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後日談 「あれは全部アレンのおかげだったのか」と気づいた時には、俺たちはもう手遅れだった~Sランク勇者パーティの崩壊と、泥水をすする終わらない夜~

プツン。


その音が、俺たち勇者パーティ『白銀の翼』の運命を断ち切る音だった。


目の前にあった希望の光――アレンが展開していた結界の輝きが、唐突に消失した。

いや、消えたのではない。

漆黒に塗り潰されたのだ。

外部からの視界と音を完全に遮断する『拒絶』のモードへと移行したその黒い球体は、夜の闇に溶け込み、まるで最初からそこには何もなかったかのように静まり返っていた。


「ア……アレン……?」


俺、勇者レオンは、震える手で虚空を掴んだ。

指先が触れたのは、冷たい空気だけ。

数メートル先には、確かに幼馴染であり、長年の相棒だったアレンがいるはずなのに。

そこには温かいスープと、柔らかいクッションと、安全な眠りがあるはずなのに。


俺たちの声は、もう届かない。

俺たちの姿は、もう見えない。

彼は俺たちを、この地獄の中に置き去りにしたのだ。


「う、嘘だろ……? 開けてくれよ、アレン! 俺だぞ!? 幼い頃、一緒に木の棒でチャンバラごっこをしたレオンだぞ!?」


俺は半狂乱になって、見えない壁を拳で叩いた。

だが、手応えすらない。

アレンの結界は、物理的な干渉すらも拒絶する次元へとシフトしていた。


「いやあああああ! 入れて! 私を入れてよぉぉぉ!」


隣で聖女リリアが、泥水に顔を突っ込んだまま絶叫している。

美しかった金髪は見る影もなく、ドレスは引き裂かれ、白い肌には無数の擦り傷と虫刺されの痕が浮き上がっている。

彼女は自分の爪が剥がれるのも構わずに地面を掻きむしり、アレンの名を呼び続けていた。


しかし、その声に応えるのはアレンではない。


『ギシャアアアアア……ッ!』

『グルルルル……』


背後の闇から響く、おぞましい捕食者たちの歓喜の歌だ。


「ひっ……!」


戦士ガッツが、短い悲鳴を上げて尻餅をついた。

俺たちはゆっくりと振り返る。

アレンの結界からの光が消えた今、唯一の光源は魔法使いミナが震える手で維持している『フラッシュ・ライト』のみ。

その頼りない光が照らし出したのは、絶望そのものだった。


十匹……いや、二十匹はいるだろうか。

巨大なカマキリ、鋼の毛並みを持つ狼、毒を滴らせる蜘蛛。

Sランク指定の魔物たちが、涎を垂らしながら俺たちを取り囲んでいた。

彼らの瞳は、恐怖に強張る俺たちを「極上の餌」として認識し、ギラギラと輝いている。


「れ、レオン……なんとかしてよ……あんた、勇者でしょ……?」


ミナが泣きながら俺の背中にしがみついてくる。

その言葉が、俺の胸に重くのしかかった。

勇者。そうだ、俺は勇者だ。

王都の闘技大会で優勝し、数々の魔物を討伐し、国中から称賛された『白銀の剣聖』だ。


(そうだ……俺は強い。アレンがいなくたって、俺たちだけでここまで来たんだ!)


恐怖を怒りで塗りつぶし、俺は折れた聖剣の柄を握りしめた。

剣身は半分しかないが、それでも俺の剣技があれば、活路は開けるはずだ。


「ガッツ! 立て! 円陣を組むぞ! ミナは結界魔法を……くそっ、ミナには結界は張れないんだったな! 攻撃魔法だ! 最大火力で一点突破する!」

「お、おう! やってやる……やってやるぞぉぉ!」


ガッツが雄叫びを上げ、素手で構える。武器は逃走中に落としてしまった。

ミナも杖を構え、震える唇で詠唱を始める。


「食らえ、化け物ども! 俺の『音速剣ソニック・ブレード』!」


俺は残った魔力を練り上げ、手近なデスサイズ・マンティスに向かって踏み込んだ。

これまで、この技で幾多の強敵を一撃で葬ってきた。

目にも止まらぬ速さで懐に入り、核を貫く必殺の一撃。

アレンがいつも言っていた。「レオンの剣は速すぎて見えない」と。


だが。


ガキンッ!!


「な……ッ!?」


硬い手応えと共に、俺の手首に激痛が走った。

マンティスの鎌が、俺の剣を軽々と弾き返していた。

いや、それだけではない。

俺の動きが、驚くほど遅かった。

風を切る感覚がない。身体が鉛のように重い。


(なんでだ!? 俺の身体能力はこんなものじゃないはずだ!)


動揺する俺の目の前で、マンティスが鎌を振り上げる。

その速度は、俺の動体視力を遥かに超えていた。


「がはっ!?」


横腹に衝撃。

鎧ごと肉を抉られ、俺は دمまりのように吹き飛ばされた。

地面を転がり、泥水を吸い込む。


「レオン!?」

「ば、馬鹿な……。なんで、こんなに速いんだ……?」


激痛に顔を歪めながら、俺は愕然とした。

そこでようやく、一つの可能性が脳裏をよぎる。


『レオン、対象の反応速度を30%低下させました』

『重力魔法、付与。敵の動きを阻害します』

筋力増強パワー・ブースト敏捷性強化ヘイスト、レオンに掛けました』


アレンの声だ。

戦闘中、彼はいつも後方でブツブツと何かを呟いていた。

俺はそれを「臆病者の独り言」だと笑っていた。

だが、あれは独り言ではなかった。

彼はリアルタイムで、戦況に合わせて数十種類の支援魔法と呪詛魔法を高速詠唱していたのだ。


俺が速かったのではない。敵が遅くなっていたのだ。

俺が強かったのではない。俺が強化されていたのだ。


「あ、ああっ……あああ……」


理解した瞬間、全身の力が抜けた。

俺の実力など、Sランクどころか、Cランク程度だったのかもしれない。

全ては、アレンという「縁の下の力持ち」が作り出した虚像だったのだ。


「いやぁぁぁぁ! 来ないで! 燃えろ、燃えてよぉぉ!」


ミナの悲鳴が上がる。

彼女が放った『ファイアボール』は、狙いを大きく外し、あろうことかガッツの足元に着弾した。


「ぎゃあああ熱いいい! ミナ、てめぇどこ狙ってやがる!」

「だって! 自動照準オート・ロックが効かないのよ! 魔力が勝手に散らばっちゃうの!」


ミナも気づいたようだ。

彼女の魔法百発百中の精度も、魔力効率の良さも、全てアレンが『魔法誘導路マギ・ライン』という補助結界を張ってサポートしていたからだと。

アレンの補助なしでは、彼女はただの「魔力を無駄撃ちする素人」でしかなかった。


「ぐああああッ! 足が、俺の足がぁぁぁ!」


炎に巻かれたガッツに、シャドウ・ウルフが襲いかかった。

無防備な太腿に牙が食い込む。

肉が裂ける生々しい音が響き、ガッツの絶叫が夜空に木霊する。


「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ!」


リリアが頭を抱えてうずくまる。

彼女の聖なる加護?

そんなもの、この濃密な瘴気の前では蝋燭の火ほどの意味もなかった。

彼女の放つ回復魔法の光と匂いは、むしろ魔物たちを興奮させる呼び水にしかなっていない。


「アレン……戻ってきて……私が悪かったから……!」


リリアが泣き叫ぶ。

だが、もう遅い。

俺たちは、アレンという「安全装置」を自ら破壊し、裸で溶岩の中に飛び込んだのだ。


全滅。

その二文字が現実味を帯びて迫ってくる。


「……逃げるぞ」


俺は呻くように言った。

戦って勝てる相手ではない。

プライドも名誉も、もうどうでもいい。

ただ生きたい。


「ガッツを囮にして、その隙に逃げるんだ!」

「は……? レオン、てめぇ……!」


ガッツが驚愕の表情で俺を見る。

だが、俺は彼を見捨てて走り出した。

英雄? 知ったことか。

今はただの、死にたくない一人の人間だ。


「最低! あんた最低よ!」


ミナが叫ぶが、彼女もまた、リリアの手を引いて俺の後を追ってきた。

結局、俺たちは似た者同士なのだ。

仲間を犠牲にしてでも生き残ろうとする、浅ましいクズの集まり。


「待て! 待ってくれぇぇぇ! 俺を置いて行くなぁぁぁ!」


背後でガッツの絶叫が響く。

その直後、複数の魔物が肉を貪る水音と、骨を砕く音が聞こえた。

俺は耳を塞ぎ、振り返らずに闇の中を疾走した。


茨が顔を切り裂き、泥濘が足を取る。

何度も転び、その度に泥水を啜り、這いつくばって逃げた。

アレンがいたら、こんな道、きれいに整地してくれていただろう。

アレンがいたら、暗闇なんて照らしてくれていただろう。

アレンがいたら。アレンがいたら。


後悔が、毒のように全身を回っていく。

俺たちは、なんて馬鹿なことをしたんだ。

最高の幸運を、自らの手でドブに捨てたのだ。


◆ ◆ ◆


それから、どれほどの時間が経っただろうか。

俺たちが奇跡的に生還できたのは、本当に偶然だった。

夜明けと共に通りかかった王国の正規騎士団、その中でも精鋭とされる『グリフォン部隊』が、定期巡回で森の浅い階層まで来ていたのだ。


ボロボロになり、半死半生で森の境界線を這っていた俺たちを、彼らは発見し、保護してくれた。


だが、それは決して「ハッピーエンド」ではなかった。


数日後。王都の冒険者ギルド。

重苦しい空気が会議室を支配していた。


「――報告は以上だ。Sランクパーティ『白銀の翼』。君たちの冒険者資格を剥奪し、ランクをFまで降格させる」


ギルドマスターの冷徹な宣告が下された。

包帯だらけの姿で椅子に座る俺たちは、反論する気力さえなかった。


「理由は分かっているな? パーティメンバーであるアレン・ウォーカー氏への不当な追放。および、その後の任務放棄と、仲間であるガッツ氏を見捨てて逃亡した件。これらは冒険者としてあるまじき行為だ」


生き残った俺たちの証言と、現場検証の結果、事実はすぐに露見した。

ガッツは死んだ。

食い荒らされた死体の一部だけが見つかったそうだ。

その責任は、リーダーである俺にある。


「また、君たちの過去の依頼達成記録についても再調査を行った」


ギルドマスターが分厚い書類を机に叩きつける。


「驚いたよ。君たちの報告書には『アレンは何もしていない』『荷物持ち』と書かれていたが……専門家が分析した結果、君たちの討伐記録の全てに、高度な結界魔法と支援魔法の痕跡が確認された。つまり、君たちの実績の9割は、アレン氏の功績だったということだ」

「そ、そんな……」


リリアが青ざめた顔で呟く。

彼女の顔には、大きな傷跡が残っていた。

森で逃走中に受けた毒蜘蛛の酸による火傷だ。聖女の治癒魔法でも消えない醜い痕が、かつて国一番と謳われた美貌を台無しにしていた。


「虚偽報告、報酬の不当な搾取、そして仲間への裏切り。君たちはギルドの恥だ。本来なら投獄されてもおかしくないが、ガッツ氏の遺族への賠償金を一生かけて支払わせるために、生かしておいてやる」


ギルドマスターは蔑みの視線を俺たちに向けた。


「今後はFランクとして、ドブ攫いでも何でもして働くがいい。二度と『勇者』などと名乗るな」


俺たちはギルドを追い出された。

外に出ると、冷たい雨が降っていた。

通りを歩く人々が、俺たちを見てヒソヒソと噂話をしている。


「見ろよ、あれが『偽りの勇者』だ」

「仲間を見捨てて逃げ帰った腰抜けだってさ」

「聖女様も顔があんなんじゃ、もうおしまいね」

「結界師のアレン様を追い出したんだって? バカな奴らだなぁ」


かつて俺たちに向けられていた称賛と羨望の眼差しは、今は軽蔑と嘲笑に変わっていた。

石が飛んでくる。

泥を投げつけられる。

俺は何も言い返せず、ただ俯いて歩くしかなかった。


右腕は使い物にならなくなっていた。

マンティスの一撃を受けた際、神経まで断裂してしまったのだ。

もう二度と、聖剣を振るうことはできない。


ミナは精神を病んでしまった。

「暗いのが怖い」「音が怖い」と常に震え、魔法を使おうとするとパニックを起こす。

魔道士としての生命は絶たれた。


リリアは……。

彼女は自分の顔の傷を隠すようにボロ布を被り、虚ろな目で地面を見つめている。

彼女の聖なる力は、あの日以来、完全に失われていた。

神に見放されたのか、あるいは自らの心が折れたのか。


俺たちは、王都の最下層にある安酒場にたどり着いた。

賠償金の支払いで、まともな宿に泊まる金などない。

ここが俺たちの新たな拠点だ。


「……酒だ。一番安いやつでいい」


俺はカウンターに小銭を叩きつけた。

出されたのは、酢のように酸っぱい安酒。

それを喉に流し込む。

不味い。

あの日、アレンが作ってくれたスープの味が、鮮明に思い出される。


「ねえ、聞いた?」


隣の席の冒険者たちが話しているのが聞こえた。


「最近、北の魔森に『幻の楽園』ができたって噂だぜ」

「ああ、知ってる! なんでも、凄腕の結界師と、伝説の吸血姫が住んでるらしいな」

「結界の中は常春で、美味い飯と酒が振る舞われるんだってよ。迷い込んだ冒険者を助けたりもしてるらしい」

「へぇ! その結界師、なんて名前なんだ?」

「確か……アレン、とか言ってたかな」


俺の手から、木製のジョッキが滑り落ちた。

床に酒が広がる。


「アレン……」


リリアが反応して顔を上げた。

その目から、涙が溢れ出す。


「アレンは……幸せになったのね……」


彼女の声は震えていた。

悔しさか、羨望か、それとも後悔か。


噂は続く。


「そのアレンって人、今じゃ国から『結界王』なんて呼ばれて、爵位まで授与される予定らしいぜ」

「吸血姫も彼にベタ惚れで、二人はもうすぐ結婚するとか」

「すげえな! まさに成り上がり英雄譚だ!」


店中がその話題で持ちきりになる。

誰もがアレンを称え、その幸福な物語に酔いしれている。


俺たちは、その光の物語の「影」ですらなかった。

ただの踏み台。

彼が幸せになるための、惨めな前座。


「う……うぅ……」


俺はテーブルに突っ伏して泣いた。

失ったものの大きさが、今更ながらに身に染みた。


あの時、アレンの手を取っていれば。

あの時、「ありがとう」と言っていれば。

あの時、彼を信じていれば。


俺たちは今頃、その「楽園」で、彼と共に笑っていたかもしれないのだ。


「レオン……お腹すいたよぉ……」


ミナが力なく呟く。

だが、もう俺には彼女に奢ってやる金もない。

財布の中には、銅貨が数枚。

明日のパン代すら怪しい。


借金取りの足音が近づいている。

ガッツの遺族からの憎悪の視線が待っている。

そして、かつてのファンたちからの罵詈雑言が降り注ぐ。


終わらない夜が始まったのだ。

アレンという太陽を失った俺たちには、もう二度と、輝かしい朝はやってこない。


俺は汚れた窓の外を見上げた。

北の空が、微かに輝いているように見えた。

あそこには、俺たちが捨てた、そして俺たちが焦がれた「本当の聖域」がある。


手が届くはずだった。

俺たちのものになるはずだった。


「アレン……戻ってきてくれ……」


俺の情けない呟きは、酒場の喧騒にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。

これが、Sランク勇者パーティ『白銀の翼』の末路。

愚か者たちに相応しい、惨めで、救いようのない結末だった。

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