易の演壇が設置された。
全生徒たちは、その演壇を前に男女二列で並んでいる。クラス、学年の割り当てで、Aクラスの四年から一年生、そして次はBクラス―――、という順番だ。
なので、ヤバルたちのクラスは演壇を前に、左端で二列を作っていた。
早朝のあの騒ぎがいったい何だったのか、すでに生徒中で噂が飛び交っている。もちろん、ヤバルの耳にも彼らの声は聞こえていた。
事の大きさや秘匿性からも推測されて、殺人事件だろうと話していた。
しかし、ではいったい誰が殺されたのかさえ、まだ話の本筋まで誰も辿り着けていない。不安を誤魔化そうと、胸の内をただ吐き出している。
そんな異様で、肌に冷たく這いそうなざわめきが満ち満ちていた空気が、ふいに別の変化を見せた。
闘技場の生徒たちの視線が、一人またひとりと、観客席へ向けられていった。
「……ねえ、あれ」
「なんかマジで結構大事になってないか」
彼らの登場は、生徒に足音が聞こえずとも、存在感で知らしめる。
観客席側の入場口から、学園長、副学園長、教頭などの学園の重役が、観客席側に並んでいく。ざわめく生徒たちを鎮めず、厳かな表情で立った。
学園の彼らに続いて、国衛軍も数名入場してきた。濃藍色の軍服を身に纏った彼らが、足並み揃えて進行する。代表として、ジューダス・ガリラヤが軍人の先頭を歩いていた。
階級も、所属部隊も様々の彼らだが、ほとんどが学園の役職に就いていた。
鮮烈されて整った動きで、綺麗に横に並び立った。
そして、濃藍色の軍服に続いて会場に入ったのは、白の礼服の列だった。
スラオシャ大神殿の司祭たちだ。
大司祭や司祭だけでなく、一般人なら祭事のときしかお目にかかれないような枢機卿も会場内に姿を見せて、他の司祭たち同様に立った。
生徒たちの左手側から、学園教員、国衛軍、神王教司祭と整列していた。
そして―――。
「マジかよ」
「あの人まで来たのか」
「仮面はつけてないのね」
「あれは特別なときだけだろ」
「違うわよ。その日の朝に決めるそうよ」
最後に、数人の護衛に連れられて姿を現したのは、現教皇、ディオニュシオス・アレオパゴス、その人だ。美しい白地に細かな金の細工が施された礼服を、ゆっくりとした歩みの動きに合わせて揺らめかせている。
神王教最高位の登場は、その場の空気を張り詰めさせる。
教皇の存在に圧倒されていた。
これからいったい何が起きるのか。全生徒が息を潜めるようにして、彼の挙動を見守る。
教皇ディオニュシオスは、演壇には立たず、その近くに佇む。
相応たる顔ぶれの代表でまず演壇に立ったのは、学園長だった。赤毛の短髪、髭を生えそろわせて威厳ある顔をしている。
ダカーハージ学園代表取締役、学園長、ヤグルシ・B・アイムール。
肩幅のある大きな体格は鍛え抜かれていて、六十半ばにしてはまだ若さを残しているように見える。猛将のような印象は経歴と見合い、元は国衛軍第三部隊隊長を務めてもいた。
剣証は最高十位以内に入っていた戦歴を持つ。つまり神王誓証剣闘隊にも所属していた実力者だ。
「気をつけえ!」
野太く、張りのある声が会場内に響いた。
生徒全員が肩を萎縮させて、静かになる。威圧されたのだ。
観客席の端から、車輪をつけられた台が学園長の近くに寄せられた。台には、三角錐の巨大な筒がある。拡声器だ。
学園長の立つ演壇に拡声器から伸びたパイプが設置される。これで学園長の声を拾い、増幅させるのだ。
「おはようございます」
先ほどのより幾分柔らかな声調で挨拶がされる。
「本日、全体朝礼を急遽行うに至った原因と、その理由から説明をしよう。本日、早朝、君たち寮区域から学園本舎までの区間で、並木道の場所がある。寮区域からは、西の方角になる。すでに知っている生徒もいると思うが、今日そこで殺人事件が起きた」
ざわっ、と生徒たちの動揺が、会場に広がる。
噂まで流れていたとはいえ、学園長の口から語られる衝撃が大きかった。
「気をつけえ!」
再度、大喝が飛ぶ。
拡声器を使い、一度目より大音量だったため、耳を押さえて縮こまってしまう生徒まで出た。小さく悲鳴も上がっている。
一旦、生徒たちが落ち着くのを待ってから、ヤグルシは続けた。
「全体朝礼を行ったのは、この事実を生徒たちに認知してもらいたいからだ。被害者は、二年Bクラスの男子生徒、ハイリ・セラピア。ワヒシュタの北西部の山間にある、カインという町の出身だ。成績は優秀で、将来が期待された生徒のひとりだった」
今度は二年Bクラスを中心にざわめき立つ。
被害者を知る生徒が息をのみ、あるいは嗚咽を漏らす生徒もいた。無法者みたいなグループに属していたとはいえ、少なからず彼を慕う生徒もいたのだ。
学園長のヤグルシは、彼らの驚きや悲しみを止めようとしなかった。それでも多くの生徒へ聞こえるようにと、声を大きくする。
「死体の詳細はあまりに残酷な有様だったため、伏せさせてもらう。犯行時刻は昨夜から今朝の早朝まで。犯行場所は、現状では遺体発見場所と見ている。学園は、この殺人事件の一刻も早い解決を望んでいる。そのために国衛軍の調査を協力することになった。生徒たちも、協力をしてほしい。事件に関わりの有りそうなことがあったら、教員でも、国衛軍にでもいいから、伝えてほしい。彼の死はとても惜しい。貴重な人材のひとりだった。そして、何より、光ある未来を無残に閉ざされてしまったことが悔しい」
しん、と生徒たちが静まりかえる。
学園長の声には、怒りが秘められていた。言葉以上の感情が、静かに会場を伝う。
「事件はスラオシャ大神殿区域内で起きた。犯人がまだ潜んでいる可能性も否定できない。君たちも、不安なところはあるだろう。だが、疑心に惑わされて、軽はずみで問題になる行動は慎むようお願いしたい。事件の調査は、我々学園と、国衛軍で行う。生徒たちの独断で事件の調査は禁止させてもらう。もし見つけたら、厳罰に処すので、そのつもりでいてくれ。これからの対応の詳細は、解散後、担任教員から説明がある。詳しいことはそちらから聞いてほしい」
では最後に、とヤグルシが話に区切りを置いた。
「君たちは学生だ。この事件は我々に任せて、君たちは学生の本分を全うしていただきたい。私からは以上
だ」
ヤグルシが演壇から下りる。
すれ違いであがるのは、教皇、ディオニュシオス・アレオパゴスだ。
神王教の最高位。信仰者からしてみれば、神に等しい存在。
会場全体の緊張が一層増した。
ディオニュシオスは、老人の肉体を重そうに動かしながら、学園長より時間をかけて演壇にあがる。拡声器のパイプの位置を確認し、静かに口を開いた。
「挨拶の前に、哀しい事件の被害者のハイリ・セラピアに、一つ、祈りを捧げたい。皆さん生徒たちも、よろしければ、祈りを捧げてほしい」
緩やかな動きで、教皇が両手を組む。
右手を上に、左手を下に。棒状の何かを持つ形を作る。その形を崩さず、右手の親指の背中を額に当てた。
神王教徒のすべてが、食事などのときにする祈りの仕草だ。
国衛軍も、学園教員も、生徒たちも、教皇に追従する。
しかし、ヤバルだけが、はっと我に返って、急いで周りに合わせて祈りの形を作っていた。ついさっきまで驚いていて、固まってしまっていたのだ。
今演壇に立っている教皇は、以前絵画の廊下でヤバルにエデンの存在を狂信的に説いた、その老人だった。声を聞いて確信を持ったのだ。
一名を取り残して、まるで闘技場の中ですべてが呼吸さえも揃えたような、ある種の一体感が全体を覆う。
「神王ヤダルバオートよ。哀しい魂がそちらへ還りました。どうか、しばしあなたのお膝元で哀しみを癒やしてください」
この世界で生まれ落ちた生命の魂は、エデンで眠っている神王の元へ還ると言われている。王の優しさが、現世での傷を癒やすのだという。
沈黙で行われた祈りは、時間にして、一分弱だった。
教皇からまず姿勢を解いて、見下ろす先の皆に声をかける。
「ありがとうございます」
とても柔らかな声が会場全体に響いて、教員や生徒たちも、静かに祈りをやめた。
すべての視線が教皇に集まる。
教皇ディオニュシオスは、注目されてる中で、気を張り詰めるわけでもなく、ただ柔らかに微笑みを作っていた。
「皆さん。おはようございます。今日は悲しい事件が起きました。とても許しがたい事件です。犠牲者の少年の魂は、きっと私たちの祈りで、神王様のお膝元まで運ばれたことでしょう。だから、次はまだ生きる私たちが、平和でなければいけません。今回の事件で、不安を持ち、恐怖を覚えた生徒もいるでしょう。もし、耐えられないのであれば、いつでも神殿に来てください。私たち神王様の徒は、あなたたちを拒みません。受け入れます。いつでも門を叩いて構いません。あなたたちは、神王様の大切な子なのですから。ならば、私たち徒にとっても、我が子同然なのです。大丈夫。神王様が見守ってくださっています」
言葉をひとつ一つ、丁寧に紡いで語られた。
涙する生徒も出ていた。
教皇は最後に感謝を表すお辞儀をして、演壇から下りた。
元の立ち位置へ戻り、静かに佇む様を、ヤバルは観察する目でじっと見つめていた。
次に国衛軍から一人、代表のジューダスではなく、別の軍人が演壇に上がる。学園勤務としての立場を鑑みて、学園に役職を置いている軍人が立つことになっていた。
前二人と比べて、犠牲者への悔やみの言葉は簡潔だった。
話の主な内容は、これからの調査の予定だった。全生徒に事件当時の事情聴取をする旨などが伝えられる。詳細は、これも担当教員から後ほど連絡があるのも説明した。
淡々と連絡事項を述べていった。使用時間も短い。
最後に再び学園長が演壇に上がって、終了を告げる。神王教最高位まで参加した全体朝礼だったが、終わりは割とあっさりとしたものになった。
解散後、生徒たちは、自分の教室で担任教員から今後の説明を受けた。そして、いつもより早めの昼休みを取らされた。
午後の授業は中止になり、事情聴取が組み込まれた。
†
昼休み中。
ヤバルは、ヒスイかマイカに接触を試みるため、業務室を訪ねてみた。しかし、室内を覗く前から、慌ただしいのが廊下まで伝わってきていた。
教員たちが書類を持って飛び出しては、また別の教員が書類を持って業務室に急いで入る。さすがに今ここに入るのは邪魔になるどころか、叱られるのは、ヤバルでもわかった。
引き返そうとしたとき、マイカが廊下に出てきた。彼女も何かの書類を持っていたが、ヤバルに気づいて近寄った。
ヤバルが口を開いて何かを言う前に。
「今は邪魔だ。戻れ」
たったそれだけを言って、他の教員たちが急ぎで向かう方へ走っていった。
ぽつんと、ヤバルは廊下に残されてしまう。
仕方が無いといった顔で、ヤバルは踵を返した。
その後、可能な限り校舎内から学園敷地とその外を眺めて、ヒスイを探したのだが、彼の姿を見つけることができなかった。
何の収穫もないまま時間を浪費しただけで、ヤバルは教室に戻った。
自分の席に座って、肘をついた。
どのような状況か、聞くことすらできていない。
救世の印。
そのことに関しても、わからずじまいだ。
学園内は、妙な静まり方をしている。生徒たちは普段通り過ごそうとしているようで、どこか息を潜めている様子があった。何かを窺うような、隠しているような。
ヤバルのいる教室も例外ではなかった。
むしろ露骨に声を小さくして会話をしているところもあった。
「何か心配事か」
ため息を漏らしたとき、ウェールズが話しかけてきた。
いつもは女子と一緒に楽しく笑っている方が多い彼ですら、表情に緊張や不安を過らせていた。
ヤバルは、そんならしくもないウェールズに、訝しむの目をわざとらしく向けた。
「おい。なんだその疑わしい顔は」
「君を知る人なら全員がたぶん同じ反応だと思うよ。もしかして四股がばれたとか」
「俺は全世界の可愛い女の子には本気だから浮気じゃないぞ」
「はいはい。そうですか」
友人の調子が戻ってきたことで、ヤバルの表情に安心が広がる。
「たかだか事情聴取だろ。後ろめたいことがないなら、気にする必要もないだろ。それとも、ウェールズは何かやましいことでもあるのか。あ。すでにあったね。ごめん」
「コラコラ。勝手に自己完結させるものではありません。ちゃんと語らせろ」
「気持ち悪っ」
「話振っといてそれは酷いだろ」
互いに笑う。
一区切りを置いて、ウェールズが言う。
「そういうのは、まあ、多くの生徒がないだろうけど。ほら、殺人事件が起きたのは事実みたいだから。それで皆あんまり元気がないんだろ。こういうとき、普通は怖いだろ。人が殺されたんだから」
「そっか。そうだね」
ヤバルは、腑に落ちた顔をする。ちょっとだけ、哀しさがあった。そういえば、と話を振った。
「殺された生徒って、ウェールズはどんな奴だったのか知ってるのか」
「……会ったことはない。学園に通っているのだから、何度か顔を見たくらいはあるかもしれないけど」
「まあ、二年生だからそんなもんか」
「気になるのか」
ウェールズの問いかけに、ヤバルは頬杖をついてから答える。
「ちょっとはね。どんな奴だったのか、くらいは興味を持つよ」
「こういうとき一番頼りになるのは、あいつなんだが」
「寝てるよ」
ヤバルとウェールズが視線をやる先で、クラス一情報通のクラークは机に突っ伏す姿勢で熟睡していた。
普段は優等生の模範姿勢を実行する友人だが、今日は昼休みの初っぱなから眠っている。今朝ヤバルと井戸で出くわしたときから、すでに眠そうだった。
クラークは、モラルに反するような行動すらも嫌う生真面目な少年だ。昼休みだからといって、寝息を立てるほど眠るのは、珍しい光景だ。
「疲れてるみたいだったけど。でも、クラークも知らないとは言ってたよ」
全体朝礼が終わった直後だった。
ヤバルは教室に移動する際、殺された生徒がどんな人物だったのか、クラークに聞いてみていた。俺は知らない、とクラークは首を振ったのだ。
「珍しい。夜更かしか」
「かもしれない。何かあったんだろうけど」
「まあ、あいつも人間だ。そういうこともあるさ。たまには肩の力を抜けってことだ」
「なんでわかった風で、上から目線なんだよ」
「成績ではマウント取れないから。こういうときにバランスを取るんだ」
「うわ。性根腐ってる」
「うるせ」
つ、とウェールズの視線が何かに気づいた。
席に着いているヤバルの正面から、右手側に回る。声を潜めた。
「なあ、さっきからイウがお前を見てんだが、何かしたか」
イウ、とは、先日金髪のオールバックの三年生に連れて行かれたところで出会ったグループのひとりだ。同じクラスメイトもいたのだと、そのとき初めて知った。
一年生だからか、イウはグループで下っ端の立ち位置だった。
「知らない。何も言ってこないから放ってる。たぶん、この間のグループで何かあったんだろうけど。結局、僕には関係のないところだろうから」
「なんだなんだ。面白い話持っているな。聞かせろよ」
「うわっ。離れろよ。気持ち悪い」
急に肩を組んできたウェールズを強引に押し離した。
予鈴が鳴る。
教員が教室に入ってきた。
ウェールズを含めた生徒たちは、昼休みの賑わいをあっさりやめて席についた。
†
学園の午後が始まった。
さっそく事情聴取が行われた。
国衛軍の聴取役が、教員立ち会いの下で行う。一人ひとり個室まで案内されて、個別に聴取される。
聞き取りが終わった生徒から、寮に帰されることになっている。学園校舎内への立ち入りが禁止され、聴取内容が残っている生徒に漏れるのを防がれていた。
順番待ちの生徒は、教室にて待機を命じる。授業もなく自主学習のため、退屈を持て余す生徒もいた。見張り役は担任教員で、勝手に騒ぐなどの授業内容に則しない行動を禁じている。
ヤバルは、とりあえず教科書を広げてみたのだが、まったく読もうともしていない。一時間経過してからは、退屈に負けて、眠ってしまいそうだった。
聞き取りは、一クラスでひとりずつ呼んで聞き取りはせず、一度に十人連れて行っていた。その先で、個別の聴取が行われていると、担任教員が説明した。
三回ほどで一クラス全員の聞き取りが終わるのだが、一回目が呼ばれてからまだ他に呼ばれた生徒はいない。
ヤバルは順番で、三回目に決まっている。タッグを組んだ睡魔と退屈に、しばらくは付き合わなければならなかった。
ようやく二回目の呼び出しがあり、十人連れて行かれる。
教室に残るのは、ヤバルを含めて、あと十数人。
そのころには、ヤバルはもう眠いのを隠していなかった。堂々とあくびをして、机に突っ伏す。眠っている生徒はヤバルの他にもいたが、教員は注意しない。今日くらいは見逃す様子だった。
一度目の聴取でクラーク。
二度目でウェールズが連れていかれている。
友人二人が教室からいなくなって、ヤバルの退屈の度合いがさらに増す状況になった。
眠気も増す。
ともあれ、座ったままでは熟睡はできない。
浅い眠りと覚醒を何度か繰り返す。
目覚める度に、まだ聴取の順番が回ってきていないことに、ヤバルは機嫌を悪くしていった。
苛立ちは、睡眠の邪魔をする。
ヤバルは、居眠りも難しくなっていった。彼の視線が、教員や窓、ドアの位置を確認する。抜け出してしまおうかと企んでいるのだ。
教室の他の生徒も、ヤバルほどでなくとも退屈に苦しめられていた。教員も、さすがに欠伸が目立ってきている。軟禁に近い状態が長時間続いたため、教室内の空気は完全に緩みきっていた。
突然、教員が立ち上がった。
視線は床を睨んでいる。
何事かと生徒たちの視線が集中し、その教師が廊下に目をやったときだ。
ヤバルも、遅れて廊下を見た。アイオーンの気配が近づいていた。
床に振動が伝わっている。僅かだが、はっきりと教室の机やドアが揺れていた。
廊下側から、教室のドアがぶち破られる。
現れたのは、金髪のオールバックの少年。ネクタイとバッチから、三年C組だとわかる。ヤバルを捉えて、鬼のような形相をした。
「てめえが! てめえがばらしやがったのかッ!」
唐突の出来事だった。
瞬時の対応ができたのは、教員だけだった。
しかし、教員よりも早く、金髪の三年生が動いていた。すでに展開されたアイオーンの能力だ。ナイフに近い長さの短剣。移動を数倍に高める力を持っている。
教員が前を遮ろうと回り込むのを、高速の左右のステップでかわす。移動が荒っぽくて、机が飛ばされる。教室の生徒が取り調べで三分の二くらい出ていたのが幸いで、巻き込まれた生徒は少なかった。
突如として現れた三年生が、教室を暴風のごとく荒らす。
高速の移動はそれだけで脅威だった。
ほぼ一瞬でヤバルとの間合いを詰めていた。ヤバルが彼に気づけたのは、アイオーンの気配があってこそで、目も身体も、ついていけていない。
金髪の三年生は、肉薄したヤバルの首を絞めた。勢いをそのままに窓を突き破る。ヤバルの背中の向こうにあった窓の外は、地上三階の高さの空だった。
二人は重力に従って落ちるしかない。
それでも、金髪はヤバルの首から手を離さなかった。
このままだと、ヤバルは背中どころか頭の後ろも、地面に激突してしまう。すでに身体は中に投げ出された状態で、抵抗の余地はほとんど許されていない。
体勢を立て直す時間すら与えられていない。
どう足掻いてみせたところで、すべてが無理だった。
それでも、諦めないのがヤバルだった。
金髪の腕に抱きついて、身体をひねる。地面に激突するのを金髪にも負担させて、衝撃を少しでも分散させようとしての判断だった。最善の抵抗をして、生存の運を引き寄せる。
二人の落下地点付近では、別の動きがあった。
一階や二階の窓から教員が数名飛び出している。これだけの騒ぎと、アイオーンの気配で、異常事態が起きているのはすでに周囲が認知していた。いち早く対応できたのが、彼ら教員たちだった。
瞬時に状況判断がなされ、可能な限りの最善が選択される。
教員の一人が、アイオーンを地面に突き立てる。地面が瞬く間に柔らかな砂に変わり、それを今度は土が盛り上げていく。
地形変動だ。
地面に刺されたのは、刃の幅が大剣ほどの短剣。
マリアの試験試合の相手をした男が、アイオーンの力で地面に即席のクッションを作ろうとしていた。張りぼて同然だが、無いよりはマシだった。
他教員は為せることが無いとの判断で、次の事態に備えた。アイオーンを展開させる者もいた。
かくして、三階の窓から飛び出した二人は、教員の作り出したクッションに落ちた。
派手な砂埃が舞う。
待機していた教員内数名が急いで砂埃の中心に突っ込んだ。金髪とヤバルが引き剥がされる。金髪は、まだ暴れようとして、激怒の顔で教員の拘束に抵抗している。両腕、両足、首にと、アイオーンの具現化を抑える拘束具が取り付けられた。
ヤバルのものと違い、装着者の動きを縛るための鎖もついていた。
身動きができなくなっても、金髪の感情は収まる傾向を見せない。むしろ、さらに激情していた。彼の睨む先には、対照的に痛がって動けないでいるヤバルがいた。
ヤバルは教員に庇われ、ひとりの教員から状態の確認が行われていた。
咄嗟の体勢崩しが成功し、なんとか最悪を回避できていた。
しかし、無傷で乗り切ることはできなかった。
身体の右から地面に落ちたため、土のクッションでも殺しきれなかった衝撃で、右腕や肩を負傷していた。骨折か、脱臼か。いずれにしても、ヤバルの右肩はだらりと不自然に胴体からぶら下がっている状態になっていた。
即急の処置が判断され、学園の医務室ではなく、スラオシャ大神殿内区域の病棟へと運ばれる手筈が取られる。
突発に起きた事件が、強制的に終局にされていく。
拘束された金髪も、別のところへ運ばれる。
残った教員たちも、他の対処に当たるため、学園校内へ戻っていった。
窓などからは、一連の騒ぎを見ていた生徒たちがいた。対応も判断も対処も、教員が早くて、生徒の出る幕がなかった。また、暴力を止めなければいけないのはわかっていても、使命や義務もないので、消極的な対応が傍観者を作り上げていた。
遠巻きの中で、一階の外に飛び出した生徒たちの奥には、マリア・オルレアンの姿もあった。
彼女は事件が起きた現場をすでに見ていない。
ヤバルが運ばれていった方角を見つめていた。
彼女の背中で、白銀の髪が、風で小さく揺れた。
はい。というわけで、第十二章前半でした。
殺人事件やら、登場人物の絡みやらで、複雑さがましましたが、まあなんとかやれるかなあと思っております。
十二月末に、十二章後編をあげられたらいいなあと思っております。
皆さん、風邪にはお気をつけてくださいね。
ではでは。これにて。




