事件の顛末と田島村(下宝田地区)の末路
【事件の顛末】
県警に収監された早希は田島美紀に対する殺人未遂と暴行の容疑で逮捕されていたが、元々、宝田大橋周辺での溺死事故の多さに異常を感じていた県警の刑事が所轄の動きに不信を感じていたために、多嘉良川連続不審死の重要参考人として川村早希を抑えたということもある。しかし、事情聴取の時もずっと「あと一人、あと一人殺さないと和彦が帰ってこれない」などと意味不明なことを言い続けるため、精神鑑定に出すことになったが、精神科医からは心神耗弱と診断されたため、略式裁判で無罪となったものの精神病院への入院を義務付けられた。
県警は検察と協力して所轄の保管書類の調査を行い、7年前の事件に関する資料が紛失していることを突き止めた、さらに、当時、太田市の河岸に打ち上げられた少年の死体を検死をした病院と医師を突き留めて話を聞くと、川村和彦の死因は溺死ではなく内臓破裂によるショック死とのことだった。それを受けて、県警はその事件を自主的に担当していた警察官を厳しく追及して7年前の件を自白させた、その後、彼が”事故”の処理担当になることを許した当時の上長も探し出して追及するなどし、所轄の綱紀粛正も行うのだった。勿論、田島家の婿養子の警官は懲戒免職となった。
7年前の殺人事件は被疑者死亡に付き不起訴処分となったが、下宝田の地元民たちは証拠隠滅の容疑で各自が書類送検された。田島本家の当主は最後までシラを切っていたが、田島主任司書が全て話してしまったことから本家以外は全員が自白し容疑を認めることになった。結局、本家当主は略式起訴され、自分の娘の証言で容疑を認めざるを得なくなり、罰金刑を課された。
【下宝田地区】
田島本家は7年前には5歳だった第三子の息子が跡を継ぐはずだったが、高校2年生の夏にバイク事故を起こして死亡した。唯一の子供になった第二子の美紀は相続を拒否したので、当主夫婦が施設に入居後に死去すると、管財代理人によって土地建物が売却処分されることで消滅した。
弥吉の家は長女が相手方の長男と結婚して家を出ていくことで後継ぎがいなくなり、先祖代々の家と僅かな農地を売りに出して、その金で特別養護老人ホームに入居して余生を送る。
与兵衛の家は末っ子が都会に越していき実家を継ぎたがらなかったため、当代が没すると住民がいなくなる。
田島主任司書は両親を看取ると先祖代々の土地や建物を売りに出し、町立図書館を早期定年退職して妻の実家の近くに住みながら妻の両親の介護を行う。その後の消息は不明。跡継ぎになるはずの息子2人が殺されてしまっため幸太助の家は彼の代で終わる。




