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太陽が町を暖めようという目覚めの時間と共に、少女の部屋は騒がしさで覆われる。
狂ったように太鼓を叩き続ける猿の人形。シンバルを割れんばかりに叩く犬のぬいぐるみ。笛を吹き鳴らし、手を叩く縞猫もいる。たっぷりと時間を取っても、それらが止められる気配は無い。
「うあああああああ!!」
隣の部屋からそれらを聞いていたミカルは切れそうな血管を押さえつつ、妹の部屋に突入した。
「うるせえ!うるせえ!うるせえ!」
罵声を浴びせながら騒音をまき散らしている人形たちを蹴り、手に触れたものは片っ端から壁に投げつけていく。大抵の物はそれで止まるが、床に転がった後も主人を起こそうと楽器を振り続けるものも多い。
「何なんだよお!」
気味の悪い呪文が中から聞こえてくる木彫りの熊を蹴ると、足の方がダメージを受けてミカルは涙目になりながら床に転がった。
部屋の中心に配置された天蓋付きのベットに目を向けると、すやすやと眠る妹イルヴァの姿がある。絵本に出てくる眠り姫のような美貌、艶やかな髪に薔薇色の唇。そんな彼女の胸ぐらを掴むと、
「起きろおおお!」
ミカルは何度もイルヴァの頬を叩いた。叩き続けてミカルの手が赤くなって来た時にようやく、
「んあ……おはようございますう……」
イルヴァがゆっくりと目を覚ます。ミカルの手はじんじんと熱を持って痛むというのに、イルヴァの頬は綺麗なままだ。毎回のことながら不思議でならない。のそのそとベットから這い出ようとするイルヴァの肩を、ミカルが掴む。
「何度も何度も言わせんなよおお!俺はお前より一時間遅く起きたいんだよお!」
「イルヴァはこの時間に起きたいんですう」
けろりと言う妹の頬を、かっとなったミカルは思わず叩いた。ぺちん!という景気の良い音の後、一瞬の間を起き、
「……暴力は良くないですよお?」
イルヴァが表情を変えずにミカルを持ち上げる。
「ぎゃあああ!」
ゆうゆうと天井近くまで体を持ち上げられ、ミカルは悲鳴をあげた。
「そーれっ」
扉から投げ出され、冷たい廊下に体を打ち付けられる。背中を強く打ってしまい声も出ない。一瞬の静寂のあと、堪えきれない嗚咽が喉を突き破る。
「……う、ううう……うお〜んっうわああ!!」
今日もミカルの号泣する声が、フリュクベリ家に響き渡った。
フリュクベリ家の長女イルヴァが家族の誰よりも早く起きるのには理由があった。毎日の衣装選びに時間がかかるためだ。夜準備するのは、翌朝になって気が変わることがあるのでしない。
ベッドの脇にある扉の奥、クローゼットになっている一室に入ると色とりどりの衣装に小物が彼女を迎えてくれる。全て丁寧にハンガーに掛けられ、靴、ハットといった小物もきちんと棚に並ぶ。これらを前にあれこれ頭を悩ませるのが彼女の至福の時だ。あれこれ手にしては戻す作業を繰り返した後、イルヴァは呟いた。
「今日はこれで行きましょう」
やたらと古めかしいベルベットの服に袖を通すと身が引き締まる。まるで変装した相手に成り切ったような高揚感。すう、と深呼吸すると羽根つき帽を手にして部屋を出る。廊下に出ると朝食の匂いがする。イルヴァは足取り軽く、一階へと向かった。
「今日は何の格好なの?イルヴァ」
母親が山盛りのトーストを差し出しながら聞いてきた。
「500年前の剣士の服ですう。三銃士の1人ですよ」
イルヴァの答えに母親はにこにこと「いいわねー」と言った。父親が新聞を顔から下ろす。
「それはいいんだが……、朝ちょっと静かにしてやってくれないか?ミカルは試験を控えてるから……」
父は不機嫌顔でトーストを口に運んでいるミカルを指差した。イルヴァは公務員試験を控えているという兄の顔を見る。同じ親から産まれたというのにどうしてこうも違うのだろう。イルヴァから見ればつまらない人生を送る兄ミカル。外見は似ていなくもないが何の特徴もない髪型といい、覇気のない顔といい気が合うとは到底思えないミカルを、イルヴァはあまり好きではなかった。
「考えておきますう」
娘の返事をほっとした顔で聞く父。昨日は勤め先で同僚の、反抗期の娘の話しを聞いてきたばかりだ。邪険にされなくてよかった。心の中でそっと胸を撫で下ろす。
「ルートヴィヒの格好だね、イルヴァ」
イルヴァは声を掛けてきた弟の方を見た。何故かトーストをナイフとフォークで切り分けながら口に運ぶのは、10歳だというのに家族の中で一番物知りなアルヴィド。美しいがどこか無機質な顔がイルヴァによく似ている。
「よくわかりましたねー」
イルヴァが言うとアルヴィドの隣りに座る妹ベアトリスが頷いている。
「胸の十字架と、あとそんな羽根つき帽で洒落ていたのは三銃士の中でもルートヴィヒだけですわ」
双子だからかベアトリスはアルヴィドにそっくりだ。黒髪をカールさせたロングヘアはイルヴァに似ている。ようするにイルヴァ、アルヴィド、ベアトリスはよく似ているのだ。外見だけでなく纏う雰囲気も同じものだった。話しも合う。和やかに会話する様子だが、人形の様に固まったままの顔。そんな三人を見て少し不気味だ、と父とミカルは溜息をついた。
イルヴァの家は学園から遠い。そのため勤務先が同じ方向の父が、個人用の馬車を出して一緒に通うのだ。父と時間がずれる日は歩いて通うが、この行き帰りの時間が父と娘の会話をする時間でもあった。ぱかぱかという馬のリズミカルな足音の中、
「暖かくなってきたな」
隣りで手綱を握る父が呟いた。
「お腹が空いちゃいますね」
娘の返事にそれはどういう意味なのか間を置いて考える。
「それは暑い時期から涼しい季節に移る時に、食欲が出てくるから言う台詞だろう?それにイルヴァはトーストを山盛り食べたばかりだ」
いちいち細かく突っ込む父は兄のミカルに似ている。いや、ミカルが父に似たのだが。しかしイルヴァは父親は不器用ながらも自分を理解しようとする様子が窺えるので好きだった。案の定、父は言い過ぎた自分に気まずそうに顎を撫でながら、新たな会話を探す。
「学園は楽しいかい?」
父に聞かれ、イルヴァは深く頷く。父は安心したようにほっと息をついた。この通り変わり者の娘だ。集団の中に入れば浮いてしまうのではないかと心配したが、そうでもないらしい。現に毎日楽しそうな様子ではあった。危険を負うことが仕事である冒険者を目指す我が子を、父は心配ながらも誇りに思った。
「おい」
校門を少し入ったところで、聞き覚えのある声にイルヴァは振り返った。学園の門の前でエルフの青年が仁王立ちしている。
「アルフレート、おはようございます。今日も偉そうですね」
アルフレートはそう言われてもふんぞり返ったままだ。「当然だろ」とでも言うように。
「これを運んでくれないか。私には重すぎる」
アルフレートが指し示す先を見ると地面に置かれた袋があった。
「何です?これ」
「本だよ。次に何処へ向かうかの資料になればいいと思ってな」
「いいですね。じゃあ運んであげます」
ひょい、と袋を持ち上げる。なんだ大したことないじゃないか、と思ったが、ひょろりとしたエルフの青年には重いのかもしれない。
「なんだ、その格好は」
アルフレートが冷ややかにイルヴァの服装を見た。
「昔の剣士の服ですよ。三銃士って知らないですか?」
「私も産まれる前の話しじゃないか……いいか、服装っていうものはな」
アルフレートはミーティングルームに向かう間、イルヴァに「服飾の歴史」をぺらぺらと聞かせる。いかに時代に見合った服を着ることが重要か、という嫌みも含まれていたが、イルヴァにはどうでもよかった。それにすぐにアルフレート自身が好きな服装、というずれたの話題に移り変わっていく。
アルフレートはいつもイルヴァの格好を咎めるが、すぐに自分の話したい話しになっていくのだ。それはうっとおしくもあり、面白かった。イルヴァは「コスプレをする女」というよりイルヴァ本人を見てくれる、この青年が好きだった。
ミーティングルームに本を置くと珍しくアルフレートからの礼を貰い、イルヴァは機嫌良くファイタークラスの校舎に向かう。学園の西側に位置する建物は全六学年のファイタークラスがひとまとめにされている。クラスの特性からして男の子ばかりだ。イルヴァはそれは少し寂しいことだと思っていた。友達が出来にくいというより見た目が寂しいからだった。すでに選択授業しかないのだが、何となく戦士の皆は一度教室に顔を出す。同士の顔を見る為でもある。
「おっす」
ぽん、と肩を叩かれ振り向くと笑顔で手を挙げる銀髪の美男子が立っている。
「おはようございます、ヘクターさん」
ヘクターは同じファイタークラスでも所属が違う。これは人数が多いために3つに分けられているからで、各クラスで優劣があったりするわけではない。一クラスは40〜41人。同じクラスでも全員と仲良いわけではない彼女にとって、他のクラスの人間はかなり遠い人だった。そのため話すようになったのは最近だ。
「今日も面白い格好だね」
「今日は昔の剣士なんです。ルートヴィヒって人ですよ」
「へえ、すごいね」
あまり興味が無い言い方だが、軽蔑の目は決して向けないヘクターをイルヴァは好きだった。知り合う前は物静かでどこか憂いを含んだヘクターを「いけ好かない奴」と認識していたのだが、話してみると嫌味のない柔らかな物腰といい、嫌いになる要素を探す方が難しかった。嫌いな部分が無いのだから良い人なのだ。だから好きになる。イルヴァの考え方は単純であり明解なのだ。
「今日はアルフレートが色んな本を持ってきてくれましたよ。次に何処に行くか、決めるらしいです。ミーティングルームに置いておきました」
「じゃあ用事済ませたらすぐ行くよ。……イルヴァは?」
「イルヴァはすぐに行きます。リジアに早く会いたいです」
ヘクターは顔を綻ばせる。こういう態度もイルヴァは好きだった。
「じゃあ後で」
軽く手を振り去っていくヘクターを、イルヴァはいつもと変わらない顔で眺めていた。