準備
社交始めのお茶会が終わり、もうしばらくは社交の場に出ることはないと安心していたのも束の間。カートレッタ侯爵家から私宛の手紙が届いた。差出人はお義母様で、侯爵邸で大きなパーティーを開くから参加しないか、という内容だった。これはお誘いではなく、強制というのが暗黙の了解だろう。侯爵夫人になるなら必要なことよ?と言うお義母様の顔が容易に想像できてしまう。
「ヴェラ、マダムスミスのお店に採寸の連絡をしてちょうだい」
「かしこまりました。パーティーのお誘いですか?」
「お義母様から直々にね」
その日からの私は、とても忙しかった。
普段参加するお茶会やパーティーは王宮主催のものか、個人的な集まりのどちらかだ。王宮主催のお茶会は人が多いので私が発言する必要がない。そのためわざわざ話題を用意していくこともない。個人的な集まりは、お友達同士、他愛もない話をするだけなので尚のことだ。
しかし、今回は事情が違う。婚約者の家で開かれるパーティーに参加するということは、将来の自分が関わることになる人たちに顔合わせをするということ。毎年セレン様の誕生会に参加はしているが、その会は政治的側面が強くない。あくまで既に懇意にしている貴族たちの集まりなのだ。そのため、社交の場で話せるような内容の話題を調べてメモしておく必要がある。
「お嬢様、もう礼の練習は十分なのでは…?」
「ドレスの採寸にまいりました」
「宝石商の方がお見えになりました」
忙しいのは嫌いではない。何かしらやることがあるというのは楽しいし、余計なことを考えなくて済むから。それに忙しいということはそれだけ私を必要としてくれる人がたくさんいるということで、それを実感できるというのは嬉しいものだ。
「最近ちゃんと寝てる?」
「もちろんです!セレン様に怒られてしまいますからね」
決してセレン様に怒られない程度に、そして不調が顔に出ない程度に気をつけているつもりだ。
「また敬称つけてるよ?いつになったら慣れてくれるのかなぁー」
「悪い顔してますよ、せ、レン…」
「好きな人には意地悪したくなっちゃうっていうでしょう?」
またセレン様は小学生みたいなことを、と思いながらも、自然と笑みが溢れる。私はセレン様のこういうところも好きなのだ。ふわふわと動く黒髪と、私を映す赤い瞳。次期侯爵として、Sクラス首席として頑張る姿。そして私しか知らない意地悪で甘い顔。全部。
「ごめんね?準備大変だよね…」
「いえ、婚約者として当然のことをしているまでですわ。侯爵夫人になるためには必要なことですし。早く社交にも慣れないといけないですから」
「そっ、か…なんだか寂しいな」
セレン様は私の長い銀髪を指に絡め、続けた。
「僕のために頑張ってくれているのは十分理解しているつもりなんだけど、昔みたいに僕の腕の中で収まっていた頃のララも恋しく思うんだよ。こんなのわがままだけどね」
確かに、こちらの世界に来たばかりの頃は弱かったから。セレン様の腕の中に安心感を覚えたものだ。
「わ、わかりました…今日だけですよ?」
意を決して、えいっとセレン様の胸に飛び込んだ。いつもと同じ、鼓動と匂い。自分でやったこととはいえ恥ずかしいので、背中に腕を回して、目が合わないように顔をそらす。
しばらくの間があった後、セレン様の腕も私の頭と背中に回り、力がこもる。よかった、嫌がられてはないみたいだ。
「ねぇララ、可愛すぎるよ…心臓が潰れてしまいそう」
「ふふっ、セレンが言い出したことですよ?」
どんなに忙しくても、セレン様との時間があればいくらでも頑張れる。もちろん次期侯爵夫人としてのプレッシャーは常に感じているし、それを不安に思うこともある。でも、私にはセレン様がいるから。
「ご無沙汰しております、お義母様。本日はご指導のほどよろしくお願いいたします」
「あら、そんなに畏まらなくてもいいのよ?適度に肩の力は抜いてね」
お義母様はそんなふうに言ってくださるけれど、わざわざ時間を作ってもらったのだ。畏まるなという方が無理な話。
今日はパーティーの前日で、社交界イチ礼儀作法が美しいとされるお義母様にご指導いただく。こっちの世界に来てから練習をおろそかにしたことはないけれど、今後、社交界でつつがなく過ごすためには明日のパーティーを問題なく終わらせる必要があるから。
「さぁ、始めましょうか。まず最初は淑女の礼からね。とりあえず現状を見せてもらえるかしら?」
「はい、よろしくお願いします!」
ゆっくり、丁寧に、国王陛下にご挨拶した時と同じくらい心を込めて礼をした。片方の足を引き、もう片方の膝を軽く曲げる。背筋を伸ばして、目線は少し落とす。これがベスビアナイト王国で女性に求められる淑女の礼だ。そして、礼とは形さえ整っていればいいものではない。あくまで相手への敬意の表れである。
「淑女の礼は完璧ね、次は真っ直ぐ歩いてみてちょうだい」
「次は着席してみて」
「テーブルマナーを見てみるわ」
お義母様から合格をいただいたときには、もう既に予定していた時間を過ぎていた。途中からセレン様とお義父様も見学に来られて、セレン様にまで練習まで付き合ってもらった。
侯爵家の皆さんのおかげで、礼儀作法は完璧と言ってもいい出来に仕上がったはず。あとは明日、落ち着いて応対をするだけだ。




