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王の腕  作者: 白風水雪
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五章〈未来の裏〉後

◆主な登場人物◆

ヤバル (本名:サクラス・ザラスシュトラ)

マリア・オルレアン (滅びの魔女と恐れられている)

イサク・ジズ(貴族・国衛軍第十部隊・中佐)

ジューダス・ガリラヤ(貴族・国衛軍第六部隊・中尉)

ポルドレフ・ガーディン(ジューダスの部下・国衛軍第六部隊・軍曹)

マーイヤ・レイア(ジューダスの部下・国衛軍第六部隊・伍長)

モート・ギリティナ伯爵(貴族・港町プロピナの領主)

 ―――ヤバルは夢を見ていた。

 暁色に燃えた空。焦げた大地が裂けてマグマが噴き出し、この世界の血潮を語る。空気すらも生気が薄れていて、あらゆる生命の命が世界から枯渇しつつあった。

 枯れかけた空の下で、死にかけた大地に立つこの世界の王ヤダルバオートは、滅び死にゆく世界と生命たちに涙する代わりに、血を流す。

 対峙して見上げるは、紅い空に、見惚れるほど純白の翼を広げる女だ。美しい毛並みの翼から、まるで世界に死を告げるように、綺麗な白い羽が舞う。

 美しくも冷酷なその女は、この世界を滅ぼすために来たのだと王に宣言し、言葉のままにそれを事実にしていった。己の世界を守ろうとする王の力は、翼の女には到底届かない。髪の毛一つすら落とすことは叶わなかった。

 圧倒的で、一方的。

 強さのそのものが違い過ぎて、戦いにすらなっていなかった。虐殺に抗うただの無力があるだけだった。

 なぜ世界を滅ぼすのだ、と王が吠える。

 この世界を殺すな、と叫ぶ。

 やめろ、と絶叫した。

 それでも、純白の翼の女には王の訴えも力も一切届かず。

 王は、敗北した。

 そして世界は、一度滅びた。

 滅びの始まり。世界の終わり。そして、―――始まりの物語だ。

 世界が灰色に染まる。すべての景色が歪み、混じり、一つになり損ねる。

 やがて、ぐにゃりとメチャクチャに混じった色が広がり、世界はまったく別の景色を作った。

 誰かの叫びが、どこまでも響く。

 世界の王は噎び泣く少女に形を変えた。

 焼け果てた世界は、イサクと、彼を見張る兵士、そしてイサクを取り囲む人々に変わった。そして、純白の翼の女はイサクの首を優しく包み、冷淡に見下ろすギロチンになった。

 泣く人々。怒る人々。笑う人々。

 狂いに狂った景色に囲まれた中央で、イサクは静かに終わりの時を待っていた。

 ギロチンの分厚く鋭利な刃が、落ちる。

 ダン、と音を立てて、男の首があっけなく地に転がった。人々の狂気に満ちた感情は最高潮に達する。

 そこへ飛び出したのは、泣いていた少女だった。マリア・オルレアン。

 彼女はイサクの頭を拾い上げると、優しく抱き締めた。愛おしそうに涙を流した。

 少女の涙に追従するかのように、無数の矢が彼女へ降り注ぐ。

 顔が歪み、腕や足の肉が原型を無くすほどの矢に撃たれて、マリアは死んだ。彼女の腕にはしっかりとイサクの頭が抱かれており、まるでその様は、恋人同士のようだった。

 そして、世界はまたぐにゃりと歪み、混ざる。

 再び形が変わった世界で、マリアは神王に、イサクの首は純白の翼の女になっていた。

 神王が、愛おしそうに哀しみに濡れた声で、純白の翼の女を呼んだ。

「ソフィア……っ!」

 瞬間、ぶつん、と世界が暗転する。

 ―――ヤバルの夢が終わる。



「ソフィア……」


 ヤバルの意識が戻った。目覚めてからすぐに身体を起こそうとして、上手く動かないことに気づいた。両腕を背中に回されて、肘から上を拘束具で固定されていた。

 苦しい姿勢のままで横に寝かされていたのだ。


「ああクソ。そういうことかよ。変な夢だったし最悪すぎるだろ。この国に来て良いことなさすぎる」


 ヤバルは身体を起こそうと、引っかかりを探す。視線は現状把握ため、周囲に巡らせていた。

 狭い、箱のような空間。材質はすべて木製だ。馬の唇を鳴らす音が外から聞こえたことから、馬車の一室であることが、ヤバルでも推測できた。

 意識を失う直前までのことは覚えている。ならば、自分の置かれている状況も自ずと見えてくる。捉えられた立場であることは明かだった。


「なんだ、これ。腕が」


 腕を拘束されていることが、ではない。

 アイオーンの具現化ができなかった。

 少しでも身体の自由を利かせるため腕を出そうとしたのだが、青白い光が発生するばかりで、一向に腕を形作らない。


「くそ。これか」


 ヤバルはアイオーンが満足に形にできない原因を、知識として知っていた。

 一般的に〝拘束具〟と総称されているそれは、固定する身体の箇所に合わせた大きさの輪になるようにできており、罪人の腕や足、首につけられる。

 ヤバルが知識として知るほどに一般的で周知の現物には、アイオーンの具現化を妨げる物質が含まれていた。神話で滅びの使徒がこの世界の残した爪痕とも呼ばれる、滅びの欠片と恐れられてもいる物質だ。

 畏怖の存在と恐れられてもいる物質であるため、装着させられる者は主に罪人になる。軍事の使用もされているが、武器として、兵器としての使用は控えられていて、捕虜目的に使用が主だった。

 もし軍事や政治で使った場合、その国が滅びの使徒だと批難されるリスクがあった。それほどまでに、この世界では滅びや、滅びの使徒などそれに関するものは忌避される傾向にある。

 滅びの欠片は世界各地の地下から採ることができるものだが、その採掘量で最多を誇るのがワヒシュタだった。

 この世界の寿命を有限にしている、滅びの楔が打ち込まれたエデンがワヒシュタのどこかにあるからだと信じられている。

 滅びの欠片の採掘量が多いワヒシュタでは、それを活用した拘束具の精度も各国より優れたものだった。

 事実、ヤバルがどんなに抗おうとアイオーンの現出に挑んでみるが、具現化の気配すらなかった。


「クソ」


 拘束具の材質は金属だ。今のヤバルでは簡単には壊せない。

 最大力で具現化を試すのは危険すぎた。まだ外では自分が気を失ったままだと思わせたいヤバルは、アイオーンを出すことは諦める。

 まずは逃げる準備を優先した。

 とりあえず壁に身体を押しつけることで起きることができた。このまま立ち上がれるかと足に力を入れたとき、馬車のドアが開けられた。


「ちょうど目覚めたようだな」


 顔を見せたのは、ヤバルのよく知る軍人の男。ポルドレフ・ガーディンだ。

 イサクと同じくマリアを逃がすための囮作戦に参加した軍人だ。ならば、彼はプロピナの兵士に捕らわれてなければならないはずだった。

 ヤバルが自身の捕えられたままの事実から、プロピナ兵かジューダスの部隊に自分の身柄があるはずだと推察できた。つまり、まだ敵陣だ。助けられたわけではない。

 しかし、目の前にはイサクの囮作戦に参加していたはずのポルドレフがいた。

 見たところ、ポルドレフの身体は手当てされた跡がある。ポルドレフからは特に急ぐ顔も様子もない。拘束されているイサクを助けにきたわけでもないようだった。

 ただヤバルの様子を見に来た、そのままだった。

 この場で、このような形でヤバルの前に現われた意味を、ヤバルは瞬時に理解した。


「てめえ! てめえも裏切ったのか! おっさん!」

「……どうやら、大丈夫のようだな。暴れるなよ」


 それだけ言ってポルドレフは馬車のドアを閉めようとする。ヤバルから視線を逸らしたあたり、まるで逃げるようで、それがヤバルの神経を逆なでした。


「待ちやがれ!」


 足に力を入れて立ち上がる。このまま体当たりをしようとした。

 ポルドレフはすぐに気づく。反応もさすがは軍人で。ドアを閉じながら隙間を滑るように身体を抜けさせる。ヤバルが立ち上がって距離を詰めたときには、すでにドアは閉じられてしまっていた。

 ヤバルの身体が勢いよくドアに激突する。しかし、ドアはビクともしない。ドア越しにポルドレフが兵士に鍵をかけさせる声が聞こえてきた。

 二度、三度、体当たりを繰り返すが、まったく動かない。もう一度ドアが施行される前に逃げ出そうと必死になったというよりは、ポルドレフへの怒りがヤバルにそうさせていた。

 四度目をぶつけようとして、ヤバルの動きは突然止まる。アイオーンの気配を感じたのだ。

 時には奇跡に相当する力を秘めるアイオーンを警戒するのは当然だ。しかし、その気配はポルドレフからではなかった。遠くはないが、近くでもない。距離がある。

 ヤバルは馬車の外から、悲鳴に近い声を聞いた。


「マリア・オルレアンが逃亡するぞ! 彼女は現在暴走状態にある。戦闘体勢を取れ! 急げ。戦闘体勢だ!」

「あいつ……っ!」


 焦りが浮かぶ。ドアに耳を当てて外の様子を探った。兵士たちの走る音や鎧の音が聞こえた。かなりの人数が動いている。

 極めて良くない状況が外で起こっているのがわかった。


「副分隊長までのアイオーンの抜剣を許可する。一分隊、四分隊は北西へ。二分隊、三分隊は南東へ展開。五分隊の騎馬隊は距離を取って北へ回って後ろを取れ。七分隊は前衛、八分隊は後衛としてこのまま展開しろ。後衛八分隊、前列一番弓兵構えろ!」


 ジューダスの指揮の、よく通る声が聞こえた。声質からかなり切迫した状況だとわかる。


「マリア。落ち着くんだ。これだけの数を相手にするのか」

「その程度で私が止められると思っているのならやってみなさい。今すぐイサク様を助けに行きます。道を開けなさい!」

「マリア。今すぐアイオーンをしまうんだ。警告ではすまされないぞ」

「道を開けなさいと言っているのよ! 引くのはジューダス様たちの方よ。滅びの炎に加減は一切無いわよ」


 ものの数分だった。

 外の騒がしい動きが聞こえてきたかと思えば、すぐにマリアとジューダスの対峙を、二人の会話がヤバルに伝えてきた。一触即発。

 マリアがもしアイオーンの力を振るったときの恐ろしさを、ヤバルはもうすでに知っている。あのとき、知ってしまったのだ。

 島一つを焼き払う強力な炎は、決して脅しや伝説、噂ではない。事実だった。

 あの得体の知れないアイオーンは、小さな国を灰に変える力を持っている。


「あの馬鹿野郎……ッ!」


 ヤバルはもう一度ドアから距離を取る。体当たりをしてドアをやぶるつもりだ。

 前傾姿勢で一気に駆ける。腕を縛られたままではうまく体重も乗せられないが、そこはわざと倒れる勢いを作ることで補った。


「おわっ!」


 だが、ヤバルの身体はドアにぶつかるどころか、弾かれた。衝撃に耐えきれず、ドアの反対側の壁まで吹っ飛んでしまう。

 ドアにぶつかるほんの少し前。ポルドレフがドアを開けたのだ。

 ポルドレフはヤバルが突進してきたのを眼に捉えると、酷く冷静な動作でアイオーンを出した。剣の刃の部分が楕円形に大きく広がった特徴的な剣だ。見ようによっては盾にも見える。

 ヤバルの身体がその盾のような剣と激突する瞬間、ヤバルは剣との衝突とは別の何かの衝撃を身体に受けて、弾かれてしまった。

 ポルドレフが床に倒れたヤバルに手を伸ばす。


「大丈夫か。すまん。反射的にやってしまった」


 腕を拘束具で縛られているヤバルを気遣って、身体を起こしてあげた。


「ああ、大丈夫だ。裏切り者のわりにはサービスがいいじゃねえか。懐柔なら割高で頼むぜ」「ジューダス様がお呼びだ。マリアの拘束に協力して欲しい」


 ヤバルの皮肉を無視したポルドレフの言葉は、今最もヤバルが受け入れがたいものだった。

 例え敵味方の立場があるにせよマリアの無茶すぎる行動を止める方が最優先だと頭では理解できても、感情が邪魔をする。罵声の一つでもぶつけなければ気が済まなかった。


「あ? 頭沸いてんのかクソ野郎。お前たちが何をしたのかもう忘れたのか。どいつもこいつもイサク様イサク様、気持ち悪い宗教みたいで気が狂ってんのかと思っていたけど。どうやら正常の戻り方も間違えたみたいだな。どっかに正気の欠片でも落としてねえか」


 唾でも吐きかけるような、相手を侮辱する言葉を吐いた。

 しかし、それらの言葉を真っ正面から受けてもポルドレフの顔に怒りは浮かばなかった。

 ポルドレフの言葉は、ヤバルには意外だった。


「すまない!」


 自らの意思を伝えるため、ポルドレフはヤバルの目を真っ直ぐに見つめる。ポルドレフの瞳は誠意が宿っていた。


「お前が嫌な気持ちもわかる。恨む気持ちも十分だ。だが、ここはどうか。どうか引き受けてくれないか。頼む!」


 まるで、今生の頼みだと言わんばかりだ。

 ポルドレフの表情はくしゃりと歪み、目は潤んでいて今にも泣きそうだった。

 ジューダスがポルドレフにヤバルを連れてくるように頼んだ意図が、ヤバルにも見えてくる。これに気づけないほど、ヤバルは鈍感ではなかった。

 そして、ポルドレフが言葉の裏に伝える、真意。悪人になりきれない男が隠すことは、たかが知れている。マリアのため。

 裏切り自体はどうあれ、ポルドレフはマリアのためにヤバルに頼んでいた。

 それでも、ヤバルは簡単には割り切れなかった。イサクがどれほどマリアを大切にして、救おうとしていたのか目の当たりにしていたからだ。


「どうせ俺がいなくてもどうとでもなるだろ。なんせあのジューダス様のアイオーンは未来視の能力を持っているんだから。平民の俺ごときに頼らずてめえらでお姫様のご機嫌を取ってろよ。はっ、ケツを振る相手が多いと大変そうだなあおい」

「いくら蔑んでもいい。いくらでも罵声を貰おう。だから、だからどうか、お前の力を貸して欲しい! このままでは兵の命とマリアの命を天秤に掛けねばならんのだ。ジューダス様は兵を取るだろう。多くを救うために。マリアの命を奪いたくない。彼女はイサク様が最後まで守ろうとした子だからだ……!」


 男泣きだ。

 軍人のがっしりした頬に一筋の涙が流れた。


「だったら! だったらなんでイサクを裏切ったんだよ。あいつが嬢ちゃんを守ろうとしていたのはお前らが一番わかっていたことだろ!」

「わかっているからこそ、今お前に頼んでいるのだッ! あの方の意志を、無駄にはできんのだ!」


 ヤバルの表情にまで浮き上がっていた怒りの感情が、徐々に冷めていく。見開かれた目で、泣いている男を見つめた。


「どういう意味だ……ポルドレフのおっさん、まさか」


 続く言葉は、外からの騒ぎが遮った。

 ジューダスの矢を放つ号令と、兵士たちが駆ける音。

 今まさに、マリアひとりと、百人近くに及ぶ部隊との衝突が始まってしまった。


「あー! いい加減にしろよ! どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ。面倒事ばっかりもってきやがって。俺はそもそもこの国に来たのは、こんなことではしゃぐためじゃないんだぞ。平民に頼むとか馬鹿の極みだろ!」


 聞きたいことは胸にしまい。

 言いたいことを吐き出して。

 ヤバルは深く深く、肺を空にするほどのため息をついた。そして、ポルドレフを見つめ直す。


「協力してやる。だからさっさとこの拘束を解いて、ジューダスのところまで案内してくれ」

「すまない。ありがとう。すまない。ありがとう」

「謝るか礼を言うかどっちかにしてくれ」


 ヤバルは拘束具が外されるのを待った。視線は馬車のドアの向こうを見ている。他の馬車やテントが邪魔して、騒ぎの中心までは見ることができないが、音は届いていた。

 徐々に激しくなっているのが、ヤバルでもわかるほどだった。

 ヤバルの顔にすでに怒りはない。表情は引き締まり、ただ音のする方だけを見つめている。


「やれやれ。ほんと馬鹿ばっかりだ」


 呆れと、強い意志が少年の瞳に宿る。



 ヤバルがポルドレフの馬の後席に乗って案内されたのは、マリアを真正面から迎え撃つ部隊の後衛だった。後衛は五人二列の隊形で、前後入れ替わりで一定の間隔を置いてから交互に矢を放っている。

 ヤバルは後衛のさらに後ろに連れて来られた。ジューダスの姿は、前衛と後衛の中間あたりからやや横にずれた位置にあった。未来視の能力を持つアイオーンをすでに現出していて、全体の指揮を執っている。

 馬から下りると、さも面白くなさそうな顔で言った。


「さすが。御姫様のお目覚めにしては使用人が多すぎないか。あいつもしかして王族か何かか」

「マリアを殺さずに取り押さえるためだ。そもそも、彼女には手加減が命取りになる」

「へえ」


 ポルドレフも馬から下りて言った言葉を、ヤバルは短い言葉を返すのみで、それ以上の軽口を言わなかった。彼の視線は、ジューダス率いる兵士と対峙する、マリアが出しているアイオーンに向けられていた。

 朱色の包まれた人ひとり分の大きさのある物体。

 マリアを滅びの魔女と恐れさせるようにした、元凶。

 ソレは今マリアの守るため、朱色の布でいくつもの大きな盾を展開していた。降り注ぐ矢を鋼のごとき強度で弾いている。

 すでにマリアとジューダス率いる国衛軍の衝突は始まっていた。

 全体の指揮はジューダスが執っているが、分部隊の細かいところは分隊長たちが行っている。ジューダスが自ら直接命じているのは、自身の近くで陣を取り、弓矢を構えている後衛の八分隊のみだ。

 前衛率いる七分隊長が大まかな指揮と合図を各分部隊へ出し、後衛がそのサポートに回る形だ。

 騎馬隊が矢を防ぐため盾で全体を覆って動かなくなったマリアへ、槍を持って突進する。一撃離脱。ほとんど同じ箇所を突いてからすぐにその場から駆けて離れていた。

 朱色の布で作られた盾は強固で、馬の突進力が加わった槍でも貫けないどころか、びくともしていない。

 盾で全体を守った状態で視界が遮られているマリアが、盾の一部を剣に形を変えた。まだ攻撃が続くであろうそこへ反撃をするが、すでに騎馬隊は距離を取った後だ。

 マリアが視認のため盾の隙間から外を窺う。その隙を、国衛軍の前衛七分隊が攻めた。

 さきほどまで騎馬隊が攻撃を仕掛けていた方角を向いているマリアの側面。そこを目指して、駆け出した。

 七分隊副分隊長が地面の砂を掬い上げて眼前へ振り上げて、自らのアイオーンで切り裂いた。砂をたちまちこぶし大の岩に変わってマリアへ飛んだ。

 連続した変化のある攻撃に振り回されていたマリア。

 一瞬だが、挙動が固まってしまったため、反応に遅れてしまう。岩の飛んでくる方角を盾で覆い、一部を剣の形にして応戦する構えが精一杯だ。

 剣の斬り合いが始まる。とても短い時間だ。少しでもマリアの体勢が整いそうになったら、七分隊隊長が指示を出して他の兵士と自らも含めてマリアから距離を取る。

 そして、その兵たちが引いた間を埋めるのが、ジューダスの指示の下で放たれた矢だ。未来視能力のアイオーンで先読みし、絶妙なタイミングで矢を放たせていた。

 マリアは守る事しかできない。盾で全体を覆うしかできなかった。

 その間に今度は別の方角から距離を縮めていた分部隊が攻める。マリアも応戦するが、引き気味になっている。そして、またジューダスの未来視で矢が放たれて、マリアは前進も後退も邪魔された。

 完全に、圧倒した、一方的すぎる戦いだった。否、もはや虐めかそれ以上の酷さだ。戦いですらないのかもしれない。

 滅びの魔女と恐れられても彼女は、たったひとりの少女だ。

 どんなに人の恐怖が彼女を畏怖の象徴にしても、彼女はただの少女でしかなかった。

 少女は涙を流しながら、必死に恐怖と戦いながら、軍人たちと対峙している。軍人たちの攻撃に怯える表情を隠すことすらできていない姿は、ただの子どもでしかなかった。

 その子どもは、逃げることも許されない状況で決して許しを請わず、なおも抗おうとしている。子どもには過ぎた勇ましさを必死に手放さないようにしていた。

 マリアが何かを叫んでいる。

 しかし、騒音にかき消されて、ヤバルの位置からでは聞き取れない。泣き叫ぶ少女の声は、大人たちの力が封殺していた。

 ヤバルの表情に嫌悪感が浮かぶ。弱いものいじめは彼の性分から、虫ずが走るほど嫌いな類いだった。


「どんだけ溺愛してんだよお前ら。愛情の込めすぎも教育にはよろしくないんじゃないのか」

「マリアを弱らせることが先決だ。マリアは優しい子だ。アイオーンの能力を、私たちを思って使えないでいる。なら、そこを突かせてもらう。説得を聞かないのだから、それしかない」

「十二分に使っているじゃないか。こっち優勢だろ」

「あれは真の能力では無い。マリアはむしろ、暴走を恐れている。かつて、自らの故郷を焼き払った恐怖を覚えているからだ。彼女のアイオーンは、おそらくだが、彼女の意思とは別に何かを宿している。数こそ少ないが、例のないことでもない。まだ、マリアのアイオーンは目覚めていない」

「あの、朱い布か」


 人の大きさの何かを包む朱色の布。自在に伸びて盾や剣、あるいは巨大な腕に変化している。展開に限界でもあるのか、形作る数や大きさに応じて、中心である包まれている何かの姿が露わになっている。

 ヤバルに本能的な恐怖を覚えさせた白磁の顔が、あのときよりもさらに顔を覗かせていた。

 マリアはそれを恐れるように朱色の布を戻すときがある。その動作自体が大きな隙を生んでいるのだ。マリアの表情から余裕が完全になくなっていた。内と外の恐怖にさらされているからだ。

 いつ絶叫を上げて正気を失っても、誰も驚くことはないだろう。


「マリアは強い子だ。そして、優しい。だからこそ我らは、それに応えねばならない。マリアをここで止める。ここから先には行かせない。ジューダス様はそのために、最善を尽くしている」


 ふと、ポルドレフの言葉を気にしたヤバルが、後ろを振り返った。誰かの視線を感じたからだ。ヤバルは冷たく目を細める。

 ヤバルが見やった先には、高く聳える岩山に左右両側を挟まれて構える港町プロピナの、ワヒシュタ内陸とを分断している高い塀があった。

 ヤバルには一度見たことがある光景だった。

 まだ記憶喪失だったとき、近くの海岸でマリアに助けられた後、ここでなら身元がわかるかもしれないとプロピナまで連れて来られたときに見ていた。

 つまり、現在地は港町プロピナの外、ワヒシュタ内陸側だ。ぽつりぽつりと林があり、遠く離れたところに山がある、高低の少ないなだらかな平原にいた。

 ヤバルたちは気絶している間にプロピナの外まで連れ出されていたのだ。

 港町プロピナの塀の方を見ているヤバルは、他のものも視界に捉えていた。

 高い塀の上ではプロピナの領主、モート・ギリティナ伯爵の旗がはためく。その力の象徴に劣らない屈強な兵士たちが、弓を構えていた。

 旗と同じ紋章のついた鎧や服を着る者たちは、モート・ギリティナ伯爵の兵士たちだ。彼らは塀の上だけでなく、その前の平原でも陣形を作っていた。規模は二千程度。もしジューダスの軍がマリアに負けた場合、マリアは二千もの兵士たちと衝突することになる。

 あるいはマリアの力が本当に恐れられているとおりのものであるのなら、プロピナの兵士をも彼らが守る町ごと焼き払うだろう。

 しかし、それを良しとしない者たちがいた。

 仮にもマリアの戦力がプロピナの兵士を圧倒するものでも、その未来を望まない者たちがマリアを止めようとしていた。


「そういうことかよ……」

「あの子は、ただの子どもなのだ。決して滅びの魔女ではない」

「俺もただの子どもだろ。大人のあんたたちで何とかしてくれないか」

「大人でやれることと子どもでやれることも違いはある。お前が子どもならちょうど良い」

「チッ。まあまあ返せるようになってきたな」

「褒め言葉として貰っておこう」


 改めて、ヤバルはマリアの方へ向き直った。ポルドレフと並んで、少女の必死な抗いを見つめる。

 まだマリアの戦いは続いていた。マリアが徐々に後退させられているのがヤバルの目からでも明らかにわかるほどだった。

 それでもなお、マリアは前へ進もうとしていた。

 ヤバルは知らず、無いはずの左手に力を込めようと腕の筋肉が緊張させていた。拳を握りしめたかったのだ。目の前の少女の悔しさが伝わってくるようで、耐えかねていた。

 後衛の指揮を執るジューダスのところへ、騎馬に乗った軍人が一人近づいた。彼は馬をジューダスに渡して、替わって七分隊の指揮を執る。

 馬に乗ったジューダスが、ヤバルのところまで駆けてきた。ポルドレフが敬礼で応える。略式でジューダスは応じて、少年を見下ろすと単刀直入に聞いた。


「準備はいいか」

「貴族様が平民に頼るとは世も末だね」


 皮肉の込められたヤバルの言葉を、ジューダスは淡々と受け止めた。


「血筋の能力云々は否定しないが、身分で個人の能力を定めてしまうのは愚者の思考だ。ましてや無能力など存在しない。チェスはポーンからキングまで揃って初めてゲームが成立する。クイーンだけですべてを解決できるほど単純では無い。ならば、盤上外のこの世界はそれ以上だということだ」

「生憎貴族様のゲームはやったことねえんだよ。使えるものは使ってこその最善ってことだろ」

「そういうことだ。乗れ」


 貴族が、親無し家無しの平民の底辺に手を差し伸べた。

 ヤバルは鐙に足をかけて、ジューダスの手を掴んだ。ジューダスが力強く引くのに合わせて、自らも足に力を入れて、もう片方の足で地面を蹴る。やや跳ぶように馬の背に乗った。


「乗馬の経験があるのか」

「それポルドレフのおっさんにも聞かれたけどよ。盗人は手数の多さが武器だよ」

「なるほど。勉強になった」


 くつくつと嫌みのない笑いがヤバルから漏れる。

 ジューダスは肩越しにヤバルを見た。


「どうした?」

「いや。あんた、ちょいちょいイサクに似てるところがあるって思っただけだよ」

「……やめてくれ。私はあの方にはなれない」


 マリアのいる方、正面に向き直るジューダス。

 それはまるで、苦しそうで逃げているようでもあった。


「別にいいだろ。あんたはイサクになれないのは当たり前なんだから。似てるって事は、それだけあんたがあいつを慕っているってことだろ」

「……今の会話は忘れておく。ヤバル、お前も、もうあの方のことを口にするな」

「へーい。んじゃ、あの嬢ちゃんのご機嫌を取る段取りを教えてくれ。分かり易く頼むぜ。なんせ俺は馬鹿だからな」


 ジューダスから初めて笑いが漏れる。


「ふっ。それならば大丈夫だ。なぜならお前の特性を生かした、実に単純で明快な方法だからだ。盗人と自称するその力を私たちに貸してくれ」

はいっ!

初めましての方は、初めまして。

お久しぶりの方は、お久しぶりです!


今回は早めの更新となりましたね。いえーい。

執筆捗ったのでテンション高めですっ。


というわけで、五章〈未来の裏〉後でした。

ここから先書くことは読んで下さったという前提で書いていくので、読んでない人はページトップへどうぞ。



なんだか仲良し共闘みたいな流れになっていますが、これは互いに認めるところができただけで、友人にはほど遠い関係であります。ヤバルもまだジューダスを許したわけではありませんので。

さて、このまま面白くいければいいんですけどね。作者側ですが不安ですっ。


以前書いたと思いますが、まだまだ折り返し地点です。

まだまだ続きます。

どうも当初予定していたものより長くなりそうで、他に書きたいものもあるので、ちょっと焦りもある今日この頃ですが。投げ出さず書いていくので、お付き合い下さい。というか付き合って下さいっ。

やはり読者の方々がいると活力になります! 張り切ります! 元気が出ます!



ではでは。またの更新のときに。

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