田島村の歴史と”たからしまのちズ”
シマオは自由帳が好きだ。彼は他の人にはよくわからない絵図に矢印で説明文をつけるという書き方をよくする。おかげで、フジショーも玲也もシマオ構文に慣れてしまっている。これが案外わかりやすいのだ。
【夏休みの自由課題】
先ず、左上には紙切れのような絵の中に「たからしまのちズ」と描かれているモノがあり、その左上には「入手:フジショー」と書かれていた。さらに、その紙切れの絵には矢印の絵が刺さったように描かれていた。また、ノートの左中央付近には「夏休みの自由課題」という囲みがあり題名の下にはカッコ書きで「島田金物店の店主への言い訳」と書かれていた。実に正直である。実際、彼は噓をつくのが苦手だ。その項目の右側、ページ中央付近には「宝田村には“田島”が多い理由」と「宝田村の歴史」と書いてあったが、“宝田”には二重取り消し線が引かれており、その上に“田島”と訂正が書かれていた。左下の方には「島神社のお祭りの由来」と書かれており、どちらも夏休みの自由課題から矢印の線が来ていた。その他にも細々と書かれていたが、字がものすごく細かいので眼が悪くなくても読み辛い。
シマオ主導で勉強会が始まった。夏休みの自由課題の題名は「宝田村の歴史」となった。1959年までは田島村だったこと。川の向こう側の方が宝田村だったこと。1959年の伊勢湾台風で田島村が滅んだので上宝田地区と下宝田地区の2区で“宝田村”になったこと。上宝田村は江戸時代に田島村を出て言った人たちが作った村なので、宝田村の住民も、田島村の住民も、全員“田島”と言う名字であること。さらに、多嘉良島という山の名前の歴史的由来や、多嘉良島山にある島神社の由来、神社で行われている祭りの由来なども一行ずつ改行して箇条書きで書いていく。
ついでに付け加えておくと、「田島村が滅んだ」という文言にはひと騒動があった。実際に田島村が滅んだわけではないが、玲也が”田島村”という村落名が無くなったことを「村が滅んだんじゃん」と言いだし始めたため、シマオは必死になって「違う、そうじゃない!」と抵抗し続け説得しようとしたのだが、玲也の言にフジショーが乗っかったことから、シマオは不承不承“滅んだ”という文言にしたのだった。
【生贄とは】
図書館で主任司書の田島さんが田島村の史記の解説をしてくれたことも付け加えられたが、その時、突然玲也が「川村さんも宝田村の関係者かもね」と言い出した。「なんで?」と当然の疑問を口にする二人。「だってさ、人形の“ほーのー“を“いけにえ”だと言うってことはさ、人形の意味を知っていたってことじゃん?、ジモトの人でもないのにそんなことを知ってるってことはさ、本当は、川村さんもジモトの人なんじゃないのかな?って」という玲也の弁にフジショーは眼を点にしていたが、シマオは少し驚いて、しばしの間目を見開いた。だがシマオは「彼女は僕”たち”に向かって“生贄”と言ったんだよ、つまり、人形のことではなくて、本物の人間を生贄にする話をしていたとも考えられる」と反論した。「いやいや、アイツがどうやって俺たちを生贄にするんだよ、できねーだろ、普通」とフジショーが横やりを入れる。「人形を生贄にするなら、とっくの昔に7つのイケニエがそろってるはずだもんね」と納得する玲也。それに呼応するようにシマオが「そうか、それであの“事故”か」と意味深長に言った。
「は?なにそれ?」「ん?どういうこと?」とフジショーと玲也がシマオに疑問を投げかける。それに対してシマオは「いいか、島神社に奉納される人形は“子供たちが川で溺れ死なないように祈願して“捧げられる身代わり人形だ。じゃあ、奉納されなかった場合はどうなる?」と2人の疑問に質問で返す。「人形をホーノーしなければ溺れ死んじゃうのかよ!?」と驚愕するフジショーとは対照的に、「(人形を)ホーノーしてもしなくても溺れる時は溺れるし、溺れないときは溺れないじゃん」と屁理屈をこねる玲也。「そう、地元の子供たちはみんな身代わり人形を奉納している、川に近づかないように気を付けていれば川で溺れ死ぬことはないはずだ」と玲也の屁理屈に構わず続けるシマオ。「だけど、、、誰かに突き落とされてしまったとすればどうだい?」と、またもや意味深長に問いかけるシマオに、2人の少年は黙りこくる。
シマオは「それで警察は川村さんのお母さんを疑った、と」というところまで捲し立てるように話すと、不意に考え込み始めた。「8月15日までに7人揃えるか」と玲也が呟くと「そういえばそう言ってたな」とフジショーが合いの手を入れた。「今月、川で死んだ人は一昨日のあの事件だけだよね」と玲也が言うと、フジショーがまた「そういえばそうだな」と言う側でシマオが「今月はそれだけだね、だけど…」と歯切れが悪そうに続ける「先月も中学生が川に落ちて亡くなったので、川には近づかないように気をつけなさいって朝礼で言ってたよね」と続けた。「そうだっけ?」ととぼける玲也に「それ、俺も覚えてる、ってか、玲也はいつも朝礼の話聞いてねーだろ?」とツッコミを入れるフジショー。「てへへ」と照れ笑いしながら更にとぼける玲也だった。
「そういえば、去年も7月と8月に中学生と高校生の男子が死んでたな」とシマオが思い出したように言う。「え?そんなことあったっけ?」という玲也に「そういえば、朝礼で言われたっけな」と思い出しながら言うフジショー。「しかも、去年も先月も、亡くなったのは地元の宝田村の男子だよ」とシマオは付け加えた。「そいつら、川村さんのお兄さんが溺れたことに関わっていたりして?」と玲也が思い付きを述べると、「もしかしたらそうかもしれないね」とシマオが肯定した。「ほ・・・本当かよ・・・」とビビり始めたフジショー。玲也とシマオが好奇心でワクワクしてきたのに対して、フジショーはビビり始めていた。
その時、「入るわよぉ~」という襖の向こう側の声と同時に襖が開き、フジショーの母親がジュースのボトルを盆にのせて入ってきた。「何か熱心に話し合っていたみたいだけど、何の話?」等とすっとぼけてはいるが、彼女、実はずっと息子たちの会話を立ち聞きしていたのである。玲也は何の話か分かっていなかったが、シマオとフジショーは彼女が子供達の話を盗み聞きしていたことに気づいた。「何盗み聞きしてんだよ!」とフジショーが猛抗議するも、「貴方たちがちゃんと勉強しているかどうか気になっただけよ」と開き直る。「藤田のおばちゃん、この話はナイショだからね?」と玲也が念押しすると、彼女は「勿論よ!!おばちゃん、こう見えて口は堅い方なのよ?」と満面の笑みで答えたが、もちろん、真っ赤な噓である!
「ん~、”奉納”と”生贄”を同じ意味と解釈する玲也の考えが面白かっただけだからね」とシマオが取り繕うように言うと、「え?”ホーノー”と”イケニエ”って違うの?」と無知をさらけ出す玲也。フジショーの母親はからからと笑い、シマオはため息をつきながら「君ってそういうところあるよね」というと、フジショーも負けじと「お前はわかっているように見えてわかってなかったり、判ってないように見えてわかっていることがあるよな」と付け加えた。自由課題はその時点で終了となり、その後は、ジュースで子供たちの脳にブドウ糖が供給されたこともあって、算数の宿題で頭をフル回転させることになった。フジショーの母親は話が急につまらなくなったので、空のペットボトルと盆を持ってフジショーの部屋を出て行ったのだった。
その日の晩、玲也は眠れなかった。夕方に夕立が無かったせいか、夜になっても気温があまり下がらなかったのだ。子供部屋用に買ってもらった扇風機に3時間のタイマーをかけてからタオルケットをお腹に掛けて敷布団の上に横たわったのだが、何かもやもやするのだ。寝付けないのは決して暑さのせいだけではないような気がした。タイマーで扇風機が止まると、蒸し暑さで起き出し、もう一度タイマーを3時間にセットしてから扇風機の前で涼む。去年2人、今年2人、あと3人・・・7人のイケニエ・・・『ありがとうね!』そこまで思い出してくると、急に背筋に冷たいものが走る。『俺たち3人がイケニエになれば、あと1人で(川村玲子の)お兄ちゃんが戻ってくるってこと?』、あのとき、「ありがとうね!」と言った川村玲子の真意を確かめたいような、確かめたくないような、そんな不安に苛まれているうちに、いつのまにか玲也は寝ていた。




