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「……何のこと?」
ヘクターが言うとフロロはぽんぽん、と頭を叩いてくる。
「あんた、俺が盗賊だってこと忘れてるだろ」
その言葉の意味の裏にあるものを理解して、ヘクターは一瞬動揺した。
「……リジアには言うなよ」
自分でもなぜあの少女の名前を出したのかわからなかった。ただ、仲間にはあまり知られたくない。フロロが髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜてくる。
「わかってるよ」
そう言うとフロロは肩から飛び降りていった。
教官室に向かう廊下を、気持ちゆっくり歩いていく。気乗りしないことは確かだ。教官に会いに行くのは別に叱られる為ではない。が、ヘクターは人からの申し出を断ることが生まれつき苦手だった。彼の性格の中で一番の欠点と言っていい。
「失礼します」
断りを入れながら教官室の扉を開くと、教官たちの空気が変わる。何気ない顔で机に向かっている者、窓の外を見ながらお茶を飲む者、明らかに「無関心を装う」気配でいっぱいだった。
「おう、こっちだ」
奥の方から学年主任のメザリオ教官が手を振っている。彼の元に行くと「まあ座れ」と椅子を勧められる。ヘクターとしては長い話し合いにするつもりはなかったが、とりあえず勧められたまま腰を下ろした。
「えー……、で、どうだ?」
「やっぱりお断りしようと思います」
昨日と変わらない答えを聞いて、メザリオ教官は深い溜息をつく。
「そうか」
「はい」
教官からの申し出はこうだった。学園に卒業生を中心にした戦闘部隊を作りたい。先日のローラスに悪魔が出現したという情報から考えられたものだ。元々魔術師クラスには「研究科」という機関があるのに対して戦士たちが集まるようなところが無かったのもある。研究科と少し違うのはこの計画はローラス全域の学園に対しての計画であり、国家レベルの話しだということだ。
始めに話しを聞いた時点では「モンスターから民間人を守る、ということで冒険者と何が変わらない?」と疑問に思ったが、メンバーを聞いて少し納得した。聞き覚えのある名前ばかりだったのだ。自分が知っている名前、ということはある程度腕の立つものと考えていいのだろう。そしてそれはローラスを守る為に戦いに特化したもの、という意味だ。ローラスに常駐し、並の冒険者では歯が立たないモンスターが出現した時に前線に立つものということになる。日頃から教官たちに言われている教えを忠実に守るなら、願ってもない申し出なのかもしれない。それでも受けたくは無かった。
長い沈黙の後、メザリオ教官は苦笑した。
「お前もハマっちゃったんだろうなあ」
「はい?」
「いや、何でもない。気にしなくていいぞ。始めから断られると思っていた話しだから」
それでも声を掛けてきた、ということは自分の腕が評価されていると考えていいのだろうか。ヘクターは教官の心遣いに感謝した。短くお礼を言うと席を立つ。振り返った瞬間、一際存在感を放つ人物に目が止まる。黒髪から長い耳が覗いている青年。体は細いのにすぐに目につく。彼の方もヘクターを見ると手を挙げた。
「おう」
「おす」
簡単な挨拶を交わすと二人揃って教官室を出た。扉が閉まった瞬間、アルフレートに指摘される。
「何か言われたな?」
人間以外の種族というものはこんなにも勘が鋭いのだろうか、とヘクターは苦笑した。が、アルフレートはそれ以上は突っ込んでこなかった。言いたいことがあるなら自分から言ってくるだろう、年上の青年の顔にはそう書いてあるようだった。
アルフレートの右手にある丸まった紙に気づき質問する。
「何それ?」
「ローラスの地図だ」
アルフレートはひょいと持ち上げて答えた。地図、と聞いただけで少しわくわくする。広げて眺め、仲間と談笑する。それがあるから冒険者は幸せなのだ。
ミーティングルームに入ると仲間の全員が揃っていた。今日初めて会う顔に挨拶する。
「おはよう、ローザ」
「あらおはよー、何か機嫌良さそうな顔ね」
彼女に言われてヘクターは自分の顔を触った。
「そう?」
「ええ、なんか男前がもっと男前になってるわよ。なんつって」
ほほほ、とローザが笑う。最近どうも彼女が本当は男だということを忘れて困る。気づかいが上手いからだ。今言われた「機嫌がいい」というものも予想外の指摘で驚いてしまった。
リジアとアルフレートが言い合いをし始めた。いつものことだ。お互い頭が良いので独自の意見というものがあるのだろう。イルヴァに声を掛けられる。
「ヘクターさん、お菓子食べます?」
うん、と答えるとイルヴァが抱えていた缶からぐわっと掴んだ大量のクッキーを手渡された。
「あ、ありがとう」
予想を超える量だったが、最近彼女の食べ物を分け与えてくれる量というのは彼女の好意のパロメーターである、という事に気が付いたばかりなので嬉しかった。
「俺にもくれよ!」
フロロが飛び跳ねながら叫んだ。
「しかし、こんなに菓子ばっか持ち込んで怒られないのか?」
アルフレートがお菓子で埋まった棚を眺めながら呟く。
「それより『うるさすぎ』って言われちゃった、両隣りから」
リジアが部屋の両サイドを指差し、溜息ついた。
「そろそろ教官から注意されるかもね」
ローザが紅茶を飲みつつ答える。ローザが持ち込んだお湯を湧かす器具も注意されたばかりだ。
「いいじゃん、別に」
ヘクターが答えると皆が一斉に見た。自分には特に問題があるとも思えなかったので素直に口に出したのだがまずかっただろうか。
「リーダーが言うならしょうがないわね」
「そうね」
ローザの答えにリジアが乗る。
「そうか、リーダーがこんなだから我々がだらしないんだ」
アルフレートも頷いている。色々突っ込みたいところはいっぱいあるが、ヘクターは「まあいいか」と納得した。
いつも通り、午後はローザの家になだれ込み、夕刻にはリジアと一緒に帰る。自宅のある通りに戻ると鍋を抱えたカロリーナが走ってきた。
「これ、トマト煮!鶏のトマト煮!作り過ぎたから持って行って!」
興奮気味に喋る彼女に頷きつつ鍋を見る。いくら作り過ぎたといってもこんなに始めから作り始めるものなのか、という重さの鍋を受け取り、ヘクターは小さく笑った。たぶん遠慮するといけないと思っての方便なのだろうと理解した。
カロリーナが隣家に向かって声を張り上げる。
「ほら、ミシェル!出てらっしゃいな!ヘクターが帰ってきたのよ!」
家から応答はない。ミシェルの顔を大分見ていないように思う。確か同い年ぐらいだったはずだが。祖母がたまに話題に出すのでいることは確かなのだが、自分とは生活時間が食い違っているのかもしれない。娘が顔を出さないことをカロリーナは詫びてきた。
「恥ずかしがってるのよ、あのこったら」
朝と同じようにお茶に誘われ、「今度ぜひ」と答えるとようやく解放された。
家に戻ると台所に立つ祖母に鍋を渡す。祖父が庭で草を毟っていた。
夢を見た。
目の前で少女が泣いている。
どうして泣いているのだろう、と思うのと同時に自分のせいであると考えていた。
「泣かないで」
手を伸ばすと少女の頬に手が触れた。ああ、ようやく触れたのだ、と思う。少女の肩がぴくりと揺れた。逃げ出しそうになる気持ちを抑え、構わず指で涙を拭うと少女を目が合う。
「泣かないで、リジア」
リジアの顔が驚いたように目を見開いた。思わず手を離しそうになったが、次の瞬間、リジアの顔に笑みが溢れたので安心する。ああ、良かった。自分でも驚くほどの安堵感に包まれた。
やっぱり、やっぱりリジアだったんじゃないか。
どうして忘れてしまったんだろう。
リジアが何か囁いた気がした。
ああ、そうか。そうだったのか。いつも、目が覚めると忘れてしまう。どうしてなんだろうね。きっと君といると今のような夢の中にいる気分になるからなのだと思う。こんな俺を許して欲しい。
でも、それでも朝になればまた忘れているんだ。そして夢を見ると思い出す。
本当は君が。
でも、それでもいいのだと思う。ずるい考えかもしれない。でもこの心地よい空気に暫くは酔っていようと。
fin