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「何か前より悪化してない?名前聞いただけで……その、鼻血って……」
廊下の水道で鼻を洗うカーチャを見ながら、わたしは頭を掻いた。
「……ごめんなさい。係で一緒かも、って想像したら、つい……」
「いや、謝られても……」
洗い終わったらしいカーチャにわたしはハンカチを差し出してやる。深々と頭を下げながら受け取るカーチャ。早いとこ移動しなきゃならないのは確かなので、歩きながら身支度は整えて貰う。
「これで明日から『重い病の子』って思われたらどうしよう……」
俯くカーチャにわたしは声を弾ませた。
「いいきっかけじゃない!これで明日から目立つかもよ?」
「そんな目立ち方嫌よ!」
我が儘な奴。カーチャって結局は目立ちたくないんだな。
「全然いいと思うけどなあ。わたしなんて未だに『学園クラッシャー』みたいに言われるのに」
「それは事実じゃ……」
わたしが睨むとカーチャは慌てて前方を指差す。
「あ、そこじゃないかな?ラブレー教官の教官室」
見ると確かに教官の名前が彫られたプレートが掛かっていた。このように個人の教官室を構える教官も学園には何人かいるのだ。教官達は皆、研究を続けているが研究の規模が大きいと、このように個人の部屋が貰えるらしい。が、ラブレー教官の学園内での立ち位置を見ると「隔離されている」方が正解のような気がしてならない。わたしは「やだなあ」と小声で呟きながら扉をノックする。間を置かずに「入れ」と中から声がした。
「……失礼しまーす」
小さめの声で囁きながらそろそろとドアを開けると、いきなり書類の山、山、山。床にも学術書やガラスのカップや何かの道具が散乱しており、入るのに躊躇する。
「早く入って来い」
物の山からひょい、と顔を出したのは無精髭に青白い肌のラブレー教官。ボサボサの銀髪から目がギョロギョロと覗いている。その目がわたしの顔を見た瞬間すっ、と細められた。
「……なんでお前なんだ」
初っ端の挨拶がそれかい。
「じゃんけんで負けたからです」
わたしは正直に答える。
「よりによってお前なのか……。はあ、しょうがない」
ラブレー教官は普段、物に魔力を付加させる『エンチャンター』としてのノウハウや、魔術具の扱いなどをわたし達の授業で請けもっている。授業数が少ないせいか、わたしが壊した学園の壁や結界を修復するのにもよく駆り出されているので、ばっちり面識があるのだ。教官は書類を掻き分け出てくると、わたしの隣を見て首を傾げる。
「お前は?」
「わ、私もじゃんけんで負けて、その」
「いや、名前」
「カーチャ・サマエルです!」
その返事を聞くとラブレー教官はぽん、と手を叩いた。
「ああ、この前の提出物は覚えてるぞ。発動体のワンドはよく出来ていた」
物は覚えてるのに顔は覚えて無いのかよ、と思ったがカーチャは嬉しそうに顔を輝かせる。健気だなあ。
「じゃあ何とかなるか……、いや、やっぱり不安だなあ」
教官はボリボリと頭を掻いた。
「何やるんです?」
わたしが聞くと教官は物が積み上がって半分見えない黒板を指差す。何やら色々書いてあるようだが殆ど解読出来ない。
「新しい媒体から作り上げるゴーレムを試したいんだ。特に難しい事じゃないんだが、一定の魔力を長い間付加させる必要がある」
何だか聞くだけでわたしには向いてなさそうなんですけど。
「なんでわたしを呼んだんです?」
「だから呼んでねーよ」
早くも冷ややかな空気になるわたしとラブレー教官の間を、困った顔のカーチャがオロオロとする。この教官の、こういう所が嫌なのだ。教官達の中では若い為か横柄だし、言葉は悪いし。
「とりあえず移動するぞ」
「何処行くんですか?」
机らしき物を掻き分ける教官にわたしは尋ねる。教官は鍵を見つけ出すとそれをチャラチャラと振った。
「第二演習場だ。そこを押さえてある」
そういうとさっさと部屋を出ていく。わたしとカーチャはそれを見届けると顔を合わせ、肩を竦めた。
「よいせっと」
グラウンドから植え込みを跨いで、教官は演習場前へと体を躍らせる。ひょろ長い教官には簡単に越せる植え込みかもしれないが、わたしとカーチャは大人しく遠回りした。
「新しい媒体って何ですか?」
わたしの質問を教官は指を振って答える。
「自分で見た方が早いだろ」
そう言いながら演習場の重い扉を開けていった。徐々に隙間から中に光が入り、様子が見えてくる。
「うひぃ!」
わたしは思わず腕を摩る。鳥肌が気持ち悪い程立ってしまったのには理由がある。広い演習場を埋め尽くしているのは人形の列!同じ顔に同じ体つきの人形達が、悪趣味なことに全てこちらを向いて顔をあげているのだ。
「な、なんですかこれ?」
カーチャが震える指で中を示した。教官は妙に嬉しそうに、
「スゲーだろ。一年かけて揃えたんだぜ」
と声を弾ませた。答えに詰まるわたし達。
教官は中に入ると一体一体、チェックしていく。わたし達もおっかなびっくり続くが異質な雰囲気に飲まれ、無言になってしまう。わたしは勇気を振り絞ると人形の一体をよく見てみた。材質がよくわからない。布ではないようだし、陶器とも違う。触ると軟らかいが生き物の肌とは似て非なるもの。しかしよく見るとラブレー教官に似ているのが気に食わない。まるで教官をデフォルメして人形サイズにしたような感じじゃないか。いつまでも口を開かないわたしとカーチャに痺れを切らしたように教官は説明を始めた。
「不思議そうな顔をしているな。これが何なのか分からないんだろ?……これはな、俺の髪から作り上げたゴーレムだ」
それを聞いた瞬間、わたしは人形から手を放す。き、気持ち悪い!
「ゴーレムといえば何を思い浮かべる?土から作り上げるマッドゴーレム、金属を媒体にしたアイアンゴーレム……。代表的なのはその二つか」
教官は指を折るとわたしの顔を見る。他にも木や硝子といった固形物を媒体にしたゴーレムは聞いたことがある。子供の頃に読んだ本では、水から作られたゴーレムが勇者の剣を翻弄しているのが描かれていたりしたが。
それらの固形物に古代人の知識で組み立てられた呪文を唱えることで、仮染めの命を与えてやるのがゴーレムだ。ただし知能は辛うじて簡単な命令を聞く程度。決して高くはない。
「生き物を媒体、っていう訳ですか」
わたしは呟く。髪の毛とはいえ生物の一部であることには変わらない。もしかしたらより複雑な知能を兼ね備えてたりするのかもしれない。多分、単純に普通のゴーレムを作り出す呪文をかけたわけではないのだろうが、どういう仕組みで成り立っているのか不思議だった。それこそがラブレー教官の研究の成果なのだろう。
「俺の外見を受け継いだのは予想外だったけどな。こいつらが当日、お前達に倒されていくのかと思うと涙が出るぜ」
じゃあ一体作った時点で止めればいいのに……。つーか皆もやりにくいと思うんですけど。
「あの、私達は何をすればいいんですか?」
カーチャの質問は尤もだ。もうゴーレムは出来上がっているのではないだろうか。教官はニヤニヤとしながらわたし達の顔を見る。
「お前達には一番重要な仕上げに参加させてやる。もっと喜んだ方がいいぞ?」
何とも押し付けがましい台詞を吐きながら、人形の一体に手を翳した。
「今から唱える術式を覚えろ。それからこいつが立ち上がるまでの間、マナを集めてやるんだ」
「失敗したらどうなるんです?」
わたしが聞くとラブレー教官は顔をしかめる。
「失敗するなよ……。別に難しいことじゃないんだから」
「わたしには難しいんです!」
わたしの叫びを無視したまま、ラブレー教官は呪文を唱え始める。淡い光が手の中に漂い始め、暫くそれが続いた。瞳が乾く、ぐらいの時間だろうか、じっと見ていると人形が突如腕を上げる。カタカタ、とぎこちない動きを見せた後、ゆっくりと立ち上がる。首をカクカクと動かし、わたし達を見回した。
「…………」
喋ることはないようで、沈黙が演習場を覆っている。
「……どうだ?すげーだろ!」
教官は満面の笑みでこちらを見てくるが、わたしは返事に困る。その、動きが妙にカクカクとしていて不気味過ぎるのだ。決して愛着は持てない。これなら体育祭当日も手を出しづらいということはないかもしれない。
「さ、お前達もやってみてくれ。こいつら全部を当日までに目覚めさせなきゃならないからな」