2.エントランスの婚約破棄
寮の入り口ど真ん中
人の行き交うこの場所で
迷惑極まりないイベントが発生していた
「俺は!真実の愛に目覚めたんだ!!!
君には心底失望したよ!エリ!!!」
そう強い言葉で非難され
その勢いに圧されて床にへたり込むように座り、大粒の涙を流す女性が「何かの間違いですバビロ様!」と懸命に否定していた
その女性の前で、怒りをぶちまけるかのように上から見下ろすように立つ男性と、その横に寄り添って大事そうに抱きしめられている女性がもう一人。
「エリ、君はこの可憐でか弱いマリリミールに敵意を向けていたそうじゃないか」
「そんなっ!そんな事実はございません!!バビロ様!」
ふわふわなワンピースの下に更にふわふわな下着でも履いているのだろうか
ふわふわもこもこな女性が
「ひどいですゥ…!バビロさまぁ、マリリミールはぁ…
エリさまにぃ、階段からどぉーん!って、されちゃったんですぅ!」と、訴えていた
「エリ貴様…なんとマリリミールに酷いことを…!!」
「マリリミールはァ…とってもォ…怖かったですぅ…ぴぃん…」
そのもこもこふわふわなら、たとえ本当に階段から落とされたとしても無傷で済みそうである
にしても、なんとまぁ頭の悪そうな話し方をする在校生だろう…と入学前のメリィはこの学院の生徒に対してちょっとだけ…いや、かなりだいぶ失望した
………いや、待てよ。生徒という括りにしてしまうと他の方に失礼だ。と思い改めて、なんなんだこの人たちは…と、表現方法を改め直した。
ここは王族や貴族が通う敷居の高い学び舎だと思ってドキドキワクワクしていた部分があったが
あれ?
もしかして今、思い描いていた理想の素敵な貴族の方々…という存在と違う貴族の一面を見てるんじゃ無いか…?と、よくわからない三角関係をただただ傍観するしかなかった
「バビロ様!わたくしは!一族の責務を背負って入学いたしました!日々勉学で、マリリミールさんとお話する機会などとうてい持てませんでしたわ!」
「会話の機会などなくとも、階段から突き落とすことは容易であろう」
周囲の生徒は、誰も助け舟を出せずにいる
ただの遊びの恋愛ではなくて"婚約の立場"という家の事情が絡んでくるならばそれは安易に首を突っ込むべきではないのだ
それ故にヒソヒソとなにかを話しながらこの茶番劇の行方を見守っている事しか出来ないようであった
とはいえ、おおかた「あのマリリミールって一体…?」というマリリミールへの不信感のヒソヒソ声がなんとなくメリィの耳に届くようなそんな野次馬側の雰囲気だった
「バビロさまぁ!そんなにエリさんを怒っちゃ、だめぇ〜ですよぉ!……たぶん…たぶんですけどもォ、マリリミールが可愛いのが、きっと…よくなかったんですてへっ!!」
バビロと呼ばれている男の腕にむぎゅりと抱きつき
その豊満な胸と、ふりふりを押し当てるマリリミールという名前の女
このホイップクリームの上からホイップクリームをかけたような雰囲気の生徒に、メリィは勿論のこと周囲の生徒を含むその場にいる野次馬の全員が、ちょっとこの人どうなのよ。という目線を投げかけていた
「ぜぇんぶマリリミールが可愛くて…ごめんなさぁい!」
マリリミールという女子生徒が、泣き崩れるエリと呼ばれる女子生徒に向かってそう吐き捨てたその時
メリィは、彼女の背後から
大きな黒い塊がゴポリと溢れ出たことに気付いた
「……ぉわ、なんか虫でてきた…!」
メリィはこの虫を見る機会が多かった
こうやって誰かから黒い虫のようなものがヌーっと出てきてしばらく誰かの周りを浮遊するのだ
メリィは、自分なら視界にこんな黒い虫がチラついたら邪魔でしょうがないと思ってはいるがメリィ以外の人々はそこまでこの虫をとくに気にもしていないようだった
故にわざわざおおごとにするようなもんでもないだろうと思い、いつも虫が自分の近くまで寄ってきた時にぺちんっ、と叩いたり払ったりして邪魔なソレを飛ばしていた
が、コレはその比じゃなくておどろく。
大きな虫のようななにかが、ヌーっと現れたのまでは見たことがあるけど
こんなに大きい黒いのは初めてだし、たぶん…虫…?ではないような気がした
サイズ感が虫と断定するには大きすぎたのだった
きょろきょろと周囲を見渡しても
やはり誰もそのことを気に掛ける学生はいないようであった
というか、たぶん気付いていない…という表現のほうがこの場合は正解な気がした
この虫というには無理のある大きさの黒くて大きなナニカ…
誰も気付いてないならソレは存在するべきものではないモノということに他ならないのではないのだろうか…
メリィは、きっとこの瞬間自分は見てはいけないものを見たのだ!と確信して自分はなにも見ていません。という考えに切り替えた
だがしかし、見えてるものは見えているので
「こわぁ…」と、小さく感想を述べる
疲れてるのかな…疲れているんだろうな…
目の前では
一人は泣き
一人は怒り
一人は可愛らしさを全面にアピールしている
「………つかれた……、まだかかるかな…」
このよくわからないイベントは解決するまでに時間がかかりそうだと思ったので、メリィは少し考えてから多少迂回が必要だけど、壁の方をつたって邪魔にならぬように女子側の寮に行くことを決めた
生徒たちを通り抜けるのも一苦労である
「あっ、すいません通ります…」
見学なさっている生徒たちにごめんなさいと言いながら
メリィは、皆様の高級ドレスを極力踏まぬよう、ゆっくりと端の方に歩いていく
壁側にたどり着いた時、端の方でメリィと似た空気を出している生徒が壁に寄りかかって本を読んでいた
きっと同じように興味もないのだけれども、まだ部屋に戻れない生徒だろうと思った
とはいえ学院の生徒であろう方なので軽く会釈だけして前を通りかかった
その時にまた一段とバビロの声がよく響いた。
「エリとの婚約をここで解消することを宣言する!
そして真実の愛を教えてくれたマリリミールを!結婚相手として迎え入れることを決定とする!!」
「あぁーん!バビロさまぁーあ!!マリリミールすごぉく感動…!すき…うれちぃ…!」
「うぅっ…、ぅぅぅっ…、…、バビロ様…どうして…」
これは貴族のなんか…アレなのだろうか…
マナーみたいなものなのだろうか
こうやって大声を出して他人の心に傷をわざとつけて
本当に必要なことなのだろうか
あのエリという生徒はそこまで非道な行動をしたのだろうか
こんなにみせしめのように大声で宣言する必要など、どこにもないような気がした
暇なのか?貴族の学生ってのは暇なのか
目の前の彼とその横のふわふわが国の繁栄の為に勉学に励んで、なにか国を支える柱となるようなそんな人格者か?
そうは到底思えなかったのだが、メリィには深い所までは何も分からないので良い気分ではないけれどこのままスルーさせてもらうことにした
本を読んでいる生徒が、本越しに小さくため息をついたのが聞こえた。そうか、貴方も聞いてはいたのか
その次の瞬間、メリィは背中にゾゾゾっと悪寒が走る事に驚いて集団の方向を振り返る
人混みの向こうにいる彼らの事は
もうあまり見えなかったけれど、それでも分かったのは、マリリミールの背中に見えた黒いヌーっとしたアレが突如ブワッっと大きくなったということだった
部屋中にその黒色が包みこむような勢いで広がっていった
「え、やば!こわっ、!!!」
思わず声が出た。そしてその黒いソレは、勢いをつけてメリィの場所にも例外なく進んできた
思わずとっさに
胸に抱えていたパンフレットの入った封筒をくるっと丸め
まるで虫でも殺すかのような動作で
自分の方向に襲いかかってきたその黒いソレを
メリィは思いっきり叩き潰すようにパンフレットを振り上げて勢いで殴った
それはなんというか、とても感覚的なもので
何を考えるでもなく、ただそうするのがいい。と以前から知っていたような、なんなら今までにもこんな事があったような、いや無かったような
いや、あっただろう
虫をこうやってやっつけていただろう。同じだよ
パァァァアン!!!!!
思いっきり叩いたことで
黒いそのモヤのようなものはその場で動きを止めてから、ぱァァーーっ…と崩れるように消失していった
この部屋の中ではどうやらメリィにしか見えていなかったようで、突如大きな衝撃音がしたことでこの場の空気が突然パリッと変わったような気がした
メリィのパンフレットと黒い虫が当たったときの音なので、メリィが壁を殴ったわけでもなく、誰かを叩いた衝撃で出た音でもなかったことはその場の生徒は理解出来ているようだったが
じゃあ、なにを叩いたらあんな大きな音が出るのだろうか……?何故この場で…突然の…素振り…?
と、生徒たちは驚きと興味があったようだ
流石学びの施設…ほぼ全員の視線が一瞬だけではあったが、こちらを向いたのだった
「っ、…!!わ!すいません!大きな音をたててしましました…!!」
メリィは反射的に思わず深く頭を下げた
良くも悪くも、その大きな一撃にて注目の的がこちらに変わったことは明白だった
しかしこれ幸い
派手に動くなら今であると直感がはたらき、頭を下げた姿勢から一気に走り出す姿勢をとり女子寮の方に駆け出した
先程までピリついていたエントランスホールの全員の集中力が切れたのか
何が起こったのかは分からなかったけれど、全体がざわざわとしてきた
恥ずかしすぎる…よくわからないけど恥ずかしすぎる
でも私は悪くない、なんだあの黒い大きな虫のようなヤツ
………そうだ裏門から帰してもらおう。
そしてまた日を改めて正式に入寮した時期には、全員が私の事を忘れていますように
ていうか全員が、あのマリリミールの事のみを覚えているような記憶状態で今日は眠りにつきますように!!!
メリィは心の中で大きな大きな独り言を呟いていた
大きな場違いな音を出した見ず知らずの女がいた、だなんて覚えていてもらっては入学してから肩身が狭くて大変なことになってしまう
「貴族…なんだったんだあれ…、いつもあんな感じなの?暇なの…?」
メリィは、気まずくて下ばかりみて走った。
その後の彼ら3人がどうなったのかは、全くわからない。
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「へぇ、今のが浄化魔法…か」
嬉しそうに微笑む生徒が
静かに本を閉じて、その背中を眺めていた
「思ってたよりも物理的だったな…」
先ほどの流れを思い出しながら
彼はくすくすと笑ってその場を後にした
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