もう一つの無くしモノ
エレベーターの窓越しに、黄色い通学帽に男子用の体操着の上下を着たシマオと同じくらいの背丈の少年が乗っているのが見えたが、エレベーターの扉が開くとその少年が顔を上げてこちらを見た。その瞬間、その人物が彼ではなく、彼女であるとわかる。川村玲子だ。
玲也はエレベーターに乗ろうと1歩進み出てから、このあまりにも奇跡的な偶然に戸惑った。「乗らないの?」と言ってエレベーターの奥から操作盤に近づこうとする玲子に向かって「乗る」と答た玲也はエレベーターに乗り込んだ。すると、それを待っていたかのようにエレベータの扉は閉まるのだった。
玲也はエレベーターの扉に体がつくくらいの位置に、玲子はエレベーターの奥の壁に体を持たせかけていた。なぜか気まずい気持ちになる。その場の空気に当てられたのか、玲也は思わず「たからしまのちず」と口にした。すると、後から玲子が玲也の左肩を掴んでこちらに向きなおらせると、「なんであんたが知ってるの!?」と恐ろしい剣幕で詰めよってきた。玲也は予想外の驚きと恐怖から縮み上がって息をのみ、体が硬直してしまった。
「ねえ!ちょっと!聞いてるでしょ!!なんで答えないの!!」と捲し立てる玲子。「ひ・・・拾った・・・」と辛うじて上ずった声で答える玲也に「返してよ!」と詰め寄る玲子。「ぼ・・・僕が拾ったんじゃない、ふじsh・・・藤田君が拾ったんだ」と弁明すると、玲子は玲也の肩から右手を放した。「藤田が持っていて、あんたはそれを知っているだけなの?」と玲子は少しトーンダウンした口調で問う、それにつられて玲也も少し落ち着きを取り戻し「うん」とだけ答える。うつむき加減に黙り込む玲子に「これから藤田君家に行ってどこで拾ったか聞こうと思ってたんだ」と述べると。玲子は「じゃあ、ボクも行く」と言い始めた。
エレベーターを出てから、玲子は終始無言で玲也の後ろに付いて来ていた。フジショー宅に着いて玲也が呼び鈴を押すと、彼女は玲也の後ろにひっそりと身を隠したのだが、その気配の隠し方に玲也は心の中で驚いたのだった。中から「どちら様?」と言う藤田夫人の声が聞こえたので、「麻生です!」と答えると「あら、玲也くん?」という返答とともに扉が開き、「ちょっと待ってて」と言った彼女は扉を開けたまま奥に戻っていく、玲也は閉まり始めた扉を受け止めて扉を開いたままの状態にした。すると、奥の方から冷気が漂ってきた。藤田家のクーラーだ。
自室から出てきたフジショーは開口一番「今朝お前ん家に行ったらシマオんところに呼び出されたって言うからさ」と言ってきたので、「うん、今日の朝、ラジオ体操に出たからシマオに会ったんだ、それで色々話をしててさ」と言うと、「俺が朝稽古している間にかよ」と不満を漏らす。そんな時に、背中を突かれたので「あ、そうだ、あの紙持って来てくんない?」と言うと「ああ、”たからしまのちズ”か?どうして?」と不思議そうな面持ちでフジショーが言うと、突然、玲也の後ろから飛び出してきた玲子が「それはボクのだ!返せドロボー」と声を荒げた。
「ちょっと!川村さん、持ち主がわからなかったんだから泥棒じゃないよ」と玲也はフジショーを弁護すると、「だって・・・」と言いつつも玲子が物凄い形相でフジショーを睨みつけるので、フジショーは、最初は驚いた顔をしていたが、次に悲しそうな表情になり、最後に、怒った表情になって、「いきなり人をドロボー呼ばわりする奴に返したくねーな!」と売り言葉に買い言葉で返した。「持ち主がわかっても返さないのは泥棒だよ」と玲也が指摘すると「だってムカつくんだもん」と返すフジショー。それに対して玲子は「やっぱりドロボーじゃんか!」と玲也の後ろに隠れながら威嚇するのだった。
玲子に何も言い返せなくなったフジショーの怒りの矛先は玲也に向かった。「なんで川村を連れてきたんだよ!」と攻めるフジショーに「連れてくるわけないだろ、たまたま同じエレベーターに乗ったからそれの話をしたんだよ」と返す玲也、その返答にますます怒り心頭になったフジショーは「俺たち以外のやつに話したのかよ!この裏切り者!」と憤りを表す。
その様子を見た玲子は「返すつもりなかったのかよ・・・」とドスの利いた声で怒気を放ちながら、自分の右手で玲也の右腕を掴み、左手で玲也の後ろ襟を掴みながら玲也を押し出して藤田宅の玄関に侵入していく。図らずしも死に体になった玲也は左腕が玄関の縁に引っかかったまま前に押し出されるので「イダダダダダダ」と呻き声のような悲鳴をあげることしかできなかった。
そんなとき、フジショーの母親が廊下の奥から歩いてきたが、彼女の手には一枚のくしゃくしゃにしわがついた紙きれがあった。そして子供たちに話しかけ、「川村さんの言い方も問題あるけど、返さないあんたの方も問題よ、女の子相手に何よ、みっともない」と言って子供たちのやり取りに割り込んできた。
母親の割り込みに思わず振り向いたフジショーは、彼女の手元を見ると「あ!ちょっ!なんで勝手にっ!!」と、自分が隠していると思い込んでいたものを持っている母親に慌てるが、息子の剣幕をものともせずに「川村さんも、いきなりうちの子のことを泥棒呼ばわりするなんて失礼じゃない?、誰のものかわからないものを拾っただけでしょ?」と藤田夫人が穏やかに語りかけたので、流石に玲子もバツが悪くなったらしく「え、いや、あの・・・」ともじもじし始めた。
気まずい雰囲気に耐え切れなくなった玲也が「謝ればいいだけだろ?それよりも放してよ」と言うと、玲子は冷静さを取り戻したようだ。「あ、ごめん」と言いざま玲也を開放した後、フジショーとその母親に向かって「泥棒って言ってごめんなさい」と頭を下げるのだった。すると、藤田夫人はその紙きれを玲子に手渡す。しかし、それを受け取った玲子は「酷い、こんなくしゃくしゃにして、お兄ちゃんの形見なのに・・・」と言ってフジショーを睨みつける。そう言われたフジショーは舌打ちすると「元々くしゃくしゃだったよ」と返したが、玲子は「最低」と言い放つと、涙目になって小学校方面に走り出して行ってしまった。
3人ともあっけにとられて玲子が去っていった方向を見ていたが、その様子を奥の方からこっそりと覗いていたフジショーの父親が「なんだ、女の子が来てたのか?、そりゃ最悪だぞ、勝介」と他人事のように言うのであった。




