花の人
「美しい人」と対になる短いお話です。
僕等はパンドラの箱を開けてしまった!
一昨年のまだ冬の寒さの抜けない時期だっただろうか。
僕らの出会いに君はその無表情を貫く顔を歪ませる程、拒絶反応を見せて僕は微塵も持ってない信仰心を改める程神に感謝した。
「私達よっぽど運がないのね、クリスピアン」
君があえて『私達』という言葉を使って僕を牽制した事も分かっていたよ、キーラ。
でもね、僕は君が毎晩涙を流している事も、君が本当は絵に描いたような夢見る乙女だということも、母親を嫌っていることも呪い殺したい男が二人もいることも知っている。
それを知る僕のことを何とか視界から排除したいと思っていることもね。
それに僕は唯一君の心を激しく動かせる男だということが嬉しいんだ。それがマイナスの方向にだとしても。君の前を通り過ぎるだけで終ってしまった哀れな男共のように、顔も覚えてもらえない存在になるのはまっぴらだったからね。
僕は君が心配でもある。夢の精霊サンドマンに君が引きずり込まれるのではないかって、いつも心配しているんだ。そんな気持ちを知ったら、君は二ヶ月は僕と口を利かないだろうな。
僕は人を記号で見る癖がある。
例えば僕らのクラスのリーダーであるデイビス。彼は『デイビス』という名を持つ『大柄な男』という記号だ。その彼には『豪快で面倒見がよく、どんなにマヌケでヘマをやる者のことも最後まで見捨てない。しかしやる気の無い人間は容赦なく切り捨てる』という特性を持っている。だから僕は彼の前では『輪を乱さず、常に笑顔でいるがいざという時はやる男』になるんだ。
そしてランディ。彼はデイビスと同じような大柄で一見からっとした男だが、実際は努力の塊のような男であり、また同じように努力を重ねる奴の事を嫌う。同族嫌悪というのもあるかもしれないが、置いて行かれることを極端にまで怯える臆病者だ。だから彼の前では『いい加減でへらへらした男』を貫くんだ。
そんな僕にも記号として認識しない人間が二人いる。一人は言うまでもなく君なのだけれど。
「お前、そういう風に人を見るのやめろ」
前振りも無くいきなり言われた言葉に僕は咄嗟に返すのを忘れた。だって今の今まで『隣りのクラスの教官』と『盗賊クラスの美人教官』の話しをしていたんだ。会話の流れからして学び舎の導き手をいやらしい目で見るのはやめろ、と言っているのかと思うかい?いや、彼の言いたいことはそんなくだらない事じゃない。彼には僕の悪癖が分かっていたんだろうね。そしてその事を僕も一瞬にして分かってしまったんだ。
「なぜそう思う?」
この質問はこの時も、そしてその数ヶ月後にももう一度したことがある。二度とも銀髪の戦士、ヘクターは曖昧に笑って、
「何となく、そう思っただけだ」
そう答えるだけだった。彼はいつもそうなんだ。計算高く生きる事をしない。そして本当に『何となく』で動いているだけなんだ。
君にも僕にとっての彼のような人間が現れますように、と言ったら君は、
「ヘクター・ブラックモア?冗談でしょう?」
そう言って笑ったね。君の中では『女の子にもてはやされる優男』というイメージになっていたとは。少し残念だよ。なぜなら君が彼を拒否する理由はそのイメージのせいじゃないからだ。
「ヘクターは君と正反対過ぎる。そして正反対の人間に魅力を感じて惹かれる程、君には余裕が無い」
珍しく真顔で言った僕を君は睨んだ後、薄ら笑った。その時初めて男共が君を放っておかないのかが分かったんだ。
君が美しいのはその花のような美貌を持つ顔のせいでも、輝くような金の髪のせいでもない。囁くように絡み付く声のせいでも、陶器のような肌をした長い足のせいでもないんだ。君の目が、深い闇の中にいるように光を探すその目が男共を不安にさせるんだ。だからみんな君を放っておけない。もし君が、今とは似ても似つかない顔で、胸も半分程になったとしても、君の瞳が変わらない限りは同じだと断言してみせるよ。
暗くなった町、僕は静かな家に帰る。小さいけど隣りの老夫婦は親切だし、家の大きさの割りに立派な暖炉があるから気に入ってるんだ。学園までは少し遠い住宅地だけど、贅沢は言えないね。
明かりを着けながら廊下を歩き、自室に帰る。疲れた筋肉に鞭打って着替えを済ませ、顔を洗う為にまた廊下に出る。
さっぱりした後、ようやく帰宅の挨拶をする為に奥の部屋に足を踏み入れた。
「ただいま、母さん」
真っ暗な部屋の中央には眠り続ける僕の母がいる。月明かりに照らされる顔は僕の母親とは思えない程に若い。
サンドマンが僕の母を掴んで離さない。彼がいなくならない限り、母は目を覚まさない。
サンドマンは母が呼んだ。母は弱かったんだ。現実を受け入れられず、心が狂ってしまいそうになって彼を呼んでしまった。眠り続ける母を見て、今日も彼はここにいることを認識する。
僕は君が心配なんだ、キーラ。夢の精霊サンドマンが君を連れて行ってしまうのではないかって。その見張りの為に僕は君と一緒にいることを選んだ。それが君にどうか伝わりませんように。