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王の腕  作者: 白風水雪
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七章〈首都ユーピテル〉前

ヤバル (本名:サクラス・ザラスシュトラ)

マリア・オルレアン (滅びの魔女と恐れられている)

イサク・ジズ(貴族・国衛軍第十部隊・中佐)

ジューダス・ガリラヤ(貴族・国衛軍第六部隊・中尉)

ポルドレフ・ガーディン(ジューダスの部下・国衛軍第六部隊・軍曹)

マーイヤ・レイア(ジューダスの部下・国衛軍第六部隊・伍長)

モート・ギリティナ伯爵(貴族・港町プロピナの領主)

 神王ヤダルバオートを崇拝する宗教、神王教の神王教の聖地の国。永世中立国ワヒシュタ。

 その心臓とも呼べる、神王教の総本山スラオシャ大神殿のある首都ユーピテルが見えるところまで馬車は来ていた。風で時折葉を鳴らす林のある草原の道を行くのはヤバルたちの馬車だけではない。

 貴族や商人の馬車、人も道を行き交っていた。この国の首都を目指し、または首都からどこかを目指している人で道には常に人の流れと動きがあった。

 これから行く町の活気が馬車に乗るヤバルたちにまで伝わってきていた。

 ガリラヤ家の領土ゲネローススのアールツトという町から、十二日ばかりの旅がようやく終着しようとしている。道中、水の補給のために小川や小さな村に寄ることもあった。

 御者モナズ・プイスの実力は、道すがらジューダスの宣言どおりに知っていくことになった。方角や距離の把握。天気の予報までほぼ八割方の正確さを誇る。

 道中の食料や水の確保、獣や盗賊からの回避なども、相変わらずの及び腰で落ち着きのない態度とは裏腹に、的確な判断で問題なくやり過ごしていた。

 小さな村に寄ったときも用心を忘れず,ひと言もゲネローススから来たと言わなかった。ヤバルのことも自身の親戚の扱いにしている。

 彼は臆病を生かすことに長けていた。

 そんな彼から聞く旅の智恵や注意、天気の見分け方などの話は、ヤバルにはとても面白いものでモナズの間との会話は絶えることはなかった。もっとも、ほとんどがヤバルからの質問ばかりで、モナズは絶えず困り顔のまま半分笑っている程度だったが。

 遠目から、林の向こうに真っ白な山が見えていた。初見それは雪山か、白色成分の多い岩石の岩山が見紛う大きさだった。しかし、林を抜けて山ではないとわかる。

 天を穿つ大きな柱。それを支えるように四つの円柱が建ち、さらにその下には八つの円柱が支えているように見えた。いくつもの円柱を積み上げたかのような、巨大な白い建築物。

 まるで、花弁を広げた華をひっくり返したかのような白い建造物は太陽の光を浴びて、草原の上で堅牢な巨体を白く輝かせていた。


「あれが、スラオシャ大神殿です」


 御者席で、モナズの隣に座っていたヤバルは、林を抜けて全容を把握できた白く巨大な建造物に目を奪われていた。太陽の光を受けてさらに白く綺麗に光るそれは、とても神秘的だった。


「あの城みたいなのが、教会なのか」

「教会ではなく神殿です。この国は王政ではないので城はありません」

「なるほど。じゃあ、あそこに行けば、〝朝焼けの夜〟が拝めるんだな」

「はい。一般公開されている祈りの場へ続く廊下の奥の壁にありますよ」


 ユーピテルに向かうまでの道中で、ヤバルは自分が首都を目指す目的をモナズに話していた。他の教会の絵も素晴らしいものがあると解説してくれたのだが、ヤバルの興味は友人エイディの生前見たいと言っていた〝朝焼けの夜〟にだけ向けられていた。


「へー。あんな、いかにも大層でご立派な建物なのに平民でも入れるのか」

「はい。スラオシャ大神殿は神王教徒のためにあるのです。祈りに来た者を拒む理由になりません。とはいっても、国政が行われている場でもありますので、入れるのは祈りの場のみとなっていますが」

「まあそうだろうな」


 しかし、それを除いても、平民でさえ祈りのためなら大神殿に入れるのは他に例がなかった。


「他にも神王教や学問の施設、学園も内装していて、本国だけでなく他国からの学生も招いています。また敷地内では家畜や農作物も作っており、井戸もあります。小さな町程度の機能を有しているのです。スラオシャ大神殿自体が一つの町といっても過言ではないでしょう。もちろんそれほどまでの大神殿を内包する首都ユーピテルも、首都に恥じぬ規模の町であると言えますね」


 まるで己の誇りのようにモナズは話していた。モナズの話に聞くスラオシャ大神殿の規模は、ヤバルの知る限り、他の教会や神殿には見られないほどの大きさがあった。


「あの大神殿はかつて神王が座していた岩山を再現していると言われています。あの英雄、ディオニュシオス・アレオパゴス様がデザインの原画を手がけています。英雄ディオニュシオス様はエデンに辿り着いたとされていて、そこで神王が座した岩山を模写したと伝え聞いています」

「英雄が、ねえ」


 英雄ディオニュシオス・アレオパゴスは、ヤバルも知っている。彼の英雄は国内外にもその名を伝え聞くほどだ。


「ええと。すみません。私ばかり盛り上がってしまったようで」


 モナズはヤバルの反応がどこか上の空だったのを、自分の話がつまらないのだと思ったようだ。ヤバルの目はスラオシャ大神殿を見つめていた。


「ああいや。そうじゃないんだ。あの英雄が行けたのなら、この国が本当にエデンに近いのかと考えていただけだ。もしそうなら、俺はエデンを見てみたいんだ」

「確かにここはエデンに最も近いところだと聞きますが。具体的な場所はどの文献にもありません。聖書の一節には、エデンは己の魂が形取る先にある、という一文があり、アイオーンを指しているのだと推測できます。しかし、これもエデンがどこにあるかを示すものには、あまりに情報が不足しています」

「結局、この国でもエデンに行けるかはわからないということだな」

「そうかもしれません。他国に比べてエデンの証言は多いですが。どの聖人様も文献を残すのみで、それらの証言からの場所の特定はできていません。抽象的な表現が多いのです。果たして本当にそのような場所なのかも知れませんが」

「そういうもんか」

「はい。ああ、しかし、ディオニュシオス様は、他の聖人様とは違う光景をエデンで見ていたと、数年前に見つかったら新たな文献に書き記されていました」


 といってもその文献は神王教がディオニュシオス様の著書だと認めたものではないのですが、とモナズは前置きした。


「多くがまるでこの世の物とは到底思えない幸福な場所だとされているのですが。その偽書とされる文献には、ディオニュシオス様は魂の安らぎを覚える他は、他が思い描くエデンからはかけ離れた光景を目の当たりにされていて、荒れた荒野が広がっているのみで、水が涸れ、大地は割れ、大気は鳴き、まさしくこの世の果てを見たと記しています」

「それ、本当にエデンかよ」


 どうでしょう、とモナズは困った顔で笑う。

 あくまでディオニュシオスが残したと推測される著書のひとつの話ということだ。


「終末の女王の爪痕が最も強く残り、エデンの中心には未だ滅びの楔が世界を蝕まんと大地に深々と刺さっていたそうです。ディオニュシオスの目には、エデンは世界から滅びを遠ざけるための場のようにも見えた、と記してあります。エデンは神王様が造った楽園であるはずなのですから、このような考え方は神学者には認められておらず、救済教の派生かもしくはその原種的な考えを何者かがディオニュシオス様の名を語って記したものだとされているのが、今のところ有力説ではありますね」

「―――エデン。あれが、楽園といえるものか」

「ヤバル、さん……?」


 モナズが驚きに目を見張ってヤバルを見た。横に座るヤバルはスラオシャ大神殿の真っ白な外壁を睨んでいる。その美しさに目が眩むことなく先になる何かを見ていた。


「あんなものは、楽園では断じてない。あれが祝福だと言えるのなら、魂に意思が生まれることはもはや罰に等しい。あんなものが楽園など、絶対に認めん」

「……あの」


 がたん、と馬車がはねる。大きな石か何かを踏んだのだ。長旅で食料も水も底を尽きかけて軽くなった荷台は、簡単に撥ねて地面で弾んだ。

 尻から突き上げる衝撃を受けてヤバルは、はっとして我に返った。モナズが酷く恐れを内包して戸惑った顔をしていることに気づいた。


「あ、っと。悪い。寝てた、のか……?」

「どうかなさったんですか。エデンの話で、何か気に障るようなことでも」

「は? いや……ああ、エデンは俺の友人が見たいっていっていたから、少し気になっていたんだよ」


 ヤバルの答えはモナズの問いから食い違っていた。しかし、ヤバルはそれに気づいていない。なぜモナズが怯えたような顔でいるのかさえ、わからなかった。

 モナズは、それ以上に踏み込むのをやめる。そんな度胸は彼にはなかった。


「いえ。少し人が変わったようなので、びっくりしました」

「そうか? すまん。そいつ、この前のプロピナでのときに死んじまって。気が合っていたもんだから、せっかくこの国に居られる間はそいつが見たがっていたものや欲しがっていたものを見ていこうと思っているんだ。だから、気合いが入りすぎてたかもな」


 にっ、とヤバルは笑ってみせた。


「そういうことですか。〝朝焼けの夜〟は大変素晴らしい作品でした。一度見ることに損は絶対にあり得ませんよ」

「ああ。そうだといいと思っている。おっと、ここでこれ以上その絵の話はするなよ。感動は見るときのためにとっておきたいからな」

「ははは。はい。承知しました」


 モナズは笑って頷いた。


「エデンも、見つけたいですか」

「そりゃ、見つかるものならな。そっちは期待半分だ。まあ、退屈しそうだったら暇なときに噂を検証してみるくらいはするぜ」

「そうですか。もし見つけたら一番に教えてください」

「見つけたらな」

「はい。お願いします」


 馬の操縦に意識を集中させるかのように視線を前にやる。それは、ヤバルの目から逃げるためでもあった。いつもどこか怯えたような表情をしている彼は、ヤバルの豹変に覚えた恐怖を自身の弱さで隠した。

 ワヒシュタ首都ユーピテル。草原を裂く道の先で、外壁の門が訪問者を待ち構えていた。



 高さ二十メートル、厚さ三メートル弱の堅牢を誇る外壁は、首都全体をぐるりと囲んでいた。

 馬車で外壁に近づいたヤバルたちを、大きな門が開かれた状態で迎えた。

 ユーピテルと外を繋ぐ出入り口だ。南と北、西の三つしかないうちのひとつ。南門には見張りの兵士が二人立っていた。彼らの手は常に腰の剣に添えられていて、いつでも抜剣できるようになっていた。

 外壁の門を通っているのはヤバルたちのみではない。外から入るもの、中から出るもの様々だ。ユーピテル側の門のあたりで兵士たちが通行者の検問をしていた。

 積み荷や人相のチェック。通行人の年齢や性別などの計数も書き記していた。

 ヤバルたちも例外を許されず検問を通過しなければならない。

 密入国者であるヤバルの表情に緊張が走る。もしも密入国がばれて捕まれば死罪。よくて拷問だが、後の人生は人間らしい生活は送れない。

 前回はイサクの保護や助力のおかげでいずれ解放される未来が待っていた。しかし、今回はジューダスが館で言っていた言葉どおりであれば、ヤバルはガリラヤ家の助力を得られない。赤の他人を突き通される。最悪、逃げられたスパイの一人として祭り上げられても仕方がないと言えた。


「ああ。大丈夫ですよ。あの検問は積み荷や人相がよほどでなければ問題はありませんよ。幸いヤバルさんの身元の情報は、プロピナから出ていません。なので、ここではただの来訪者です。もしくは信奉者です。気構えずいればただの人で済み、通るだけならば簡単です」

「わかった。大人しくしてるよ」

「はい。お願いします」


 検問は果たしてモナズの言葉通りに簡単に終わった。積み荷の確認、簡単な身体検査、その最中で人相や年齢、性別もチェックされ、兵士は何かの書類に書き記していた。

 時間は僅か十分足らず。首都ユーピテルと外界を物理的に隔てる外壁と、人為的に隔てる検問を何の問題もなく通過できた。いよいよ、ヤバルは目的のスラオシャ大神殿がある首都ユーピテルの地を足で踏むことを許された。

 港町プロピナは潮臭さと異国の風土も引き入れた、雑多で異質を内包した活気に満ちていたが、首都ユーピテルは質こそ違えど活気は満ちていた。ひと言で述べるのならば、華やかだった。

 門から正面。首都の象徴、スラオシャ大神殿を正面から見上げる形になる。白い柱が雲の流れる青空に、その雲よりもさらに白い巨大な円柱が堂々たる姿で建っていた。

 真っ白なスラオシャ大神殿は、太陽の光を反射して眼下の町を照らしている。太陽のような有様は、神秘的で、これの建築意図をヤバルでも理解できるほどだった。

 畏敬を払い、なお崇拝すべき存在。

 神というものを、建築の術でこの世界に顕現させていたのだ。

 神王教を信仰している者であれば、誰でさえ神秘性に当てられ、自身の信仰心の高ぶりを覚えるはずだった。

 生憎信仰心がほとんどないヤバルは、神秘性は多少なりとも感じる程度で、自身の感情自体はそれ以上の高ぶりを覚えていなかった。

 しかし、天に挑まんとする建造物の、人類の英知の結晶を目の当たりにしての感動がないわけでもない。


「やっぱでけえな」


 ヤバルの口から出た言葉は素っ気ないものだったが、表情には感動が浮き上がっていた。

 モナズはそれを見て微笑む。


「さあ、乗って下さい。早くスラオシャ大神殿に行きたいでしょうけど。今日のところは身体を休まれたほうがよろしいかと思います。宿まで案内しましょう」

「ジューダスとの約束はこの町までの話だったけど。送ってくれるのなら、こちらとしても有り難い」

「いえ。こちらとしてもこの町での用事がありますので。その通り道ですから」

「なら遠慮無く。さっそく案内してくれ。ひさしぶりに柔らかな布団で寝たい」


 ヤバルが御者席に乗り込んで、馬車が出発した。

 スラオシャ大神殿の壁面に合わせて真っ白な壁が並ぶ南側正面の通りは、礼拝者が最も多く通ることから道幅も広く造られており、軒を並べる建物も外観は一際白く美しかった。

 屋根だけは様々な色で飾られていた。それぞれ商店や家、工房や宿などの意味合いも含め、一目で見分けられるようになっていた。また、個人の趣向もある程度は許されているので、同じ職の家でも色合いの違いから、誰の家までわかるようになっている。

 町中の壁が白いこともあって屋根の色合いが際立ち、上空からはとても色鮮やかに見えていた。その様は、まるで円状の箱に並べた宝石たちのようでもあった。

 宝石たちが敷き詰められた箱庭は、三つの灰色の線が三方向から交わり、広い空間を作っている。灰色の線は南、北、西の方角に引かれた大通りだ。灰色のなのは、元々白の石などが通路に敷かれていたが、年月による劣化と、人や物に踏まれたことで変色したからだった。それらの交差点は円形の広場になっていた。講演やサーカス、祭事などで使われることもある広場だ。

 町の移動にはこの中央広場一度通ることが多く、馬車や人の往来が最も集中している。交通の密が厚くなり、開けた空間は人や物、馬で埋め尽くされていた。

 時折どこかで衝突や足を止めてる人も出てくるが、周囲は器用によけて、また新たな流れを作る。完全に流れが止まるようなことはなかった。

 それは日常の光景。

 日常にも個々の存在と物語がある。

 混沌が不規則と規則、そして秩序を生み出し、人々はその波に乗り、また作り出していた。

 しかし、それら無秩序を寄せ集めて組み上げた秩序の流れの中には、明かな異質があった。まだ日常に紛れ込め切れていない異物だ。腫瘍のようなものが、広場の流れに淀みを生んでいた。

 中央広場に差し掛かったヤバルたちも、その存在に気がついた。見落としそうなほど微細で目立たないものではない。むしろ、無視することが難しいほど熱烈で際立っていたのだ。


「イサク・ジズを見ただろう。あれこそ、ワヒシュタがひた隠してきた悪の象徴だ。もはや貴族たちの作ってきた旧世代の政は、この時代に通用しない。時代遅れだ。彼らが黎明より継いできた在り方は、ただの害悪でしかない。我々こそが新の時代を牽引していかなければならないのだ」


 広場の中央。いつもなら、広場のイベント告知やその準備で空き地にされている。今は告知の類いの看板もなく、何かの準備がされているわけでもなかった。広場の中央は柵で囲まれていて、立入禁止の看板がそこら中に突き立てられている。

 そのため、その一点だけは人や物の通りが少なく、白さを保った地面が残されているが、その白から連想される清潔さとは別に、錆びた柵と力強く書かれた立入禁止の看板が嫌忌を覚えさせている。

 柵の脇では人集りができている。

 人々が注目する視線の先には、数人ほどの男たちが立っていて、易い木箱に立った一人が声を高らかに熱弁していた。


「我々がこの国を変えるのだ。排他的とまで嗤われた国々にこれ以上馬鹿にされるのもご免だ。知っているか。余所の国は、我らが魂の故郷を骨頭とまで言ってあざ笑っているのだぞ。そんなことが許せるか。俺は許せない! 親同然の故郷を嗤われて許せるものか!」


 そうだそうだ、とどこからか声が上がる。呼応して何人かが頷いた。


「そうだ。だからこそ、俺たちは立ち上がらなければならない。今が好機なんだ。長く続いた貴族たちだけで纏め上げられた政を崩せる好機だ。世界中からの批判が集まっている。奴ら貴族はその対応に追われて、足下が見えていない。いつも見下している足下の俺らが、奴らの足を掬ってやろう!」


 一旦、呼吸の間を置いて、木箱に乗った男は熱演を続けた。

 馬車から遠目で窺っていたヤバルたちだが、やがてモナズが馬車の速度を少しだけ上げる。ヤバルの目がまだ広場の中央に向けられているのを見て、静かに言った。


「ここ最近ではあれがいつもの光景になってしまっていますね。数年不作や不況が重なり、税を増やしたり、国政で開拓を強制的に進めた反動で、国への反感は年々高まりつつありましたが。イサク・ジズの事件から、その傾向が強くなっていますね。隣に柵があるでしょう。あそこでイサク・ジズが処刑されました」


 柵で囲んだ中央で、イサクはギロチンにかけられたのだ。

 よく見れば、白い地面に雨風では流され切れていない血が未だ凹みに残っているのだが、ヤバルたちのところから確認することはできなかった。


「はっ。絶好の客寄せ看板娘ってところだな。なるほど、どこの国でも似たようなことがあるんだな」

「そういうものです。外を知らなかったり、外を知った気でいる者が騒いでいるのがちょっと質の悪いところではありますね。仲間を集ったところで、そこから先は知識と権力がなければ単なる反政府思想か、暴動にしかならないのに」

「知識はともかく権力は生まれたときに決まるからな。無い者はああやるしかねえぜ」


 クツクツ、と暗い笑みでヤバルは嗤う。人が集い、熱を上げていく様を眺めて楽しんでいた。

 モナズはヤバルの反応にムッとして返す。


「やり方があるはず、という話です」

「そんなもの行儀良く並べて変えられるほど世の中が甘党なわけねえだろ。綺麗事は鑑賞程度の慰めにしかならねえぜ。どんな聖剣でも、いや聖剣だからこそ、血を吸ってるもんだろ。なまくらより戦えるのなら誰だってそうするさ」

「……イサク様は、本当にあんな、クーデターのようなことを犯すお方ではありません。断じて、あり得ません」


 声を小さくして、誰かに聞こえることを警戒してもなお抑えきれない感情を溢した言葉だった。彼の性格から考えても、驚くほどはっきりと言い切るものだった。モナズは馬車の進行方向を睨み付けて、強く握り絞められない手綱に代わって、奥歯を噛んでいた。

 モナズは事件当時にプロピナにいなかった。しかし、イサクはガリラヤ家と交流があるため、度々ガリラヤ家の館と訪れるときに何度か会ったことがあった。彼は、イサクと言葉も交わしたことがあり、イサクの人柄も知っていた。だからこそ、言わずにはいられなかった。

 ヤバルが、モナズをちらりとだけ一度見る。

 わかってる、と言い。


「だから嗤ってんだよ」


 モナズが顔を向けてみるヤバルは口元は笑っていても、目は鋭さを隠していた。

 二人から会話がなくなる。正面をむき直したモナズは視線を左へ寄せる。それは右隣に座るヤバルから目線を逸らすのではなく、単に西門の大通りへ馬車を向かわせるためだった。



 ヤバルたちの馬車は西門の大通りから右にずれる。北西方角の地区へ入っていた。


「ここです」


 町のどこへ行っても壁は白い。細い道も通常なら薄暗くて気味の悪さが息を潜めているはずが、ユーピテルでは白い壁が太陽の光を反射して細い路地までにも僅かばかりの光を届けており、心なしか明るかった。

 ヤバルたちは馬車が行くための大きな通りを行き、何度か角を曲がり、若干道幅が狭くなったところで止まっていた。屋根には茶色から赤のものが多く見られ、道端では多くの馬や馬車が止められていた。道から見えるところに馬小屋も見受けられ、ここらが旅人や商人の多くが足を止める場所だとわかる。


「ここ一帯は宿が多くなっています。茶色の屋根が宿。赤が酒場もしくは酒屋です」

「ほお。慣れてくるとわかりやすくなるな。真下からは看板がないとほぼ何の店かわかんねえが」

「ははは。今でこそ観光の一つですが、元々は町一帯を管理する目的のためらしいですから」

「へー。なるほど。あそこから見下ろせば一発でわかるもんな」


 ヤバルが見上げたのはスラオシャ大神殿だ。いくつもの白い柱が連なって天を目指している。スラオシャ大神殿のような高所からならば、町全体を見渡せた。


「はい。今より町が整地されていない時代の話で。昔は罰則も厳しくて、建物の高さ、屋根の色の規則を守らなかった者は、高い罰金を払わされたうえ、屋根を張り替えなければならなかったそうですよ。最悪取り壊されて家を無くす人もいたとかいなかったとか」


 最後あたりはただの噂か。作り話か。どちらにせよ、ヤバルにとってはユーピテルの町並みは珍しく、しばらくは見ることに飽きそうになかった。


「ここ一帯の料金の差はさほど大きくありません。あとはサービスの違いくらいでしょうか。治安もさほど悪くありませんよ」

「それは見てもわかってる。じゃなきゃ、ああして見えるところに馬は止めらんねえだろ」

「ああ、いえ。あれは盗難を防ぐためでもあるんです。誰の目でも監視役になるようにと、もう一つ、スラオシャ大神殿からも見えるようになっています」

「神王様が見ているぞ、ってか」

「はい。そういうことです」


 冗談で言ったつもりのヤバルの言葉を、モナズは信徒らしい曇りのない、柔らかな笑みで返した。

 ほどなくして、モナズの宿の案内が終わる。おすすめの宿の紹介と美味しい料理の出る酒場まで教えてもらったが、直接それらの店に寄ることはなかった。あくまで後はヤバルの自由ということだ。

 馬車を降りたヤバルは、旅路で残った硬貨と僅かばかりの食料を布袋につめて肩にかけている。あと半月は余裕で寝泊まりできるだけの代金を持っていた。


「では、私はこれで」

「ありがとう。世話になった」

「はい。またご縁がありましたら。そのときは、エデンの話を期待しております」


 モナズはこの町のジューダスの屋敷に向かう予定らしい。詳しい話はわからないとヤバルにも話しているが、本当のところはわからない。軍人だから任務のことも考えられた。


「期待しててくれ」


 帽子を外して会釈するモナズにヤバルは軽く手を振った。

 モナズが手綱で馬を発進させる。それを見送ってから、ヤバルは振り返った。

 見上げた看板には宿屋の記号と、〝風来坊のよりどころ〟と店名の掘られた看板が掲げられている。モナズが紹介してくれた店の一つだ。料理はやっていないが、泊るだけなら申し分ないらしい。

 まだ日の出ている昼過ぎ。

 日暮れまでに寝泊まりできるところを確保しておきたいヤバルは、さっそくその宿を訪ねた。何より、長旅で疲れた身体を早く休めたかった。

 モナズに返した言葉は、心からの本心でもあった。



 焼けた空の下。翼を失った女が、涙を流す。

 ごめんなさい、とこの世界の王に言葉を溢す。王は首を振って応えてあげた。

 それだけで女の暗かった表情には明るさが僅かに戻り、弱々しい笑みを浮かべた。女は王の腕の中で、なんとか顔だけを動かして敵を睨んだ。

 そいつは嗤っていた。

 暁の果てまでいきついた空は、もう生き物が生きていくには厳しすぎる。大地も力尽きて、この世界の子どもたちを抱き留める余力もあと少なかった。

 その弱り切った世界で、そいつは己の高ぶりを抑えきれず、笑みを溢し、女と王の二人を見下ろしていた。

 女と王は、そいつを見据える。

 倒すべき敵だ。

 あいつを倒さねば、この世界は滅びの先に行き着く。



 カチ、カチ、カチ。

 ヤバルは何かを積み上げる規則的で、しかしその内に秘めた、今にも崩れてしまいそうな狂気めいた脈動のような音を聞いて、意識が眠りの底から浮上した。

 故郷の教会にはねじ巻き式の時計が置いてあり、ヤバルはそこで時間というものを知り、事の進捗や状況の把握の、一つの物差しに使っている。時間を知る連中の共通認識で、互いの把握に誤差が少ないこともあって便利に思っていた。

 時計自体が高価なもので、平民たちは太陽でおよその時間を身に付けていて、あまり必要ないものでもあったが。

 ヤバルは自身の生活のため金のある商人や貴族を相手にしてきたので、時間という考え方を身に付けていた。

 身体を起こしたヤバルは、寝ぼけた意識で音の正体を時計と推測したが、どこか人為的な不規則性を感じて、その違和感から意識が急速に覚醒にまで引き摺り上げられる。

 朝の目覚めを迎えてくれたその存在を、ヤバルは心底迷惑な目で睨んだ。それはベッドの向こう、ヤバルの足側の壁と対面し、ヤバルに背を向けた恰好で床に座っている。

 枯れ枝のような細い腕。ボロボロの布切れの服。髭も髪の毛も生気を失っていて、乾いた白がその存在の動きに合わせて揺れていた。

 カチ、カチ、カチ。

 何かを積み上げ、はたまた何かをずっと造っているが、決してヤバルには手元を見せたことがない。

 その存在は、自身の自称していた。ヤバルもその存在を、彼の自称した名で呼ぶ。


「職人……」

「焦げた臭いがする。朽ちた臭いがする。だが、何かはわからない。あれが頭から離れない。あの光景が忘れられない。我は職人……。我は……」

「ここは有り難い神殿があるらしいぜ。そっち行ってくれないか。相談相手は向こうが適任だ。専門家もいるだろうからな」

「あそこには何もない。あるのは指針のみ。座標のない目的地だ。お前は次にどこを目指す。旅路はまだ続く。その腕は、いつ使う」

「前から言ってるが、いったい何のことだ。いつも使ってるだろ」


 起きたばかりだから、ヤバルは現在片腕の状態だ。わざわざ職人に見せるのも癪にさらるヤバルは、アイオーンを具現化せず、言葉でのみ返した。

 ヤバルは記憶を取り戻してから、自身のアイオーンとその能力の使い方もすべて思い出している。職人の言葉に思い当たることがなかった。


「使う使わないはお前の自由だ。向かう先もお前の自由。どこへ行く。どこを目指す。何も見て、何を思い、どこへ足を向ける。己に問え。ここが本物か」

「チッ。何言ってんのかわかんねえよ。馬鹿にもわかりやすく頼むぜジジイ。てか、言いたいことがあるならはっきり言えよ。ていうか消えろ。さっさと神殿に行って浄化してもらえ」

「ここを留まる理由にするのならそれもいい。忘れるな。その腕は常にお前と共にある。躊躇うな。忘れるな。腕は」

「だから……――うるせえっていってんだろ」


 ヤバルの声音に怒気が入る。職人が老人であろうと関係ない。その気になれば、殺しに掛かりそうな勢いだった。

 彼の、突然気が触れて狂った父親に腕を切断された記憶が、腕に固執する職人に苛立ち以上をぶつけさせていた。

 しかし職人は黙らず。


「目を背けるな。事実から目を逸らすな。何も変わらん。お前が腕を持ち、その腕を使っていない事実も」

「クソジジイ!」


 ヤバルは耐えきれず枕を投げた。

 しかし、当たるはずだった枕は職人に当たらず、壁と衝突して床に落ちる。職人の姿はすでにない。塵一つ、痕跡残さず消え去った。


「……なんなんだよ。夢といい、あのクソジジイ……」


 朝から頭を抱えて溢した声は、心のすり切れたやり切れない感情があった。

 ヤバルは気を取り直して、ベッドから出たのはすでに日が昇りきった昼近く。早朝騒いだこともあって、宿主から怪訝な目を向けられたがヤバルは気づかないふりをした。

 どれもこれも職人のせいにして、ヤバルは町に出る。

 この町にきた目的を忘れていない。職人ごときでやめる理由にならない。

 ヤバルは白い光の満ちた世界に目を細めて、二日目にして、ワヒシュタ首都ユーピテルへの一歩を踏み出したのだ。

 スラオシャ大神殿に飾られている絵画〝朝焼けの夜〟。

 友人のエイディが一目見ることを願っていたものを、見るために。

 はいっ!

 お久しぶりの方はお久しぶり。

 初めましての方は初めまして。

 一ヶ月経っての更新です。さて、今回から話の場面が大きく変わりました。ヤバルの首都潜入編開始ですね。まだまだ話は続きますよう。


 どうかお付き合いください。

 ではでは。


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