シマノ美容室で
翌日、玲也はシマノ美容室の開店に合わせて家を出たのだが、1階のエレベーターホールには待っていたかのようにフジショーがいた。「よぅ!」と声をかけてくるフジショーに「やぁ」と返すと、フジショーは「もうそろそろ出てくるころかなと思ってな」とキザったらしいセリフを垂れてきた。続けて「シマオが心配してたぜ」と言う。「なんであの時あそこにいたんだ?」と問う玲也に「お前が慌てるようにして自転車で出かけていくのが見えたから、またなんかこそこそやってるのかと思って追いかけたんだよ、そしたら、シマオも美容室から出てきていてさ、それで、2人でお前の後を追いかけていたんだよ、でもさ、中学生くらいの女の子に声かけてたじゃん?だからさ、隠れて後を付けようってなってさ、そしたら川村たちが来るし、白ずくめの人たちが来るしでさ、いつ出ていこうかって迷ってたんだよ」とフジショーが説明しているうちにシマノ美容室の前までついた。
客席に座りながら自分のノートを見ていたシマオは、チラチラとせわしげに店の全面ガラスの壁の向こうを見ていた。10号棟の一番西側にあるこの店からは、9号棟のエレベーターホール前の通路がよく見えるのだ。玲也が出てきたらすぐにわかる。ところが、今日の玲也はフジショーを伴ってやって来ていた。何やら話しながらノロノロとこちらに向かっているのだが、シマオにはそれがいつもよりも焦れったく感じられた。2人が店のすぐ前につく頃にシマオは席を立ち、待ち侘びたかのようにドアを開けると、あいさつ代わりなのか「やっと来たか、さあ、聞かせてくれ」と玲也を急き立てるのだった。その様子を見た島野夫人は自分の作業を弟子に丸投げすると、子供達の接待をするために控室に来た。
だが、親しい人たちはすぐに彼女の異変に気づいた。彼女が醸し出す雰囲気は、とてもではないが子どもたちを接待するというようなものではなかったからだ。彼女の眼は、それはもうこの上なくキラキラと好奇心で輝いていた。玲也が巻き込まれた事件について聞くことに興奮してウッキウキのワックワクだったのだ。彼女は玲也を店舗側の奥の席に勧め、その隣にフジショーを座らせ、裏口側の奥に息子を座らせると、自分は息子の隣に座った。つまり、玲也の逃げ道を塞いだわけだが、幼い子供たちは彼女の意図に気づかなかった。席についた彼女は開口一番「さぁ~、れ・い・や・くぅ〜ん❤、聞かせて、聞かせてぇ~」と露骨に媚びるように言った。そんな自分の母親にドン引きして引きつった表情で睨みつけるシマオと、そんなシマオの表情を見て義理程度に笑いをこらえるふりをしながら、俯いて顔を隠しながらガッツリと肩で笑っているフジショーがいるという、これはこれで鬼のような状況に玲也は一抹の不安を感じるのだった。
出された麦茶を一口飲んで自分を落ち着かせた玲也は、先ず、田島美紀のことを説明する。彼女が黒い服で花束を持って宝田大橋に向かっていたのでもしかすると川村少年の事件の関係者ではないかと思って声を掛けたところ、予想通り、その関係者だったこと。彼女と川村玲子の兄である和彦少年との馴れ初めや、7年前にあの”島神社”の境内で和彦が暴行を受けていたこと、ぐったりと気絶していた和彦を彼女の兄が川へ放り込んだこと、その後、親から厳重に口止めされたために彼女は沈黙し続けていたこと等を話していくと、島野夫人は次第に顔色を曇らせていき、姉妹には苦虫でも噛んだような表情でこめかみを抑え始めた。「子供に聞かせるような内容の話じゃないわね」と彼女はぼやくのだった。ところが、彼女の息子は「やはり殺された少年たちが犯人グループだったのか」と自分の推理があたっていたことに誇らしげな顔をし、その年頃の子供のお手本であるフジショーの感想は「こぇ~」だった。
続けて、田島美紀からその話を一通り聞いた直後に川村夫人が突然土手の階段を駆け下りてきて、美紀が供えた花束を蹴り飛ばしたので、自分はその花束が川に落ちないように拾おうとしたものの、自分が川に落ちてしまい、その後のことはあまりよく覚えていないというと、島野夫人は露骨に不安そうな顔をしながら「よく助かったわね、溺れなくてよかったわぁ」と漏らした。「父さんも言っていたけど、”淵”って引き摺り込む力があるんだってね、めちゃくちゃひっぱられる感じで足が思うように動かせなかったんだ」と玲也が付け加えると、彼女は「いやぁーーー」と小さい悲鳴を上げながら表情を凍りつかせ、両手で頬を抑える仕草をした。重い内容の話に完全に飲まれてしまったフジショーは「こわっ」と相変わらず語彙の無い感想しか言えなかったが、普通の子供はそんなものだろう。ところが、「弱った上に淵に放り込まれたら確実に死ぬわけだ、子供なのにそこまで考えられるなんて、とんでもない悪党だったんだな」と気後れする様子もなく言うシマオは、犯人の凶悪さに心底呆れていたのだった。
「そうそう、それからさ、あの紙に書いてあったのは”たからしまのちズ”じゃなくて”たからしまのちじゅ”なんだって」と玲也は付け加えた。話がいきなり変わるのでしばしの沈黙が続いたが、その間にノートをペラペラとめくっていたシマオが「誰から聞いたの?それ」と尋ねた。「田島さんが・・・、あの、図書館のおじさん、その人がお母さんたちと一緒に病院に来て話してくれたんだ」と答えると、シマオはそれをノートに書き込む、「で、漢字はなんて書くの?千の呪い?」とさらに尋ねてくるシマオに、「血の呪いなんだって」と答えると、フジショーが疑問を呈した「じゃあ、なんで”ちじゅ”じゃなくて”ちズ”なんだ?」、当然の疑問だが、それに対して玲也は「美紀さんが小1《しょういち》のころはまだ地元の訛りが強くて、自分では「ちじゅ」と言っているつもりでも、他の子たちには「ちず」と聞こえちゃってたんだって、それで、美紀さんが何度言い直しても和彦くんには”ズ”としか聞こえなかったから、和彦くんは、多分、とりあえず”ズ”だけカタカナで書いたのかもって言ってた」と答えつつ追加情報も付け加えると、ガリガリとメモを取っていたシマオが「でかしたぞ玲也!!」と叫んだ。それを聞いた島野夫人は吹き出しながら「何よ”でかした”って」と言いながら笑い続けたので、玲也もフジショーもつられて笑い出したのだった。
”千の呪い”のくだりは話が矛盾するので削除しました。




