私の罪
私アリシア・ルイドルには生まれつき左腕に裂けたような大きな赤い痣がある。
それは私の前世の罪の証。
そう、私には前世の記憶があるのだ。
その記憶を思い出したのは7歳の洗礼を受けた時だった。
この国には絶対神の女神がいて、誰しも7歳になると大聖堂で女神様の洗礼の儀式を受けなければならない。
その時に突如として前世の記憶が舞い降りてきて、それから私の人格はアリシア・ルイドルではなく、前世のアーリア・コールライドに変わったように思う。
「アーリア、僕のアーリャ、大好き。愛してる」
そう耳元で囁かれる声を、現実のようにはっきりと覚えている。
少し高めの声を、だけれど誰にも聞かれぬよう声を低くして耳元で毎日囁かれるその言葉に、私は胸の鼓動を早くしていた。
「ユリシス、私もよ。きっと私の方が好きだわ」
「何を言っているの?僕の方が好きに決まっている」
そんな会話を何度重ねただろう。
私たちは時間の許す限りずっと一緒にいた。
共に食事をし、共に学び、時に人目を盗んで同じ寝台で眠りについた。
両親が家を空ける日は必ずずっと一緒に過ごした。
そう、私たちは血の繋がった兄妹だったのだ。
だから人目を避ける必要があったのだ。
許されるはずのない恋。
幼いながらもそれはわかりきっていた。
だから家族や使用人の目を盗んで体に触れ合い、お互いを感じた。
ずっと共に生きていこうと口先で約束を重ねた。
人見知りなユリシスは友人も数えるほどしかおらず、異性とは目を合わせることも出来なかった。
だから私は安心してユリシスを独り占め出来たのだ。
独占欲の強いユリシスが私が友人と遊びに行くことを嫌がったため、社交的な性格だった私もいつの間にか友人は減っていった。
だけれど、それでも構わなかった。
その分ユリシスと一緒にいられるのだから。
お気に入りの温室で私の好きなハーブを摘み、一緒に摘みたてのハーブティを飲む。
今日のハーブはね、と説明をする私に優しい笑顔で微笑んでくれる。
暖かな日差しの中で、やわらかでゆるやかに過ぎるその時間が私はとても好きだった。
ユリシスは弓矢を射るのが得意だった。
父や叔父と共にたまに狩猟に出かけて、私はその姿を少し離れて馬車の中から眺めていたこともあった。
狩ってきた兎や鳥を捌いて、一緒に夕食で食べたことも楽しい思い出の一つだ。
そうやって毎日が穏やかに過ぎていき、私たちの関係はずっと変わらず、大人になってもこうして共に生きていけると信じて疑っていなかった。
そんな平穏だった日々が変わってしまったのは、ユリシスが16歳、私が14歳を迎えた頃だった。
ユリシスに婚約者候補が現れたのだ。
私たちが住む王国・マルグリッドはかつてこの国で横行していた身売り同然の幼年婚を防ぐために15歳を超えるまでは婚約すら認めていない。
だけれど平民はともかく、私たち貴族は少しでも良縁となるよう、子供が生まれた時から水面下で婚約者を探すための調査を行なっている。
当時、筆頭侯爵家であったコールライド家も例外ではなかった。
ましてやユリシスは家督を継ぐ長男であったのだから。
「ユリシス、お前の婚約者が決まった」
ある日の夕食時に父がそう話している最中、私は動揺を悟られぬよう必死で平静を装っていた。
お相手はマルグリッドの秘宝と名高い伯爵家の令嬢だった。
「父上、私にはまだ早いです」
「何を言っている。お前はもう16だ。婚約者がいて当然の年齢なのだぞ」
そんな会話を意識の遠くに聞いていた記憶がある。
「アーリア、お前は15になったら第二王子との婚約を考えている。お相手から内々で打診があったのだ」
更なる衝撃を受けて、私は何と返答したのか記憶にないくらい動揺していた。
突如として現実に戻されたような、いや、現実を突きつけられたのだ。
お前たちは兄妹だ。
共に生きることは叶わない、と。
それからのユリシスは変わってしまった。
「考えることがある」
そう言って私と一緒に過ごすことは無くなった。
部屋を訪ねても扉越しに断られるし、学院への登校も一緒にしなくなってしまったのだ。
婚約者ができるということよりも、ユリシスが私から距離を置こうとしていることが私は何よりも悲しく、辛かった。
ユリシスに触れられない。
優しい笑顔を向けてくれない。
愛していると囁いてもらえない。
ついには目すら合わせてくれなくなってしまったのだ。
そうしてついにユリシスの婚約者が当家を訪れるようになり、私も何度か顔を合わせることとなった。
マルグリッドの秘宝と呼ばれるだけあって、とても美しい、触れたら壊れてしまいそうな、儚げな、庇護欲を掻き立てられそうな可愛らしい少女だった。
「リリス・フィナンシスと申します」
美しいカーテシーと共に自己紹介をされた私はもしかしたら顔が引きつっていたかもしれない。
ああ、もうユリシスはこの人に夢中になってしまうのだわ、そんなことを考えていたから。
ユリシスと触れ合わなくなってどのくらいの時間が流れたのだろう。
私より早く学院へと向かう姿を窓から見つめる。
家族が揃う夕食のテーブルはいつから席が一つ空けられるようになったのだろう。
私はいつからユリシスの部屋の扉をノックするのが怖くなったのだろう。
あなたと話がしたい。
こんな風に気まずくなるのじゃなくて、終わるならきちんと終わらせたい。
・・・でも終わりたくなんかないけれど。
学院が休みのある日、両親は王宮への勤めに出掛け、家にはユリシスと私、そして使用人たちだけの日のことだった。
リリス・フィナンシスがユリシスとお茶をするために当家を訪れていた。
私は2人の姿を見たくなくて部屋に籠って本を読んでいたのだけれど、ふと思いついて温室に行ってみようと廊下を歩いていた時、ユリシスの部屋から大きな物音がして、何となく嫌な予感がして気になった私は悩んだ挙句そおっと部屋の扉を開けて中を覗いてみた。
そうしたら寝台でユリシスがリリスの上に覆い被さり、顕になった上半身に手を伸ばし、剥き出しの乳房に触れていたのだ。
その光景を見た瞬間、私は目の前が真っ暗に感じ、確か、その日は部屋から一歩も出なかったと記憶している。
ユリシスが私を抱きしめる時はいつも服の上からだった。
口付けだって、幼い頃はしていたけれど、いつか一緒になれてから、と最近はすることはなくなっていた。
なんだ、今思うとユリシスはちゃんと一線を引いていたんじゃない。
私だけ一人で夢見ていたのだわ。
いつか本当にユリシスと共に生きられるのだと。
そう、ユリシスはもう手に入らないのね。
私の届かないところへと行ってしまうのね。
それを理解した途端、私の中に湧き上がってきたものはこの世の絶望だった。
手に入らないのならば、せめて一緒にこの生を閉じよう。
そう思って短剣を持って深夜ユリシスの部屋へと忍び込んだ。
久しぶりに見る愛おしいユリシスの寝顔。
だけれど、少し前までこの寝台には私しか乗ることはなかったのに、今では違うという現実。
私は思い詰めていたのだ。
そして、寝ているユリシスの左胸を目掛けて短剣を突き立てる。
ああ、ユリシスはもうすぐ私だけのものになる。
安心して、一人では行かせないから。
私はもう一つの短剣で自分の左腕を大きく切り裂いた。
ドクドクと溢れ出る血液でベッドが赤く黒く滲んでいく。
遠のく意識のなか、私は最後にユリシスに口付けをした。