八章〈捕まった対価〉前
ヤバル (本名:サクラス・ザラスシュトラ)
マリア・オルレアン (滅びの魔女と恐れられている)
イサク・ジズ(貴族・国衛軍第十部隊・中佐)
ジューダス・ガリラヤ(貴族・国衛軍第六部隊・中尉)
ポルドレフ・ガーディン(ジューダスの部下・国衛軍第六部隊・軍曹)
マーイヤ・レイア(ジューダスの部下・国衛軍第六部隊・伍長)
モート・ギリティナ伯爵(貴族・港町プロピナの領主)
アーロン・クイール・シルヴィア(国衛軍百十三番隊国衛軍安全調律部隊第十分部隊副分部隊長・伍長)
レミエ・ラグドロビン(国衛軍百十三番隊国衛軍安全調律部隊第十分部隊・兵長)
鉄格子越しに開始された事実確認は、実質主導権はアーロン・クイール・シルヴィアが握っていて尋問に近かった。否、もはや尋問だ。
牢屋に捕えられたヤバルは一問一答に気をつけなければならなかった。下手な発言は命取りで、無意味な無言すら許されない。持っている情報はすべて開示しなければならないと相手は半ば脅していて、しかしヤバル自身には相手の意にそぐわない発言をしてしまった場合の不安が常に付きまとっていた。
現在、レミエ・ラグドロビンは席を外していて牢屋のある空間にはアーロンと二人きりの状態だが、ヤバルには鉄格子を破る術がない。アイオーン阻害の拘束具を首につけられていて、抗う力も封じられていた。針金一本でもあれば脱出は可能だ。しかし、そのための道具はすでにこの牢屋に入れられる前にすべて取られている。簡単な身体検査で容易に没収されてしまったことは少なからずヤバルにショックを与えている。
ジューダスが仕立てた平民のための服は没収されなかった。他の隠し道具の不安がないのか、それを見破る自信を持っているのかどちらかだが、アーロンの目は常にヤバルの一挙一動を観察していて、仮に道具があったところで手に持つことすら難しい状態ではあった。
ヤバルの瞬きの回数までもカウントしていてもおかしくなかった。
「話を纏めようか」
ばさりと音を立てる。
アーロンが何枚も重ねた紙を振ったのだ。彼が持つのはプロピナからの資料の写しだった。
大まかな流れは、まずはアーロンがイサク・ジズ暴走事件の概要を話す。それに対してヤバルが付け加えや否定をするというものだった。
ヤバルが身の安全を確保するためには、自身が巻き込まれただけの存在であると証言しなければならず、そのためにはイサクやジューダス、マリアたちの身に起きたことを語る必要があった。
アーロンの知る情報とヤバルの見てきた事実には、いくつかの、大きな決定的違いがあった。
「再度確認するが、イサク・ジズが港の関所へ向かったのはマリア・オルレアンが攫われたからなんだな?」
アーロンからの話では、イサクはマリアを連れて国外へ逃げようと画策して関所に向かったことになっていた。救済教と結託して潜入していた信徒の兵士の助力で関所を通過しようとしたところ、他のプロピナ兵が不審と判断してイサクたちの進行を止めたところから、暴走事件までに発展したらしい。
「ああ、間違いない。あのときイサクは余裕がなかった。よっぽど嬢ちゃんが大事なんだったんだろ。焦りが出て見えていた」
「ふむ」
マリアとイサクの間にどんな関係があるのか、アーロンはヤバルの知らないことまで知っているのだろうか。特別不思議に思う様子のない、どことなく納得した顔だった。
「攫われたマリア・オルレアンを助けるために少数部隊を率いて関所へ。それから暫くして、今度は町内でプロピナ兵相手に戦闘、と……。ここまで纏めると誰の意図が働いていたのか分かり易すぎるな」
「あんたの言葉を借りるわけじゃねえが最初からきな臭かったぜ。イサクたちに正確なことを伝えていなかったみたいだし、兵士たちもあんたら国衛軍に何かを隠すように命じられているみたいだった。全面的協力というわけじゃなかったみたいだぜ」
「なるほど」
「なあ、やっぱりよお。こんなにも大規模なことをやる理由はわかってねえが。もしできるとしてだ。収容所のところも含めて、こんなでかいことをやれる奴なんて知れてくるだろ」
ヤバルの言わんとしていることをアーロンも理解していた。
だからこそ、ヤバルの結論を言い含めた言葉の詳細を追及しなかった。否定することもしない。
しかし、であれば実行したのはモート・ギリティナ自身か、それに近しい存在の人物になってくる。ギリティナ一族の長い歴史の実績を鑑みれば、有り得なかった。
モート・ギリティナ伯爵並び彼ら一族は、神王と教皇に忠誠を誓っているからだ。
もし仮にモート伯爵がイサクを陥れるために今回の事件を画策したとするならば、国どころか国政すらもひっくり返る大事件になりかねない。
アーロンはヤバルに言った。それは今の話の流れを断ち切るようにも聞こえるもので。
「お前に与えたチャンスはこちらへの情報提供だ。お前に意見は求めてない」
「……じゃあ、もう次はどのあたりを話せばいいんだ」
ぴしゃりと言い切ったアーロンを、ヤバルは見据える。信用させてからの懐柔を目論んでいたのだが、隙を見つけられなかった。
「順を追ってだ。テュバルの脱獄だが――……」
†
港町プロピナ外のマリア・オルレアン捕縛まで話すことになった。
すでに外では日が暮れている。ヤバルを捕えている牢屋内の温度も下がっていた。
「寒くなったら遠慮せずそこの毛布を使うといい。我慢は身体に良くないぞ。具合を崩されても面倒なだけだしな」
「まだ大丈夫だ」
そうか、とアーロンはそれ以上は言わなかった。
「どこまで話したか。そうだ。マリア・オルレアンを捕まえた後、お前は気を失ったのだったな」
「そうだ。俺はジューダスの館にいた。あそこで半年近く監禁されていた」
「こちらでもそれは確認している。監禁、ね。――さて、こうして洗い出してみると。なるほど。プロピナからの資料とお前の証言。結構、違うところが出てきたな。小さな誤差といくつかの虚偽を並べてイサク・ジズを悪人に仕立てあげたと見えなくもない」
「俺は無関係だってわかっただろ。さっさと解放してくれ」
心底疲れ切ったため息を漏らす。
長い拘束時間で延々と話を聞かされては、ヤバルも話さなくてはいけなかったため、疲労が顔に出ていた。胡座を掻いて猫背になったヤバルは膝を使って、頬杖をついている。
「お前にとっては無関係でも、こちらや他の奴らから見ればお前はばっちりの当事者のままだ。ここまで情報と食い違う証言ができる奴なんて、他にどれほどいるか」
「ジューダスの部下なら俺以上に知ってる奴はたぶんいるぞ。そっちを当たったほうが効率的だと思うけど。なんならジューダスと協力したらどうだ。軍の作りなんて知らないけど、あいつはイサクの罪を晴すためなら絶対あんたより熱心になるはずだ」
「……まあ。無理だろうな」
アーロンは何かを考えるように視線を斜めに向けて言った。
「貴族様は貴族様なりの決まりでもあんのか」
「そういう……そんなものだな。仮にだ。ジューダス・ガリラヤが仮にイサク・ジズの罪を晴したくても動くことはできないだろう。あそこの長女とイサク・ジズは結婚していた。子どもの話までは知らんが、プロピナでの事件が起きるまで御家同士の付き合いがあったところだ。今動くと、やはりイサク・ジズの仲間と思われかねない。今回裁かれたのはイサク・ジズだけだったが、関係者は他にもいた。そいつらは洗脳されていたのだから無実だと証言してマリア・オルレアンも含めて領土に匿ったのが、ジューダス・ガリラヤだ。奴は今、自分こそは正常で、イサク・ジズに洗脳されていないと立ち振る舞うので忙しいはずだ。イサク・ジズの無実を信じているにしろ、信じていないにしろ、どちらにしろガリラヤ家存続のためにも、悪い噂は早く払拭しなければならないからな」
「そこまでジューダスを信頼しているなら俺をあいつの下に返してくれねえか。また監禁されるが少なくともここよりは極楽だ」
「馬鹿野郎。頭に血を上らせるにはもう遅いぞ。今は冷やすときだ。さっきのはあくまでジューダス・ガリラヤがイサク・ジズの無実を信じている場合の話だ。俺の知る事実は、ジューダス・ガリラヤはイサク・ジズの異質に恐怖して、プロピナ兵と協力したことになっている。救済教を密かに信仰していたイサク・ジズを止めることができなかったと、あいつはユーピテルでの裁判のときに証言している」
ジューダスはヤバルが出て行くとき、国衛軍を頼ってきても無関係だ、切り捨てると言っていた。それらの準備が整ったからこそヤバルの身柄を解放したのだ。ヤバルがこのような状況に陥ることも、ジューダスは想定内しているかもしれない。
アーロンが仮に穏便に戻してくれるとしても、ジューダスが拒否することも考えられた。
その場合、必要のない身柄の利用法は自ずと限られてくるものだ。つまり、安易にジューダスは頼れない。むしろ頼るしかないときは終わるときと同意だった。
ヤバルは資料に目を通しているアーロンが次に何を言うのか待つことしかできなかった。
「簡単じゃねえな……」
舌打ち混じりに言葉を溢したのはアーロンだった。表情に悔しさが浮かんでいる。
そのとき、地下牢屋の空間に飛び込んできた者がいた。階段を勢いよく駆け下りて、後ろ手に縛った長い髪が彼女の動きに合わせて揺れる。
レミエ・ラグドロビンが呼吸を整えるのも待たずに報告した。
「アーロンさんと私の休暇、三日取れましたよ!」
「あ? 俺の分だけで良かったんだよ馬鹿野郎。なんでお前まで休む必要あるんだよ。何かあると疑われるだろ」
「えっと。だめでしたか」
「当たり前だ。こら。申請を出してきたならもうそのままにしておけ。下手に変更しようとするな。お前は今のうちに俺の休暇と無関係の理由を考えておけ」
「……はい」
レミエは落ち込んだ声で返答した。
彼らの会話や態度から、普段の関係が窺える。上司と部下なのはわかるが、それなりの信頼関係が築かれているようだった。
やれやれ、と嘆息したアーロンはヤバルに向き直った。
「すまなかったな。話の続きをしようか」
「俺から話すことはもうねえよ。ジューダスの館に監禁されてからここに来るまでの話で終わりだ」
ヤバルは、ジューダスこともアーロンに話した。事前にアーロンの話でジューダスの館に匿われていたことを聞かされて、秘匿するよりも話したほうがいいと判断したからだ。
この件で後にジューダスとの関係がどうなるかは、今はヤバルの中では保留状態にある。殺す対象にされるかもしれないことは、わかっていた。
「ここからが本題だ。取引をしよう」
「……」
この状況では取引は成り立たず脅迫だ。
ヤバルは相手の持ちかけを待った。
「お前の国内滞在とある程度の身柄の安全を保証させてやる。そのかわり、俺に協力する気はないか」
「別に俺はこの国にいたいなんて思ってねえよ。出て行ってやるから解放してくれればそれでいい」
「強制送還なんて甘い考えは捨てておけよ。言ったよな。お前はすでにこっちが追っている立場に置かれているんだぞ」
「俺に話せることはない。もう何も知らない」
「わかったわかった。だから協力しろと言っているんだ。まだ生きたいなら、俺がお前を匿うだけの利用価値があると、お前自身で証明して見せろ。チャンスを与えてやってるんだぞ。これでも」
「……」
地下牢の空間に沈黙が降りる。
ヤバルはしばらくアーロンを見据えた。アーロンもヤバルから目をそらない。根負けしたのはヤバルだった。
「……何をさせる気だ」
「返答は受諾か拒否のどちらかだ」
拳が握りしめられる。ヤバルは奥歯に力を入れていた。
レミエはアーロンの後ろに控えて、事の顛末を見守っている。心配そうな顔をしていた。
長く、あるいは時間にして僅か一分満たない時を要して、ヤバルは決断を言葉にして絞り出した。苦しみ抜いた声色で、悔しさを滲ませて。
「わかった。俺は何をすれば生かして貰えるんだ」
「いい子だ。お前の決断に称賛してまずは食事と安心して眠れる場所を約束しよう」
相手の歓迎する声を、ヤバルは顔を薄暗い闇に沈めて聞くことしかできなかった。
†
さっそくヤバルは牢屋から出ることができた。まだ首の拘束具はつけられたままだ。先頭をレミエが歩き、ヤバルを挟んで後ろをアーロンが着いている。
逃げることはまだ難しい。両腕両足の自由は許されても行動は制限されていた。協力関係となったとはいえ、アーロンからの一方的なものだ。ヤバルの裏切りを考慮していないわけがない。
ましてや、アーロンはヤバルを国衛軍で追っている身柄だと明言している。下手な逃走は悪手にしかならない。現在地は国衛軍の支部施設。なんとか町中へ逃げて隠れることのできる瞬間を狙うしか、ヤバルの現状を打開する術は存在していない。
「そう張り切るなよ。ただ俺の家まで連れて行くだけだ。お前の自由は許さんが、大切な協力者だ。もてなしくらいはするさ」
「……」
協力することに同意したとはいえ、ただの脅迫だった。まだ内容すら知らされていない。
「なあ、俺はいったい何をすればいいんだ」
ヤバルは三度目の問いかけをしていた。
移動中のためか、ちゃんと話すからというだけで内容を教えようとはしない。それがヤバルに不安を募らせていた。
外では馬車を待たされる。西棟のドアの前で、アーロンとヤバルは二人並んで立っていた。レミエが馬車を呼びに行っているので二人だけの状態だ。ヤバルの目の前にある塀はこの建物全体を囲んでいる。不意をついて駆け上るには高すぎた。
時折、他の軍人が通る。アーロンの知人らしい人がヤバルのことを気にする。
「よう。なんだその小僧。盗みか」
「食い逃げだ。店主もこいつの親と和解済み。とはいっても犯行を見逃すわけにもいかし、現行犯で捕まえた手前とりあえず連れてきた。説教終わったから返すところだ」
「ご苦労様。俺はこれからスラオシャ大神殿周辺警備だ」
「おう。お疲れ」
このような他愛のない会話だけでヤバルのことをあまり詮索しなかった。
パイプを取り出して煙を吹かすアーロンがぼんやりとして言った。
「せめて路上の時みたいに堂々としていろ。いちいちガキ一人にまで気にする暇な奴はここにはいない」
その通りに努めた結果、最後まで緊張が頬の端に残ったヤバルだった。
レミエの操る馬車が来た。個室型の荷台を引いている。アーロンとヤバルを中に乗せて、国衛軍の支部施設を後にした。
揺れる荷台の中でヤバルとアーロンの二人は向かい合って座る。ヤバルの首には未だアイオーンの具現化を阻害する拘束具の首輪が嵌められたままだった。ヤバルは首輪を弄りながら、アーロンに視線を寄越した。
「あのさ。協力するんだから、これをさっさと外してくれねえか」
「駄目だ。お前が逃げやすくする理由を増やすことは極力さけさせてもらう。ああ、そうだ。ついでに説明しておくぞ。お前につけている拘束具は俺の特別製で、この鍵で正しくあけないと、下手したら内部の隠し刃が飛び出して首を掻き切る仕掛けになっているからな。大人しくしておいた方がいいぞ。確か仕掛けはバネ式だったはずだ。何かの拍子で部品が外れたら、お前死ぬぞ」
「は――!?」
気のない顔で、アーロンは力のない手で鍵をぷらぷらさせてみせていた。
ヤバルは驚愕の顔で睨んだ。つまりいつ手元が狂うかわからない奴の持つ鎌の刃が常に首についているのだ。最悪だった。
「ま、大人しくしていたら仕掛けが誤作動することなんざまずないから。たぶん」
「おい。冗談じゃねえぞ。早く外せ。俺は協力者だぞ」
「お前が万が一にも逃亡しないための保険だ。俺の家に着くまでの辛抱だ。それまでは死にたくなかったら騒ぐな」
鍵をヤバルに奪われる前に、アーロンはポケットに鍵をしまう。
ほぼ強制的に協力を要求されたヤバルだが、この状況では文句の一つも言えなくなってしまう。せいぜい首が座席の背もたれに当たらないか気を配るしかなかった。背中に筋肉に力をいれて、垂直に姿勢を直す。
今にも飛びかからんばかりの殺意を込めてアーロンには鋭い目つきが向けられる。
しかし、アーロンはやはり欠伸一つしてだらしない顔で、小さな窓の向こうを眺めるだけだった。
†
スラオシャ大神殿周辺地区。東側にアーロンの家がある。目に見えるだけでも建物の格が、今までヤバルがユーピテルで見てきた建物とは幾段か格上の建物を多く見かける。ここ一帯は裕福な者たちが住んでいると、一目でわかるほどだった。
その一つに、アーロン・クイール・シルヴィアの家もあった。
「ここだ」
レミエの操る馬車が速度を落とし、止まるかどうかのとき、アーロンが窓を見つめて言った。ヤバルも視線を追った。
窓の向こうには、煉瓦と木材で造られた大きな建物があった。
アーロンに続いて、ヤバルも馬車から降りる。レミエがアーロンから鍵を受け取って、鉄格子のような門を開けた。
頑張れば乗り越えられそうな、高さ一メートルほどの塀で囲った建物は、煉瓦と土、そして木材で造られた二階建ての洋館だった。古びていて、最近手入れがされていないのも素人目でも明らかだった。細やかな庭の生い茂る雑草も物語っている。
隣に見える他の建物と比べても退廃が進んでいる。単に古いだけでは、ここまで朽ちたようにはまずならないはずだが。
洋館の大きさは、ヤバルがこれまで見てきた館の中で、最も小さな部類に入る。貴族か、あるいはそれに次ぐ財力を持った家柄だが、ジューダスやモートほどの権力がないのだとわかった。
「ずいぶん年期の入ったところじゃねえか」
「そうだな。最近帰ってきたのが一週間前くらいか。俺一人だと手入れもままならん。行け。話は中に入ってからだ」
門の向こうではすでにレミエが扉を片方だけ開けて立っている。ヤバルたちを待っていた。
逃げるチャンスはあるが、まだ首輪を外す算段がついていないヤバルは、大人しく洋館へ歩いて行った。
バタン、とヤバルが入ってから扉が閉じられる。ランプの光すら灯していないエントランスを照らすのは窓からの光のみで、空間全体が薄暗い。空間は広く造られていて、正面行ったところに大きな階段があり、途中でT字に分かれて二階へ続いていた。オーソドックスな造りだった。
使用人どころか人の気配すらなかった。
没落貴族。爵位を失うような失態を犯したか、この国の貴族を定める規定が改変されてから平民まで毀れ落ちた貴族の通称だ。アーロン・クイール・シルヴィアは、元は男爵の位を持つ貴族だった。
レミエがランプに火をつけている間、アーロンが言った。
「お前の首輪を外す前にこれからすることを話す」
下手に首輪をいじれないヤバルはあからさまに嫌な顔をする。さっさと外せ、と無言で訴えていた。
「素直に協力すればお前に仮の戸籍をやろう。堂々と町を出回れるものだ。追手の心配も大方減るはずだ」
「……そんなことできるのか」
「これでも、元貴族だ。パイプはあるし、要領も得ている。お前ひとりの人生くらい簡単に偽装してやれるさ。ばれない保証まではさせられないが」
「……」
「ただし、もし協力中でお前が逃亡ないしそれを狙うような素振りがあると、こちらが判断した場合、お前の行方を正式に国衛軍で捜させる。もちろんプロピナの拘置所テュバルからの脱獄と、脱獄事件の犯人としてだ。ジューダス・ガリラヤにも依頼するつもりだ。今やあいつは反政府思想の主犯と疑われているくらいだ。快く協力してくれるはずだ。この場で協力を今さら断っても同じだ。その場合、俺とレミエがお前を捕えることになる」
「脅迫してきたくせに何言ってんだ。耳が腐るくらい自分の立場も理解した。いい加減、俺に何をさせるつもりなのか話せよ」
「ここから先は承諾と取るぞ」
「逃げ道をご丁寧に通行止めして案内表示までしといて今さらかよ」
「覚悟の問題だ。お前を外に連れ出したのも、話の内容が内容だからだ。話を聞いたならば、お前がどう言い逃れよう用意しても、お前は俺の協力者として裁かれることになる。お前がへまして俺まで捕まった場合の話だがな」
「……なんだ。何かを盗んでこいとかそういうのか。それとも暗殺か」
ヤバルの問いは、これからやらされることが少なくとも道徳に反していて、法にも触れて罪に問われかねないのを察してのことだった。
「お前にはある事と、人物を調べて欲しい。潜入場所は、スラオシャ大神殿だ」
「潜入って、あの馬鹿高い壁の向こうに忍び込めっていうのか」
スラオシャ大神殿は、一部を一般公開させているとはいえ国の中枢だ。
遠目からでは塔が天高く建っているようなイメージだが、近くから見れば、高い壁などで区画ごとに分けてあった。しかも、土地だけでも広さが小さな町程度ある。
一人の人間が忍び込んだところで、隅々まで見て回るには無理があった。
「そうだ。学生として入って貰う」
「俺には学がねえぜ。ついでに馬鹿のおまけつきだ。てか、あの中に本当に学校があるんだな」
町を訪れたばかりのとき、モナズから学園も内装していると聞かされていた。
「お前の学なんぞ知らん。スラオシャ大神殿には神王教のための学園がある。そこの生徒になって貰うため、お前にはこれから付きっきりで最低の教養をたたき込む。もちろん、スラオシャ大神殿に入るに相応しいところまで鍛え上げる」
「普通に忍び込む程度じゃだめなのか」
「それでは見つかれば終わりだろう。短期間で終わるものではないから予め下地を作っておかなければならない」
「マジかよ……」
「今さら嫌だと言うなよ。覚悟なしと見なして、お前をここで切り捨てるぞ。なんなら、その首輪の機能を起動させてもいいんだぞ」
ヤバルはうんざりした顔で言った。
「ああ。わかったよ! わかったからさっさと説明しろよ。俺に一体何をさせるんだ」
「編入生としてお前はスラオシャ大神殿に忍び込み、内部で密かに行われていると思われる救済教について調べて欲しい。その後ろ盾に、イサク・ジズを死刑台に立たせた奴がいる可能性がある。名を、ガルラ・ヒンノム・ティンヤン。俺はそいつが糸を引いていると睨んでいる」
ヤバルはとても形容しがたい微妙な表情をした。ただ、その視線はやや下を見ている。何かを考えているようにも見える顔をしていたが、ヤバルは表情を改めてから視線をアーロンへ向けた。真っ直ぐ見つめた。
「どのみちこっちには断る手段がないんだ。さっさと始めようぜ」
「編入のための手配も含めて期間は一ヶ月と見ている。任務の詳細も、後で改めて説明する」
舌打ち混じりで、気のない返答をする。
「さあ。もう、これを解除してくれないか。このままじゃ寝ることもできない」
「そうだったな。俺の館にいるとはいえ、首輪は不自然すぎるからな。ちなみに、内部から刃が飛び出すのは嘘だ。そんなものはない」
「外してくれるならどうでもいい」
アーロンから鍵を受け取って、ヤバルは自分で首輪を外した。
ようやく得られた解放感に表情も緩む。首を回して緊張しきっていた筋肉を解していた。
「そうだ。レミエ。お前もついでに作法を学んでいけ」
「え? 私もですか」
明かりを灯したランプを持って、ただ二人の会話を見守っているだけだったレミエが、いきなり話を振られて素っ頓狂な声をあげる。
「テーブルマナーもそうだが。挨拶とか、時々妖しいところがあるぞ。上官に失礼があると俺が危ない」
「う~そんなはずは……」
レミエの頬が赤くなる。大の大人が作法の注意をされるのは恥ずかしかった。
「命令だ」
「はい……」
ただ従うしかなかった。レミエは少しだけ不満のある顔をしていた。
「二人ともこっちへこい」
隣の部屋へ移動を、アーロンが促す。
トボトボと行くレミエの後をヤバルは追った。彼の表情には僅かにだが力が入っていた。緊張とは別の意志の宿る、そんな感情を覗かせていた。
初めましての方は、初めまして。
お久しぶりの方は、お久しぶりです。
今日もやってきました。一ヶ月ぶりの更新ですね。サボっているわけではありません。ええ。言い訳でもありませんよ? ………たぶん。
ともあれ。今回もちゃんと期日までに更新できた良かったです。ほっとしました。一安心ですね。また少しだけゆっくりできる。
あ。これがいけないのかな?
ともあれです。ヤバルの受難はまだまだ続きますよ!どんどんやります。ええ。どんどんです。
意味わかんない? 同感です。
では。またの更新をしばしお待ち下さい。




