2度目の図書館
図書館に入った2人は受付カウンターの女性に軽く会釈をして入っていく。案内板で新聞コーナーを確認してから新聞コーナーに辿り着いたが、2人はその新聞の量に圧倒された。そもそも、新聞そのものがかなり大きな図書なので1年分だけでもかなりの量だ。それを7年前に遡って調べようというのだからかなり大変な作業になる。新聞のラックの間には一定間隔で年月の標識がついており、そこで年月を確認しながら7年前のコーナーを探す。「えっと、今は昭和55年だから、7年前は・・・」「昭和48年だね」玲也の独り言に間髪入れずシマオが答える。玲也が見ていたのは昭和37年のコーナーだった。新聞特有の紙とインクの匂いが漂う中、2人は、ただただ、物凄い量の新聞紙に圧倒されるのだった。
「ここからどうやってその日のやつを見つけ出せばいいんだ?」という玲也の素朴な疑問に、「川村さんのお兄ちゃんが死んだのは8月13日だよ、ちょうどお盆が始まる日だから年寄りたちは縁起が悪いと気味悪がっていた。」と、肝心なところをすっかり忘れている玲也に気を悪くするでも無く教えるシマオ。「あ、そういえばそうだった」とテヘペロする玲也に「おまえなぁ・・・」と呆れるシマオ。まあ、幼稚園時代からそうだったので今更驚かない。
昭和48年8月のコーナーを見つけた2人は13日の日付を探す。地方紙だからそんなにページ数もないのでそれほど時間をかけずに見つかったが、宝田村で子供が溺死した事件らしき記事は無かった。「13日に死んだって言うのは何でわかったんだろう?」と玲也が気づく。「そうだ!死亡推定時刻は後から警察が鑑定するんだった!しまった、なんでそんなことを忘れていたんだろう!?」と珍しく取り乱すシマオ。「14日以降の新聞を調べないと!」と続けて言う。そこで、シマオは自分が見ていた13日の隣の14日の新聞を取り出した。そして、玲也は15日の新聞を取り出す。14日の新聞には何も載っていなかった。15日の新聞に、太田市の河原で子供の水死体が見つかったことだけがちらっと書かれており、16日の新聞記事に詳しいことが載っていた。
当初は亡くなった少年、川村和彦の母親だけが「息子には川には絶対に行くなときつく言っておいたから、一人では行っていないはずだ」と言っていたが、村の子供たちは川村少年と「一緒に行っていない」と言い張っていたらしい。実は「よその男の子と大橋に行った」という子供たちや「川村君は皆に橋から落とされた」と言っている子供がいたらしいのだが、その後、その子たちの親たちに「うちの子の勘違いだ」と言い張られたため、警察はそれ以上調べようが無くなったようだ。その結果、”川村和彦が一人で川に行って溺れた”事故”として警察が処理したことで、この話は有耶無耶になったようだ。




