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レゼイロ 100:0  作者: 水色
1/6

一話  みんな嫌いでボクだけが好きなもの

あなたがわたしにくれたもの。

ゼロの話






 気付いてね。君に言っているんだけど。

「幸せなままでいいのに」

 だからといってやっちゃいけない事がある。

「正直に生きるだなんてもっての他。嘘吐いてんのに気付かない人間は邪悪」

 だからといってやっちゃいけない事がある。

「礼儀とか道徳とか。右利きだとか左利きだとか。底辺だとか富裕層だとか。別にどっちゃでもいいじゃんね。でもさ、正直に生きると人に迷惑かける人っているでしょ?」

 だからといってやっちゃいけない事がある。

「電車で気持ち悪い息してるハゲたおっさんにさ、『キモーい。死ねばいいのに』って思うのは、正直ではあるけれども」

 放課後の教室で、高校生の男と女が一人ずつ。

 夕陽が差していて、それとなくロマンチックな雰囲気が醸し出されていて、男と女の顔の距離が近づけば近づくほど、脈動は音として響き渡り、漂う空気は桃色を増していく。

「もしかしたらその昔、その人に命を救ってもらってるかもしれない。その気持ち悪いハゲたおっさんと、将来は結婚してしまうかもしれない。そんなどうでもいい推測なんかじゃなくても、息をしてるのが悪いわけじゃない。じゃあどっちが悪いか。そりゃあ一目瞭然」

「……百舌鳥(もず)。何が言いたいか知らないけれど、君が思ってるほど世界の人間は嘘吐きじゃないよ」

「何? 何だって? どのツラ下げてそんな世迷い言を?」

 けれどボク達の間には何も無いし、そこから発展するべき結末も無い。百舌鳥はいつも通りのつまらない愚痴をボクに聞かせたいだけで、家に帰ってもやる事の無いボクはそれに付き合うのをやぶさかではないと思っているだけ。

 利害が一致しているからこその状況下において、どっちかがどっちかに関係しようだなんて絵空事を期待するほど子供じゃない。

「まぁ、いいんだけども。気持ち悪い奴は気持ち悪い。でも、気持ち悪い事に気付いてない人間はもっと気持ち悪い」

「お前の好き嫌いだなんてどうでもいいよ。で、お前は何が言いたいんだよ」

 彼女は後ろ向きに座っているので、否が応にも距離が近い。

 百舌鳥は背もたれに回していた(行儀の悪い女だ)手を振りほどき、こちらを向いていた顔を歪ませて、ボクの机に足を着いた。

「だから! 痴漢はこの世からいなくなるべきだと思う!」

 やっと話の本筋が見えてきたので、嘆息がてらに百舌鳥を諭す。落ち着くように言い聞かせ、また元の椅子にこちら向きで座らせる。だからといって形相は変わらず、世の男を憎むような、なんとも情緒に溢れた攻撃を送っていた。

 ボクは一房だけ伸ばしている後ろ髪を手で遊びながら、どこかで味わった既視感を追いやる。

「そいつが気持ち悪い息してたから、でいいよ。二枚舌め」

 いや、この場合はラウンダバウト、遠回り。迂回。鵜ではなく、早贄。

 と、そろそろ時間だ。

 帰って夕食を作らなければ。

「じゃあ、ボクはそろそろ行くよ。百舌鳥、お前もそろそろ帰れよ」

 確かに痴漢がこの世からいなくなればいいのに、と思うのは自由だし、それは非常に正直で切実で、耐え難きを耐えた結果に出てきた答えだったんだろう。

 でもボクは痴漢なんてした事もないし、しようとも思わない。性欲は自覚するけども、それに追随する諸々が面倒で。

 それに自分が誰かに愛されるだなんて、それこそ。

「帰る家があるなんて羨ましいね」

「お前にもあんだろ。ひときわ立派で荘厳なやつが」

 地主だった百舌鳥の先祖が残してくれた、国宝指定されそうなくらいのでかい奴が。

 奇妙な偶然なのだが、この田舎とも都会とも呼べない中途半端に発達した地域において、百舌鳥の家は有名なのだった。それと逆の意味で百舌鳥本人も。

 二枚舌の百舌鳥。

 音も無く横にスライドする扉を開け、西日が差す廊下へ。改築されて間もない空間に人の気配は無い。それほど倦怠していなかったのは、百舌鳥との会話が楽しかったからだろうか。それとも、それこそ百舌鳥の言う通りに嘘を嘘として気付いていない人間からくる慢性的な日常なのだろうか。

 どうでもいい。そんな事を考えてたって、人からすれば最近の若い者なんだから。

 気付いている。

 百舌鳥もボクもその二点で相似している。

「あ、そうそう。百舌鳥」

「なに」

「……いや、なんでもない」

 なんでもない事なんてないのに、ボクは話しかけた礼儀も知らずに扉を閉めた。

 クラスの奴らは百舌鳥を嫌っていて、それは恐がっているとか関わりたくないとかではなくて、あからさまに嘲笑していて、見下していて。

 今日も君の事を『生理不順女から生まれた種違い』だなんて罵倒していたなんて。

 それを告げるのにどれだけの意味があるんだろうか。いたずらに百舌鳥を傷つける事に、どれだけの贖罪が含まれているんだろうか。

 嘘を嘘として感じていない人間達の吐く、嘘であってほしい現実を突きつけて。

 みんなの中心のつもりでいる百舌鳥を貶めて。

 ボクはそんな閉鎖的な満足感を得たいが為に、自分の中にある嗜虐性に名前を付けて。

「一人で勝手に不幸になってる」

 それが現時点での、自己判断だった。

























イチの話




1


 今日だって、それほど輝いているわけではない。卑下して満たされるほどの情緒も無ければ、孤独を好んで沈んでいくほど子供でもない。

 しきりに部屋の中を見回して忘れ物が無いかを確認しているボクに、そんなのは似合わない。

 でも輝いているものが全て黄金じゃない。それが自明の理。昨日の放課後に百舌鳥と話した余韻がまだボクを揺さぶっている。

 明日はどうして生きよう。保険だって税金だって年金だって払えやしない。養ってもらっている身分で、できる事なんてそれほど無い。せめて自分の頭の中だけで完結させて、嘘を嘘として見据えている性格を隠して、周りに馴染ませるだけ。

 突出もしないけれど、それとなく気になる人間へ。発展性も無い、無意味だけれど、今現在の自分がとれる最も楽なスタンスに、ボクは落ち着いている。

 気付かなければ良かったのに、気付いてしまった不幸。乗り越えねばなるまい壁の前で、うじうじと地面を見下ろしている。

 中途半端に良い頭をもってして生み出した被害妄想。発狂してしまえれば楽なのに、それすら出来ない無駄に強固な精神力。

 身体的には不自由無く生んでくれた親には感謝しているが、その中に培われた精神はボクが育てたものだ。誰の責任でもなく、自分のせい。

「いってくる」

 まだ反抗期を引きずっている。親に対してぞんざいな言葉遣いをする事で自分のモラルを守っている。内面のハザードを隠して、恥を恥としてそのまま受け入れる。

 急に寒くなって、古いマフラーを引っ張り出した。似合わなくて変だ。去年の自分のセンスを疑うけれど、買い換える余裕も無ければ、オシャレをしていると勘違いされるのも癪に触る。わざとダサいファッションで身を固めて、それがオリジナリティだなんて韜晦する。

 もちろん、悪い事じゃあないけれど。

 すごく、格好の悪い事だ。

 登校する間に人影は無い。それはそういう時間帯を選んでいるからだ。時間は朝の五時。閑静な住宅街に、この活動時間帯を好んでいる人種なんてそうそういない。犬を抱いて散歩しているおばさんや、朝まで飲んでいたであろう学生くらいしか、いない。


 まるで世界に、自分だけのよう。そんなわけもないのに、今すぐにでもこのインターフォンを押せば、不機嫌な顔で出てくる誰かが介入してこられるのに。どうしてそうボクは。

 別に孤独や一人が好きなんじゃなくて、自分以外が何だか信じられなくて。悪いのはボクだと分かっているけれど。

 時代遅れとは言い難いけれども、発展しているとも言えないこの地域に似つかわしい川の土手を、歩く。登校ルートとは違うものの、遠回りをしたって遅刻なんてする筈も無い。なんたって朝の五時だ。おはスタだってまだまだお眠なんだから。

 川にかかる橋を眺め、懸命に足を前へ前へと運び進める。行きたくもない学校だけれど、もしボクが学生じゃなかったところで、行き先が仕事場へ変わるだけで行動は同じなんだから。

 橋を渡る前に、気分を変えて川辺まで降りる事にした。土に埋め込まれた石段を、何を考えるでもなく下っていく。普段は自転車通学だが、たまの徒歩でこういう探検も悪くは無い。

 誰もいない川辺で、秋の空気を感じながら、深く息を吸って物思いに耽る。似合わないけれど、人前でやろうだなんて思わないけれど、ボクの少し好きな時間。

 百舌鳥が言っていた。気持ち悪い事に気付かない人間の方がよっぽど気持ち悪いって。

 ボクは少なくとも、自分が誇らしいと思えた事が無い。かといって普通だとも思っていないし、かっこいいとも思えない。

 何処までいったってそれは平行線。

馬鹿にならなければ。

 中途半端にいい頭と日常生活はできる体と、少し強い心。

 こんな目減りもしない平凡な毎日を送る為だけに用意されたとしか思えない神々の設計図から離脱するには。

 馬鹿にならなければ。

 考えるな。

 感じろ。

 理論を理解するよりも直感を信じろ。

 さすれば道は拓かれる。

「そうも言えないから、なぁ」

 降りたそのままの体勢から、石段の一つ目に腰掛ける。斜にかけたショルダーバッグを膝の上に載せ、頬杖をついて川を見つめた。

 光る水面にはゴミは無く、流れる水は底まで見える。足首ほどの深さの川に、何を諭される事でもない。ただただ綺麗だな、と呆けた感想を述べるだけだ。

 期待している。

 ドラマや漫画みたいに、どこかで自分が何かに巻き込まれるのを妄想している。自分から何かをしないのは怠慢だけれど、非日常を期待するのは単純な願望だから。

 でもこんなボクに声をかけてくれるのは、今のところ一人だけ。

「お、何してんの」

 美しくない声。

「何も。早くに行っても教室で寝るだけだし」

 百舌鳥がいなければ、ボクは十五分ほどここでいつものように考えているフリをした後に学校に行くだけだった。

「へー」

 どうでもよさそうに相槌だけ返すと、土手の上で自転車のスタンドをかける音が聞こえた。振り向くと、石段を降りようとしている百舌鳥がいる。

「見んな。覗く気か」

「何してんの。君は朝練じゃなかったっけ」

 百舌鳥はブラスバンド部でティンパニを叩いている、とクラスの雑談で聞いた事がある。大して上手くもないのに目立とうとするから、半分クビのような状況らしいけれど。

「まー、サボっても何とかなるし、私」

 三つ上の段に座ったので、会話がしにくい。首だけを回しているのも疲れたし、それに百舌鳥の顔を殊更に見たいわけでもないから、視線を前に戻す。

 百舌鳥は嘘吐きだ。公言しているに近いから、誰も彼女を信じたりしない。

 でもボクだけは、こいつが正直に話す瞬間を見極められると自負している。

「期待のリズム隊だからね」

 それは嘘だ。お前だって気付いてるんだろ。お前にだけ合宿の話が来なかったし、誰かと遊ぶ事も無いんだって事。

「それはすごい」

 騙されたフリ、をしている事だって彼女も気付いてる。それが優しさじゃなくて、どうでもいいからだって事にも、お前は気付いてるんだ。

 だからお前はボクに話しかけるし、ボクはお前がそこまで嫌いじゃない。

 欲を言えば、もう少し見た目が良ければいいのに。お前は普通だ。

「毎朝毎朝、ここで川を見てんの?」

「いや、たまたま。一週間に一回くらい」

 また興味無さげに生返事だけが返ってきた。

 物より思い出とは良く言ったもんだ。こういう時間が、後のボクにどういう影響を与えてくれるのか、今は分からない。けれど経験として何かに生きるならば、無駄じゃない。

 そう思わないと、辛くて生きていけそうにない。

 橋の下に目をやる。不良はいるものの、スプレーやペンキで落書きするほど活発な奴もいなければ、深夜にたまって騒ぐ奴もいないので、橋の下の空間は綺麗なものだ。

 石畳やコンクリートで埋められてはいないが、草を抜いて舗装されている。影になっている部分だけ幻想的な空間を作り出していて、恐怖や好奇心よりも叙情を沸き立たせる。

 もしもこの橋の下に女の子が一人で遊んでいて、ボクと一緒に宿題なんかをしてくれたり目的も無い少しえっちな遊びをしてくれたりするなら、もう少しボクの人生も明るくて楽しいものになっていたのかもしれないのに。

 願望や願いは現実に沿ぐわず、ただ他人に自分の弱みを見せるだけ。

 気持ち悪がられるのは、あんまりボクは好きじゃない。

「ところで喜先(きさき)、最近ここらで変な噂があんの」

「なに? 百舌鳥にしては珍しい」

 食指が動く。絶望していた自分の心が少し起き上がる。

「噂。うわさ。私も人伝てだから何とも確証はないんだけれど、ほら。この前さ、あっこに出来た     」

「黒壁スクエア? でっかいショッピングモールでしょ?」

「そ。あっこでさ、外人の幽霊が出るんだって。ローティーンなのにハイレグ姿の」

「まさか」

「ほんとなんだって。喜先、そういうの好きでしょ?」

「馬鹿にするな。ボクはどっちかっていうと日本系の、撫子っていうか」

 それに外人で十代でハイレグなだけでもお腹いっぱいなのに、その上で幽霊だとかの非現実業界でも干されたような要素を持っていたって。

 まぁ、嫌いではないけども。

「ま、そゆこと。気になったら見に行ってみればぁ」

 そう言い残して百舌鳥は階段を上がって行った。後姿を見上げるけども、薄い布は鉄壁の防御力をしてボクの視界を阻んだ。

 そろそろボクも学校に行こうか。




2


妄想の世界は君を追い詰めたりしないし、責めもしなければ迫ったりもしない。いつだって君が創造主で唯一無二で、根幹が君にある。

けれど、時としてその妄想の世界が君にのしかかり、『自覚』という兵器をもって君を苛む。その兵器は君を、排水溝にたまった髪の毛よりも汚い動物へと変化させる。

勘違いしないでほしい。現実に魂まで売った事は無いんだよ。

「おい、昼飯どうする」

 乱暴に話しかけられて少し疲労を覚える。

「別に」

「お前と会話してると、ズレを感じるよ。国語の問題に数学の答え書くみたいな」

 ボクなんぞを昼飯に誘っても得られるものが無いはずなのに、学校という閉鎖環境において、彼らは時として仲間意識を芽生えさせるものらしい。

 ボクにとっては非常に疎ましいものだ。結局、高等学校を卒業した後に残るのは面倒な同窓会とそれにすら呼ばれない数多の人、そしてボクのように声はかかるけど期待はされていないものに分かれる。

「まぁいいや。お前さ、いつも適当に握ったおにぎりか適当に詰め込んだ冷凍食品か適当にラップしたトーストだろ。体壊すぞ」

 心配してくれるのは嬉しい。それは彼が運動部に属していて、期待の新星と噂されていいるからこそ、人の食生活にも口を出してくれていると知っていても。

 もしかするとそんなに悪い人間ではないかもしれない。本当に心配してくれていて、ただ単に昼食をとる傍ら、雑談として忠告してくれているのかもしれない。

 でもどっちだっていい。言葉は言葉だ。心を動かしてくれない。

「来週のテストどう? まぁ、お前は普通に頭良いもんな」

 普通に頭が良い。なんという矛盾。良いか悪いか普通かしかない基準に二つもぶち込んでくるとは、意外と言葉選びのセンスでもあるのか?

「部活ばっかやってると勉強する時間ねぇってぇのに、うちの顧問はうるせぇんだよな」

「野球、だったっけ」

「そうそう、オレンジ色の大きいボールをネットに入れる奴な     って違うだろ! バスケだよ、バスケ。喜先、面白いなぁ。そんなボケかますなんて。芸人にでもなれば?」

 ははは。彼は快活に笑うのだ。

 ボクは知らないから聞いただけだ。肌が焼けていた、それだけの理由だった。後、彼が坊主頭だった事くらいのヒント。

 笑えもしない。どっちでもいいから知らない。興味が無いから知らない。

 知っていなければいけないのだろうか。知らなければ人非人のような、非国民のような扱いを受けるのだろうか。それほどまでに彼の存在は常識と化しているのだろうか。

「でさ、昨日のテレビでさ     」

 御飯は、黙って食え。

「なになに、何の話してんの?」

 そして飛び込む夏の虫。

「はぁ? んだよ、お前かよ。お前には関係ねーよ。あっち行ってろ」

「ひっど。ひどくない? これでも女の子なんですけど。ねぇ、喜先」

 始まる舌戦。見下されている百舌鳥と話をする人はこのクラス、この学校には少ない。馬鹿にされ、蔑まれ、忘れられる。同窓会でネタにされればいい方の、そんな人間。

「お前が来ると話しすぎて飯食えねーんだよ。話もつまらんし。喜先を見てみろよ。ほぼしゃべらないのに面白いんだぞ。見習っとけ」

「ふーん、こいつが? いつも神妙な顔して考えてるフリしてるだけで、大体はエロい妄想してる奴が? へー、程度が知れるね」

 来た。これだ。正に痛快。他人が不快になる言葉を平気で吐ける。だから嫌われる。認められていない人間が決めつけに認められている人間を侮蔑する。そしてこのバスケ部だか野球部だかの彼が浮かべる嫌な顔。たまらない。

 果たしてそこに価値観があるのか。百舌鳥は世界の全てを見下している。息を吸い、嘘を吐くような女だ。だから彼女の言う真実は嘘になり、うそは真実として伝わる。不憫な話だ。

「あっそ。あっち行けよ。飯食ってるから」

「何も言えないんだ。ボール遊びばっかしてるから頭もつるっつるになってんじゃないの。そして可愛いんだかどうだか微妙な彼女作って間違いで妊娠してエルグランドにでも乗ってドンキ行く人生送るんだろーね」

 んー、そろそろ止めるか。

「先生が呼んでたぞ。職員室に行け」

「そして他人からは羨ましい人生だねって言われるんだ。勘違いして死ねばいいのに。残念過ぎる人生を幸せと誤解して良い人生だったって泣けばいいのに。笑えるわぁ。ていうか喜先、このアホ。それ早く言いなさいよ。あんたはいつも肝心な情報が遅い」

 走り去る馬鹿の後姿のなんて軽快なことか。百舌鳥を呼び出すのにわざわざボクに教師が言付けするわけがないのに、それを分かっていても信じるお前が、ボクは嫌いじゃない。

「ほんと、あいつ嫌いだわ。喜先もほどほどにしといた方がいいぞ。友達無くすぞ」

 友達、ね。

「ボク、行くわ。用事があるから。悪い」

「ん、そうか。もうすぐ食い終わるし、もうちょっと待てよ」

 そして二十秒後、彼は自分の弁当を食べ終えた。手を振ってしばしの別れを告げる。

 結局、最後まで名前は出てこずじまいだった非礼を詫びずに済んだだけ良しとしよう。似たような顔が多すぎて、ボクは辟易を隠して廊下を歩く。

 一つ下の階に下りてまた歩く。学年が一つ下のフロアには、たったの一年しか違わないのに活気が溢れている。これが若さかと韜晦し、目当ての教室の前で佇む。

「あ、お待たせしました」

 出てきた少女が僕に頭を下げる。いわゆる、年下の彼女だ。

「喜先先輩、御飯食べました?」

「うん」

「え!? ……そうなんですかぁ。一緒に食べようと思ってたのに。ま、いいです。行きましょ」

 少々、強引なところはあるが、いわゆる可愛いとされる顔立ちをしている。少し抜けてはいるが実直な性格と、溢れんばかりのコミュニケーション能力に後押しされる妹キャラで意外と人気はある     という情報を百舌鳥が言っていた。恐らく、嘘だろう。

 円形に建設された校舎には中庭が存在する。昼休みを一時間半と長くとっているうちの校風では、余った時間を惜しみなく使う学生が件の中庭を占拠する。

 なのであまり目立ちたくない(これも不思議だ。高校生活では恋愛を隠すらしい)ボクらは校門付近の人気があまり無いベンチに座る。

「何、食べたんですか?」

「パン」

「またですか? お弁当作るんで食べてくださいよぉ。腕によりかけちゃいます!」

 最近あった楽しい話、クラスでのトラブル。テレビで放映されていた番組の感想。時折、挟んでくる愛情と思しき行動。彼女は色んな事をボクに打ち明ける。

 ボクは相槌すら適当にして時間が過ぎるのを待つ。

「今日、どうします? 部活無いんですよ!」

「そう。なら一緒に帰るのがいいかな」

「もう! 先輩はいっつもそうです。一緒に帰りたくないんですか? それとも誰かに見られるのが恥ずかしいんですか?」

 きゃー、と一人で頬を挟む彼女を見ていて、やっと頭に浮かんだ文字を口にする。

鏡井(みらい)……月子(つきこ)

「はい、何か言いました?」

「いや、なんでもない」

 そして彼女はまた一人、頬を挟んできゃーと喚くのだ。少しキン、とする特徴のある声で。

 空を見る。青い。酷く綺麗だ。流れる雲も美しい。すぐ後には記憶にすら残らないけれども、この瞬間には綺麗だと思える。

 どこで間違ったのか。何を間違ったのか。それすら分からないから何も出来ない。

「次、いつ家に行けます? しばらく行ってないですよね?」

「確か……そうだと思う」

「先輩の家ってお母さんだけでしたもんね。お仕事とか、そういうので、ほら」

 会話が得意でないわけではない。むしろ人と喋るのは好きだ。けれど、実際に言葉を発する段階で全てが面倒になってしまう。

「ロールキャベツ作れるようになったんですよ。食べさせてあげたいなぁ」

「なら明日、包んでくれれば」

「冷めたロールキャベツなんて美味しくないですよ。ねぇ」

 そうかな。そうかもしれない。

「電子レンジが、生物室にあったよ」

 そうじゃなくて! と彼女は席を立ってぷりぷりと怒ったまま校舎へと入っていった。暫くして携帯電話が明滅し、送られてきたメールには大量の文字化けに包まれた「バーカ」という三文字が映し出された。

 首を傾げて真意を探るが、見えもせずにそのまま携帯電話をパカリと閉じる。何も考えずに前を見る姿勢に戻り、もう一度     電話を開いた。

「フられんじゃね」

 降ってきたのは百舌鳥の声。

「人の背後に気配無く立つな」

「つうか先生、誰も呼び出しかけてねーじゃんかよ、お前こそふざけんな」

 ベンチの後ろから覗き込むように立っていた百舌鳥。よっと一声かけて背もたれを持って飛び越え、ボクの隣へと腰掛ける。

「相変わらず可愛いねぇ、彼女。ロールキャベツだって。この色男」

「うん? 料理を温められない女の子は可愛いのか? ていうか盗み見してたのか。相変わらず趣味悪いな」

「わたしも豚の角煮作れんのよ。ご馳走してやろうか」

「お前……。記憶が無いのか」

 二ヶ月前ほどの事だ。精進料理に凝っていると謎の宣言をしたこの馬鹿に無理矢理、招待されてこいつの家に行った事がある。出てきたのはその辺の雑草を土のついたまま乗っけた皿、見た事も無い極彩色のきのこ、炊き上げた石。問題は食べたのが端から端まで走れば息が切れるほどの板張り応接間。しかも真っ黒なスーツに身を包んだ護衛数十人と共にだ。

 いかに物覚えの悪いボクですら二度と行かないと心に刻んだものだ。

「お前に言われたかないって。しっかし喜先にはもったいないね、あの彼女。可愛いし甲斐甲斐しいし、しかも後輩。役満じゃん」

「良く分からない。可愛いっていうのは分かる。でも芸能人ほどじゃない」

「……本気で言ってるんならクズだ。人間のカス」

 それも嘘。本当は分かってるんだろう。

 話題は今朝に戻った。黒壁スクエアに出没する外人の幽霊。

「そばかすでソバージュ入った金髪で足長いくせに尻デカい?」

「そそ。で、ビキニバドガールでぷっくりした唇で眠そうな顔してんの」

「はぁ。百舌鳥、お前の頭がバグってるか、出回ってる噂を中学生男子が流したか」

「どっちでもないわけ。何ならわたしも見たわけよ。まぁわたしが見たのは四ツ谷怪談に出てきそうな白装束着て首をカクカク揺らすおじいちゃんだったけど」

「まぁ、それも現代の妖怪みたいなもんだからな」

 他愛も無い会話だ。ボクは暇つぶしにこいつを利用し、こいつは話したいという欲求をボクで満たしている。需要と供給が成り立っている。

 一時間半はボクにとってものすごく長く、退屈な時間だ。コミュニケーションが苦手なだけで、時間はボクを苛む。

「見てはみたいな。ボク、白人フェチな部分あるし」

「コンプレックスじゃなくて? わたしはどっちかっていうと日本男子の方がいいね。あ、でもヒゲ生やしたビア樽みたいな白人のおっさん好きかも。HAHAHAって笑う奴」

「そいつ嫌いな奴、日本になかなかいないだろ。やる事しっかりやってる感じ」

「それ下ネタ?」

「いいや、物語を進めるっていう意味で。アクセント的な」

「日本には悪友がいるじゃない。モテたくてたまらない癖に主人公助けるのに全力注ぐ奴」

「あー、なる。お前さ、どういう人格してんの? 底が浅すぎて深読みしちゃうわ」

「底なんか無いんだよ。へへへ」

 百舌鳥は笑うと可愛い。全力で笑うからだとボクは知っている。

 嘘に塗り固められた人生を歩んできたこの女は、どうしてだかボクの見た全ての人間のような生物の中で一番全力で笑うのだ。

 それは諦念か。それとも希望か。

「ここでこうやって話しててさ、もしわたしがあなたにキスを迫ったらどうなるかな」

「どうにもならん。ボクを心配する声が上がるだけだ」

「それが彼女さんの耳に入るかも」

「彼女? あぁ、あの子か。別にいいよ。入ったところで何も変わらない」

「変わらないのはあんただけでしょ。ねぇねぇ、当てたげようか。彼女の名前出てこないんでしょ。図星でしょ。最低ね。かわいそう」

「うるさいな。憶えてるに決まってるだろ。そうやって人を決めつけで話すな」

「お、口調がたどたどしいね。やっぱ普段から時化たツラしてる奴が戸惑う様は痛快だね」

 のんびりとした時間だ。雲も無く、空は快晴。秋晴れ、というほどもう暖かくは無いが、それでもじっとしていて身が震える程でもない。

 携帯電話のサブ画面で時間を確認する。まだ昼休みは三十分の余力を残してボクを追い立てる。お前はここにいるべきじゃないと、お前がここにいるべきじゃないと。

 分かっている。自分は頭が悪く、人に期待ができない。自分だけで完成してしまったから発展が無い。気持ち悪い。しょうもない。かっこつけることが恥ずかしく、ニヒルに気取るのが苦手だ。馬鹿になるセンスも無ければ普通に埋没する気が無い。

 つまるところ、自分は普通だ。普通だからここにいる。

 普通ではないからここにいる。

「おっぱいがさ、大きい方が良い人っているじゃん? でもそれが母性なのか性欲なのかをはっきり区別している人っていないと思うわけよ」

「百舌鳥はそんなに大きくないからそう言うんだよ。男は思った程、おっぱいに関心は無い。見た目や触り心地は性欲に直結している事を本能で知っている」

「それは喜先が良い奴だからでしょ。内面見るから」

「は? 耳掃除しろよ。ボクは性欲で見るって言っただろ。何にでもちょうど良いっていうもんがあんだよ。適量が。あと形な」

「男があそこの大きさ気にするようなもん?」

「それは知らないけども。それは、知らない、けども」

 気にしている。

「あなたの彼女も小さい方じゃないしね」

「まだ続けるのか、その話。     別に。大きかろうが小さかろうが別に」

「ひゅー、うらやましいね。いや、うらやましくないね」

 百舌鳥はずしっ、と重みをかけた。

「誰もあんたの気持ちなんか分からないよ。結局、勝手に自分で不幸になってる」

「……。やけに噛み付くな」

「ほれ、わたしの気持ちだって誰にも分からない。だから客観なんて何も意味を成さない」

「極論だ。良い奴の全否定だ」

「良い奴、っていうのは馬鹿とニアイコールだけどね。優越感の違い? ナメてんのよ、そういうとこが。くそくそくそ、クソの塗りたくり」

 どうやらギアを間違えて入れた百舌鳥の罵詈雑言が止まらない。

 正直に生きる事を良し、とするならば、正直に生きる事を許されない人間の存在を消す事になる。人間はどこかで最大公約数的なちょうどいい場所を見つけるしかない。

 百舌鳥は知っている。自分が嫌われている事を。それが迫害や忌避ではなく、嘲笑や侮蔑である事を。そしてそんな中、自分が唯一良い奴だと自負している。

 気が狂っている。そんな理、どこにも通じない。

「今日、黒壁行こうよ。外人の幽霊を小突きにいこう」

「嫌だ。ボクは家で寝る」

「いいじゃんかよー。付き合えよー」

 お前はいつもそうだ。拒絶をふざけて返す事しかしない。ならいいや、と諦めを知らない。諦めればボクすらも自分から離れていくと知っている。関係が途切れるのをひたすらに怖がる。寂しがり屋のくせに強情。強がりなくせに人恋しい。

 お前が嫌われているのはそこだ。中途半端だからだ。本音を言わない、人をこき下ろす。しかも有益じゃない。何も生まない。何もしない。マイナスを、体現する。

 ボクはなんて良い奴なんだろう。

「しょうがないな。寝るのは夜でもできる」

「ほんと!? じゃあじゃあ八時にうちに迎えに来て!」

「遠回りだし、監視カメラに撮られるし、お前にはご立派なハイヤーがあるから嫌」

「ならお前ん家にマセラッティで突っ込んでやるからな!」

 うきうきと、彼女は笑う。

 彼女には予定が無い。作らない主義ではなく、単純に予定が無い。何故なら彼女と遊んだり、買い物に行ったり、お話をしたり、そういう類の生物がこの街にはいないからだ。

 妾の子。その通りだ。でも百舌鳥の家に子供は百舌鳥しかいない。昔からある大きな地主の家に生まれ、基盤を作った先々代の金を貪り、愛してくれた曽祖父を慕って遺骨をフィルムケースに入れて持ち運び、作ってくれた父に悪ふざけで硫酸をかける。行方不明の母もこいつが殺したと中学の時、噂になった。

 その程度のものだ。こいつの評価などその程度。何も本質を表せていない。

 こいつの本性は普通だ。そこらにいる奴と何も変わらない。飢餓児よりも摂取カロリーの少ないクラスの女や、身内だけで発生する益体の無い会話を延々と繰り返す女と変わらない。

「ボルボかシトロエン、どっちがいい? ポルシェもあるよ」

「……チャリでいいよ。」

 車なんて小汚い軽トラと親父さんが趣味で買ったコスモスポーツしかないのを、ボクは知っている。でも殊更、それを追求しようとは思わない。

「で、何をしに行くんだ。幽霊見に行くだけなら時間が余る」

「フードコートで体に悪いもん食べたり、ガチャガチャしたり、百円ショップ行ったりする」

「ならボクにも付き合ってくれ。そろそろ靴を買い換えようと思ってる」

「いーよーう。い、よーぉう」

 すっ、と百舌鳥は立ち上がった。

「じゃ、わたしは一回家に帰るわ。あんた自転車通学でしょ。そのまま行こうよ」

「分かった。なら裏門で」

 別れた。自転車を取りに戻る事ですら、彼女は億劫としない。それは百舌鳥が良い奴だからなのか。それとも自分の欲求に正直なのか。

 あと二十分。微妙な時間だ。

「……」

 校舎の陰から見覚えのある髪が、風で揺られてはためいている。

「……」

 小さなお弁当箱を二つ抱えて、とてとてその影は走ってくる。途中で一度、石畳に足をとられそうになっていたけれど、バランスを戻してなおこちらに向かう。

「……」

 少しも上がらない息は、部活動のたまものだろうか。自分の運動性能に劣等感。

「どうしてですか?」

「なにが」

「どうしてあの人とは遊びにいったり、すごく長く話したりするんですか」

「べつに」

 どうやらボクは責められている。理論ではなぜそうなるかは分かる。でも直感でぴんと来ていない。ボクが百舌鳥と話すのに、この少女は関係無いはずなのに。

 もちろん分かっている。この子にすればボクはすごく物足りないのだろう。もっと話したい。もっと一緒にいたい。もっと遊びたい。もっと確かめ合いたい。恋人とはそういうものだし、そこには独占欲や愛だかなんだかも絡まっていて。

 だから他の女と喋るな、と嫉妬を覚えるのももちろん分かっている。

 でも語り告げるほど、この少女に価値を感じないから、やる気が出ない。

「もし、今日の放課後に遊びたいって言ったらどうします?」

「君が? それは断る。先約が入ってる」

「ならこっちが先約です。一緒に帰るって約束してたのに」

 はて。そんな約束をしただろうか。部活が無いから一緒に帰るのがいいのかとボクは聞き、君は明確に答えもせず顔を赤らめただけだ。

 ボクは意地悪だ。そんな事も分かっているのに。罪滅ぼしでも言い訳でもない独白を繰り返すだけで、楽しくも無いこの時間に意味を作ろうとする。

「なら三人で帰る」

「……それ、本気で言ってます?」

 怒気が増す。どうしてだろう。百舌鳥なら二人より三人の方が楽しいって言ってくれる。それどころか学校中引き連れて黒壁スクエアに殴り込みかけようだなんて言い出すだろう。

 ユーモアが無い。でもそんなのが今、必要で無い事も分かっている。彼女はこう言いたいんだ。恋人の自分がいるのに他の女を優先するな、と。

 倫理や道徳、常識や通例。そういうのに沿って言うなら正解だ。間違ってるのはボクの方だ。選択肢のミスにデメリットが無いから遊んでいるだけ。

「     あっきれた。先輩ってそういうとこありますよね」

 どうすればいいかは分かってる。それが世間の正解だとも知っている。

 なのにしたくない。彼女の勘違いを正すのも面倒だ。考え方を分かってもらおうだなんてわがままは言いたくない。

「もういいです。あの人と帰ればいいじゃないですか」

「そう? じゃあ明日は君と帰るよ」

「……明日は、部活です」

 そういえば何部だったかに入ってるんだったな。運動系な事しか思い出せない。日に焼けていないからバドミントンとか卓球とか、体育館のスポーツだろう。

 一つだけ、正さないといけない勘違いだけは残っている。

「ボクは別にあいつが好きなわけじゃない」

「あの人を好きな人なんてこの学校にはいません」

 と、この後輩は最後にやっと、ボクの琴線に触れた。


「だから先輩は一緒にいたがるんでしょう?」


 ご名答。言うなれば慈善事業だ。

 去っていく後ろ姿に懇願すらしたいくらいだ。全ての会話でボクを抉ってほしい。物言えぬくらいに、返す言葉も無いくらいに貶めてほしい。何も聞かないから何でも言える、そういう関係になってもらえれば。

 ただ臆病なだけなんだ。傷つくのが怖い。負けるのが嫌だ。だから関係を修復したくなくなる。何も切り出せなくなる。無難と篭絡で会話を不意にするしかない。

 なんとも、奇妙な話だ。















人間椅子。

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