ふち
「じゃあ『ふちまでいって』ってのは、用水路のふちで泳ぐってこと?」とレイヤが確認をする。「いや、それでも、何かフに落ちないなぁ」とシマオは何かに納得がいっていない様子だ。
レイヤもフジショーも”ふち”とは”縁”、つまり川岸のことを指すと思っていたが、
シマオは”淵”の方を疑っていた。
「川岸で泳ぐって、泳ぐというよりも川のそばで水遊びするって言う方が合ってるような気がする」と”ふち=川岸”前提でレイヤが考察を述べると、シマオは、「”ふち”と言う言葉は必ずしも川岸を意味するわけではない」と冷静な意見を述べる。
「淵って言うのは、突然あり得ないくらいに深くなっている川のどこかのことなんだ。そのせいで巻き込み流が発生して深い淵の底に引きずり込まれて溺れてしまうらしいんだ」と、とても小学2年生レベルではない知識を披露する。
「突然深くなるとマキコミリューが発生するって、どういうことなんだ?」とフジショーが子供らしい疑問を呈するとシマオ先生が解説をする「川の水って上流から下流に向かって真っすぐに行くだろ?でも、突然深くなっているところや、川が分岐になっているところはまっすぐに流れなくなって複雑な流れになるんだ。お風呂のお湯をかき混ぜる時に渦巻きができるだろ?あれだよ」と、やはり、とても小学2年生とは思えないような博識ぶりである。そのご高説に二人とも「おおおお」と感嘆の声を上げるしかなかったのだった。そして、心なしか、シマオの顔が得意げな笑みを浮かべているように見えたのだった。
合点がいったフジショーが自分の理解を述べる「じゃあ、”ふち”があるところの水は”ふち”の方に向かってウズマキになってるってわけ?」、「そういうこと」とでシマオが答える。それは、あたかも生徒が自分の解説を正しく理解していることに満足げな様子だった。「それじゃ溺れるじゃん!」とレイヤが当たり前な感想を述べる。「そう、だから、『ふちまでいって およぎましょ』って言うのは自殺行為なんだ」とシマオが述べると、フジショーは「うわぁぁあああ」と言いながら嫌そうな顔になり、レイヤは面白がりながらも「怖っ!」と大げさに言っておどけて見せた。
「でも」とシマオが続けて言う「それだと、『しままでおよいであがりましょ』の意味がなくなる」と、「そりゃあ、溺れたのに無事に泳いでいたことになるからなぁ」とフジショー。「おぼれ死んだ人の死体をだれかがひっぱってきたことを『およいで』といってるんじゃね?」と言うレイヤにシマオは「例えとして言っているならそう言うこともできるね」続けて「それでも、文章の内容にまとまりが無いんだよね」と悩ましげに述べた。
「1行ごとに違うことを言っていたりして?」とレイヤが考察を述べると「そうか!そういうことなら意味があるかも!」とシマオが感嘆の声を上げる。「なにそれ?」フジショーはいかにも小学2年生らしい感想を述べた。
時刻はすでに午後3時半を回り、夕方に入っていた。8月にもなると、4時ごろは日がだいぶ低くなるので”夕方になった”と誰でもわかるころだ。「なあ、なんかくらくねーか?もう夕方なんじゃねえの?」とフジショーが言う、実は、この神社の境内はものすごく薄暗いので子供の背丈では日の高さがよくわからないのだが、レイヤもシマオもあまり気になっていなかったものの、フジショーは先ほどよりもだいぶ暗くなってきていることに気づいていた。
「ここは薄暗いから時間がわかりにくいね」と言いながらシマオは立ち上がり、それにつられてレイヤも立ち上がった。レイヤとシマオは摂社の扉に続く階段の最上段に座っていたのだが、フジショーだけが境内の拝殿の真ん中に立っていたのだ。そこは空がよく見えるので、そこに立っていたフジショーだけが青かった空に朱がさしてきたことにいち早く気づくことができたのだ。
「今から帰れば5時ちょうどまでには帰れるかもしれないね」と言うとシマオは歩き出した。自ずと歩き出すフジショーとレイヤ。行きも帰りもフジショーが先頭でレイヤが殿と言う形になった。




