Bitter Memories
まいど、ありがとうございます。かしわ、です。
突発短編、第二弾。
シリーズにする予定では、まったく無かったのですが、話の共通点で、似たタイトルにしました。
Bitter Tasteとは、まったく無関係ですので、ご注意を……
通り過ぎていく、地下鉄の風が、髪を舞あげた。最終電車を見送ってホームに残ったのは、あたし一人きりだった。
行き先なんて、無かった。
帰る場所なんて、無かった。
あたしは、一人きりで生まれて
一人きりで、消えていく。
涙は、流さない。
流すもんか、という気概をこめて、からっぽの線路を、睨みつけていた。
「大丈夫ですか?」
背後から、柔らかな声が掛った。自分に声をかける人がいるなど、思いもしなかった。
驚き、振り返った先にいたのは、少しくたびれた、制服を身に纏った、駅員さんだった。
「今の電車が終電ですけど……大丈夫ですか?」
「……はい……すみません。もう、改札閉まりますよね……」
「あ、いいえ……」
駅に残る客を誘導するために、声をかけたのかと思い、謝れば、彼は何故か、言葉を濁した。
どこか迷ったように、頬を掻く彼の仕草に、首をひねる。
「電車に乗れなかったんですか?」
「……そうです」
本当は、乗らなかったのだ。ただ、扉が閉まるのを、白線の内側で、見つめていた。
だけど、初対面の駅員さんに、それを言う理由はなかった。だから、平然と、嘘をついた。
「……そう、ですか」
「そう、なんです……」
なんなのだろう、この人は?
駅に居座る酔っ払いを駆逐するのと同じく、自分も追い立てられるのだ、と思った。けれど、彼は、強いて追い立てる仕草を見せない。
相手の行動に、疑問を感じつつ、いつまでも、ホームで二人向き合っていても、意味がない。
最終電車を見送りながら、感じていた、心の荒びは、既に、綺麗に姿を潜めてしまった。
小さく、向き合う相手に、会釈し、立ち去ろうと背を向けた。
「あのっ!」
「……なにか?」
「……。……のど、渇いてませんか?」
本当に、何をしているんだろう?
温かなコーヒーが入ったマグカップを両手で包み込む。
口をつければ、外気に冷えた体に、染み入り、その冷たさを癒していった。
インスタントコーヒー特有の、安っぽさと、さっぱりとした口当たりが、少し寂れた駅舎にあっていて、妙に納得してしまった。
駅を守り、毎日、淡々と、人を運ぶ彼らが、一日の終わりに、このインスタントコーヒーを口にして、ほっと息をつく。
きっと、それは、ずっと、続いてきた光景なのだろう、と。
あたしが、消えた後も、ずっと……
「温まりました?」
「……ええ……」
正面に座る彼は、上着を脱ぎ、上着と同じようにくたびれたシャツ、一枚の姿だった。駅員さんの目印のような上着を取り去れば、彼はもう、どこにでもいる、青年になっていた。
この状況に違和感を感じたまま、ぎこちなく返事を返すあたしを見て、彼は、困ったような笑みを浮かべた。
「すみません。なんか、無理やり連れてきてしまった形になっちゃいましたね……。少し、気になったので……」
その様子につられて、こちらも困ったような笑みを浮かべてしまう。
なぜ、こんなときに、こんな場所で、見知らぬ駅員さんと、コーヒーを飲んでいるのか。
考えるほどに、この状況の可笑しさが見え、苦笑が浮かんでしまった。
「……電車」
「え」
「電車、乗らなかったでしょう?」
唐突に、彼が口を開いた。
見ていたのか。
彼は、見ていたのだ。あたしが電車に、乗らなかった、ところを。
「ああ……怒らないで下さい……」
眉間に力がこもるのが、自分でも分かったが、それを止めることはできなかった。
彼の指が、また、頬を掻いた。まいったな、というように。
「……すみません。ただ……少し、気にかかっただけで……話したくなければいいんです……いえ、すみません。忘れてください……」
いかにも、気まずい、という様子で、瞳を揺らめかせる彼の様子に、視線を奪われてしまう。
人の心を理解しようと歩みより、そして、それを拒絶されることを恐れる……そんな、人らしさ、みせる彼の様子が、心をじんわりと、温めた。
「……もしかして、自殺する、とか思いました?」
「えっ!!」
図星なのか。
初対面なのに、これほど感情を曝け出せる人がいることに、くすり、と思わず笑みが零れた。
きっと自分は、とてつもなく、深刻な面持ちで、ホーム脇に立っていたに違いない。きっと、その姿から、死を想起させるほど。
その自覚は、あった。
だって、自殺ではないけれど、あたしは、消えゆく存在だったから。
「自殺、じゃ、ないですよ」
「ほ、ほんとうに!……あ……すみません……」
途端に、雲間に日が射すように、彼の表情が輝いた、が、すぐに、それも消え、また、気まずさを含む複雑な表情が浮かんだ。
「……本当に、すみません……。同僚からも、はやとちりだって、よく笑われるんだけど……。笑えないですよね」
「……そう、ですね……」
彼の言葉への、肯定ではなかったが、誤解をしてしまったのか、力なく肩を下げてしまった。
初対面の、彼。きっと、もう二度と会うことはない。だから、話せるかもしれない……
「……あたし、たぶん、明日消えるんです」
「は……」
「信じてくれなくてもいいですから。ただ、今日あなたに会って、これきり、会わないと思うんです。それって、チャンスかな、と思って……。お願いです、覚えていてください、あたしが、居たってこと。一人の人格として、存在していたってこと」
彼は、ぽかんと、半開きに口を開けたまま、固まっていた。
信じてもらえるわけがない、と思いながらも、もしかして……という期待があった。
人格だけの、あたしに、生まれ変わりなんて、ない……と思っていた。
でも、信じてみたい……そう、思えた。
温かな、彼の人格が、そう思わせてくれた。
「ありがとうございました。コーヒー……温かさ、もらえました。……最後に、あなたみたいな人に会えて、よかった……」
ことり、とテーブルにマグカップを置き、ソファーから腰を上げた。
がたんっ
背後で、大きな音がした。
「……あの!!名前っ……教えてください」
その声に、振り返って、にこり、と、あたしに出来る限り、最上の笑顔を、浮かべた。
「叶(かなえ)」
プルルルルルル……
『間もなく、ホームに電車が到着いたします。白線の内側まで――』
印象的な黒髪が、風に揺れた。
自然に視線が、引き寄せられて、彼女を目で追っていた。
自分が声を掛けたと気付いたのは、彼女のはっきりとした二重の瞳に、捕らえられた時だった。
もう、二度と会えない――と、彼女は、言った。
「木下……望(のぞみ)さん……?」
「はい」
「……望(のぞみ)?」
「はい、そうですけど……何か?」
目の前に立つ女性を、穴が開くほど、見つめてしまう。あまりにも不躾な態度だ、と分かっていても止められなかった。
「……こ、こちらが拾得物として、お預かりしていた定期券です……」
拾得物の受け渡しの手続きにやってきた、一人の女性。
なんのことはない、日常業務の一環だった。
こっそりと、彼女のサインを盗み見る。
けれど、やっぱりそこにあるのは、癖のない、几帳面な楷書で書かれた『木下 望』の文字だった。
いつもよりも、ゆっくりと、手続きをし、丁寧に、定期券を手渡した。
「ありがとうございました」
ぺこり、とお辞儀をする彼女の姿を、どこか夢見がちに見つめていた。
あぁ……これで、終わりだ。
「あ、あのっ!」
「……はい?」
気が付けば、また、声を掛けていた。
さらりと、振り返りざまに、風に揺らぐ黒髪。
深い、二重の瞼に、印象的な大きな瞳。
ただ、そこに映っていたはずの、寂寥の色が、今は消えていた。
「……叶さん、は……」
彼女は、刹那、こぼれんばかりに、瞳を見開いた。
「彼女は……」
そして、短い沈黙の後、小さい掌を重ね、その胸にあてた。
「……ここに」
白く、しなやかな指先は、確かに、あの日、あの部屋で、大きなマグカップを大切そうに抱えていた、彼女のものと、同じ指先だった。