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窓の外の景色を眺めながら教官室までの廊下を歩く。教官から地図を借りる為だ。今日はメンバーと次の旅の目的地を話し合う予定だったのに、資料を持って来たはいいが地図を忘れてしまった。
曲がり角で急に出てきた人物に思いきりぶつかる。アルフレートはふらりとよろけると壁に頭をぶつけた。
「やだ、アルフレートじゃない」
聞き覚えのある声に怒りが倍増する。
「……まずは謝ったらどうだ、ローザ」
「お互い様じゃない。っていうかアンタちゃんと食べてるの?そんなひょろっこい体してるから今のくらいでよろけたりするんじゃない」
余計なお世話だ、この大女め、と思ったところで間違いに気づく。こいつは男だった。金髪碧眼に端正な顔つきといい、威厳あるオーラといい、アルフレートが見てきた王族にも勝る雰囲気の持ち主だというのに、どうしてこうもおばさんくさいのだろう。女を通り越しておばさんだ。
「今日もうちで御飯食べていけば?どうせ家帰っても一人なんでしょ?」
ローザの言葉にアルフレートはある人物を思い出す。1人で旅をしていた時に立ち寄った、小さな村の中年の女。人を見るなり「妖精さんだ」と指差す遠慮のない人物だったが、やはり世話好きのおせっかいさんだった。彼女には村に滞在中、しこたま食わされたが、どれも美味しかったのは認めざるを得ない。
どうして彼女のことを思い出したのかが可笑しくて、吹き出しそうになるが堪えた。理由を言えば目の前の人物が色々うるさそうだからな、とアルフレートは顔を引き締める。
「じゃ、後でね」
駆けて行くローザの後ろ姿を見ながら思う。田舎での思い出を思い出したのはきっと、彼女たちの性格が似ているというよりも、二人に共通した強さを感じるからだ。
「まあ、あのキャラを隠さず生きてる時点で相当タフだよな」
アルフレートは一人呟いた。
「破かないでくださいよ」
地図を手渡しながら言う女性教官にアルフレートは頷いた。教官たちのアルフレートに対する態度を見るのはとても面白い。集団の中に入ると他の生徒と同じ扱いだが、一対一になった途端にどう接して良いかの迷いが生じる。それが手に取るように分かるからだ。学園の生徒であるが相手はエルフだ。人間に対して絶対的な力の差があるこの相手をどう扱うべきか、という混乱が垣間見えて面白い。アルフレートが属している吟遊詩人を育成する『バードクラス』では教官たちは命令口調、もしくはフランクな話し方なのに対して単位取りに選んだ選択授業の精霊魔術の時間では敬語になる教官が多いのも可笑しい。
そういうことを楽しんでいる自分が一番の変わり者だという自覚はあった。だからこそ同種族の集落ではやっていけなかった苦い過去があるのだから。
教官室を出ようとした所である人物に目が止まる。学年主任のメザリオ教官と話している長身の男。話しが終ったようで椅子から立ち上がったところで目が合った。アルフレートが手を挙げるとこちらにやってくる。
「おう」
「おす」
男同士の挨拶が素っ気ないのは人とエルフでも変わらない。二人揃って教官室を出ると、アルフレートは閉まり行く扉の隙間からメザリオ教官が溜息をつく姿を見た。
「何か言われたな?」
アルフレートに聞かれ、ヘクターは苦笑する。アルフレートはそれを肯定と受けとった。あまり突っ込んで聞く気もない。彼が話さないのであれば、それは話すような事ではないのだろう。
「何それ?」
ヘクターがアルフレートの持つ地図を指差す。
「ローラスの地図だ」
「ああ、もう『次』を決めるのか」
二人はすっかり人数の減った校舎を見渡す。学園の仲間は今も旅を続けているのだ。
「嫌なのか?」
「まさか」
ヘクターの強い返事を受けて、アルフレートはまた、過去に戻る。
この男はかつて『神王』と呼ばれた男に似ている。顔や体つきも違ければ包んでいる雰囲気もまるで違うが、きっと同じ王星の下に生まれたのだろう。神王は寒気するほどの威圧感を放つ男だったが、神の娘に恋をした。それで愛の甘さに溺れていったのでは単なる教訓話だが、神王はそれを強みにした。王になるために生まれてきた男、それが神王だった。
ヘクターの横顔に目を向ける。学園に来た時、真っ先に目についたのはきっと、人より目立つ容姿だけでは無いのだろう。彼がどういう道を歩むのか、見守るのも面白いかも知れない。
「生まれた土地が違えばなあ、この国は共和制だ」
アルフレートの脈絡のない話しにヘクターが眉をひそめた。
「何?」
「いや、何でもない」
アルフレートの答えにヘクターが首を傾げるのが横目に見えた。
ミーティングルームの扉を開けるとすでに全員が揃っていた。
「ちょっとアルフレート!」
挨拶もそこそこに、アルフレートに突っかかってくる一人の少女。
「なんで持ってきた本、バンダレン地方のばっかりなのよ!」
「私が行ってみたいからだ」
アルフレートの物怖じしない返答に少女は一瞬言葉に詰まる。が、より眉を釣り上げて詰め寄ってきた。
「これじゃアルフレート一人が決めるのと同じじゃないの!皆の意見も聞かなきゃ!」
真っ直ぐこちらを見る少女の顔。これだ、この気の強さ、彼女の祖母を思い出す。リジアの祖母であるアルマ・ファウラーに出会った時に言った第一声がこうだった。
『お前の血族にイーラ・ファウラーはいないか?』
返ってきた答えはこうだ。
『イーラはわたしのおばあさんだけど……、おばあさんを知っているの?』
アルマ、お前もそうだったな。へたくそな魔法しか使えなくて、その割に気が強くて賢かった。何度言い合いになったかわからなかったな。でもアルマの考え方も嫌いじゃなかったんだ。
『きっとわたしとあなたの生きる時代は違っていってしまうのでしょうけど、もしもわたしの子供やその子供にも出会うことがあるならば、その時はお願いね、アルフレート』
出会ってしまったよ。私の驚きがお前にわかるだろうか、アルマ。厄介なことになった、と思ったが、もしかしたら私も望んでいたのかもしれないな。アルフレートは目の前の少女を見て思う。
「ちょっと聞いてんの?」
リジアがアルフレートの顔を覗き込む。
「聞いてる。『皆の意見を聞こう』とか言ったな?これが私の意見だよ。お前が行きたいところはどこなんだ?さあ、言ってみろ」
淡々と返すとリジアは口篭った後、腕を組み睨みつけてくる。
「……もう!そういうところが嫌い!」
ふん、とそっぽを向くリジアを見て、アルフレートは「同じ顔するんだな」と苦笑した。
「え?」
「いや、何でも無い」
アルマの時もそうだった。イーラの表情と被ってはかつての友を思い出してしまったものだ。
「変なの」
そうだな。まったくもって変な現象。この縁はいつになったら切れるのだろう。こんな運命を決めた神は本当に変な趣味をしている。アルフレートは悪くないかもしれない、と思った。
夕刻、かつての友の揺り椅子に身を委ねながら本棚の隙間を見た。音楽の都バンダレン。その都市を描いた小説、ガイド本、歴史書が抜け落ちた棚。
一度だけウェインが言ったことがある。
『このへんは処分しようか?』
アルフレートはそれを柔らかく断った。後にも先にもアルフレートが曖昧な否定の仕方をする言葉を選んだのはあの時だけだったかもしれない。『ひどく人間くさい言い方だな』と自分で笑ってしまったものだ。
暗くなってきた室内を見て、アルフレートは短く呪文を唱える。すぐに光の精霊がいくつも現れて部屋の隅々を照らして行く。
『わたしの子供やその子供に出会うことがあったら、その時はよろしくね。そうすれば——』
「私は再び歌えるようになるだろうか、アルマ」
アルフレートは呟いた。
『会いにいらっしゃいよ、生きてるうちに』
アルマの声が聞こえた気がした。
fin