アリシア・ルイドル
「アリシア!大丈夫だからこっち来いよ」
「嫌よ。だってきっと蜘蛛の巣があるもの。怖いわ」
「もぉ。アリシアは怖がりだなぁ」
私、アリシア・ルイドルはとても怖がりな子どもだった。
兄2人、姉1人、そして双子の弟と私。
5人きょうだいの中で一番慎重で臆病で、そして他人を信用しない人見知りな子どもだった。
いつも兄達や弟のリアンの後ろに隠れて、物事を注意深く探っているような少女だった。
母は、私が産まれた時に大変嘆いたという。
それは生まれ持って左腕に大きな赤い痣があったから。
「女の子なのに」
そう呟く母の悲しそうな顔を何度見たことだろう。
夏の暑い日も長袖を着させられ、着替えや入浴の介助の使用人も限られた者にしか許さなかった。
家族で湖に避暑に出かけた際も、私は水着を着ることは許されず、兄達が水遊びをするのをひたすらに眺めていた。
母は私の顔を見るたびに気まずそうに目を逸らすので、私は愛されていないのだと感じた。
その思いは私の性格形成に大いに関係した。
私達の住む王国・マルグリッドでは、5歳を迎えた貴族の子女達が入る幼年学院がある。
伯爵家の令嬢である私も5歳になる年に、弟のリアンと共に幼年学院へと入学した。
私と違って活発なリアンは多くの友人を作ったけれど、私は一人俯く毎日だった。
話しかけられても、何を返していいのか分からない。
だから周りも徐々に私に関わらなくなった。
姉のマリーネの時は幼年学院に入ると同時に淑女教育も始まったみたいだが、私にはそんな気配は全くなかった。
母は、いやもしかしたら父も、この時には既に私の将来を諦めていたのだろうか。
今振り返るとそう思えて仕方ない。
そんな毎日で、きょうだい達は私に優しく、明るく接してくれたことはとても救いになった。
そんな幼い頃の私に転機が訪れたのは7歳の時。
王都にある初等学院に入学して少しが経った頃だった。
絶対神の女神様の洗礼を受けた際に、突如として膨大な記憶が蘇ってきた。
アリシア・ルイドルとしてのこれまでの人生と、アーリア・コールライドという少女の人生。
これは同時に私の中に存在するようになった。
洗礼の日を境に私は変わった。
それには周囲がとても驚いた。
これまでの臆病で人見知りの、常に一人でいた少女が、ある日を境に明るく社交的になったのだから。
最初のうちは怪しんだ目を向けていた家族や学院の同級生達も、しばらく経つと「女神様のご加護だ」と喜び、受け入れてくれるようになった。
アーリア・コールライドの人格に変わった私は、可愛らしく素直で純粋な娘だ、と周囲から評されるようになった。
この頃から父の指示で淑女教育が始まった。
母は乗り気ではなかったようだけれど、父には伯爵家の娘としての利用価値が出来たと認識されたのだろう。
人より遅いスタートだったが、前世の記憶が蘇ってきた私にはとても簡単な教育に感じられて、家庭教師からの評判は凄まじく良かったのだ。
「アリシア様は素晴らしい御令嬢ですわ」
家庭教師が両親に話しているのを何度か聞いたことがある。
記憶の蘇った私は少し大人びた子どもだった。
どうしたってアーリア・コールライドの年齢相応の思考回路になってしまったからだ。
まだ習ってもいない歴史を知っていたり、コールライド家の領地のことを周囲に話してしまうこともあって、会話にはより気を付けるようになっていった。
いつしかアリシア・ルイドルとしての自覚はなくなって、自分はアーリア・コールライドなのだと、その生がまだ続いているのだと思うようになっていった。
両親に関しては、距離が出来たような、元より幼い頃からあまり接点はなかったから情というものは希薄だった。
だけれど、仲の良かった兄や姉、弟のリアンに関してはきょうだいだという認識は持ち続けていた。
ユリシスへの想いを考える毎日が続いた。
私はどうして実の兄であるユリシスを愛したのだろうかと。
生まれ変わった今でもこんなに愛おしい。
今世にも兄はいるが、家族愛で、恋愛感情を抱くのなんてあり得ない。
考えるだけでも悍ましいと感じてしまうほどに。
だけれど私はユリシスが愛おしかった。
だからユリシスがリリス・フィナンシスのものになると絶望して前世を閉じたのだ。
それは何故なのだろうとずっと考えている。
そして、それと同時に気になることが、コールライド家がどうなったのかということだった。
家督を継ぐユリシスを私が亡き者にした現在、誰が後継になっているのだろうと。
マルグリッド歴を見てみると、私はアーリアが死んだ翌年に生まれている。
現在13歳の私の年齢を考慮しても、まだ14〜15年しか経っていないのだ。
お父様がまだ当主のままなのだろうか。
こうして私はコールライド家の現在を調べることにした。