メスガキ養成所
私は今日と言う日を心待ちにしていた。この先に地獄が待ち受ける事になるにしても憧れを捨てる事ができなかった。既に退路は自ら断って来ている。後は目標に向かって前進するのみだ。緊張で肩に力が入る。
寮の扉が開くと険しい表情の女の子が入って来た。彼女は私達を一通り眺めると舌打ちした。
「おはよう諸君、私がこれからここにいる稚魚共を立派なメスガキに仕立て上げる教官だ。どの面も変わり映えのない雑魚の金太郎飴の様だが、私の訓練について行く事が出来れば晴れて社会的に認められるメスガキになれるだろう」
教官は列に並んだ私達の顔をじっくり眺めながら歩く。
「私は君らの名前をいちいち覚えない。名乗る気もない。君らにとって教官と言えば私の事だし、私がお前を太眉と呼べばお前は太眉だしまつ毛と呼べばまつ毛だ」
やがて私の所に回って来た。ただでさえ人を刺しそうな眼差しが更に鋭くなる。通り過ぎず私の目をジッと見つめている。
「ここで生活してもらうにあたって守ってもらうべきメスガキ三原則がある。その一、生意気であれ。いかなる力にも屈せずその姿勢を崩すな。その二、強かであれ。相手を貶めるには時には面従腹背の精神も必要だ。誤っても心酔して服従するな」
顔が近い。私は強くて生意気なメスガキに憧れてここへ来たがまだ彼女らの様にまだメンタルは硬くない。素質があってここへ来た訳じゃない。そんなに睨まれてはすくみ上ってしまう。
「馬鹿真面目に従ってる方がメスガキとして駄目じゃん♡」
そう笑う声が聞こえた。教官は踵を返して今の発言をした女の子を探す。やがて名乗り出るまで1人ずつ引っ叩いて回ると言い出した。するとワンサイドアップの子が手を挙げた。教官は彼女の元へ向かう。
その子は教官が近くに来ても平然と余裕の笑みを浮かべている。
「メスガキ三原則その一、生意気であれ♡規則に則ったまでです、教官♡」
教官はワンサイドアップの子の両肩を掴んだ。
「早速と素質のある優等生が出て嬉しいぞワンサイドアップ」
そう言うと教官はその子にヘッドバットを食らわせた。ワンサイドアップと呼ばれた子はその場に尻餅を搗いて倒れる。
「メスガキ三原則その三、優位性を保て。どんな罵り言葉も自分を下に見ている相手には届かん。自分にできる事とできない事、状況を見極めてどうする事が最善なのか考えろ。考えもせずに行動すれば次は貴様等がこうなる」
ワンサイドアップはフラフラとしながら立ちあがる。教官は寮での過ごし方とこれからに日程について説明した。ワンサイドアップもそうだが恐らく私も目をつけられた。これからの訓練はきっと厳しい。
私は覚悟して事に臨む事にした。
それからは厳しい指導の元で基礎体力を伸ばし自分より体格の大きな相手との立ち回り方について学んだ。初めの3週間のうちで最初にいた頃より3割の訓練生が逃げ出したりやめたりしていった。
座学では教養面で相手に後れを取らない様に様々な勉強をした。ただ相手を煽るためだけに学ばなければならない範囲の広さにも驚かされるが、訓練から解放された後も相手を罵るための語彙力を伸ばすための自習が求められた。時々抜き打ちテストをやっては複数の特徴を持った架空の人間の30以上の罵り言葉を書かされ、不合格の相手には個人指導として50種類の言葉で罵られた。
私はメスガキとしての素養がないらしく教官には特に叱られ、連帯責任を他の訓練生に取らせては冷たい眼差しや罵り言葉を受けた。ついに耐えかねた私は教官のいる部屋を訪ねた。
「どうしたボブ。私に何か用か?」
「あ、あの…実は…もう辞めようかなと思ってて…」
教官は立ち上がるとズカズカとこちらに向かって歩いて来る。恐ろしくて逃げてしまいたい気持ちを頑張って抑えた。教官は私の目の前で鬼の様にギョロリとした眼を向ける。
「ほう、夜這いに来たのか。いい度胸だ」
「い、いえとんでもない!」
「私は耳が遠いと言っただろう。言うならはっきり言え。何しに来た」
「わっ、私は…メスガキとしての素質なんてなくて…皆の迷惑ばかりかけて…!自分には向いてないって分かったので、辞退しに来ました!」
目をきつく瞑って悲鳴の様な声でそう伝えた。教官からのビンタが飛んでくるかと思ったがそんな事はなかった。彼女はため息をつくと自分の席に座った。
「そうだ。お前はメスガキに向いてない。優し過ぎるし気概もない」
「はい、だから…」
「だがお前は本当にそれでいいのか?」
私はすぐに返事しようとしたができなかった。私はメスガキになる事を夢見てここへ来たのだ。なりたかった。どんな障害にも屈しないつもりだった。それでも自分に限界を感じたからここへ来た。
故郷におめおめと帰るのは屈辱極まりない。まずお金を借りるために家族か友達に土下座する所からしなければならない。自分が惨めで仕方がなかった。
教官は椅子を回転させてこちらに背を向ける。
「私はな、一番最初に辞めるのはお前だと思っていたぞ」
私は返事を返さなかった。自分でもそうだと思ってた。でも実際は「イメージと違った」と言う理由で辞める人はそれなりの数いた。気持ちは分かるが私は彼女らよりもメスガキになるための決意は固かったと思う。
「人は生まれつきのサディストだ。個人差はあれど必ず加虐心を持ち残虐だ」
「…教官?」
いきなり何の話をしているのか分からず困惑した。教官は余計な話はしない。私の事も失望したとか見損なったと罵りを受けた後に辞退を承諾する物と思っていた。
「やがて人生と言う調教を受け、如何ともし難い現実に順応するためにマゾヒストになる。メスガキはサディストでなくてはならん。それが辛い所だ」
教官は振り返って立ち上がると今まで見せた事のない、悲しみを帯びた表情でこちらに歩み寄った。
「これから君の人生にはあらゆる困難が立ちはだかるだろう。その度にこうして頭を垂れ、逃げるのか?」
「……………」
黙ったままの私の両肩に教官は手を置いた。
「君にはメスガキとしての素質がない。だが気骨はある。君が望めば特別指導して君を立派なメスガキにしてやれる。もう一度だけ返事を聞かせてくれ」
私は教官の言葉に涙が出そうになった。それでも堪えた。ここで泣けば教官から失望されるに違いなかったからだ。だから私は一生懸命に涙を堪えて返事をした。
「教官の息くっさ♡近寄らないでください♡」
教官は無言の腹パンをして来た。息ができず苦しくて膝をついた。その様を満足そうに眺めると教官も同じように屈んで私を抱きしめた。
「よくぞ言ってくれた。今日から毎日夜這いに来い、お前を飛び切りのメスガキにしてやる」
「教官…」
その晩から特別指導が始まった。その日の指導の復習や翌日の指導の予習。しばらくは寝不足でその日の指導で厳しく叱られたりする事もあった。教官だって私に付き合って疲れているはずなのにそうした疲れを訓練生に見せる事はなかった。
生意気である事の辛さ。『メスガキはサディストでなくてはならん。それが辛い所だ』と言っていた。平然としているが彼女だって日々思う事がありとても辛くなる事だってあるのだ。それでも屈しない。
私は教官に憧れた。彼女こそ私の志すメスガキに違いないのだと。
ある日、特別指導を終えて休んでいると教官は首に下げたペンダントの中の写真を眺めていた。私は気になって横から覗くと私にも見せてくれた。冷たく鋭い眼光を放ちながらもどこか惹かれる様な魔性の目をした女性だった。
「彼女は私の教官だった人だ」
「教官が訓練生だった頃なんて想像できません」
「私は彼女のお気に入りでね。特別に厳しく指導されたよ」
その時の訓練の様子を語ってくれた。彼女の訓練は指導と言うより他人を苦しめて楽しんでいる様子だったらしく付いて行くのは困難だったらしい。それでも辞める人が少なかったのは彼女のカリスマ故だったとか。
教官は他の訓練生よりも優秀だったために目を付けられ特別指導を受けた。厳しいばかりかと言えばそうでもなく気絶する様に眠っては寮まで連れて行ったり、子供っぽい悪戯をしたり、成果をあげれば力いっぱい抱きしめてくれたらしい。
そんな話を穏やかな表情で懐かしむ様に言っていた。
「それで、その人は今どこに?」
「…任務に失敗してな。行方不明になった。組織に内通者がいたんだよ」
「そんな…」
「つい最近、ようやく手がかりを得た。次の任務で消息を掴めるだろう。…厳しい任務になる」
そう言う教官の表情は暗くどこか自信なさげだった。行かないでください、なんてとても言えなかった。教官が決めた事だ。そんな説得は彼女を侮辱するだけ。かと言ってどんな応援の言葉をかけていいのかも分からない。
私は彼女の任務に何らかの形で助力する事ができない事を悔しく思った。
「ボブ…もし私が戻らなかったら教官になってくれ。私は自他認める優秀なメスガキだが…教えるのは下手だ。お前なら私と違ったやり方で訓練生を鍛え上げられるだろう。いい教官になる」
「分かりました。約束します」
「ボブ、お前が私の訓練生で良かった。お前は私の誇りだよ」
私達は抱き合った。それがまるで最後の別れの様に。
実際、先生は帰って来なかった。他の教官からは「任務に失敗した」とだけ聞かされた。教育指導の方針はガラリと変わった。これまでと違ってかなり優しい指導に変わった。
「あー楽勝楽勝!あの鬼教官がいなくなって良かった~、このままメスガキの肩書まで楽ちんなエスカレーターだね~」
ツインテールが嬉しそうに言った。他の訓練生も頷いた。彼女の教育が厳し過ぎて他の教官の指導は大したことがない。このまま過ごしていれば勝手にメスガキとしての称号を得る事だろう。
ワンサイドアップは浮かない顔をしていた。
「…でも本当にこれでいいのかな。私達はここを卒業すれば確かにメスガキになれる。でもさ、今の教育指導が実戦レベルとはとても思えない」
私も同感だった。元居た教官の指導が他に比べて異常に厳しかったのは間違いないが、他の教官の指導はあまりに生温い。
この養成所を卒業したメスガキはエリート集団とされるためマゾ以外に絡んで来る相手は多くない。しかしそんなメスガキを分からせる事で自身を誇示する分からせ隊と言う変態集団が現れる様になった。
私達が不用意に一人にならず仲間と行動している様に、彼らも徒党を組んで襲う様になった。いわば烏合の衆だが私達を獲物にするとだけあって個々の能力は高い傾向にある。教官から遭遇しても交戦は避ける様にと注意喚起される程だった。
もし分からせ隊と遭遇した場合、身を守る事ができるのか。逃げ遂せるのか。今受けてる訓練は不充分に思えた。
「この間、この養成所の卒業生じゃありませんが…メスガキがまた一人毒牙にかけられたそうです。私達も他人事じゃありません」
ショートが困った顔でパソコンを覗き込みながらそう言った。ツインテールは腰に手を当てて自信なさげなショートに怒る様に言い返す。
「私達は鬼教官に指導されたエリート中のエリートだよ?他の奴らが大した事なかっただけだって」
「でもさ…、あの教官はその分からせ隊に捕まったって噂があるよ」
ワンサイドアップが私達を見回しながら言う。噂は噂に過ぎない。しかし教官は訳あって任務に失敗し未だに帰れないでいる。可能性はあった。
思い沈黙が場を支配するとツインテールは髪を解いて布団を頭から被った。
「もう寝る…皆もそうしなよ」
私達は無言のまま布団の中に入った。
それから眠れない夜を過ごしているとショートが二段ベッドの梯子を上って来た。思わず驚いたが彼女は人差し指を口元に当てて静かにする様に言う。それから小さい声でこう言った。
「ボブ、ピッグテールの事気になりませんか?」
ピッグテールは行方不明になった私達の教官の事だ。昔そう呼ばれていたらしい。本名が分からないので他の教官と区別するためにその名前で呼んでいた。
「気になるけど…」
「私も気になってですね。先生の話を盗み聞きしてたんです。居場所を突き止めましたよ」
耳を疑った。ショートは以前からこうで周りにビクビクしてる様で胆力と行動力がある。ショートは梯子を下りると小さな折り畳み机の上に置いたパソコン画面を私に見せてくれた。そこには解像度の低い写真が表示されていた。
「今ピッグテールは元々山小屋って言う雑貨店だった家の中にいます。分からせ隊の見張りはいますけど警備はザルです。教官達は罠と踏んで救助はしないみたいですよ」
「本当にピッグテールがいるのか?」
気がつくとワンサイドアップが隣にいた。聞いていたらしい。
「当人からの救難信号が出てたらしいので恐らくは」
お互いに顔を見合わせる。ここからはそう遠くない。教官達でさえ動こうとしないのだから、罠の可能性は充分にある。でもピッグテールがそこにいる可能性も高い。この機を逃せばもう会えないかもしれない。
訓練生に過ぎない私達にどうにかできる問題なのか…。
「私、行くよ」
迷うより前に言葉にしていた。
「危険だ!私達はこのままじっとしてるだけでメスガキの称号が得られるんだよ?ピッグテールの事は残念だけど…、私達が行ってもどうにもならないよ。規則を破ればどんな処罰を受けるか分からない」
「ワンサイドアップ…、私にとってメスガキは称号じゃない。生き様なんだ。ここで教官を見捨てたら、この養成所を卒業したって胸を張ってメスガキを名乗れない」
「ボブ…」
「ボブ、私は後方支援を行います。現場には行けませんが…力になれます」
ショートからインカムを受け取った。山小屋周辺の情報は1つでも多い方がいい。こっちで私が抜け出した事がバレたりしたら協力して手を打てる。彼女のサポートは頼もしかった。
「ありがとうショート、教官を助けに行って来る」
私は支度をすると寮を素早く抜け出した。
徒歩で向かい山小屋に到着した。車は三台、表の見張りは三人ほど。一人は顔に本を被せて眠っている様に見えるが残り二人は家の辺りをうろついて見張っている。注意は散漫に見えるし不気味だった。
『監視カメラみたいなのはあるけどダミーでした。監視のための小型飛行機械もありません。探ってみましたが家の中の状況は以前不明瞭なままです。ハッキングによる支援はできそうにありません…』
「映像証拠を残すリスクが低い考える事にするよ」
『ごめん…』
家の周りは明るく隠れる事ができる遮蔽物がない。せめて家の中の様子を伺う事ができれば…。今はタイミングをら見計らって中に侵入するしかない。失敗すればピッグテールはもちろん、自分にも危険が及ぶ。深呼吸して突撃しようとすると暗闇から何者かが現れた。露出度の高い服を着てる…ワンサイドアップだった。
分からせ隊の二人は驚いて集まった。一人は本当に熟睡している様子で起きない。ワンサイドアップは目の前でパンツを脱ぐとヒラヒラとさせた。
「ほらワンちゃん、取っておいで♡」
そう言って投げる。二人はパンツではなくワンサイドアップの方に向かって走り出した。彼女は自慢の健脚で逃げ出す。どうやら助けてくれるらしい。
私は彼女の無事を祈りながら家の玄関の近くへ進んだ。物音は殆どしない。私は慎重に慎重に近くのドアノブに手をかけ侵入した。侵入は目撃されていない。後はピッグテールを見つけ撤退するだけ。
奥からスリッパをパタパタと言わせて歩く足音が聞こえる。私は身を隠し様子を伺った。
「…誰かいるのか?」
声が聞こえた。スリッパの足音の主だ。物音は立てなかったはず。
「体は隠したつもりだろうが、影が隠れてないぞ」
指摘の通りだった。こんな初歩的なミスをしてしまうとは…。ふとそこで気が付いた。この声をどこかで聞いた事がある。思い出して私はその場から飛び出した。
「きょ、教官…!?」
「ボブ!?何でこんな所に!??」
「だって救難信号…」
数ヶ月ぶりに会った教官は猫耳にスク水、エプロンにお玉とスリッパと良く分からない格好をしていた。こんな所で何をしているんだろう。拘束すらされていない。教官は恥ずかしげに俯く。私の名前を知ってるあたり他人の空似ではないようだ。
お互いに何を言っていいのか分からずにいると急に声がした。
「今日はピッグテールにサプライズがあると言ったな。これがそうだ」
すぐ近くのソファから声がした。ソファのクッションが天井に向かって吹っ飛ぶと中から女性が現れた。その人はこちらを向いてニコりと笑う。
「お初にお目にかかるね、お嬢さん」
この人、どこかで…。
「!!?」
思い出した、ピッグテールがペンダントで見ていた彼女の教官だ。確か以前の任務で行方不明になっていたはず。どうしてここに?
頭が混乱して来た。
「あの…フロイライン様、これはどう言う…」
ピッグテールが目の前の女性に話しかける。彼女はそう呼ばれてるらしい。
「まぁこう言う事だよ」
指を鳴らすとクローゼットから、カーテンの裏から、床から、天井から分からせ隊が現れた。思わず小さな悲鳴をあげてしまう。
更に奥の壁から見慣れた子が現れた。
「よっす」
ショートだった。何でここに??私より後に出て私に追いついた??いや彼らの仲間だったなら車を使って先回りした可能性もある。まさか、まさか彼女が裏切るだなんて…。
教官は青ざめると私を庇う様に前に立ち、その場に土下座した。
「フロイライン様、何卒ご容赦を!」
フロイラインは優雅な足取りで歩み寄り彼女の前で屈む。
「ピッグテール、手に塩かけて育てたお前の愛弟子がカリフラワーを見ながらリコーダーを吹いてスクワットする事でしか興奮できなくなる姿が見たくないか?」
良く分からないが身の危険を感じる。
「私ならどんな辱めも耐えてみせます、だからボブだけは…」
「指を咥えて見ていろ。それがお前の耐えるべき辱めだ。できるね?」
フロイラインはまるで駄々をこねる子供を宥める様な口調でピッグテールの頭を撫でながらいった。ピッグテールは涙を溜めながらこちらに目を向ける。淫蕩としたその眼にあの日見た教官の面影はどこにもなかった。
「でき…ます…」
フロイラインは彼女の返事に微笑んだ。下手に抵抗してもこの数を逃げ切るのは厳しい。ピッグテールを連れ出すのは更に困難だ。しかしここで捕まれば彼女を救うのは不可能になる。
どうすればいい…、どうしたらいい…。
思考が追いつかない最中、扉が開いた。ワンサイドアップが分からせ隊二人に拘束されていた。
「ワンサイドアップ…!」
「ごめん、ヘマしちゃった」
ただでさえ絶望的な状況が更に悪化したかに思えたがワンサイドアップの様子は些か変だった。怪我はしてない。特に服の乱れもない。目が合うとウィンクした。刹那、開いたままの扉から円筒状の物体が投げ入れられ部屋が煙でいっぱいになった。彼女を連れていた分からせ隊の二人は一目散に扉から出て逃げて行った。
「ボブ、逃げるよ!」
私は頷いてピッグテールの手首を掴んで逃げようとした。しかしフロイラインはすぐに出口に回り込んで行く手を塞いだ。
「ガキ共が、出し抜いたつもりか?」
「どいてよ、おばさん♡」
ワンサイドアップが蹴りを繰り出すが足首を掴まれた。
「小娘風情がそんな」
「へあっ!」
フロイラインの背中側から飛び蹴りが入った。ツインテールだ。来てくれたのか…!
私達が山小屋から出るとツインテールは扉の周りを木の板と電動ドライバーで固定してしまった。窓から出ようとした分からせ隊も脱出できない様子ですでに工作済みらしい
「時間稼ぎにしかならないから、さっさと撤退するよ!」
ツインテールの叫び声に頷き走る。ショートが裏切り者である以上はここに来る前の退路は使えない。この辺の土地勘があるワンサイドアップは養成所に逃げると先回りされるからまずは一時的に安全な場所に避難する必要があると言った。
私達は彼女の意見に賛成し、彼女の案内する避難場所へ向かった。ピッグテールは度々足がもつれて転びそうになる。
「教官、どうしたんですか?!生まれたての子鹿みたいですよ??!」
「そ、そんな事言ったって…」
私達はワンサイドアップについて行き廃家の中に入り込んだ。そこで身を寄せ合い外に聞き耳を傾ける。追手の気配を感じないのを確認してから一息ついた。
ピッグテールは気まずく俯いていた。
「教官、何があったんです?いなくなってからの事を教えてください」
ワンサイドアップは遠慮なく聞いた。ピッグテールは返事をしない。私も本人から事情を説明して欲しいがこの様子では期待できそうにない。これまでの状況を頭の中で整理して推測するしかない。
ツインテールはピッグテールの顎を掴んで眼を覗き込んだりしている。驚きながらも抵抗はしなかった。
「変な薬を投与されたとか言う訳じゃなさそうだね。拷問されたにしても目立った痕は見当たらないし…」
「あの場にいたフロイラインって女性、教官を指導していた元教官なんだよ。数年前に行方不明になった…」
ツインテールとワンサイドアップはお互いの顔を見る。有名人なので記憶にあるのか声を合わせて「ああ!」と一緒に呟いた。
「分からせ隊の内通者でありメスガキ養成所の裏切り者、それはフロイラインだった。そうでしょ教官」
私の推測にピッグテールは静かに頷いた。
「フロイライン様は私の恩師だった。私の全てと言っても過言じゃない。メスガキの肩書きさえあればとりあえず生きて行けると思った。金と地位のためにメスガキを志した」
メスガキ養成所に集う皆が私の様に名誉を求めて来ている訳じゃない。キャリアのため、お金のため。目的はそれぞれ。あれだけメスガキを誇りとして語っていた教官がそんな理由でメスガキを志したのは意外だった。
「私は訓練生の中で孤立した。低レベルな他の連中との馴れ合いなんてごめんだった。私一人強ければいい、そんな考えを変えてくれたのが彼女だ」
フロイラインとの思い出を語るピッグテールはまるで夢を見る乙女の様だった。どれだけ心酔していたかよくわかる。
「私には身寄りがなかった。奪い奪われ、他人とは利用し利用されるものだと信じて生きて来た。訓練は確かに厳しかったが彼女は私を我が子の様に可愛がってくれた。私も実の母の様に感じていた」
ワンサイドアップが肩をすくめる。
「本当か?あんたは猫耳スク水エプロン、目の前で愛弟子を変態に仕立て上げようとする悪趣味な奴だったじゃないか」
「まあ…うん。あの方の趣味はちょっと私にも分からない。うん」
ピッグテールは酷く困惑した様子で言った。分かってたけどその格好もフロイラインによるものらしい。
「目を覚ましてください教官、奴のいいなりになるなんて正気の沙汰じゃないですよ!彼女はメスガキの敵、我々の敵なんです!何より変態ですよあいつ!」
ピッグテールは目を伏せがちになって貧乏ゆすりをする。
「フロイライン様は…私の全てなんだ。彼女の愛をなくして生きられない。変態趣味に付き合わされるより、見放される方が怖い…」
重い沈黙が場を支配した。助けようと思った憧れの人がこうも変わってしまったのが私達にとっても辛かった。ワンサイドアップは怒りや悲しみ、色んな表情を見せて言葉を選んでいたが、最後に出たのはため息だった。
ツインテールの目にも諦めの色が混じっていた。ピッグテールは弱みを握られているのではない。無理矢理催眠されたりしてる訳でもない。彼女は好きでフロイラインに従っている。
ワンサイドアップは外の様子を伺うとこちらを向いた。
「そろそろ行こう。メスガキ養成所近くの見張りはさっきより手薄になったはず。いつまでも寛いでちゃここも危ない」
それからワンサイドアップは見下す様な目でピッグテールを見つめた。
「あんたはもうメスガキでも何でもない。愛する変態家族の元にでも戻ればいいさ」
そう言って彼女は私とツインテールに声をかけて家を出た。ピッグテールは何も言い返さず俯いていた。ツインテールは私の肩を叩くと「先に行ってるから」と言って部屋を出た。
二人きりの僅かな時間は永遠の様に長く感じた。私は彼女からの言葉を期待していたのかもしれない。ピッグテールは糸の切れた人形の様に何も語らなかった。
私はピッグテールの右手を両手で掴んだ。
「ピッグテール、私があなたの立場ならメスガキである事をやめませんよ」
ピッグテールは弱弱しい目で顔を上げた。
「私はお前が期待するほど強くなくてな」
私は首を横に振る。
「強いとか弱いとかじゃありません。私の愛した教官はいつだって恐ろしく鬼の様で、気高くて、生意気でした。そんな風になりたいと思ったんです。憧れの相手に隷属するのは、私の夢でも何でもないですから」
「ボブ…」
「あ、でもピッグテールがカリフラワーを見ながらリコーダーを吹いてスクワットする事でしか興奮できなくなる姿は見たいです。もしそうなったら私に動画を送ってください」
「ひっ…」
私は廃家を出た。やや先に行ってる二人に追いつく様に走った。今は心が折れてしまっていても、いつかはまた私達に怒鳴り散らしてくれるメスガキに戻ってくれるはず。そう信じる事にした。
後は振り返らない。教官はいつだって私達の先にいるのだから。
…廃家の中、取り残されたピッグテールはただ玄関の方を向いてぼーっとしていた。やがて何者かが家にやって来る。
「おや、こんな所にいたのか。探したよ愛しい我が子」
フロイラインだった。彼女はピッグテールを抱きしめる。ピッグテールも同じ様に抱き返した。
「ここに愛弟子達がいたのかな?」
「はい」
「案内してくれるね?」
「もちろんです」
メスガキ養成所まで辿り着けば教官達に保護してもらえる。私達は必死に走って養成所を目指した。いくつか分からせ隊の影を見たがなんとか見つからずやり過ごせた。
残り1kmわずか。僅かに緩む気を引き締め直し走った。左後ろを走るツインテールが転んだ。転倒したのかと思って振り返ると彼女の体に何かが巻きついていた。
「投げ縄銃…?誰だ!」
ワンサイドアップが叫ぶと物陰からショートが現れた。
「ククク、私だよ雑魚さぁん♡」
「ショートか…。今すぐに手を引けば痛い目に合わずに済むぞ」
ショートはハサミを投げた。
「何でもいいけど早く切ってあげた方がいいよ♡それ時間と共に締め付けがきつくなるから♡」
それを聞いたワンサイドアップが急いでハサミを取るとツインテールに巻きつくロープを切ろうとする。私はショートの前に立ち彼女と対峙した。
彼女はバカにした顔でニンマリと笑ったが目元は笑っていない。
ショートとは徒手で戦った。何を思ってか投げ縄銃以外の武器は持っていないらしい。訓練中の鈍臭い動きが何だったのかわからないほど俊敏で的確な動きをして来る。タイマンなら誰であろうと負けない。そんな自信に溢れた余裕の表情を浮かべていた。
「軽率だったね。あの養成所にあなたの席はもうない」
私はショートに声をかけた。
「メスガキ養成所なんてのは私のキャリアアップのための手段に過ぎない。用が済んだからもう席は必要ない」
お互いに習った動きで攻防を行う。しかし彼女の動きには教わったものからアレンジが加わっている。フロイラインが仕込んだのか…。
彼女の動きは的確だったがまだ付け焼き刃に過ぎない様でまだ動きは洗練されてない。
「メスガキは称号じゃない、生き様だって言ったね。その通りだよ。あんな巣の中で認められなきゃメスガキじゃないなんて、随分と視野の狭い話じゃない?」
「何が言いたいのかな」
「こっちにおいでよ。そしたらあんたは夜の道をおっかなびっくり歩かなくて済む。より強い奴と手を組んでメスガキとして生きる。そゆのもアリなんじゃない?」
好んで徒党を組みメスガキを狙うのは分からせ隊ぐらいしかいない。その分からせ隊の傘下に降れば乱暴される事もなく、安全な場所にいられる。そう言いたい訳だ。
ショートの砂を使った目潰しを回避して手刀を入れた。勢いを削がれていたため大した有効打にはなかった。
「へぇ。自ら火に飛び込んで自分は安全な場所にいるつもりなんだ」
「実際そうだよ。この通り私は誰にも襲われてない」
「狡兎死して走狗烹らる。哀れね」
ショートの足払いを受けてその場に転倒してしまった。彼女は私の上に跨り両腕を押さえた。
「私が走狗ならあんたは雑魚ね。まな板の上の」
お互いに沈黙して見つめ合う。彼女の言う通り下手な動きもできないので相手の出方を伺うしか出来なかった。しかし彼女は動かない。
「私はあんたが嫌いでさ。無能なのに一生懸命で。人間は必死に羽ばたいても空は飛べないし、水中でエラ呼吸もできない。凡才が非凡に憧れるのも似た様なもんだよ」
冷めた眼の中の奥底に、どこか葛藤が見えた気がした。彼女も何か他人には打ち明けられない悩みがあるのかもしれない。こんな状況で彼女がわざわざ内心を吐露しているのはきっと自分の考えに対して疑問に思う所があったからだ。
それでも今の彼女は私の敵でしかない。同情すれば負ける。
「ぼっちの友達勧誘が必死過ぎてウケる♡お手、おかわり、ちんちんができたら友達になてあげゆよ~♡♡」
ショートは怒りを露わにして眼を見開き、私の眼前に迫る。
「ボブ、フロイラインのスパンキングにピッグテールがどんな声で鳴いてたか聞きたくない?」
「あんたの鳴き声ならねっ!」
私は首を動かしてショートの鼻に頭突きをした。「ふぎっ」と短い悲鳴をあげてよろめいた。私は彼女の腕を掴んで身を捩って転がる。そして悶える隙に関節技を決めた。必要であれば折るまでやろうかと考えたが。痛みには耐性がないらしくすぐに気を失ってしまった。ツインテールとワンサイドアップが戻って来る。どうやら拘束を解く事が出来たらしい。地べたに横たわりまだ苦しむショートを横目に逃げようとした。
「!!」
しかし私達が進むべき進路の先にはフロイラインとピッグテールがいた。
「ショート、いい働きぶりだったよ。ご褒美に今度お前の尻で花を活けてやろう」
フロイラインはそう言うとピッグテールと共にこちらに向かって来る。私達は身構えた。ピッグテールの師匠か…。ショートでの動きを予習したとしても、洗練された動きを捌けるかどうか分からない。
「こんな事ならピッグテールもあの時に戦闘不能にしとくべきだったな…」
ワンサイドアップが笑った。ツインテールは引け腰になる。
「この戦い、勝てる?散り散りになって逃げた方が良くない?」
「当然勝てるよ。4対1だもの」
私は言い切った。フロイラインは立ち止まって首を傾げた。
「ピッグテール、彼女は算数ができないのか?」
「いいや、できるとも。計算も合ってる」
そう言うとピッグテールは剃刀の様に鋭い蹴りをフロイラインの腹部に向かって放った。全く予想していなかった様でまともにその蹴りを受けてしまった。それからの追撃は上手く防御して距離を置いた。
「けほっ、何の真似だピッグテール…」
「多少歪んでたってあんたとの家族ごっこしていたかったんだがな。どうやら馬鹿弟子がそれを許してくれないらしい」
ピッグテールはフロイラインに素早い連撃を入れる。さすがに師匠とあって不意打ちでなければ猛攻であってもしっかりと捌けてしまう。フロイラインはピッグテールの攻撃の僅かな隙に割って入り反撃を開始した。彼女の動きはショートがやっていた様な私達の習う武術にアレンジを加えたものだったがピッグテールも難なく対処していた。
まるで演習か何かの様な美しい攻防に見とれてしまっていた。私が急いで駆けだすとサイドアップもツインテールも参戦する。力量差が激しくあまり戦力にはならなかったがピッグテールが有効打を放つ僅かな隙を作る事が出来ればそれでよかった。
「考え直せピッグテール、私はお前と戦いたくない」
「私だってそうだ。分からせ隊を解体して大人しく自首してくれれば私だってこんな事せずに済むんだ」
フロイラインの蹴りがピッグテールの脇腹に直撃した。倒れそうになる所をワンサイドアップが支え、ツインテールが自分の髪をフロイラインの目にぶつける。視界を奪った所を私が助走をつけてドロップキックした。
「おのれメスガキ共、捕らえてまとめて分からせてやる…」
駆け寄るフロイライン。ピッグテールが呼吸を整えるまではまだ時間がかかる。私は彼女の正面に立って攻撃を捌く。しかしピッグテールの様に上手く行かず、あまりに早くて動きについていけない。
ワンサイドアップとツインテールが間に入って私の代わりに戦う。私は興奮しているためか時間の流れが少しずつ遅くなっていく感覚に襲われた。
『ボブ、メスガキが相対する敵の多くは自分より体格が一回りも二回りも大きい。だから私達が会得する武術の全ての攻撃の型は防御や受け流しに転じる事ができる様にできている。後手に回る立ち回りを想定した武術だ。相手をよく観察し、構えを見て動きを予想し反撃して行け』
ピッグテールにボコボコにされながらそんな事を言われていたのを思い出した。
ショートは付け焼刃ながらフロイラインの動きを真似て戦った。私は生兵法であるためだけに負けてしまった物とばかり考えていたがそれだけじゃないかもしれない。フロイラインは成長して体格が大きくなったため今までのメスガキの武術では型が合わなくなったのかもしれない。
目の前でツインテールの髪が引っ張られ、ハンマー投げみたいに振り回されてワンサイドアップにぶつけられた。二人とももつれ合う様に倒れる。私は再びフロイラインの前に立った。
「何度やっても無駄と言うに」
私はフロイラインの動きを良く見て観察する。一切反撃せずに動きと流れを読む。
「何だこいつ、私の動きについて来る…?」
少しずつだが見えて来た。私の顔面に向かって放たれた右ストレートを左手の手の甲で叩き落とし、踏み込んで右手でフロイラインの左頬をぶん殴った。彼女は地面に転がり倒れる。
やった…あのフロイラインに直撃を食らわせた!私は振り返ってピッグテールを見た。彼女も驚いていた。
「今の見ました!?私やりましたよ!」
「いや、気持ちは分かるが敵に背を向けるな」
振り返るとフロイラインはアクロバットな動きで倒れた状態で私の足を刈る、その場で跳ね起きるを同時に行った。さっき倒したはずの相手が起き上がっていて、立っていた自分が瞬時に倒されるのは何か魔法でも使ったかの様だった。
ピッグテールが駆け寄りフロイラインに攻撃を仕掛ける。私への追撃を防ぐためだった。一瞬でも浮かれていた事を反省する。
「何故反抗する、お前の被虐心を満たせるのは私だけだと言うのに…」
「お為ごかしも大概にしろ」
フロイラインの攻撃を数度やり過ごしたピッグテールは彼女の足を思い切り踏んで跳躍した。そして彼女の両肩を掴むと思い切りヘッドバットを食らわせる。フロイラインは白目をむいて倒れた。
ピッグテールはため息をつくと彼女の傍に座って静かに頭を撫でる。
「すまん。ここでフロイラインとショートを見張らなければならん。教官達を呼んできてくれないか」
「わかりました」
まだ近くに分からせ隊がいるかもしれないので連絡はツインテールとワンサイドアップに任せて私は残った。
私達はしばらく喋らないまま時間が経つのを待っていた。今日は色んな事があり過ぎた。でもこのまま黙ってるのも何だか気まずいので自分から話しかけた。
「戻って来てくれるって信じてましたよ」
「お前が連れ戻したんだ」
「後悔…してます?」
「後悔はしてない。けど本音を言えば寂しい。もうフロイラインの寵愛を受ける事はできないんだからな」
ピッグテールはフロイラインの頭を静かに置くと私の隣に座った。
「でもいいさ。私にはお前達がいる」
「……今日、夜這いに行きますね」
「勉強熱心なのは結構だが今日はよせ。そんな気分じゃない」
「カリフラワーとリコーダーも持って行きますね」
「OK、お前の太ももが丸太みたいになるまで鍛えてやる」
その後、フロイラインは警察に引き渡した。この辺の分からせ隊もしばらくは鳴りを潜める事だろう。彼女の行って来た迷惑行為や余罪の追及は厳しいものになりそうだ。ピッグテールは時々面会に行っている。
ショートは私から一時的な気の迷いだったと掛け合ったが分からせ隊との共謀はやはり容認できるものではなく除名になった。
私と友達なりたかった気持ちは今でも変わらないらしく私にだけ手紙をくれる。それなりに元気でやってる様だが、外面と本心のズレには苦労が多い様だ。
訓練生の卒業後の夢もそれぞれでワンサイドアップは分からせ隊を壊滅しに旅に出ると言うし、ツインテールは自分の輝ける場を目指して遠くに飛ぶらしい。
私はこの養成所学校の教官になるつもりだ。憧れのピッグテールと一緒にいられるからだ。教官と教え子と言う関係さえなくなればもっと心を開いてくれるに違いない。
これからの事をあれやこれやと期待に含まらせながら、私は将来を思い描いていた。