九章〈試験試合〉後
ヤバル (本名:サクラス・ザラスシュトラ 潜入捜査中偽名:サイ・セセラギ・シルヴィア)
マリア・オルレアン (滅びの魔女と恐れられている)
ジューダス・ガリラヤ(貴族・国衛軍第六部隊・中尉)
モート・ギリティナ伯爵(貴族・港町プロピナの領主)
アーロン・クイール・シルヴィア(国衛軍百十三番隊国衛軍安全調律部隊第十分部隊副分部隊長・伍長)
レミエ・ラグドロビン(国衛軍百十三番隊国衛軍安全調律部隊第十分部隊・兵長)
クラーク・サスラ(ヤバルのクラスメイト)
ヒスイ・ルサールカ(スラオシャ大神殿の従業員として潜入調査中。アーロンの協力者)
マイカ・カスヴァス(スラオシャ大神殿の業務員として潜入調査中。アーロンの協力者)
審判が開始の合図をする。ヤバルはまず構えた。
しかし、対する赤毛アフロ頭のアプロ・エウロペはアイオーンどころか腰の剣すら抜かず、欠伸をした。中肉中背の男は、軍服に身を包んでいなければ酒場で飲んだくれていそうな、だらけた顔でヤバルを見下した。
「先手をくれてやるよ。大人は寛大だぜ」
「遠慮なくそうさせてもらいます」
ヤバルは、アイオーンを具現化する。青白い光の粒子が彼の身体をなぞるように流れて、黒いグローブが両腕を覆う。改めて構えるヤバルには、欠けていたはずの左腕が確かな質感を内包して形作っている。
観客席にざわめきの空気が流れる。
剣の形を取らないアイオーンは珍しいからだ。目の前に現われたことで興味を集めていた。
「なるほど。確かに腕の形をするんだな。こいよ、どんなものか見てやる」
アプロは余裕の態度を崩さなかった。構えすらしない。
対戦者は互いに装備は自由になっている。アプロの軍服に腰の剣という装備も簡素なものだったが、ヤバルの装備は見るからにそれ以上のシンプルで、学園の制服ひとつだけで、腰に剣など目に見えている限りでは他に何かを身に付けていそうには見えなかった。
じり、とヤバルが構えの利き足をずらすように動かした。瞬間、まるで地面を滑るような動きで、アプロとの間合いを一気に詰める。
十数メートルを僅か三歩で渡った。
ほぼ懐まで入ったヤバルは、勢いの乗った右の拳を繰り出す。
しかし、アプロに半歩ずらすだけでかわされてしまう。
先手必勝の、実力差を埋める唯一の勝機を失う。
ヤバルは止まらず、連続して攻撃をする。先手を譲るわけにはいかなかった。この好機まで逃してしまったら、もはや勝機はほぼ皆無に等しいからだ。
かわされた瞬間で、すべてを悟ったヤバルは、しかしアプロの袖すら掴ませてもらえなかった。
相手はまだ余裕を持っていた。
「セセラギ流だろ。無手主体の武術。知ってるぜ。わざわざミドルネームで名乗り上げるくらいだからどれほどのものかと思ったが。所詮ガキの器用程度か!」
鋭い蹴りがヤバルの死角から襲う。
ヤバルは咄嗟に両手で受け止めることができたが、勢いまでは殺せず、アプロの蹴りに負けて飛ばされてしまう。
「確か柔術も組み合わせた近接戦闘が得意だったか。悪いが袖は掴ませねえ。面倒なのはご免だからな。さあて、こっからは大人の先手だ」
アプロの右手から青白い光の粒子が流れる。それはすでに剣のある程度の形を作り出していた。まだ完全に現出されてもいない状態のままで、アプロは手に持ったものをヤバルに向けて振る。
咄嗟の反応でヤバルはかわす。すでにアプロの手にはアイオーンが現われていた。
片刃の剣。
本来剣の刃の部分をそのまま真っ二つに割ったかのような剣だった。
「半歩下がれ。でないと終わるぞ」
苛立ちを隠した低い声でヤバルは警告される。
アプロがアイオーンを持ち直して、切り上げる。後へ下がってかわすヤバルの、元いた空間で何かが激突する鋭い音が鳴った。
「チッ。相手の手の内を探るのも戦略のうちだが、アイオーンに気を取られすぎだ。見ろ、これがお前の無様の末だ」
ヤバルの目が捉えたのは、仮面をした男の剣を、アプロがアイオーンで止めている光景だった。
仮面の男の恰好は、仮面以外アプロにうり二つの背格好だ。これが意味するのをわからないヤバルではなかった。クラークからの事前の情報が役に立つ。
アプロがつまらなそうな顔をする。
「俺のアイオーンの能力の一つだ。仮面と、その数だけ分身が作り出せる。お前が馬鹿すぎて可哀想だから自分で自分を止めるなんざ、かっこわるい様になってしまっただろ」
ただヤバルの追撃を抑えるための分身が、そのまま留めになりそうだったところを、アプロが自身で止めたのだ。
仮面の男とアプロが並んで立つ。単純な形では二対一ができあがっていた。これをさせないための接近戦でもあったのだが。
「お前にセセラギの名は早すぎるんじゃないか。セセラギを真似た、ただのチンピラだ。おい。お前のその距離は最善なのか」
ヤバルとアプロは開始直前と同じくらい離れていた。アプロがその位置までヤバルを誘導させたのだ。ヤバルは、はっとする。
「遅い。せいぜい突破してこい」
新たに三つの仮面がアプロの周囲に現われて、ヤバルの四方へ飛ぶ。最初と全く同じ背格好のアプロの分身が、三体出現した。同型のアイオーンも手に持っている。
予測していた最悪が展開される。
初手からの接近戦は、そうならないための作戦でもあった。
分身四体、アプロも合わせて五体に囲まれていた。
「べらべらべらべら、うせえなあ」
ぼそり、とヤバルは溢す。サイ・セセラギ・シルヴィアの仮面から、ヤバル本来の顔が覗いていた。少年は諦めてなんかいなかった。
勝負の世界はすべてが博打。
事前にどれだけの情報や手段を揃えて、相手より早く確実に勝ち手を確定させることができるが、勝敗を決める。
しかし、ヤバルの必勝はすべて失敗に終わった。簡単に勝てる手段は見事崩された。
ここからは、負ける確率の方が大きくなる。一歩間違えば終わる。
しかし、ついさっきの致命的なミスをアプロは見逃している。自らの攻撃を止めてみせて、丁寧に忠告までした。
これは、試験試合。あくまで、試験なのだ。
相手側の軍人には生徒の実力を出させる仕事も課せられている。
こうしてヤバルがどうするか考えている僅か数秒でも分身に襲わせないところは、その証明でもあった。その気になれば、アプロはヤバルを休ませず走らせて力尽きさせることもできたはずだ。
ヤバルとアプロとでは、実力差がそれほどある。
「イライラするぜ」
ヤバルは構えを直す。
両足の足幅をじわりと広げてから、地面を蹴った。短く吐いた息を置き去りにするような素早さで、立ち位置から動く。走る方向はただ真っ直ぐに正面。アプロめがけていた。
ヤバルの進行する左手前と正面から、アプロの分身が前進する。ヤバルを迎え撃つつもりのようだ。アプロ自身も重心だけだが姿勢を整えて、戦闘体勢に入りつつあった。
かん、と誰もが聞き逃しそうなか細い音が鳴る。
音に遅れて二体の分身体が消える。割れた仮面が地面に落ちるまでに消失していた。
ヤバルと二体の分身体との距離はまだ開けていた。激突まではあと四、五秒必要としていて、どちらも拳も剣も届かない距離にあったはずだった。
だが。
何かが仮面を割り、分身を消失させた。分身が立っていた地点の傍には、それぞれナイフが落ちていた。
外からの援護ではない。審判も止めていない。
間接的ものも含めて、対戦者以外の者が助力になるような行いは禁止されている。声援などの戦闘に関して確実な助力になり得ると言えないものだけ許されている。
その間、会場に驚きが広まる中で、ヤバルはアプロとの距離を十分に詰めつつあった。
「!」
迎撃するつもりでいたであろうアプロが、不意にヤバルから飛んだ何かを咄嗟にかわす。分身の仮面を割ったナイフと同タイプのものだった。
ヤバルは袖にナイフを隠し持っていた。これと仮面を割ったのも同様だった。
アプロにけん制し、ナイフをかわさせた隙に、距離を肉薄にする。
「この……ッ!」
試合開始直後に見せた、間合いを一気に詰めた足運びでいく。アプロの視線が追いつく時には、ヤバルはすでに懐まで踏み込んでいて拳を突き出そうとしていた。
「調子に乗るなよクソガキ!」
アイオーンを持つ方とは反対の手で、ヤバルの拳を止める。完全には止めきれず防御の手ごと腹部に命中する。が、直撃をさけられた。
ヤバルの追撃、左が出る。利き腕だ。
アプロがアイオーンを消して、自由にしたもう片手でヤバルの左拳を止めた。このままヤバルの両拳を掴み、力比べに持ち込もうとしたアプロだった。
だが、その前にヤバルは身体ごと回転させる動きでアプロの手から拳を解放させる。
ヤバルは半歩下がり、間合いを調整する。距離は接近のままだ。拳や蹴りが十分に威力を発揮できるだけの間を確保する必要があった。
当然、ヤバルの動きを追いかけて先手を妨害しようとアプロは動いていた。そのアプロにヤバルは、間合いを取るときの回転の動きにまぎれさせてナイフを投げる。アプロの動きにカウンターとして入れていた。
アプロの腰から剣が抜かれ、刃の腹でナイフは弾かれる。アイオーンの現出が間に合わないと判断しての行動だった。その姿勢で反撃の蹴りが出される。
ヤバルには腕で凌ぐ余地しかなく、動きが止まる。アプロがヤバルの防御の隙にバックステップをして距離を置いた。
最初に間合いを置いたのはヤバルだったが、今以上の開きは逆に不利を招きかねなかった。再び分身の展開を許す距離でもあった。
逃がすまいと追いかけようとするヤバルの眉間に、剣の切っ先が突きつけられる。髪の毛一本分の隙間しかない。
硬直状態に追い込まれたかに見えるヤバルだが、まだ彼の目は勝機を見失っていなかった。それがわかってか、アプロはヤバルに言葉を投げかける。
「制服のままだった理由はそういうことか。だが、話に聞くセセラギ流とは違うな」
「我流なんですよ。セセラギ流はせいぜい基本しかできません」
ヤバルの当初の理想では、ナイフ投げなどの自己流は使わない予定だった。念のための用意で、ナイフを隠しやすい袖のある制服を敢えて選択して着てきたのだが、使わないで終わるのならそれでも良かった。
しかし、小手先でやってもまともに戦えないほどの実力差を見せつけられ、戦い方を変更せざるを得なかった。このまま続ければ、ヤバルは自身の戦いを見せずして敗北していた。
だから、ヤバルは戦い方を変更した。飛び道具など、手数の多さがヤバル本来の戦い方だ。
「チッ。それで、続けるか」
「もちろん。せめて合格点くらいはもらいたい、のでッ!」
先手でヤバルが動く。
手首だけで袖から出したナイフをアプロの顔に投げた。
当然のようにアプロが首だけの動きでかわしてみせるが、ヤバルは一瞬の隙を利用して、回し蹴りの要領でアプロの剣に踵を当てると、体重をかけて踏みつけた。少々危険を伴わせる、強引とも取れる動きだが、本来のヤバルの戦い方ではベストを選択していた。
突然剣が踏みつけられたことで、握り絞める手に引っ張られる形でアプロの身体が前傾姿勢になる。ヤバルは回し蹴りでの捻りの反動を利用して、右の拳を繰り出す。狙っているのはアプロの側頭部。タイミングは文句なしの完璧だ。
アプロの、ヤバルが仮面を割っていない残り二体の分身はすでにいない。アプロがヤバルの拳を止めるためにアイオーンを消したとき、それらも一緒に消えていた。この接近戦を妨害される心配はなかった。
だが、アプロとの実力は拮抗していない。有利の接近戦とはいえ、絶対の勝利は有り得ない。
「ごふっ」
ヤバルの胸部にアプロの強健な肩が入っていた。前傾姿勢だったアプロがさらに身を低くして、ヤバルの拳をかわすと同時に突進したのだ。
肺から空気を吐き出されて一時的に動けなくなったヤバルを、仕返しとばかりに大ぶりの回し蹴りで飛ばす。ヤバルの身体がはでに地面に転がる。
「さて。情報では、お前の腕の欠損は事故によるものだとか。九歳か八歳の頃だったか。それほどのものだ。幼少期のお前は当時精神的にも傷を負ったはずだ。程度はあっても、恐怖心ってものは簡単には拭えない。しかし、お前はさっきから剣には必要以上の怯えらしいものがなかった。腕の切断を異様に嫌っている様子もない。であるならば、克服したという仮定を省くのなら、考えられるのはもう一つ。条件だ」
地面に転がったままのヤバルのそばまで歩くと、アプロは足で乱暴にヤバルの右腕を真っ直ぐにして、力強く踏みつけた。
アプロのアイオーンが具現化される。片刃の剣を掲げた。
「つまり、こういうことだろ。ほら、よく見ろ小僧。さっさとしないと、残った方の腕もなくなるぞ」
「あ……」
「そら。早くしたらどうだ。その腕を、切り落とすぞ」
痛みで顔を歪めていたヤバルに恐怖が浮かんだ。
踏みつけられた腕と、高く上げられたアプロの剣に視線を交互にやる。しかし、ヤバルは、にやりと笑みを作った。
「やってみろよ。いまさら腕のもう一本、なくなっても支障はない」
「強がりするならせめて汗を止めろ。みっともないぞ」
アプロの指摘どおりヤバルの顔には、汗が異様なくらい出ていた。その量は運動の比ではなかった。踏まれている右腕も、痛みとは別の意味合いが見て取れる、痙攣のような震えがあった。
「お前の腕、事故ではないだろ。誰かにやられたな」
「……」
「父親か知人か……。どちらにしろ、パニックにならなくても弱点には変わらない。今の心境はどうだ。泣きたいか」
「ああ、もう泣いてしまいたいくらいだ。満足したのなら足をどかしてくれると僕は助かる」
ヤバルは右腕から顔を背けた。
弱みを見せた恥からか、アプロから顔を見られないようにしていた。
「審判」
アプロが審判役の教員に判定を促す。試合であるため、終わるためにも審判の決定が必要だった。
「しょうしゃ」
「うお!」
判決が下されようとしたとき、アプロの身体が回転しながら倒れる。
腕を踏みつけていたアプロの足を、ヤバルは左手で掴み、捻るように力任せに回してアプロの身体のバランスを崩したのだ。
審判が勝敗を下そうとしたときの、アプロの身体から力が抜ける一瞬を狙っての行動だった。
右腕もアプロの踏みつける足ごと持ち上げるようにして引き抜くことで、さらにアプロのバランスを崩しにたたみかける。
アプロが踏みとどまれず、地面に身体をぶつけた。受け身で衝撃を半減させたため、動きを封じるくらいのダメージは免れている。すぐにでも動いて、反撃に出られる状態だった。
だが。
それよりも早くヤバルは追い打ちに出ていた。
右手と足で地面にうつ伏せ状態だった身体を僅かだが撥ねさせて、倒れたアプロに覆い被ろうとしていた。飛距離が足りていないが、人体の急所のひとつを有効打範囲内に捉えていた。
男性器、睾丸だ。
褒められない、下品な、もしくは卑怯とも取れる攻撃だった。勝ちのみを貪欲に望んだ最善を選択していた。
元々平民でも貧困層のところで育ったヤバルは、喧嘩慣れもしている。生き残るためならば意地汚くもなれた。何が何でも勝とうとして、手段を選ばないのは、泥水を啜ってでも生き抜いた、彼そのものの戦い方だった。
しかし、サイ・セセラギ・シルヴィアとしての仮面を捨てかけてまでの逆転に賭けたヤバルの拳は、何者かが手首を下から持ち上げるようにして掴むことで、止められる。
ヤバルは着地もままならず、アプロの股の間に顔を埋める無様な姿になった。
「男にしゃぶられて喜ぶ趣味はねえぞ。せめて女になって出直して来い」
「チッ。してやられた、ってところか」
舌打ちしたヤバルの身体が、ゆっくり起こされる。身体を両側から持ち上げられていた。
アプロ自身は未だ仰向けの状態のままだ。審判役の教員はヤバルたちから距離を置いている。ここでヤバルの身体を持ち上げたのは、アプロのアイオーンで作り出された分身のうち三体だった。
両側と背中から三体がヤバルの身体を持ち上げて、そして残り一体がアプロの同じアイオーンの形の剣を、ヤバルの目の前に突きつけていた。
アプロのアイオーンの能力、仮面をつけた四体の分身だ。ヤバルの攻撃を防いだのも、この分身だった。
分身三体に身動きを封じられたヤバルの前で、アプロはわざとらしく欠伸をしながら、のそりと起き上がる。ご丁寧に伸びまでして見せた。
完全にリラックスした、胡座を掻いた姿勢になる。
「トラウマを利用したまでは褒めてやるが、まあ組み合わせが悪かったな。こいつな、クソ真面目だから曖昧な判定はなかなかしようとしないんだ。ちゃんとお前を観察していたぞ。その目がまだ勝敗は決まっていないと言わんばかりの馬鹿正直さだったから、こっちも確信が持てたってわけだ」
勝敗が下されようとしたとき、アプロからは死角になって見えなかったヤバルの表情を、審判の彼だけが見ることができていたのだ。
「そんなに、ですか」
審判役の教員が不服そうな顔をした。その反応を見て、アプロはおかしそうに笑った。
「まだまだ肩に力が入りすぎているんだよ。気楽にやれよ。で? お前はどうするよ。まだ続けるか」
アプロの視線が、間抜けな恰好のままのヤバルに向けられる。
大きくため息をついてから、ヤバルは負けを表明した。
「負けだ。降参する。今度は本当だ」
戦闘の続行が不可能だった。この場を切り抜けられる力がない。
しかも、相手は、分身に使っていた仮面を身に付けるという能力をも使っていない。クラークの情報が正しく、もしそれが奥の手であれば、ヤバルではそこまでの力量がないことを証明されていた。
実力の差が、明白にされていた。
もはや負けを認めるしかなかった。
二人のやり取りを確認してから、審判役の教員が判決を下した。声を会場全体に響かせる。
「勝者、アプロ・エウロペ!」
闘技場で歓声が上がる。観客はアプロだけでなく、対戦者のヤバルの健闘を称賛していた。最後のまるでただの素人喧嘩のような戦いぶりを、批判や嘲笑する声も少なからずあるが、我武者羅でも勝利を奪い取ろうとした姿勢は評価されていた。
騒がしくなった会場で、アプロが満足げな顔で立ち上がる。アイオーンが消えると、能力の分身体もすべて消えた。突然解放されて地面に座り込むようになってしまったヤバルを見下ろした。
「もう一度聞くぞ。お前のその戦い方、どこで習った」
アプロが指摘したのは、ヤバルが飛び道具を使っての戦闘をしていたことだ。
制服についた砂汚れを払いながらヤバルは立ち上がった。アプロを一瞥して素っ気なく答える。
「言ったはずだ。これは俺が俺のために覚えたものだ」
「そうかよ。だったら、その中途半端なやつはやめろ。チグハグすぎて馬鹿らしくなる。どうせならセセラギ流ともしっかり馴染ませておけ。そのセセラギ流もなっちゃいないが」
アプロがヤバルを指さした。
「お前のそれはまるで覚えたてだ。無理矢理身体に詰め込んでいるように見えるぞ。よくその程度でセセラギを名乗れたな。あまり派手な話はないが、それなりに歴史のある武術だと聞いていたぞ」
「そんなもの……」
ヤバルはふと言いかけた言葉を飲み込んだ。改めて、サイ・セセラギ・シルヴィアとして答える。
「セセラギの名は便宜上です。このような場に行くのだから、せめて名くらい誇り高くいて欲しいと言われていたので。名乗るのに相応しくないことくらい僕が知っています」
この世界でのミドルネームは、称号だ。
現在こそ廃れつつあるが一種の伝統のようなもので、家、土地、武術の流派など意味するところはそれぞれだが、ミドルネームを名乗れるのは正当な後継者の証でもあった。
むしろ、正式な場以外はミドルネームを略しているときも多く、本名というよりは、特別な意味合いを持たせた、もはや別名という扱いの方が多かった。
アーロンがセセラギを名乗るようにいったのだが、ヤバルはこれの真意を掴めていない。言に違わず、自身が後継者とも思っていなかった。
この学園に通うだけの理由であるのならば、よほどの格式高い家督や氏族の出なければ、ただの田舎者が粋がっているに過ぎない。笑いものにされてしまう。
現に、セセラギの名をわざわざ名乗るのを嗤う人もいるのは事実だった。
「他にセセラギ流派はいなかったのか」
「この学園にいるのは僕だけのはずですよ。僕としては前の学校でも良かったのですが、まあ家の都合で、突然ここへ行けるなら行った方がいいと説得されたので。遅れて編入試験を受ける嵌めになったのです。そもそもセセラギは、もう武術を名乗れるほどの力も残っていませんよ」
「だから確かめたんだ。せいぜい頑張れよ、と。また手合わせする機会があるときのために、せめてまともに戦えるくらいは腕を磨いとけ。皮被り小僧」
立ち上がったアプロは、そう言い残して自身の退出の門へ歩き出した。
鉄格子の門の向こうへ去って行くアプロを見送ったヤバルは、審判に心配されて声をかけられる。大丈夫、と答えてから、いざ立ち上がろうとした。
「!」
ヤバルのアイオーンは消えていた。左手を地面について足に力を入れようとした手前で、あったはずの左手がなくなっていて、前へふらついてしまう。
審判に慌てて手を添えられながら、改めて右手で地面をついて立ち上がった。
ヤバル自身、アイオーンを消した覚えがないようで、すでになくなっている左手のあたりを不思議そうに覗き込んだ。
「どうした。何かあったのか」
「いえ。何でもありません」
笑みで答えてヤバルも退場する。
通路を行きながら、左腕の存在していない虚空を難しい顔で見つめていた。
「どうしたんだ。傷が痛むのか」
「そうじゃない。ただちょっと、違和感みたいなものが」
闘技場の観客席へ通じる階段を降りてきたところのクラークが、歩いているヤバルを見つけて近寄ってきた。
存在しない左腕を見つめているところを見て察した顔をする。
「アイオーン? 教員を呼んでこようか」
学園内のアイオーンの現出は許可が必要だ。
これは、ヤバルの宿泊する寮でも同じだ。教員の許可無しの具現化は、もし見つかれば厳罰対象になっている。ヤバルは気配を最小に抑える技術を身に付けているが、さすがに教員たちの目もあるようなところで、安易な具現化はさけたかった。
何より、彼の目の前にはクラークがいる。ヤバルはクラークにも、いくら親しいとはいえ、アイオーンの気配を抑えて具現化できるところを見られたくなかった。
「いいよ。もう試験が終わったんだから。僕は帰るよ。疲れたから寝たい」
「ちょっと待っ」
「離せ!」
どこか焦りを滲ませているヤバルを、クラークが止めようとした。右腕を掴まれた瞬間、ヤバルは反射的にクラークの手を弾き、もの凄い形相で睨む。
が、途端、自身の行動をはっとする。表情に影を落として謝った。
「悪い。一人になりたいんだ。本当に疲れているんだ」
「そうなの。ごめん。無理矢理引き留めようとして」
「いや。今のは僕の方が悪かった。ごめん。じゃあ……、僕、寮に戻ってるよ」
「わかった。担任には俺から話しておくね」
「ありがとう」
階段越しに会場のざわめきが、気まずい二人のところまで伝わってくる。期待や緊張の空気はヤバルの試合時以上だ。
もうすぐ次の試験試合が始まるのだ。今回の観客席の盛況ぶりは、これから来る本命のためだった。
ヤバルより数日前に学園にきた、もう一人の編入生。
イオニアス・アベスターグ。
ヤバルの故郷、ハルワタート国の王族の少年。ヤバルも噂でしか聞いたことのない、顔も知らない有名人だった。
「やあ、やっぱり会えたね」
クラークに礼を言って歩き出したヤバルの正面、一人の少年が歩いてきていて、ヤバルの顔を見て声をかけた。
誰に声をかけたものかわからなかったヤバルだったが、何となしに俯かせていた顔をあげて、驚きのあまり固まってしまう。
「ここでなら会えると思っていたけど。先日は意外だったから。自己紹介も忘れてしまっていてごめんね。ほら、僕たち初めて会ったから、どんな付き合いもやっぱり自己紹介から始まると思うんだ。知り合えるとわかる仲でも、何にでも最初というものがあって、それは決して無視できないものだと思うんだ」
聞き覚えのある声と、どこかずれを感じさせる話。
やや尖っている髪型の赤茶色の髪と、光の反射加減で輝いているようにも見える、美しい金の瞳。長身の彼は旧友に会えたかのような、とても温かな表情でヤバルを見下ろしている。
「ああ、そうだった。結局あのあと、巾着袋はおじさんにあげちゃったけど、良かったのかな。まあやったところで、君のものは君のものなのだけれど」
「……サイ? 知り合いだったの」
「顔を見ていなかったから……。イオアニスは君のことだったのか」
後から覗いて聞いてきたクラークに応じるが、驚愕のあまり心ここに有らずといった感じだ。
少年はヤバルに名を呼ばれて、にこりと笑顔になる。本当に嬉しそうだ。
「初めまして。イオニアス・アベスターグだ。よろしく。ええっと」
握手の手が差し出される。
ヤバルは相手から促されるのに遅れて気づく。
「あ、ああ。ヤ、サイ・セセラギ・シルヴィアだ。よろしく」
「サイ……? そういうことか。うん。よろしく」
ヤバルの偽名に何か引っかかる反応を示したイオニアスは、何事もなかったかのようにヤバルと握手を交わした。
ヤバルの後から成り行きを見るしかなかったクラークが、若干の遠慮ぎみで二人に尋ねた。
「感動の再会のところ申し訳ないのだけれど。俺もいいかな。クラーク。クラーク・サスラだ。よろしく」
よろしく、とイオニアスはクラークとも握手を交わす。
イオニアスの名の少年は、ヤバルが首都ユーピテルに着いて間もないときに出会っている。
ヤバルが当面の活動資金のために商人から盗んだ硬貨の入った巾着袋を、中身を抜いて用がなくなり捨てていたところ、後からイオニアスが拾い、落とし物だとヤバルを追いかけてきたのだ。
その経緯は、ヤバルにとって今の立場を危うくしかねなかった。
互いに立場や名を知らなかったとはいえ、イオニアスは、ヤバルがサイとしてダカーハージ学園に入る前を知っている人物だった。
サイは偽名であり、アーロンに脅されて学園に侵入している身だと知れる危険があれば、間違いなくヤバルは切り捨てられる。それが分かっているからこそ、イオニアスとクラークの二人が握手を交わしている光景は、あまり穏やかに眺められるものではなかった。
「まさかAクラスの人とお近づきになれるなんて光栄だ」
「僕はわりと気にしていないけど。周りがうるさいからそれに合わせているだけなんだ。今日までサイのところにいけなかったのもそれが原因なんだ。ごめんね、すぐに会いに行けなくて」
各国の貴族や王族の多いAクラスと、没落貴族や商人、平民の多いDクラスとでは、見えないところも見えているところも含めて、隔たりが多かった。学年は同じだが、扱いも、生徒の意識も大きく違う。差別も存在している。時々問題にも取り上げられるほどだ。
「あの巾着袋のことならもう気にしなくていいよ。忘れていい」
「君がそういうなら」
ヤバルの心からの本音を添えた言葉を、イオアニスはあっさり疑問も挟まず承諾する。イオアニスの近しい態度は、初対面の時から一方的なものだ。端から見てもちぐはぐに見える二人を、この場面の第三者であるクラークが何も思わないわけがなかった。
「あの、さっきから気になっているんだけど。二人はいつから知り合いだったのかな。編入試験は別々の日だったはずだよね」
「それはね」
上機嫌のイオアニスが話そうとして、反対にヤバルが何か別の話題で遮ろうとした。
そのとき、離れたところから、イオアニスに良く通る声が掛けられる。一人の男子生徒だ。彼の首元には、イオアニスと同じAクラスのバッチがつけてあった。
「イオアニス君。そんなところにいたんだね。……そちらの方は?」
「うーん。知り合いだよ。久しぶりに顔を見たから声を掛けていたところなんだ」
「Dクラス……? そんなことより、もうすぐ試合が始まるから教員が探していたよ」
「そうだったの。それじゃ急がないと。またね、サイ。また会おう」
本当に急いでいたのか、それともDクラスのヤバルたちから遠ざけたかったのか、慌ただしくきた男子生徒はそのままイオアニスを連れて行った。
試合会場の門へ通じる廊下を走ってくイオアニスたちを見送って、クラークはまるで苦いものを食べたときのような、嫌な顔をした。
「見た? さっきのAクラスのヤツ。俺たちを見て、あからさまに汚いものを見た顔をしたぜ」
「今日は疲れたからどうでもいいよ。僕は帰るよ」
「なあ、本当に見ていかないのか」
「明日聞かせて。また明日」
試験試合受験者は、午後の授業は免除になっている。早く終われば、それだけ自由の時間があった。ヤバルはその時間を休養に使いたかった。
背中向きで手を振って、ヤバルは寮へ足を向かわせた。
クラークのからも見えないところまで歩いて、彼はそっと左腕の傷に触れる。恐れが見て取れる動きで、かつて父親に切断されたところを撫でた。
もう完全に塞がっているはずの傷の痛みでも感じたのか、眉に皺が寄る。
「くそ……。油断した。最悪だ。悪夢でも見せられたみたいだ。………いや、悪夢ならどんないよかったか。これは悪夢じゃない。クソ、だいぶマシになったはずだと思っていたんだが。前の俺なら、どうしていた……。前の俺なら、どうやっていたんだ。もう全部思い出したはずなんだろ。まだ思い出していないことがあるっていうのかよ」
ヤバルの問いかけに誰も答えてくれない。あの職人の声も、今は聞こえなかった。
記憶を思い出すだけに留まっていた、腕を切断されたときの惨劇が、アプロのせいでより詳細に生々しい感覚をも蘇ってしまっていた。
記憶喪失が未だ尾を引いているのを、ヤバルは自覚せざるを得なかった。
彼はまだ、これがもたらす障害を知らない。
†
翌日、ヤバルはベッドに座り込んで、両腕を見つめて呆然としていた。
はい。
今月もなんとか更新できました。
ええと。初めましての方は、初めまして
お久しぶりの方は、お久しぶりです!
猛暑続きですね。みなさん、体調管理には気をつけましょう。
さて。本編ですが、なかなか話の進行がうまくありませんね。読者の皆さんが飽き飽きしてないか不安です。
日々精進していきますので、まだしばらくお付き合いください。
少しずつテンポ良くしていきたいですね。
では。またの更新をお待ちください。




