川村家
【川村早希】
川村早希は3年ほど入院した後、完全な寛解とはいかないまでも大幅な改善が見られたとして退院する。3年間の監察期間の間も田島美紀が彼女のところに足しげく通って援助していたという。後に、川村早希は自分の娘にこう語ったという、「あの子を殺すのに失敗してよかった」と。この頃から玲子は田島美紀のことを「お姉ちゃん」と呼ぶようになる。19年ほど後、彼女は孫の世話に夢中な子守婆になった。
【川村玲子】
3ヶ月ほど児童教護院(現在は児童自立支援施設)に収容された。退院後、やはり、学校内でいじめにあった。彼女の机には「人ごろし」と赤いマジックで書かれたり、通りすがりに「ヒトゴロシ」と聞こえよがしにささやかれたりしていたが、それに気づいたレイヤがいじめの実行犯の女生徒たちに「お前ら最低だ!」と言ったのを皮切りに、「そんなことをしたところで君たちが川村さんよりも美人になるわけでも、頭がよくなるわけでもないけどね、まあ、頭が悪い君たちに何を言っても無駄か」とシマオにあざけられ、「学級副委員長として見過ごすわけにいかねーな」というフジショーの宣告もあり、次第に収束していった。
玲子が教護院から退院すると、彼女の父親は娘を連れて麻生家に菓子折りをもって挨拶に来た。その時、「奥さんが入院している間、玲子ちゃんはどうするの?」と麻生夫人に問われて彼は口ごもった。すると、待ってましたとばかりに「学校からはうちに帰ってきなさいよ!ねぇ?玲也?」と、なぜか玲也に話を振ったりもしたが、「いや、申し訳ないですよ」と遠慮する川村氏に「大丈夫よ子供1人くらい、それに、名前の漢字もあたしと同じ”玲子”じゃない?」と意味不明な理論の展開で言いくるめた挙句、父親の後ろに隠れていた玲子を無理やり引っ張り出して抱きしめると、「貴女のお母さんが帰ってくるまで、あたしがお母さんの代わりになるんじゃ嫌かしら?」という問いに、川村玲子は小さく首を振った。
それ以降、玲子は玲也と一緒に麻生宅に帰宅するようになった。当初はクラス内だけでなく同学年や別の学年の生徒にまで冷やかされていたが、シマオやフジショーが常に一緒にいるようにしていたことや、女学級委員長も登下校に付き合うようになったため、このからかいも1ヶ月ほどで収束していく。当時は、例え小学生であっても男女が一緒に行動することは”破廉恥なこと”とされ、冷やかされたりからかわれたりしたのだ。その後も、玲子はこの男子3人組と一緒に行動するようになる。
また、服装も女の子の格好をするようになり、髪も伸ばし始めた。3か月ぶりにあった玲也に「女の子らしくてかわいい」と言われたためだ。服装は母親の為に男装をしていただけで、彼女自身は可愛いらしい女の子っぽい服を着たいという願望があったのだ。それで、父親にせがんで服を買いに行ったりしてスカートを履くようになった。こうして、2年2組の”男装の麗人”は居なくなり、学級委員長曰く”恋する麗しの乙女”が誕生した。「どういう意味?」と尋ねるフジショーに「女の子だけの秘密」とだけ彼女は答えたという。
中学、高校と水泳でインタハイ出場までは行くものの、どうしても10位以内に入れなかったためにオリンピック選手になる夢は諦めるが、短大時代の水泳部の先輩に勧められて始めたスイミングスクールのインストラクターのアルバイトを短大卒業後からは本業にする。26歳で結婚して2児の母になった。
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