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王の腕  作者: 白風水雪
15/36

七章〈首都ユーピテル〉後

ヤバル (本名:サクラス・ザラスシュトラ)

マリア・オルレアン (滅びの魔女と恐れられている)

イサク・ジズ(貴族・国衛軍第十部隊・中佐)

ジューダス・ガリラヤ(貴族・国衛軍第六部隊・中尉)

ポルドレフ・ガーディン(ジューダスの部下・国衛軍第六部隊・軍曹)

マーイヤ・レイア(ジューダスの部下・国衛軍第六部隊・伍長)

モート・ギリティナ伯爵(貴族・港町プロピナの領主)


 目的地はこの町のほぼどこからでも見上げることができる白い柱。スラオシャ大神殿だ。

 上を見上げながら歩けば自然と辿り着ける。

 ヤバルは、真っ直ぐはそちらへ行かず、一度人通りの多い道に出た。お金を増やそうと考えていた。

 手持ちは半月ほど暮らせるだけの額はある。しかし、いずれは底が尽きる。

 このときは、手持ちを増やすための目的ではなかった。その準備に当たるのだ。持ち額が少なくなったとき、いつでも増やせるように、その感触をヤバルは確かめようとしていた。

 正午になったため、人の数が一層増えたこのときが試すにはお誂え向きでもあったのだ。

 ヤバルがこれからしようとしている行いは、盗みだ。通行する人から金品や物をかすめ取る、いわゆるスリをしようとしていた。

 父親に片腕を切断され、先に絶たれてから五年以上の歳月を生き抜いてきたヤバルの術だ。生きるためにこれまで何度も他人の物を盗み取ってきた。

 両腕はすでにアイオーンの黒いグローブが具現化されている。肘下あたりから無かったはずの左腕も形を成して物質としての確かな質量を宿していた。

 アイオーンの持つ気配は最小まで抑えてある。彼が生き残るために掴み取った術の一つだ。どこかで誰かがアイオーンを作り出すか、よほど人が少ない状況でもない限りは、ヤバルの腕がアイオーンだと気づかれることはほとんどない。

 昨日一晩泊った宿屋に来るまでの道を逆に辿る。西門の大通りに続いていた。

 道中、まだ西門の大通りに合流できていないが、そちらへ向かうにつれて道の人通りは多くなり、活気づいていくる。酒場にレストラン、雑貨屋や服屋など様々な店が見えてきた。

 ヤバルはそれらには目もくれず、人混みの中から狙いを一つに絞る。ただ一点を見つめた。

 黄緑色の屋根の建物から出てきた男の服装は、いかにもお金が掛かっていそうで、分厚く豪華だ。動きにくく、暑そうにも見えるが、服装は裕福のステータスになっている。ちょっとの無理をしてでも着飾ることに気を配っているのが、恰好からも窺えた。

 黄緑色の屋根は商会だ。その建物から出てきたのだから、男は少なくとも商人、もしくは貴族になる。従者や護衛らしき姿がなく、一人のところを見ると、商人だと予想がつけられた。

 商人の男は一仕事終えた満足げな吐息をして、踵を返した。足取りは行き先に迷っていない。西門の大通りへ向かっている。

 ヤバルは若干だけ膝を曲げることで、他の行き交う人々よりも身長を低くし、人の壁で身を隠しながら静かに商人の男に近づいた、音も無く背後について、不用心に腰からぶら下げた布袋を、紐の結び目をあっさり解いてから取った。

 手際が良すぎて周囲にヤバルの行動を疑う者はいない。布袋を取るときも、その紐を解くときも、一切手こずるような素振りがなかった。接近時間は十数秒にも満たない。

 商人の腰から取った布袋を手に堂々と持ったまま、ヤバルは徐々に通りの端に寄った。逃げ出すようなことはしない。最後まで堂々として細い路地に身を滑り込ませた。奥へ奥へと歩き、やがて通りからは見えない影の奥に身を潜ませる。

 ヤバルが物を盗るのは金を持っている人物に限っている。それは決して、金持ちや貴族の妬みから選んでいない。多少なりとも私情はあるが、ヤバルが盗む相手の基準として金持ちを選んでいるのは、単に確実な成功を知ってのことだった。

 盗めるか盗めないか、ではない。

 盗んだとして、相手が持っているか持っていないかだ。

 盗みは身を危険にさらす。捕まれば殺されても文句はいえない。危険を負ってまでやるのは生活のためだが、生き抜くためとはいえ可能であれば危険はさけたいところ。盗みは、数日ごとに一回で終わるのが理想だった。

 あまり数を重ねず、同じ場所もさける。危険を極力回避し、危険を危険視する癖が必要とされた。

 だから、一回で終わらせるためと、今回はこの国での初めての盗みなので、商人の持ち金を把握するために、できるだけ金を持ってそうな人に狙いを絞ったのだ。

 人ひとりが通るのがやっとで、おそらくは地元民しか通らないであろう細道に隠れたヤバルは、商人から盗み取った布袋の口を開いて中を覗き見た。


「……ほう。まあこんなもんか」


 中身をさっさと自分の袋に詰める。布袋はその場に捨てて、来た道は戻らず、どこかの通りに出る間で細道を行った。

 ――と、歩き出してからさほど経たたず、ヤバルの背中に声が掛けられる。


「これ、落としたよ。君のだよ」


 ヤバルは振り向かず、そのまま行く。

 この細道にはヤバルと後ろの人物しかいない。他に人らしい姿は無い。つまり、後ろの人物はヤバルに声をかけた可能性が高く、ヤバル自身も自覚していた。

 しかし、敢えて気づかぬふりをした。

 落とし物とは、盗んだものだからだ。ヤバルは止まるわけにはいかなかった。しらを切り通さなければならなかった。


「あ、待ってよ。これ、君のだってば」


 背中に少年の声が迫る。近づく。

 ヤバルは歩く速度を上げた。いきなり走るのはやましいことの証明になる。逃げるのでもなく、先を急ぐ振りで相手が諦めるのを狙った。

 だが。


「待って。待ってよ」


 後ろの少年は諦めようとはする気配すらなかった。

 おそろしく声は明るく、まるで友人にでも話しかけているようだった。しかし、響きは淡々としていて、感情らしき起伏がない。

 細道の角を曲がったところでヤバルは突然ダッシュをかける。一気に引き離し、相手に見失わせる作戦だ。アイオーンも消す。両腕の健在から隻腕に。分かり易い特徴を利用して、真っ赤な他人を形から演じるためだ。

 ヤバルは別の角を曲がって一度表の通りに出る。このまま人混みに紛れてしまえば、もう見つかることはない。片腕にもなっているから身体特徴から一致させるのは難しくなる―――はずだった。


「ほら、これ。落としたよ」


 声質から、細道で後ろから話しかけていた少年だとヤバルはわかった。少年は背後からヤバルの進行方向に回り込む形で、前に立つ。手には、ヤバルが盗み、捨てた布袋があった。

 全体的に細い体格。裾から見える布袋を差し出した腕も細い。赤茶色の前髪の向こうから、金色の瞳でヤバルを見つめた。


「落とし物」


 にこりと笑う。だが、温かみがない。顔は何かの物まねか作り物だ。

 ヤバルが足を止めたのは通りの道中。人の流れを一部滞らせている。そのためか、行きゆく人々の視線がちらちらとヤバルとその少年に向けられていた。あまり長居をするのはそれだけヤバルは自身を危険に晒すことになる。


「違う。俺のじゃないよ」

「いいや。これは君のだ。だって君のものなんだから」


 身振り手振りでさりげなく片腕しかないとアピールもしてみた。ヤバルは相手に片腕の欠損を視線に入るようにしていた。しかし、それでも相手は引き下がらない。

 異様さを滲ませた確信のある目が、じいとヤバルを捉えて放さなかった。


「俺が落としたのと勘違いしたんだろうけど。金が入っているかと拾ってみただけなんだ。もうすでにカラだった。そのへんに捨ててくれ」

「これはもう不要かい」


 言葉の響きから、ヤバルの持ち物だという認識に揺らぎがない。


「そもそも俺のじゃないから。捨てていいよ」

「いいや。これは君のものだ。君のものなんだから。でも、これはもう不要なのかい。せっかくこうしてここにあるのに。君が不要といったところで君のものだという事実は変わらないんだよ」

「……」


 くるり、とヤバルは少年に背を向ける。もう関わりたくなかった。

 会話が微妙に成立していない。

 少年の持っているものが盗んだもの云々の問題でもなくなっている。おかしな人間と関わった。その事実がヤバルに撤退の決断をさせた。

 ヤバルは全力ダッシュをする。人混みを器用に走り抜けた。少年が大声で呼びかけて注目をあげる危うさは、この際切り捨てた。逃げ切れればいいだけだからだ。

 しかし、聞こえてきたのは、別の声だった。


「おい。それ俺のだッ!」


 言葉から推測されるのは、ヤバルが盗んだ布袋の持ち主。ヤバルが逃げたのと入れ替わりで、少年の持つ布袋を見つけたのだ。

 ヤバルは振り返らない。一気に距離をあけるつもりで走った。

 顔を真っ赤にした商人は、少年の胸ぐらを掴んで問いただしている。その行為が、本当の犯人から唯一の追跡者を足止めしていた。少年は、きょとんとした顔でヤバルの背中を見送り、やがて商人を見た。


「でも、これは彼のだから。彼の落とし物なんだ」

「いいや。それは俺のだ! 盗まれたんだ!」

「でも、これは彼のだから」

「だから盗まれたんだよ。人の話を聞け!」

「でも――――」


 歪な問答が繰り返される。

 すでにヤバルの姿は、誰の目にも見つけられないほど遠く、人混みの中に隠れてしまっていた。



 人通りが多いところを敢えて選んでいたヤバルは、一度だけ後ろを振り返る。距離はすでに十分あけている。追手がないのを確認していた。念のため更に歩いた。


「ま、ここまでくればいいだろ。あいつ、なんなんだ」


 また後ろを振り返る。ヤバルは布袋を拾った少年の異様さを思い出して、表情に皺を作る。

 しかし、すぐに気を取り直す。問題は少々あったが、スリの基本はこの国でも通じることを確認できただけでも上々だった。あの奇妙な少年は今後も間違っても出会すことがないように顔だけは覚えておく。

 ヤバルは表情を改めて、当面の目的に戻った。視線を上にあげて巡らせる。見つけた先が、目的地だ。

 白い柱が、建物の屋根の隙間から青空に向かって伸びている。首都ユーピテルのどこからでも、スラオシャ大神殿を見上げることができた。


「さあて。これでようやく―――」

「見つけたぞ。ヤバル」


 ヤバルの身体が小さく撥ねる。背中に掛けられた男の声に、直感が全身に危険を知らせたのだ。

 ヤバルは振り向けなかった。このまま逃げるしか選択肢は許されなかった。

 例えさっきの気味の悪い少年や商人に出会す危険が考えられても、逃げてきた道を戻り、逃げるしかなかった。

 だが、その選択すら、もはや許されない。すでに遅かったのだ。


「いいかしら? まずは確認させて。あなたの名前はヤバルであっているかしら」

「人違いだ。俺はサイ。ヤバルは知らねえ」


 ヤバルの前に軍服の女性が立ち塞がった。

 ヤバルに最初声をかけたのは男性だった。しかも後ろからだ。正面にいるのは女性。現在ヤバルは複数人の、最低二人以上の人間に囲まれている。

 女がヤバル越しに後ろへ視線を送る。アイコンタクトだとわかる動きだ。人違いだと反論しているヤバルを逃がす様子がまったくなかった。


「一緒に来て貰えるかしら。逃げるのなら、その先は実力行使で行かせてもらいます。大人しく我々に着いてきてください。こちらは君を捕える権利を持っています」

「だからヤバルは俺じゃねえ。誰だよそれ」


 あくまでしらを切る。認めるような素振りは見せられない。捕まるか殺されるか、どのみち危険が迫っているのをヤバルは察していた。

 下手な抵抗は状況を悪化しかねなかった。ヤバルは表情で余裕を取り繕い、逃げる機会を慎重に窺う。


「ただの平民崩れになんのようだ。盗みか、それとも脱税か」

「ついでだ。それはこれから調べさせてもらう。お前には密入国の件で用がある」


 後ろの男が告げたのは、限られた者しか知らないはずのヤバルの罪だった。砂辺でマリアに保護されて、港町プロピナで生まれの国へ送還される手はずだった。クーデターの事件が起きなければ、ヤバルは逃げてきた国に戻されていた。

 ジューダスには見逃されているとはいえ、許可もなく入国している以上、不法侵入を問われてもおかしくない。つまり、密入国だ。

 とはいえ、この事実を知るのはジューダス・ガリラヤと関係者ぐらいしかいないはずだった。


「おかしいなあ。俺はこの町に働きに来ているだけなんだが。軍人さんならちょうどいいや。なんか人手に困っているところないですか。せっかく首都まで来たのはいいんだけどまったくありつけないんですよ」

「入国許可証明書は持っているか。でなければ不携帯としてここで拘束させてもらう」


 赤の他人で無関係だとアピールしてみせたヤバルだが、後ろにいる男は引く気配を見せなかった。


「わかんないかな。俺は人違いだって言ってるんだよ。みつにゅうこく? しょうめいしょ? わかなんないけどさ、俺関係ないから持ってないぞ」

「そうか。では、こちらで判断させてもらう。同行を願えるか」


 ヤバルはいよいよ覚悟を決める。

 通行人の注目も集めすぎている。だが、上手くいけば彼らが壁としてヤバルを逃がしてくれる。

 逃げ道は正面。女の方だ。後ろの男の恰好や体格までヤバルにはわからないが、少なくとも男よりは女の方が力での勝算はあった。

 軍服から彼女が軍人なのは一目でわかる。ただの平民のヤバルより体術に長けているどころか、力でも勝っているとも考えられた。

 しかし、我武者羅に突っ込めば、万が一にでも勝算がある方は、男より女だった。

 ヤバルが動く。突然身をしゃがませて、女の方へ一気に飛び出す。通行側の右へフェイントをかけてから、左の建物の壁を足かけに女の身体ごと超えていこうとしていた。


「抜剣許可は降りてないぞ」

「わかってますって!」


 女はヤバルの動きに反応できていた。

 壁へ駆けるヤバルに着いていく。もはや止まれないヤバルは壁に足をかけるのだが、彼女の行く手を絶つような鋭い蹴りが壁に沿って駆け上がったヤバルの身体を地面にたたき落とした。


「がっ」


 たまらず肺の空気が吐き出されてしまった。

 動けずにいるヤバルの右腕を、女がヤバルの背中に回させて痛いほど曲げた。関節を固定されてヤバルは完全に動きが封じられてしまう。

 なんだなんだ、と野次馬ができはじめているところを、男は平然と歩き、ヤバルを見下ろした。地面に打ちつけられたヤバルは苦しみに歪めた顔で相手を睨み上げることしか許されなかった。

 軍服の上にトレンチコートを羽織った男は自身より抵抗の実力も力すらも劣る少年を、余裕のある、同情が欠片もない冷たい顔で言った。


「現行犯逮捕だ。国衛軍第百十三部隊所属国衛安全調律部隊第十分部隊副隊長、アーロン・クイール・シルヴィアだ。それと、こいつは俺の部下の同分部隊所属のレミエ・ラグドロビン兵長だ。お前には密入国の疑いが掛けられている。改めて。支局までご同行願おうか」

「断ってもいいってことだよな?」

「なるほど。この場で言質を図る程度の能はあるのか。何かしらの証拠を提示して嫌疑を晴らせるなら拒否を認める」


 証拠なんて当然出せるわけがないヤバルは、何も返せなくなる。背中から女が押さえつけているので、証拠があったところで現時点で出せるわけがなかった。

 さて、と男は周囲を見回す。視線をやることでヤバルの味方などの有無を見ていた。また、野次馬を散らす目的もあった。

 野次馬は関わり合いになりたくない者から、そそくさと散っていった。


「一緒に来てくれるね? ヤバル」


 ヤバルは舌打ちせずにいられなかった。

 拘束したうえで同意を求めてくるのは脅迫と変わらない。


「だから違うっつってんだろ」


 ヤバルの声に耳を貸す者はいなかった。



 ヤバルは心底不機嫌な顔で尻をついて座っていた。首にはアイオーンの具現化を阻害する拘束具がつけられている。ヤバルが拘束されて連れて来られたは、国衛軍が運用する施設の一つだ。

 少ないランプで照らされた空間は目を凝らさないと見えないところもあるくらい薄暗い。埃とカビの臭いが、湿度があって循環の少ない空気いっぱいに満ちていた。

 あまりいい環境とは言えないところで、ヤバルは石積みの冷たい壁と鉄格子で自由を奪われていた。

 ヤバルが閉じ込められている牢屋は、特別製か個室性か、他を収容できる牢屋も囚人らしき姿もなかった。ヤバルの右手側の壁、その奥に鉄の冷たい扉がある。壁のランプに照らし出された鉄の扉は、訪問者を沈黙で見つめていた。

 左手側は階段だ。ヤバルはそこから地下牢まで連れて来られた。

 ヤバルは鉄格子越しに立つ男を睨んだ。軍服にトレンチコート。どこかうんざりした顔の男だ。

 男の後ろにはヤバルを捕えた女も控えていた。後ろで結った長い金髪と紅い瞳。長身の彼女は軍服がそれを引き立てていた。


「で、何の用だよ。こうして来たんだ。説明くらいしたらどうだ。あと、俺はヤバルじゃねえぞ。人違いだ。さっさと解放してくれ」

「人違いかどうかはこちらが決めることだ。お前には密入国の嫌疑がかけられている」

「そうかよ。だったら人違いで決まりだ。俺はヤバルじゃない。サイだ。この町には働きに来た。首都だからな。ここならマシな働き口があると思ったんだ。なあ、もう十分説明しただろ。わかったらさっさと自由にしてくれ」


 この国に来てから一体何度目の牢屋か知る者がいるのならヤバルの心境は想像に難くないだろう。ヤバルは心からの不機嫌な理由をわざわざ愚痴るほど愚かではなかった。ぐっと堪えて、こんな状態では不満を隠す必要もないので態度だけは怒りを前面に出していた。


「お前がヤバルかどうかなんてどうでもいいか」

「おいおい。でっち上げかよ。顔も知らねえ奴のために捕まえられているのに勘弁してくれねえか」

「自分の顔くらい知っとけ。お前の名がどうでもいいと言ったんだ。なあ自称ヤバル否定少年。お前があのプロピナの騒動に関わっていたことは調べてあるんだ。無駄に時間はかけたくない」

「どう調べてあるか聞くくらいはできるだろうな。何か? ヤバルは俺と同じで片腕がない奴だったとか、そんなところだろ」

「それもある。他には金髪で緑眼。あとは外見年齢が十四から十六くらいだった」

「なるほど。俺と一緒だな。そんな奴他にもいっぱいいるだろ。どうせならプロピナで捕まえてろよ。わざわざ首都に働きに来たここにいる奴よりはよっぽど信用度が高いと思うぜ。とりあえず近場で似た奴捕まえてみたですましてんじゃねえよ」

「やれやれ……」


 はあ、とトレンチコートの男が気だるげにため息を漏らす。視線がヤバルを捉えた瞬間、ガン、と鉄格子に足をぶつけた。そのまま足に体重をかけて前傾姿勢でヤバルを見下ろす。恐ろしく冷たい眼が暗闇の中でヤバルを映した。


「一度しか言わねえぞ。最後のチャンスだと思って耳と頭を繋げてろ。お前、状況わかってそんなクソくだらない態度でいるんだよな? 面倒なんだよ。こっちはイサク・ジズの暴走のときお前がプロピナにいたことを突き止めているんだ、証言も照合も終わっているんだよ。お前があのときあの場所で、イサク・ジズに協力してマリア・オルレアンを逃がし、あげくジューダス・ガリラヤに捕えられて、なぜかそのあとマリア・オルレアンの暴走のときジューダス・ガリラヤに協力したことまでわかっているんだよ」

「アーロンさん……」


 後ろの女が心配した顔でアーロンと呼んだトレンチコートの男を咎める。トレンチコートの男、アーロンは静かにゆっくりと身体を戻して最後に鉄格子から足を放した。


「なあ――自称ヤバル否定少年。取引しないか? 密入国罪なんて単なる口上だ。わざわざお前を追って捕まえたのにはちゃんと他に理由がある」


 アーロンはヤバルのプロピナでの行動を概要だけとはいえほぼ完全に言い当てていた。ヤバルが捕まる前から感じていた嫌な予感を、確信に変えていた。

 この男は完全に見抜いてから捕まえたのだ、と。

 ヤバルは黙って相手の出方を窺うしかなかった。ここで応じる姿勢を見せるのは自身がヤバルだと認めたも同然になり、その行動自体がまだ早計に思えたからだ。


「俺の捜査に協力しろ。協力するのなら、この場で捕まえず生かしてやる。お前の身分も化粧程度に作ってやることも約束する。お前が有力であるのなら、この国の、ワヒシュタ国民としての生活をできるようにしてやるぞ」

「……ここで解放を条件にしてくれねえか。あんたに保護されるなんざ奴隷と一緒だ」

「自分の立場を弁えてから発言するんだな。俺が出した選択は協力か否か、だ。お前に話し合う余地はない」

「脅しじゃねえか。協力を断ったら当然俺は死ぬんだろ」

「そうだな。死体の処理が面倒だから他でプロピナの事件をまだ調査している連中に売り渡すことも考えている。イサク・ジズの事件の他に脱獄事件も起きていて、混乱の最大の原因とも言われている。目下関係者を捜索中だ。歴史上二番目の大脱獄だから、プロピナ側も国衛軍もお前を欲しがるだろうよ。もし処分に失敗しても俺の責任にはまずならない」


 最悪の顛末が用意されていた。アーロンという男がどこまでヤバルのことを調べ上げているか未知数だが、ヤバルはその大脱獄事件に関わっている。どころか、混乱の引き金を引いた張本人の、今は亡きエイディとは友人関係だった。

 あげく犯人に仕立て上げられ、正気を失うことが救いであるほどの結末が待ち構えているのは容易に想像できた。


「売り飛ばしたとき俺はあんたらのことを話すかもしれねえぞ」

「俺に出世願望はない。勝手にやってろ。のらりくらりとかわすのは得意だ。お前のミンチができあがるころにはまた元の席でタバコでも吹かしている」


 場を繋げる意味での発言だったが、今の状況ではヤバルの言葉はただの苦し紛れにしか聞こえなかった。

 主導権は、アーロンが握っている。


「で、どうする。協力するかしないかだ。決断は早くしろ。一応お前を捕まえるのは無給なんだ。有給に化けるかはお前の選択と今後の仕事次第なんだ。ただ働きなんざ長くするだけ損ばかりだからな」

「俺に何をさせる気だ」

「話を聞いていないのか。耳と頭を繋げてろと言ったよな?」


 ヤバルの頬に汗が伝う。牢屋内の室温はそう高くない。しかし、ヤバルの身体中からは汗が噴き出していた。

 生きる道を。

 少しでも長く生きる道を選択するしか、もはや許されていなかった。


「……わかった。協力する」


 ヤバルはようやく絞り出した、擦れた声で応えた。緊張と悔しさで身体が僅かに震えている。これからのことを考えれば仕方なかった。

 アーロンはにやりと笑う。薄暗い空間の支配者がこれから奴隷になることでしか生きられない弱者をどう料理するのか、もはや下準備の段階から楽しんでいるようだった。


「おい。レミエ」

「はい」


 レミエと呼ばれた、アーロンの後ろで常に控えていた女が彼の横に並んで用紙を渡す。アーロンは紙に目を通す。


「自称ヤバル否定少年。お前にはまず答えてもらうことがある。俺がこれからイサク・ジズの事件の概要を簡単に話す。後でお前の知る事実と違ったところを教えてもらう。こちらでも調べて裏を取っているところもあるから返答には気をつけろ」

「……」


 まるで綱渡りだ。

 かなりの無茶ぶりを当然の通りとして押しつけられた。

 ヤバルは相手の話を待つしかなかった。


「まず最初に言っておくぞ。俺は、イサク・ジズの事件に疑問を持っている。その結末にもだ。そうだな。ここでは明言しておこう。きな臭い、そう思っている」


 前置きをして、アーロンは視線を紙に落とす。

 ヤバルが沈黙で待ち構えている。アーロンの疑念を明らかにする言葉にも反応は示さなかった。ただ本題の話を待っていた。

 さて、とアーロンは気だるげな声で話を始める。ランプの明かりのみが照らす薄暗い空間で、少年の命を天秤にかけているとは思えないほどの感情の無さで、イサク・ジズの事件の始まりを読んでいった。


「イサク・ジズは、ジューダス・ガリラヤの団体と一緒に客人としてマリア・オルレアンも連れて、貿易の港町プロピナを訪れていた。その僅か数日後に前代未聞の大事件が起きるわけだが―――……」


 なぜイサク・ジズやジューダス・ガリラヤが港町プロピナを訪れたのかの詳しい説明は省かれる。ヤバルに必要のない情報で、話を進めていくのに邪魔にしかならないからだった。

 実際は毎年数回行っている業務の一つで、国衛軍とジズ家などの神官を出している貴族が、ほぼ外界とは遮断された環境にあるプロピナで不正が行われていないかの調査と、モート・ギリティナ伯爵との交流を保つために行われている。

 モート・ギリティナは爵位こそ伯爵だが、一族の歴史はとても深いところにある。古くはワヒシュタ立国まで遡り、当時の領主が夢に現われた神王に永遠の忠誠を誓ったところから始まっている。

 英雄ディオニュシオス・アレオパゴスの称号を代替引き継ぐ教皇とも結びつきが強い。

 歴史が移り変わる中でギリティナ一族は、神王の声を地上に届ける教皇にも忠誠を誓ってきた。そんな長く積み重ねられた歴史が、爵位上の権威を作ってきた。

 事実、現在の教皇メルキセデク・ジズの孫イサク・ジズを捕えたとき、彼を大罪人として首都に連行できたことも、また教皇の威厳を保とうと画策する貴族の声を抑えつけて死罪の判決を下せたのも、ギリティナ一族の長い歴史があってこそだった。それでも判決と死罪実施の早さは異常ではあったのだが。

 教皇に忠誠を誓うモート・ギリティナ伯爵が、イサク・ジズを庇うことなく裁判にかけたことが貴族たちの足並みを乱れさせた一因にもなっていた。

 港町プロピナはワヒシュタ唯一の外と貿易する特性のため、特権が集中しやすい。ギリティナ一族の信頼性あってこその一任だった。とはいっても、他貴族から反発がないことはありえない。

 ワヒシュタは国衛軍から部隊一つと神官を持つ貴族の派遣をさせることで、国衛軍としての体制と他貴族の力の維持を計り、そしてモート・ギリティナには領主としての顔を立てさせるために招待状を彼自身に出させてから、調査部隊が派遣されている。

 そして、調査が行われる最中に事件が起きたのだ。


「イサク・ジズが町内で暴れる前日だ。プロピナはもう一つの事件で混乱状態にあった。この事件も含めてイサク・ジズの事件と扱われている。彼がプロピナ兵を混乱させるために行ったものだと。事件の発端場所は、密猟者や密入国またはその他国内での犯罪者を入れておく拘置所だ。拘置所はテュバルということだ。お前が送還のために入れられたのもここだな」


 肯定かどうかを求められた。

 ヤバルは動かない。頷かないのではない。単に自分がどこに入れられたのか覚えていなかった。


「さて、ここでお前の登場だ。自称ヤバル否定少年。イサク・ジズの名で、片腕の少年、名はヤバルの身柄が預けられていると記録がプロピナにはしっかりと残されている。プロピナより南西の浜辺で保護された少年だが、持ち物にハルワタート銅貨と銀貨があることからハルワタートの船の事故か何かの原因で流れ着いたと推測されたそうだ。後日、身柄の確認の後、送還予定だった――と。お? ようやく俺の目を見たな。その反応は気づいただろ。そうだよ。お前がイサク・ジズに使わされて犯罪者どもを逃がしたのではないかと疑いをかけられているんだよ。そこらの盗人どもとは程度が違うぞ。ヤバル」


 もう自称ヤバル否定少年と名指ししなくなった。

 アーロンは改めて言ってみせた。


「お前、この国がワヒシュタの名を使ってでも捕えようとしている犯罪者の一人にされようとしているんだよ。ちなみにここ首都ユーピテルでもお前の特徴で捜索命令が出されている。といっても、国衛安全調律部隊だけで他の部隊はまだほとんど知らされていないけどな。大悪党のイサク・ジズがすでに処刑された後だ。今さら脇役なんざに人員も予算も回せないわけだ。体裁云々もあるかもしれないが、今やお前の扱いはそれでも犯罪者としては特級だ。おそらくだが捕まったらはイサク・ジズに次犯罪者として祭り上げられるのは確実だろうな」


 ジューダス・ガリラヤが本当に知っていたかどうかはヤバルの知ることではない。しかし、ジューダスはヤバルが村を出るときにちゃんと忠告していた。背中を追っている者がいる、と。


「良かったな、最初に見つかったのが俺たちで。感謝すべきだ。お前はほぼ真っ黒の容疑者扱いだ。捕まったら最後、拷問されて吐かせるだけ吐かされたらあとは問答無用で死罪のところだったんだぞ」


 どこまで信じていいかわからないヤバルは、アーロンの言葉を単純に喜べずにいた。ましてやまだアーロンたちがヤバルに危害を加えないと決まったわけでもないのだ。


「お前は大脱獄事件の当日テュバルにいたんだよな。あそこではいったい何が起きた。お前はどうやって脱獄した。知っていることを全部話せ。安心しろ。今日から三日は休暇を取ることにする。後ろのレミエに今から申請を出させる。俺にはたっぷりと時間があるから、焦らずゆっくりと思い出していくといい」


 ヤバルは自身の置かれている状況を正しく理解させられた。

 ただ黙っているだけでは、もはや死しか残されていないのだ。

 はいっ。

 一ヶ月ぶりの更新です。

 ようやく暖かくなってきましたね。寒さに身を震わせず執筆できて幸せです。


 ―――さて。

 はは。困難続きのヤバル可哀想ですね。でも大丈夫。まだまだ続くから!

 ということで、次の更新をお待ち下さい。


 批評、感想等評価等は気が向いたときにどうぞ。

 目標は予定段階の話までの完走ですね。頑張ります。

 ではでは。

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