公爵令嬢は婚約を破棄する
辺境では魔物が跋扈する。それを抑えるのが、辺境伯の日常的な仕事だった。そして、その日は十歳になったジェイドの初陣。
『焦りは禁物だ。慎重にことをはこべ』
との父カムイ・グレンシア辺境伯のいうとおり、ジェイドは自分の魔力の高さに慢心することなく、魔物退治を着々とこなしていた。しかし、その日は運が悪く魔物たちは数が増える一方だった。兵士たちにも疲労が見える。昼夜を問わず、襲ってくるのだから仕方がなかった。最前線に躍り出ていたジェイドの疲労もかなりたまっていて、一度撤退するよう父からの命令に従い、しんがりを務めたが、うまくいかない。焦ったジェイドが持てる魔力をすべて注ぎ込み、一撃を放つ。しかし、魔物の勢いは到底止まるものではなかった。
そこへ、どこから現れたのか突然、小さな女の子が姿を現した。
『もう、大丈夫なの。今からみんなに魔力わけてあげるね』
にっこりと笑った女の子は、両手を広げていくよと言った。
ジェイドは見る見るうちに魔力を取り戻し、周りの兵たちも何かしら感じていた。そして、撤退から反撃へと移り、魔物を見事撃退したのであった。
『お前は誰だ』
『フェリシア』
『どうやってここへ来たんだ』
『うっとね、アイラがここに運んだの。お友達があぶないから助けてほしいって』
『アイラ?』
『うん、精霊だよ。お兄ちゃんの精霊さんとお友達なの』
そんな会話をしたあと、少女はすぐさま姿を消した。
『あの子はいったいなにものだ。シビル』
ジェイドは精霊に尋ねる。
『奇跡の子だよ。アイラは強すぎる魔力を抑えるためにあの子についている』
『奇跡の子か。それはすごいな』
奇跡の子とは、百年に一人生まれるか生まれないかという、強大な魔力を持つ子供のことだ。だが、力が強すぎて国を亡ぼすともいわれている。
その後もフェリシアは時々辺境へやってきては、ジェイドたちの手助けをしていた。だが、十年して王立魔法学校に通うことが決定して、三年はここへこれなくなると嘆く。
「私、魔法学校なんていかなくても平気なのに……」
「貴族の決まり事だ。しかたないだろう」
それはそうだけどとフェリシアは不満げだ。フェリシアはフローラル公爵令嬢なのである。娘に甘い両親が、辺境伯の手伝いをしたがる娘のために辺境伯とジェイド以外には身分を伏せることで、その願いを聞き入れたという経緯がある。
「お兄ちゃんたちと戦ってるほうが楽しいのになぁ」
ジェイドは苦笑する。
「それにね、婚約者が気に入らないの。贈り物ばっかりで遊んでくれないんだもん」
「お前な、仮にも国の第二王子だぞ。そんなこと言ったら不敬罪で処罰されるからここだけにしとけよ」
むうっとフェリシアは膨れる。
ジェイドはなだめるようにフェリシアの頭を撫でる。
「どうせなら、お兄ちゃんと結婚したい。そしたら毎日楽しいのに」
ジェイドは苦笑しながら言った。
「そうだな、もし婚約破棄とかそんなことがあれば、考えておいてやろう」
「ほんとに?約束してくれる?」
「ああ、するする。だから、機嫌直してちゃんと勉強するんだぞ。いいな」
「はーい、わかりました」
ジェイドはどうせそんなことにはならないと知っている。よほどのことがなければ、政略結婚は成立するのだから。
十五になった貴族は王立魔法学院に入学するのを義務付けられている。魔法学院には貴族だけでなく魔力の高い平民の子供たちも通う。その子供たちは、将来魔法士や治療師、官吏として活躍することを期待されているのだった。もちろん、その数は少ないし、貴族であっても魔力の低いものもいる。だから、貴族の権力をかさに振る舞うことも、力の強さにおごることもさせないための教育を徹底することも学院の方針ではあった。
フェリシアはジェイドとの約束を全うするように勉学に励んだ。そんな姿に周りはみんな第二王子のために一生懸命なのだと思っていた。なぜなら、入学式のとき第二王子であるアルバート・クーデリアが彼女をエスコートしたからだ。正直、目立ちたくなかったフェリシアは心の中でため息をついた。金髪碧眼で眉目秀麗な一つ年上の王子様はとっても目立つのだ。どこにでもいるような赤毛で目立つ特徴といえば紫の瞳ぐらいのフェリシアが彼の婚約者であることを貴族は知っているが、平民は知らない。だから、入学して一か月は遠巻きにされてしまった。フェリシアは別にそれでもいいと思った。休み時間は図書館で魔物や魔術などの本を読み漁れるからだった。
なのに……
「学院には慣れたか、フェリシア」
昼休みの食堂でいつもアルバートに捕まる。
「ええ、それなりに」
フェリシアはこれさえなければ楽しんでますよとは言えない。
「相変わらず、おとなしいね。フェリシア嬢」
王子のとなりでクスクス笑うのは、宰相の息子であるタリス・アルフィード。銀髪にアイスブルーの瞳が美しい美形である。その隣には、これまた美形の内務大臣の息子ウォレス・ツイード。栗毛に優し気な茶色の瞳がにこやかにフェリシアを見ている。
「そういえば、もうすぐ試験が始まるね。勉強で困ってることがあれば相談に乗るよ」
「ウォレス、そういうことは殿下の仕事でしょう」
「ああ、そうだった」
タリスとウォレスはクスクスと笑った。
フェリシアには何が楽しいのかさっぱりわからないが、アルバートも勉強でわからないところはいつでも相談に乗ると言い出す。
「大丈夫です。先生方の教え方が上手なので」
フェリシアは今以上に彼らと接触したくなかった。周りから、痛い視線がたくさん飛んできているのをひしひしと感じるからである。実をいうと、タリスやウォレスの婚約者から軽く釘を刺されているというか、刺され続けている。お昼に男性を侍らすなんて品のないとか、贈り物と称してカエルの詰め込まれた箱をおくられたりとか……。そのほかの令嬢たちからも、たわいのない嫌がらせはされていた。
「あの、私そろそろ図書館にいきたいのでこれで失礼してよろしいでしょうか?」
「フェリシアは本当に図書館が好きだな。いいよ。じゃあ、また明日」
アルバートは苦笑しながらそういうのだが、フェリシアはそそくさと食堂をあとにした。
「なかなか心を開いてくれないな」
アルバートはぽつりとつぶやく。
「焦っても仕方ないよ」
とウォレスが慰める。
「そうそう、心配しなくても卒業後には結婚なんだから。それに単に照れてるだけだと思いますよ」
「そうか、そうだな。タリスの言う通りだな。昔からフェリシアは大人しい子だったから」
まさかそんな勘違いをされていることなど、フェリシアは知りもしなかった。
フェリシアが図書館に入ると、マリエッタがいつもの窓際の席で小さく手を振った。マリエッタは平民だが、フェリシアの唯一の友達である。二人の出会いはやはり図書館で偶然同じ書物に手を伸ばしたときだった。フェリシアに気が付いてすぐに本を譲ろうとしたマリエッタに対して、フェリシアは一緒に読むことを提案した。それは魔術のコントロール方法についての本で、そこで意気投合する。
「フェリシアったら、顔がこわばってるよ」
マリエッタがクスクスと笑う。フェリシアは優しいマリエッタの笑顔に癒されながら、頬をぷにぷにほぐし、隣の席に座る。
「もう、ほんとにどうにかしてほしい。本当ならお昼はマリエッタと食べたいのに」
「そういってくれてうれしいけど、仕方ないよ。食堂は高いんだもの」
「私もお弁当にしてもらおうかなぁ」
「そんなことしていいの?」
「たまにならいいと思うの。そうすれば、あのキラキラ集団から離れてのびのびできるし」
「フェリシアったら、贅沢ね」
「そうかしら、人の顔色伺いながら食事するなんて味気なくてつまらないわ。それより、今日は何をよんでいるの?」
「えっとね、治療師になるための試験についての本だよ」
「え?もうそんなの読んでるの?まだ、二年も先だよ」
「うん、でも少しでも早く勉強し始めたほうが、慌てなくていいじゃない?」
「それは、そうだけど。というか、マリエッタの回復魔法はリオ先生の折り紙付きだから、試験はちゃんとパスすると思うけどな」
「駄目よ。ちゃんとした知識の上で魔法は使わないと、特に命にかかわる仕事だもの」
「マリエッタのそういうところ、尊敬しちゃう」
「そういうフェリシアだって、あらゆる魔法の実践訓練は一番じゃない。そのうえ、魔力を精霊たちにわけてあげてるのに、平然としてるし。リリンもフェリシアの魔力が大好きだって言ってたよ」
「でも、リリンが一番好きなのはマリエッタだよ。精霊は大好きな人のそばにしかいないからね。どんなに魔力が強くても上級の精霊が付くとは限らないわ」
「ありがとう。そういわれるとなんだか誇らしくなっちゃう」
マリエッタは花が咲くように可憐な笑顔を見せてくれた。
フェリシアもにっこりと笑った。
早速、フェリシアはお弁当の日を作ることにした。それを聞いたアルバートはあまりいい顔をしなかったが、大事な友達との時間もほしいというと、納得してくれた。それから、食堂を使う日がだんだんと減っていき、マリエッタと過ごす時間が増えていった。
そんなある日、タリスとウォレスの婚約者から放課後の呼び出しを受けて中庭にやってきた。今度は何をいわれるのだろうと身構えたフェリスに二人は泣きそうな顔でいままでのことを謝った。
「いえ、気にしてませんから、どうぞお顔をあげてくださいませ。シリア様、ベネット様」
「許していただけるのですか?」
シリアもベネットも目を潤ませてそういうので、フェリシアはこくこくと頷く。
「でしたら、今まで通り殿下たちとお昼をとってくださいまし」
フェリシアはぽかんとする。そういえば、最近食堂に行っていない。アルバートも無理に誘うことはなくなった。それなのに、なぜ、そんなことを言うのだろうと首をかしげているとベネットが言った。
「最近、殿下たちはリリス・ランスフェルド男爵令嬢と懇意にされているのです」
「そうなんです。べたべたとひっついて目も当てられません」
「婚約者であるあなた様がないがしろにされているのは我慢なりませんわ」
シリアは力説するが、意地悪してた人間にそんなことを言われても、何の感銘うけないフェリシアだった。
「そういわれましても……殿下には殿下の気持ちというものがありますから」
フェリシアは婚約者だからといって、大きな顔をするつもりはない。アルバートが誰と仲良くしようとそれはアルバートが決めればいいことだと思っていた。
「フェリシア様は悔しくないのですか?」
「別に……親の決めたことなので、私自身はなんとも言いようがありません」
二人はあきれた様な顔をして、ふっとため息をつくとわかりましたと言って去って行った。
なんだったのかと思いながら、中庭を後にすると丁度噂の四人に出くわした。
「やあ、フェリシア。久しぶりだな」
アルバートはいつものように笑いかける。その隣には、びっくりするぐらい美人の少女が立っていてにこりと笑う。
「ああ、こちらはリリス・ランスフェルド男爵令嬢だ。リリス、婚約者のフェリス・フローラル公爵令嬢だ。仲良くしてやってくれ」
「お初にお目にかかります。フェリス様」
「こちらこそ、お初にお目にかかりますリリス様」
「これから、みんなでお茶をするのだが、フェリスも来ないか?」
「いえ、迎えを待たせているので、今日は……」
「そうか、それならしかたがないな。また、近いうちにみんなで昼食をとろう」
「はい、殿下。それでは失礼いたします」
フェリシアはあっさりその場を去った。
「リリスの美しさに驚いていたな」
アルバートはクスクスと笑う。
「まあ、殿下ったらそんな意地悪なことおっしゃてよろしいのですか?仮にも婚約者さまでしょう」
「正直、子供っぽくてときどき困るのだ。リリスが私の婚約者だったらよかったのにと最近は思うよ」
「まあ、うれしいこと」
リリスはにこりと笑った。
フェリシアは、迎えの馬車の中で不意にジェイドに会いたくなった。もし、ジェイドの隣にリリスのような非の打ちどころのない美人が立っていたらと思うと、なんだかもやもやする。
「そういえば、お兄ちゃんの婚約者ってどんな人だろう」
『ジェイド様はまだ婚約してないわよ』
アイラがそういうと、なんだかフェリシアはほっとする。
『なんなら、今からでも会いに行く?』
そういわれて、フェリシアは首を横に振った。
「勉強頑張るっていったんだし……それに婚約破棄されてないもの。まあ、そんな約束冗談だと思うけどね」
フェリシアはなぜか自分の言葉に胸の痛みを覚えながら、ふっとため息を吐いた。
「それより、今日はお祈りの日だからちゃんといかないとね。魔力が暴走してもこまるしね」
『そうね』
アイラはそれ以上何も言わなかった。
そして、馬車は大聖堂に入っていった。
「遅くなって申し訳ありません。ロード司教」
「いえいえ、気にせずに。来ていただけるだけでありがたいのですから」
三十代の若い司教は、優しく微笑む。
「では、いつものようにお願いします。シスターミリア。頼みましたよ」
「はい、司教様。さあ、まいりましょう。フェリシア様」
フェリシアはいつものようにミリアに聖堂の奥へを案内される。沐浴をして、純白のシスター服に着替えると、祈りの間へと入った。普段は聖職者しか入れない聖域であるが、フェリシアは特別に許されている。それは、奇跡の子だからだった。フェリシアがここで祈りを捧げると、精霊たちは元気になり活発に自分たちの役目を果たすとアイラに言われている。奇跡の子は力が暴走してしまうと忌子にもなりかねない危険人物だが、こうして精霊の安寧を祈ることで国に貢献しているため、国王も両親も安心していた。
祈りの間には大きな鏡がある。フェリシアは鏡の前に膝をついて、胸の前で腕を組む。
「精霊の安寧を祈り、私の魔力を捧げます」
そういうと体から青白い光が漏れ出し、鏡へを吸い込まれていく。鏡は各地の教会とつながっていて、フェリシアの魔力を国中にいきわたらせた。
ジェイドは日々、魔物退治に明け暮れていた。その日も砦にいた。そしてシビルが気持ちよさそうに身を震わせている。それで今、フェリシアが祈りを捧げているのだと感じた。たまった疲労感も薄れていく。
「相変わらず、あいつはすごいな」
ジェイドはフェリシアの笑顔を思い出しながら、切ないため息を吐いた。あの笑顔は、今誰に向けられているのだろう。会えない時間がフェリシアへの思いに気づかせるが、ジェイドはそれに蓋をして、自分の仕事を全うしていた。
フェリシアの初めての筆記試験は、百三十人中の十位だった。マリエッタは三位。掲示板には十位までが張り出されている。そこには大半が、平民での子たちで占められていた。やはり、貴族の子息令嬢たちは、あまり勉強したがらないらしい。
「マリエッタのおかげで十位にはいれたよ。ありがとう」
「ううん、一緒に勉強できて楽しかったから、これからもよろしくね」
フェリシアはうんと頷く。
そこへアルバートたちが現れた。アルバートは特に話しかけてくることもなく、自分たちの成績を見ていた。掲示板の前で眉をしかめている。
「アルバートさま、そんなに落ち込まないで。きっと、平民は必死なんですのよ」
「それもそうだな。だが、リリス、君のために必ず一位を取り戻してみせるよ」
「まあ、うれしい」
四人が掲示板の前から去って行くと、憐れむような視線がフェリシアに注がれていた。マリエッタも心配そうに見つめてくるが、フェリシアは何とも感じていなかった。むしろ、心のどこかで重荷が外れた様な軽い気分だった。
それから、二週間の試験休みに入り、フェリシアは両親に辺境伯のところへ行きたいと願い出た。
「せっかくのお休みなのに。フェルったら困った子ね」
「だって、お兄ちゃんに直接、成績のことはなしたいんだもん」
「だが、殿下のほうは良いのか。何か約束などしていないのか?」
「何にもないですよ。というか、最近はずっと口もきいてません」
娘の爆弾発言に両親は驚く。もともとフェリシアはアルバートに興味がない様子だったのは知っている。だが、アルバートの方は少なからずフェリシアに淡い思いを抱いていると思っていた。
「それは、どういうことなのだ。フェル」
「えっと、リリス・ランスフェルド男爵令嬢といつもご一緒なのです。とても仲よさそうで、私もうれしいです」
「いや、そこは怒るところだぞ、フェル」
「え?何でですか?お友達は多いほうが楽しいんだと思いますが?」
斜め上を行く娘の答えにバルトロフ・フローラル公爵は頭痛がした。だが、母親のマリーネは苦笑しながら小声でささやく。
「フェルは活発な子ですからしかたがないのですわ」
「だが、婚約している以上は……」
「ほかの子に夢中であるのなら、こちらから婚約破棄をお願いしても差し支えないでしょう」
「しかし、そう簡単にはいくまい」
フェリシアは首を傾げる。こちらから、婚約破棄など恐れ多いことである。
「お父様もお母さまも何を心配していらっしゃるの?」
「いや、なんでもない。辺境伯のところへは明日一日だけ行くことを許そう」
「一日だけですか?」
フェリシアはしょんぼりする。
「いいかい、お前の立場上、辺境伯にもご迷惑がかかるようなことはできないのだよ」
フェリシアはむうっと膨れる。
「フェル、お願いだからお父様を困らせないであげて」
マリーネは苦笑しながら、フェリシアの頭を撫でた。
結局、明日一日辺境伯のところへ出向く旨の手紙をアイラに渡して送ってもらうとすぐに歓迎すると返事が来たので、フェリシアはそれでよしとした。翌日、ライアとともに転移魔法で、辺境伯家のエントランスに立つと、待っていたかのようにジェイドが出迎えてくれた。フェリシアはうれしさのあまり、お兄ちゃんと言ってジェイドに飛びつく。ジェイドは苦笑しながらも、難なく受け止めて元気そうだなと言った。
「元気すぎるぐらい元気よ。あ、そうだ。見てみて、試験の成績表」
フェリシアは、満面の笑みでジェイドの成績表を見せた。
「すごいな。筆記で十位、実技で一位か。あ、ダンスは二十位だな」
「そこは、目をつぶってよ。まだ、うまく踊れないんだもん」
「そっか、俺もダンスは苦手だったな」
「そうなの?」
「ああ、だいぶ特訓して合格点はもらったがな」
「ダンスは魔物より強敵なのよね」
フェリシアが真面目な顔でそんなことをいうので、ジェイドは吹き出してしまった。
「なによ。そんなに笑わなくてもいいじゃない」
フェリシアはむうっと膨れる。ジェイドはクスクスと笑いながら、悪かったという。
「がんばったご褒美だ。街へ行って何か買おう」
「え、ほんと。やったー」
フェリシアは大喜びでジェイドの腕をとった。二人は馬車で街へ行き、近況を話しながら街を歩いた。
「それで、ご褒美は何が欲しい?」
「うーん、何がいいかなぁ」
そう言って露店を眺めていると、黒いバラの髪飾りを見つけた。
「これがいいかな?」
「こんな地味なのでいいのか?」
「だって、お兄ちゃんの髪の色と同じだもの。それにバラなのもいいなと思ったんだけど。駄目?」
ジェイドはどきっと心臓が跳ねるのを自覚した。
「よし、じゃあこれを貰おう」
そういってジェイドはお金を払うと、その場で髪飾りをつけてやった。
「似合う?」
「ああ、よく似合う」
フェリシアの赤い髪に光沢のある黒いバラが咲き誇った。ほかにも、普段使いのペンなどを買ってもらい、楽しい一日はあっという間にすぎてしまった。
「次の試験休みは秋だから、そのときは魔物狩りに連れて行ってね」
「それはちょっと約束できないな」
「えーなんで。みんなにも会いたいのに……」
「お忍びで来てるんだから、怪我しら大変だろう」
「怪我なんかしないもん」
「とにかく、魔物狩りは駄目だ。まあ、みんなに会う機会はつくってやるから我慢しろよ」
フェリシアは、うんと頷いて笑った。それから、転移の術で帰って行った。
ジェイドはため息を吐く。
もう来てはいけないと言えない自分のふがいなさに落ち込んでいた。
フェリシアは休みの間ずっと黒薔薇の髪飾りをつけていた。どんな高価な贈り物よりもジェイドにもらった髪飾りは特別なモノに思えた。街歩きもとても楽しくて、何度も思い出してはふふっと笑みがこぼれるがまた数か月会えないのかと思うと胸が苦しくなった。
「ねぇ、アイラ。私何か病気なのかしら」
『いいえ、あなたは健康そのものよ』
「でもね、お兄ちゃんのことを考えると胸がぎゅって苦しくなるの」
『それは……』
アイラは言いよどむ。もし、フェリシアが恋をしていると気が付いたら、自分が婚約していることに悩まされるだろう。だから、わからないわとアイラは答えた。
フェリシアはそっかと素直に聞き入れた。
新学期が始まり、また、勉強に追われる日々だったが、ジェイドに買ってもらったペンのおかげか、勉強ははかどった。定期的なお祈りも欠かさずつづける。マリエッタとのたわいのない会話は楽しい。だが、フェリシアは、日に日に、周りの目が冷たくなっていくのを感じていた。
(私、何かしたかしら)
心当たりはない。遠巻きにちらちらとみられることには慣れている。それでも、なんともいえない居心地の悪さにマリエッタに尋ねてみた。マリエッタも困った顔になる。
「実はね、変な噂が流れてるの」
「変な噂?」
「フェリシアが街に男を囲ってるっていうの。でもどう考えてもあり得ない話でしょ。私たちまだ十五歳なのよ」
「わぁ、わたし悪女になってたのかぁ」
「なってたのかぁじゃないわよ。何人かその辺どうなのって聞いてきたから、大聖堂に通ってるって答えておいたんだけどね。噂の出所がね」
マリエッタは眉間にしわを寄せていいあぐねる。
「出所?いったい誰?」
「確証はないんだけど、リリス様の周りらしいの」
「まさか、あんな美人がそんな胡散臭い噂なんて流さないと思うけど」
「そういうと思った。平民の子たちは噂なんかより勉強で手いっぱいだけど、貴族の方々は何か良くないみたいよ。フェリシア、何かされないように気を付けてね」
マリエッタが真剣に言うので、大丈夫よとフェリシアは笑った。
「噂なら、すぐに消えるわ」
「だといいけどね」
「マリエッタこそ、迷惑じゃない?」
「何いってるのよ。迷惑なんて何にもないわよ。こっちが心配してるのに、フェリシアったら」
マリエッタはフェリシアをぎゅっと抱きしめた。
それから、数日後だった。噂の内容は、リリスがよくけがをするようになったというものだった。特に、魔法の訓練中にそれは起こるらしい。それから、アルバートたちと顔を合わせるたびに、彼らの表情が険しくなっていくのが分かった。だが、理由まではフェリシアもわからなかった。ただ、アルバートたちについていた精霊がいなくなっていることに気が付く。
「アイラ、どうしてアルバート様やほかのお二人の精霊はいなくなったの?」
『いなくなったというより、近づけないらしいわ』
「どうして?」
『嫌われたからと言ってたわね』
「精霊が嫌いになったんじゃなくて?」
『嫌われたというより、邪魔扱いされたって怒ってたわ。だから、当分は離れてるって言ってるわね』
「でも、精霊がいなくなったら魔法のコントロールが難しくなるんじゃない?」
『今のところは問題ないわ。まだ、中級の段階だから』
「そう。なんだか、嫌な感じがするわね」
『あたしはいいことがありそうなきがするわ』
なぜかアイラはくすりと笑った。
それは全学年でダンスの練習をする日だった。ダンスの相手は学院側が決めるので、フェリシアの相手はクラスメイトだった。エスコートする男子生徒はまるで毛虫でも見るかのようにフェリシアを見た。彼はアンバース子爵の息子だったとフェリシアは思い出す。以前の噂はまだ根深く残っていたのかと軽いため息を吐いた。全員がホールに入場し終えるが、教師たちは固い表情をしている。どうしたのだろうと思っていると、壇上に、アルバートとリリス、タリス、ウォレスが現れた。そしてフェリシアはアンバース子爵の息子に腕をつかまれ、御前へと放り出された。
アルバートの緑の眼が怒りで燃えているのが分かったが、フェリシアはきょとんとする。
「何がおこっているのかわからないという顔だな。フェリシア・フローラル」
アルバートの声は怒りに震えている。
「はい、アルバート様が何にお怒りなのかわかりかねます」
フェリシアは正直に答えた。
「ならば、教えてやろう。数々の魔術でリリスに怪我をさせ、殺害しようとしたことは明白だ」
(誰が、誰を殺害しようとしたですって?)
「待ってください。私はそんなことしていません」
「しらを切っても無駄だ。目撃者がいる。シリア、ベネット。発言を許す」
シリアとベネットは、恐ろしいものでもみるかのようにフェリシアを見た。
「私は魔法訓練中にフェリシア・フローラルが、風の魔法でリリス様の魔法を邪魔して怪我をさせるところを見ました」とベネッとが言うと、続くようにシリアが言った。
「私は建物の陰から、リリス様を狙っているフェリシア・フローラルを見ました」
二人はそれぞれ証言するとそそくさと人波に紛れた。
「大人しそうな顔をして、お前という娘は恐ろしいことをする。この件は国王にも報告する」
フェリシアは深いため息を吐いた。
「やってもいないことをやったといわれても困ります」
「まだ、しらをきるのか!」
「しらをきるもなにも、私はリリス様とはクラスが違います。訓練中に細工をすることなどできません」
周りはしんと静まり返る。当然である。フェリシアの訓練クラスは特待。リリスは初級である。一緒に訓練することはない。
「それに物陰から狙うってなんですか?そのあとどうなったんですか?」
「……リリスが転んだと」
タリスがシリアの証言に補足を入れる。
「転んだ?殺害しようとするものが、相手を転ばすだけで何の得があるんですか」
「そ、それは隙をついて攻撃するためだろう」
「タリス様、もし私が犯人なら、リリス様は今この場にはいらっしゃいませんでしょう。特待というのはそれだけ危険な力を持っているのですよ」
フェリシアは魔物だって倒せる力があるのだ。何度も怪我をさせずに、一瞬で殺してしまうことは造作もないことだった。
「そんなのは、アルバート様の気を引くために加減していただけだろう。女の嫉妬とは恐ろしいものだな」
そういったのはウォレスだった。
「なぜ、私がアルバート様の気をひかなければならないのですか?婚約者という立場なのに」
ウォレスはうっとうなる。
フェリシアはすっと息を吸い込み、腹立たしいとつぶやく。
「こんな茶番などしなくても、こちらから婚約破棄させていただきますわ」
「な!」
アルバートは婚約破棄を突きつけるはずが、逆に婚約破棄を突きつけられたのだから、あわてるのも無理はない。
「理由は名誉棄損ということで、国王様には納得していただけるでしょう。証人もこれだけ大勢いらっしゃいますから。ライナー先生、申し訳ありませんがこの件について証人代表となっていただけますか?」
ライナーはかまいませんよと笑う。彼は気づいていた奇跡の子が今我慢をしていることに。年齢的にこんな立場に立たされたら、癇癪を起してもおかしくはない。だが、フェリシアには自分の力がいかに多きすぎるかという強い自覚がある。精霊たちも怒っている。それを抑えているのもフェリシアだ。
それでも、怒りが収まらない精霊がいた。それはアルバートやタリス、ウォレスについていた精霊たちだ。その矛先がリリスへと向かう。
突然、リリスの周りでバチバチと火花が散った。きゃっと叫んだリリスから、耳飾りや指輪、ネックレスがはじけ飛んだ。そして、アルバートたちは茫然となった。
『まったく、魅了の魔法にかかるなんて、情けないったらありゃしない』
『ほんとだよ。魔力増幅の装飾にも気が付かないで』
『もっと修行が必要だね』
精霊の言葉を聞いたアルバートたちは驚く。そこへ、忽然と国王陛下が現れた。
全員が陛下に気が付きあわてて、ひざまずく。けれど、アルバートたちは驚愕にとらわれて、身動き一つできなかった。
王は深々とため息を吐いた。そして、ひざまずくフェリシアに立つように言った。
「フェリシア嬢、婚約を破棄するとは本当か」
「はい、いわれのない断罪を受けました。陛下には申し訳ありませんが、アルバート様との婚約は破棄します。どうか、受理していただきたく存じます」
「いわれなき断罪とは?精霊により、そなたが婚約を破棄すると聞いてあわててきたので、事情がわからぬのだ」
ライナーがそれについては私がご説明差し上げますと言って、一部始終を語った。
「我々としては、一生徒が魅了の魔法を使っていることに気が付けず、誠に申し訳なく存じます」
ライナーは深々と王に頭を下げた。
「それで、魔法は解けたのか?」
「いえ、まだ完全ではないようです。一定期間会わせなければ、そのうち落ち着くでしょう」
そこへリリスが大声で叫ぶ。
「私はそんな魔法など使っていません。証拠はあるのですか!」
「証拠はありませんが、証人はいますよ。そうでしょう。いたずら好きの闇の精霊」
『なんだ、ばれちゃったのぉ。まあ、いいけどね。そうだよ。リリスに魅了の魔法を教えたのは僕だよ』
「アイバーン!」
リリスは精霊を睨む。
『だって、リリスはずっとアルバートに憧れてたんだから。力が欲しいっていっただろう。だから手伝ってあげたんじゃないか』
「なるほど、確かな証人だな。さて、処分はどうしたものかな。フェリシア嬢は何か望みはあるか?」
「婚約破棄以外に望みはありません」
フェリシアはきっぱりと言い切る。
「あいわかった。処分はこちらで考えよう」
その日から、アルバートたちは一か月の謹慎処分となった。フェリシアは翌日から学院を休んだ。さすがに、あの茶番につき合わされて、精神的に疲れてしまったのだ。
(もう、学院なんていきたくないな)
婚約破棄したけど、これじゃあ、どこにも嫁げない。
(ジェイド様が約束を覚えてくれてたらいいのにな)
フェリシアは黒薔薇の髪留めを撫でながら、自分の気持ちを恋だと自覚した。自覚したとたん、涙がぽろぽろ流れ出す。交わした約束は果たされないとフェリシアにはわかっていた。ジェイドにとって自分は本当に妹のような存在だったのだから。第一、五歳も下の子供になど目もくれないだろう。そう思うと、涙はあふれて止まらなかった。
そこへ、ノックの音がした。あわてて涙をふき、どうぞと入室を許可する。フェリシアは俯いたままベッドにいたので、誰が来たのかわからなかった。
「フェリシア、なぜ泣いているんだ」
はっとして顔をあげるとそこには困ったような焦ったような複雑な顔をしてジェイドが立っていた。
「ジェイド様……」
フェリシアは夢でも見ているかのように彼の名を呼んだ。ジェイドはうっすらと頬を染めて笑った。
「やっと名前を呼んでくれたな。フェリシア」
大きな手が涙を優しく涙を拭う。
「どうして……ここに……いるの……」
フェリシアはしゃくりあげながら、尋ねた。
「約束しただろう。忘れたか?」
「忘れてない……お兄ちゃんこそ忘れてると思った……」
「もう、お兄ちゃんじゃない。ジェイドだ。フェリシア。どうか、俺と生涯をともにしてくれ」
「ジェイド……」
「愛しているフェリシア」
ジェイドはフェリシアをそっと抱きしめて耳元で囁いた。フェリシアは顔を真っ赤にしてうれしいと泣きながらジェイドにしがみついた。
それから一年後、フェリシアとジェイドの正式な婚約が決まった。二人は、フェリシアが学院を卒業後、すぐに結婚することにした。
十六になったフェリシアは、ジェイドに会いに行くたびに、すぐにでも結婚したいのにとつぶやく。ジェイドは頬を赤くして、それ以上言うなという。子供っぽさは、まだ抜けないが確実にその殻をやぶり始めた少女にジェイドは欲望を抑えるのに必死だった。結婚までは清い関係をとこっそりフェリシアの父に釘を刺されているせいもあるが、なかなか口づけを交わす勇気のもてないジェイドだった。グレンシア辺境伯はそんなヘタレな息子を哀れに思うが、面白いので見守っていた。