いつもと違う朝
2年3組+4組は昼前から正午までの日課だったので正午にプールの授業は終わって解散となった。プールでの疲れもあってお腹の減り具合は半端なく、ほとんどの子どもたちがお腹をグーグーと鳴らせながら帰宅していたのだった。それは玲也たちも例外ではなく、フジショーに至っては玲也と9号棟のエレベーターホールで別れる間際まで「ハラヘッタ」しか言わなかった。そんなフジショーのことをシマオは「ハラヘッタ星人」とからかっていたが、そんなことが全く気にならないくらいにフジショーは腹が減っていたらしく、本当に「ハラヘッタ」しか言わなかったのだった。
昼食が終わると猛烈な眠気が襲ってきたせいか、母親にせっつかれて歯磨きをし始めたものの、寝ぼけ眼で朦朧としながら歯を磨くと、御座なりに口を濯いでそのまま寝入ってしまった。それから数時間ほどで目が覚めるとすっかり夕方になっていた。あんなに眠っていたのに、不思議なことに夕飯時には律儀にお腹が減っていた。
夕飯を食べた後は歯を磨いてお風呂に入り、自室で“日課”の宿題をしようと机に向かう。シマオの家で宿題をやったときに彼の提案で”宿題日課表”を作ったのだ。だが、ランドセルから教科書とノートを取り出し、それらを机の上に広げた後、そのまま、ノートの上に突っ伏して寝てしまうのだった。
それからどのくらい経ったのだろうか?、玲也が目を覚ますと布団の中にいた。寝ている間に親が布団の中に入れてくれていたようだ。居間の方からはTVからと思しきアナウンサーの声が聞こえる。母親は台所で朝食を作っている最中のようだ。玲也は起き上がるとのそのそと洗面台に行き、顔を洗う。目ヤニを洗い流してさっぱりさせたら居間に行く、だが、居間にいると思っていた父親はそこにはいなかった。
新聞も玄関の郵便受けに刺さったままだ。普段ならこの時間帯の彼の父親は出勤の準備をすっかり終えて、居間で新聞を読みながらTVのニュースを見ている頃なのだ。台所で作業をしている母親に「おとうさんは?」と聞くと、彼女は「おはよう」と朝の挨拶を述べてから「お父さんは外を見に行くって」と付け加えた。玲也は朝の挨拶をし忘れたことに悪びれながら「おはようございます」と述べると、続けて「なんで?」と尋ねた。彼女は「野次馬」とだけ端的に述べたが、その顔は心なしか苦笑いしているように見えた。
「どこに行ったの?」と3度めの玲也の問いに、「あんたはいいのよ」とだけ彼女は答えた。彼女のニュアンスとしては『お前は行くな』ということだったのだが、そんな空気は玲也には通用しない。「え〜」とブータレて不満を表す息子に対して彼女はベランダの向こうを顎でシャクってみせた。それで玲也はベランダに近づくと、宝田大橋の上に警察車両と救急車や消防車が複数台停止まっているのが見えた。
普段の朝6時半前の時間帯は通勤に使われる路線バスや通勤の自動車でごった返す川沿いの県道だが、今日はその県道上にある宝田大橋の上に警察車両や消防車両が複数台停めてあるために片側交互通行になってしまい、ちょっとした渋滞ができていた。団地内を南下するルートでも大田市街に行けるが、市役所から先は道幅が極端に狭くなるために利用者は極めて少ないし、当然ながらバスの運行ルートではない。時間のために安全性を犠牲にする覚悟がある人だけが南回りのルートを使うのだった。
玲也はベランダに出てみた。ベランダのフェンスの上端がちょうど玲也の目線と同じだったのでフェンスの下端に足をかけ、フェンス上端の手摺にしがみつきながら川の方を眺めてみると、手前側の土手道の上で大勢の大人たちが多嘉良川の川原の方を覗き込んでいる。中には親子連れもいるが、麻生家では母親である玲子の方針で子供同伴の野次馬は禁止だ。そんな野次馬の中に、くたびれた背広の見慣れた後姿の男性がいた、おそらく、いや間違いなくそれが玲也の父敏也だろう。




