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美しい人

訳も無く涙が溢れる。窓から身を乗り出すことで瞳が乾いたのでもなく、朝日が目に痛いわけでもない。じわじわと浸蝕する表世界の空気が私を泣かせるの。傷つけられたわけでもないのに、喉に刺さった小骨が抜けないのね。

可哀相なキーラ。

そう言って欲しいわけでもないの。言われたことは無いけれど、そんな言葉は聞き飽きたわ。

大人が「難しい年頃」と片付けてしまうような感情の大波。でも今は流されていようと思っている。この常に胸がざわついて憂鬱に満たされる感覚もあと数年で消えてしまうのだもの。

「時間大丈夫なの?キーラ」

扉の向こうから聞こえてくる溜息混じりの声にわたしは立ち上がり、指で涙を拭う。振り返る時に目に入った鏡にはいつものすました自分がいた。

「大丈夫よ、ママ。今行くから」

扉を開けるとローブを着込み、すっかり準備を整えた姿を見せてやる。鞄を掴み玄関へと向かう私に母はいくつもの言葉を投げてくる。

「今日の帰りは何時頃なの?お昼は食べてる?……勉強は追い付いていけてるの?」

「大丈夫だったら。心配性なのね、ママは」

笑う私を見てほっとしたような顔になる母。早く出て行って欲しい、という空気をごまかすように彼女は毎朝、質問責めにしてくる。こうやって言葉を重ねるのは私を疎ましんでなんかいないと、自分に言い聞かせているのよ。

「行ってきます」

そう言って開け放つ扉は母の趣味で付け替えたやけに重いものだ。朝から随分と温い空気に目を細める。

多分あと何年かしたら私は母のことなどどうでもよくなる。だから今は嫌いなままでいようと思うの。



「好きの反対は無関心よ」

私は目の前で大きな瞳をぱちぱちとさせるクラスメイトの顔を覗き込んだ。私の一言に腕を組み唸ったかと思えば口を開けて何かを言いかける。が、また首を傾げて唸る様子が見ていて面白い。

「経験ないって感じね、リジア」

私は彼女の名前を言うと机越しに腕を取る。リジアが目を細めた。嫌がっているのではなく照れているのだ。

「わたしはやっぱり『好き』の反対は『嫌い』だと思うけどなあ」

彼女の不服そうな声は可愛い。私は一つ頷くと考えを述べる。

「問題はどれだけ人の気持ちを動かせるか、なのよ。大好きでも大嫌いでも、相手の感情を大きく揺さぶるのは同じじゃなくて?」

「……なるほど、全く感情が動かない相手が『無関心』なわけね」

リジアの返答に私が再び頷いた時、赤い髪美しい少女が割って入ってきた。

「何なに、面白そうな話ししてるわね」

リジアと同じくクラスメイトのセリスだ。きつい顔の美人だが、実際の彼女は周りをよく見る気配りの出来る人だ。セリスは私達の隣りに座ると手鏡を開く。

「確かに無関心な相手が何しようと許せちゃうもんね、浮気とかさ」

話しに入るなり言い放ったセリスの言葉にリジアが眉を寄せる。私はそれを見てくすくすと笑ってしまった。

「男女間の話しじゃなくてもそうじゃない。あんまり関心のない子が相手だと、その子がどんなミス犯しても『いいわよー』で笑ってあげられない?」

「あらセリス、あなたとは話しが合いそうだわ」

私は手鏡を相手に前髪を直すセリスの水色の瞳を覗き込んだ。二人して笑った時、上から声が振ってくる。

「たまに可愛い話題でもしてるのかと思えば、えぐい話ししてんな」

呆れた顔で私達三人を見下ろすのはロレンツ。このクラスの数少ない男の子であり、一番優秀な生徒だ。彼は私の顔を見ると扉方向を指差した。

「さっきそこでクリスピアンに会った。『話しがある』ってさ」

「告白の前みたいな言い方ね」

リジアがはあ、と息をつく。彼女もあの男が本気でそういう気があるわけではないと分かっているのだろう。面白がるようにそういう言葉を選ぶ性格だとも。立ち上がる私にセリスが半分からかうような声で囁いてきた。

「そんな澄ました顔して、実際本気で来られたら動揺するくせに」

それを聞いて私は思わず笑みがこぼれる。席に座る二人の顔を見ると私は言った。

「彼は絶対に私を好きだとは言わないわよ。クリスと組んだのは彼がそういう人だからなの」

ぽかん、とするクラスメイトを後ろに私は教室を出る。うなじにつく髪をかきあげると廊下の窓から入る風が気持ちよかった。



各ミーティングルームが並ぶ廊下までやって来ると見知った顔が窓に張り付いていた。

「パウロ、危ないわよ」

私が声を掛けると小さな友人はにこっと笑った。身長は私の腰までほどしかなく、耳は猫を連想させるフワフワとした獣のもの。長い尻尾が揺れる様子はいつも私の気持ちを穏やかにさせる。モロロ族という大人でも人間の子供のような外見の可愛らしい種族。学園に何人かいる内の一人が私のパーティーメンバーだ。パウロは彼らの中でも一番性格も子供みたいで可愛い。私は彼の頭を撫でた。

「皆いるの?」

私が扉を指差し尋ねるとパウロはいやいやをするように首を振る。

「クリスが来てないよ!あいつが集まれって言ってたのに、一番遅いんだ!」

彼の言葉に私は一瞬黙り込む。パウロの「探しに行こうか?」という申し出に首を振った。

「連れて来るわ。中で待っていて」

私が言うと何か思うのか首を大きく傾げるが、パウロは手を振りミーティングルームへと入っていく。私は扉が閉まる音を聞くと踵を返し、廊下を歩き出した。



屋上の扉を開け放つとじりじりとした陽が肌に迫る。私は目を細めた。屋上の熱を持った床を避けるように日陰になった端で赤い髪が揺れている。ごろりと横になり腕を頭の下で組む男に私は気配を消すこともなく近付いていった。

「早く来なさいよ」

顔を覗き込みクリスピアンに声を掛けると彼はにやっと笑った。

「キーラが呼びに来てくれるなんて嬉しいなあ、……もしかして俺の居場所分かっちゃうのってキーラだけだったり」

起き上がる様子も見せずに笑う彼に苛立ながら私は隣りに腰掛ける。

「何で分かったの?運命感じちゃうよね!こういうシチュエーション。行動パターンを読まれちゃうってやつ」

軽口を続けるクリスピアンの頭の両サイドに手を着くと私は顔を近付けて瞳を真っ直ぐ合わせた。

「もう止めにしない?そういうの」

私の声の後に一瞬訪れる静寂。夏の不快な風が二人の髪を撫でる。

「……何が?」

クリスピアンの答えに私は苛立を見せないよう、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「馬鹿馬鹿しいと思わなくて?何も生み出されないし、壊れていくだけよ」

「何故?」

表情を崩す事無くクリスピアンはそう答えると、私の腕を取りゆっくりと起き上がった。翡翠色の瞳がグラウンド方向に広がる空を眺める。

「さーて行こうか。流石に俺が集めといてこれ以上遅れたら立場ないし」

立ち上がり背中側の埃を叩くと私に手を伸ばす。優雅で柔らかいこの仕草が私は綺麗だと思ったし、素敵だとも思った。

「行こう」

クリスピアンの声の後に続く風。私の髪が彼の体に襲いかかるのを見て、髪を切ろうかと考えていた。



「ただいま」

重い扉を開くと自宅の甘い匂いが鼻につき、私を憂鬱にさせる。靴棚の上に朝は無かったブーケが飾られていた。

「おかえり」

そう言って部屋から顔を出した予想済みの人物に私は微笑んだ。

「ただいま、帰っていたのね」

「来期にはキーラも今以上にこの家には帰ってこれなくなるって聞いたからね」

そう言って赤い髪をかきあげる彼の横を通ると私は自室へと戻ろうとする。

「こら、おとうさんに挨拶したの?」

「今したよ……」

後ろから聞こえる両親の会話を受け流しつつ部屋に入った。きっちり閉ざされた自室はこの家では異質な程無臭であり、色が無い。重い鞄を置くと部屋着に着替え、窓を開けた。丸い月を見ると誰か私を連れ出して、空に飛んで行けそうな気持ちになる。それは私の仲間であり運命であり、今の生活を捨てることもしょうがないのだというストーリー。でもきっとこんな妄想もあと少しでばかばかしいと思うようになってしまう。きっと今だけ許される少女の特権。わけも無く不満であり、不憫な自分に酔いしれる。

笑い声が聞こえるのは居間からだろうか。隣りの家からなのだろうか。

今夜も私は可哀想な膝を抱えて眠るのだ。



fin

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