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公式企画

後悔のかくれんぼ

作者: 夏月七葉

 呼ばれたような気がして、振り返る。が、こちらを注視している者は誰もいなかった。

 クラス教室が並んだ廊下には昼休みで行き来している生徒が疎らにいて、その奥に図書室の引き戸がある。その戸の上部に嵌め込まれた窓ガラスから本棚が見えて、ミヨコは反射的に下を向いた。


「ミヨちゃん? どうしたの?」


 背後のトイレから出てきた友達に不思議そうな顔をされて、ミヨコは笑って首を横に振った。


「ううん、何でもないよ。早く教室戻ろ。休み時間、もうすぐ終わっちゃう」


 二人は図書室に背を返して、教室に向かった。




 図書室には、良い思い出がない。とはいえ、別に本嫌いというわけでもない。

 クラスの後ろの隅に用意された学級文庫はよく読むし、仲の良い友達とお薦めの小説や漫画を貸し借りしたりもする。寧ろ物語に没頭するのは、好きな方だ。


 ただ、あの図書室にはできるだけ近づきたくない。授業で必要な時以外は、使ったことがなかった。

 図書室に行かなくても本は読めるし、調べ物だってできるのだ。少なくともミヨコにとって、特別必要な場所でない。


 しかしながら、図書室はクラス教室のある棟に存在している。三階建ての棟は一階が一・二年、二階が三・四年、三階が五・六年の教室が並び、図書室は三階の東端に位置していた。

 五年生に学年が上がった時から、登校する度に目に入るようになってしまった。唯一の救いを挙げるならば、中央階段を挟んで東側が五年生、西側が六年生の教室なので、最上級生となった今は図書室から少し離れられているということだろうか。

 それから、ミヨコはもうあと一年と待たずにこの学校を卒業できる。中学に上がってしまえば、あの図書室を使うこともない。


「――それでは、うちのクラスはこれで決定です」


 窓際の席でぼんやりと青空を見上げていたミヨコは、学級委員の声に黒板を見遣って、目を丸くした。

 黒板に白いチョークで挙げられた、五つほどの選択肢。その内の一つ――「きもだめし」の上に赤色チョークで花丸が描かれていた。どうやら、ミヨコがぼーっとしている内に、先ほど投票したものの集計が終わったようだ。


 この学校では、最上級生の年の夏休みに各クラスでイベントを行う習わしがあった。学校側で用意した幾つかのものの中から、クラス毎に多数決をとって内容を決めるのだ。

 先週にその選択肢を教えられ、今日までにどれに投票するのか決めてこいと、担任教師に言われていた。ミヨコの周囲では日帰りキャンプを希望する声が多かったものだから、てっきりそれに決まるものだと思っていた。ミヨコも日帰りキャンプに投票した一人だ。


 が、改めて黒板の選択肢の下に書かれた「正」の字をよく見てみると、日帰りキャンプは僅差で肝試しに負けたらしい。

 ミヨコはあからさまに嫌な顔をして、机の上に突っ伏した。


 ホラー映画にホラー小説、お化け屋敷、テレビバラエティの心霊写真特集などなど……そういった心霊の類がミヨコは嫌いなのだ。

 ミヨコの三つ上の兄は何故かそういったものが大好きで、巫山戯てよく勧めてくるのだが、頑なに拒んでいる。テレビで見始めようものなら、ミヨコは自室に籠ってヘッドホンから音楽を流すようにしていた。

 話を聞くことすら駄目だというのに、どうして肝試しなどに参加しなければならないのか。春からこのイベントを楽しみにしていたのに、あんまりである。


 だが、周りを見てみると、クラスメイト達は怖がるような素振りを見せつつも、「楽しみだね」などと言って嬉しそうだ。


 こんな空気の中で反対意見を主張できるほど、ミヨコに度胸はない。

 重ねた腕の内側で、ミヨコは諦めの溜め息を机に吐きかけた。


   *


 よりによって、どうしてこうなるのだろう。

 夜の闇に沈んだ校舎を見上げて、ミヨコは暗澹たる気持ちを抱えていた。夜の学校の校庭にいるという今の状況だけでも、足が竦みそうである。周囲でクラスメイト達がざわざわと話していてくれているお陰で立っていられるようなものだ。


 夏休みのイベントが肝試しに決定した後、会場はどうするか話し合った。一度は学校の近所にある、敷地のやや広い神社に決まったのだが、管理者の許可が下りず、次いで候補に挙がっていた学校になってしまったのだ。

 神社は年中茂った木々に囲まれて、日が暮れると充分過ぎるほど雰囲気が出るのだが、学校よりはマシだと思っていた。それなのに、蓋を開けてみれば学校で行うことになってしまい、それを聞かされた時のミヨコの絶望といったらない。


 どうせ夏休み中だし休んでしまおうかとも考えたのだが、折角の学校の行事なのだから行った方が良いと家族に諭され、ミヨコと同じく怖がりの友達に「一緒に頑張ろうね!」と言われて、退路を断たれてしまった。そんな言葉を無視できたらどんなに楽かと思うが、ミヨコにはそれができなかった。


「最後の思い出になるし、学校になってよかったよなー」


 隣に立っていた男子がそんなことをのたまう。こちらの気持ちも知らないで、と我ながら身勝手な怒りが湧いてきた。

 しかし、夜の校舎を見ていると、そんな怒りもすぐに萎んでしまった。


 明かりの消えた校舎は非常灯の緑でぼんやりと浮かび上がり、昼間とはまるで違う建物のようだ。今からあそこに入っていかなければならないと思うと、気分が悪くなりそうだった。




 事前にくじ引きで決めていたグループは、三人一組。懐中電灯はグループ毎に一つ渡され、昇降口から校舎内に入っていく。

 下駄箱を抜けた正面に中央階段があるが、そこは上がってはいけない。左右に伸びる廊下の右手を進み、突き当たりにある西階段から二階に上がる。

 二階に着いたら三年生と四年生の教室が並ぶ廊下を真っ直ぐ行って、東端の理科室に入る。実験テーブルの上に置かれた札を一枚取り、再び西階段を使って三階へ。

 三階でも二階と同じように五年生、六年生の教室の前を通って、理科室の上に位置する図書室に行く。図書室の最奥にある本棚の前に準備された机の上の札を一枚取る。

 最後に中央階段を一気に下りて、校舎を出るのだ。ちゃんと校舎内を回ってきた証拠に二枚の札を提示して、終了。

 つい先刻、担任教師に教えられたルールは以上である。


 本当に、どうしてよりによって図書室がしっかりルートに入ってしまっているのか。それも、前を通るだけならいざ知らず、中に入った上に奥まで行かなければならないなんて。

 絶望に絶望が重なって、二階の廊下を進みながらミヨコは泣き出したいのを必死に堪えていた。


「きゃあ!」


 中央階段の手前、昇降口が見える吹き抜けに差しかかったその時、隣を歩いていたクラスメイトのメイがミヨコの腕に抱きついてきた。突然の悲鳴と軽い衝撃に、心臓が跳ねる。

 反射的にメイの向こう側を見てみると、中央階段横のトイレの中の暗がりで、何か白いものが動いていた。


「――!」


 ひらひらと踊るように動くそれを声もなく凝視していると、先頭を歩いていたハヤトが躊躇いもなくそちらに懐中電灯を向けた。


「センセー、それあんまり怖くないよ」


「……お前は脅かし甲斐がないなあ。女子二人はこんなに怖がってくれてるのに」


 声と共に白いシーツのようなものの下から現れたのは、隣のクラスの担任教師だった。

 ミヨコのクラス担任以外にも教師が数人、この肝試しに協力してくれているのだ。校舎内に散らばって、生徒の脅かし役になっているという。


 一階でも、校舎に入って早々に、糸で吊った蒟蒻がハヤトの顔面に直撃していた。だが、彼は驚きはしたものの、すぐに蒟蒻を掴んで「なーんだ」とどこかつまらなそうにしていた。

 ハヤトは常日頃から元気な少年で、物怖じしているところを見たことがない。こういったことにも強いとは、もう敵知らずなのではないだろうか。

 少し羨ましいような気もするが、残念そうな脅かし役の教師の顔を見ると、ここまで平然としているのも如何なものだろうかと思う。


 三人は廊下を進んで、理科室に辿り着いた。

 骨格標本や人体模型は明るい時でも怖いのに、今はより不気味さを増している。棚に並んだ実験道具も、何か怪しいもののように見えて、平気で触れていたのが嘘のようだ。


女子二人が入り口で足踏みしている間に、ハヤトはさっさと室内に入って、奥の実験テーブルから札を一枚取ってきた。

 途中、テーブルの陰に隠れていた教師がハヤトの手首を掴んだらしいのだが、彼はやはり平然として悲鳴の一つも上げなかった。


「ね、ねえ。なんでそんなに怖がらないの?」


 階段を上りながらミヨコが恐る恐る尋ねると、ハヤトは振り返って小首を傾げる。


「だって、全然怖くないじゃん」


「こ、怖いよ……」


 トイレの一件以来ミヨコの腕から離れないメイが、弱い声で訴える。しかし、ハヤトはそんな声も吹き飛ばすように、ははっと笑った。


「脅かしてくるの、全部センセーなんだよ? それが分かってるんだから、怖いわけないじゃん。逆に、なんで怖いの?」


「なんでって……」


 脅かし役の人間がいると分かっていても、怖いものは怖いのだ。夜の学校というシチュエーションの時点で既に怖いし、トイレの花子さんとか、数える度に段数が違っている階段とかいう七不思議もあるし、それに――。

 口に出すのを数秒躊躇って、けれどミヨコは口を開いた。


「……あんたも知ってるでしょ。四年前――」


 言葉の途中で、急に辺りが暗くなった。懐中電灯が消えたのだ。

 ミヨコは小さく悲鳴を上げて、しかしすぐにハヤトが巫山戯て懐中電灯のスイッチを切ったのだろうと思い至った。文句を言ってやろうと、顔を上げる。


「え……?」


 さっきまで確かに目の前を歩いていたはずのハヤトの姿がない。ひやりと冷たい空気が右腕を撫で、その違和感に隣を見ると、ミヨコの腕にしがみついていたメイもそこにいなかった。

 突然、一緒にいた二人がいなくなった。本のページを捲ったら、それまでとまるで違う物語が平然と始まったかのような、一瞬の変化だった。


 正面には、三階の廊下が真っ直ぐ伸びている。後方は、闇に塗り込められた階段。

 暗闇に一人取り残されたミヨコは、恐怖に身体を震わせた。


「や、やだ…………ねえ、ちょっと……巫山戯てないで、二人とも早く出てきてよ……」


 ミヨコの声は小さく震えていて、誰もいない廊下に反響する。それがまるで自分のものではないように聞こえて、益々恐怖が体内を迫り上がった。


 悪戯な笑顔を浮かべた二人がひょっこりと出てくるのを待ったが、そんなことは起こらなかった。神経が尖っているというのに、気配も何も感じない。

 耳に聞こえてくるのは、自分の息遣いと衣擦れ、心臓の鼓動。それ以外は無音で、広がる闇が他の音を全て吸い尽くしてしまったのではないかと思えるほどだ。


 ミヨコは心細くて、せめての拠り所に六年生の教室の正面にある視聴覚室の扉に身を寄せた。

 二人がいてくれたことがどんなに支えだったのか、思い知らされる。一人になった途端に動けなくなって、三人でいた時も怖くはあったが、まだ余裕があったのだと気づく。

 目の前が滲んで、かと思ったら、堰を切ったように涙が頬を伝う。その場に蹲って、膝を抱えた。

 怖い――怖いのだ。どうしようもなく。世界にたった一人になってしまっかような気分になった。


 声も出せずに暫く泣いて、それからはたと思い出したことがあった。

 学校には、クラス全員が集まっているのだ。教師も数人校舎内にいるはずで、助けを求めれば誰かが助けに来てくれるに違いない。


 ミヨコは腕を持ち上げて目元を拭い、廊下の先を見遣った。

 視聴覚室と六年生教室の間を抜ければ、昇降口が見下ろせる吹き抜けがある。そこから下に向かって叫べば、必ず誰かが気がついてくれるはずだ。もしかしたら、三階に待機している脅かし役の教師に途中で会えるかもしれない。……脅かされたら、また泣いてしまいそうだが。


 生まれた一筋の光に、ミヨコは立ち上がった。視聴覚室の壁に沿って、ゆっくり廊下を進む。無機質な白い壁が、肌にひんやりと触れる。

 普段なら一分もかからないその距離を、倍以上の時間をかけた。希望を見出せても、恐怖は消えてくれなくて、足が上手く動かないのだ。


 ようやく吹き抜けになっているところに辿り着いて、ミヨコはほっと息を吐いた。

 生徒が落ちてしまわないように高く設けられた鉄の格子を、両手で握る。檻のようなその向こう側を見下ろして、息を吸い込む。


「おーい! 誰か!」


 数分振りに出した声は僅かに掠れて、吹き抜けの中を木霊した。

 誰かの返事を待ったが、ミヨコ自身の声が消え去っても、誰の声も姿も返ってこなかった。


 ――まさか、皆自分のことなど忘れて帰ってしまったのでは。


 少しは落ち着いていた恐怖がぶり返して、冷や汗が背中を伝う。

 ミヨコは焦って、もう一度叫んでみようと口の横に手を添えた。


「――……」


 何かが聞こえた。ミヨコの声ではない。彼女はまだ、声を発していないのだ。


 ミヨコは言葉と一緒に息を吸い込んで、青くなった顔をゆっくり音のした方へ向けた。

 見えるのは、廊下。右手側に並ぶ、五年生の教室。それを真っ直ぐ行った先に、図書室の扉。

 それ以外に何かあるわけでもなく、ただ時が止まったかのように静けさだけが漂っていた。


 それを確認して、ミヨコは安堵した。が、すぐに表情が硬直する。


 音もなく、図書室の扉が開いたのだ。


 非常灯の緑にぼんやりと照らされた室内に、本棚の背表紙が浮かび上がる。

 その光景に目が離せないでいると、入り口のところに背の低い人影が出現した。奥から歩いてきたのでも、扉の裏から出てきたのでもなく、唐突にそこに現れたのだ。

 真っ黒いそれは顔も判らず、ただ輪郭だけがはっきりと見える。それなのに、ミヨコは何故かそれを知っている気がした。


『――ど……て、…………の?』


 途切れ途切れに聞こえる声は、何を言っているのか判らない。けれど、幼い声は厭に耳についた。


 ミヨコが恐怖で指の一本も動かせずに目を見開いていると、それの黒い顔からぎょろりと双眸だけがはっきりと浮き出てきた。暫く焦点が定まらずに不気味な動きをしていたが、すぐにミヨコの姿を捉えて止まる。


『どぉして、ボクをみつけてくれなかったの?』


 すぐ耳元でその声を聞いたミヨコは、ぷつりと意識を失った。


   *


 目を覚ますと、見えたのは明るく白い天井だった。


「あ、目が覚めた。大丈夫? 何処か痛いところない?」


 顔を覗き込んできたのは、ミヨコのクラスの担任教師だった。


 首を振り、彼女に支えてもらいながら起き上がると、そこは学校の別棟にある保健室のベッドの上だった。室内には、複数の他の教師の姿もある。部屋の中央に設置された長椅子には、ハヤトとメイが座っていた。

 二人はミヨコに気づいて立ち上がり、ベッドの傍まで駆け寄ってきた。


「目が覚めて、良かった……」


「おい、大丈夫か?」


 腫らした目から涙を流すメイはともかく、ハヤトの方も目元に涙を湛えて顔を赤くしている。


 状況がいまいち掴めずに目を瞬かせるミヨコに、担任教師が二人にハンカチを渡しながら口を開いた。


「肝試しの途中でミヨコさんがいなくなったって、二人が校舎から飛び出てきたから、先生達で校内を捜したのよ。そしたら、ミヨコさんが図書室の前で倒れていたから、保健室まで運んできたの」


「三階の階段のところで急にいなくなるから、心配しただろ。何してたんだよ」


 説明が終わった途端に、ハヤトが半ば怒るようにそんなことを言った。


「急にいなくなったのは、そっちでしょ。わたし、一人で怖かったんだから」


 ムッとして言い返したが、途端に三階で起こったことが脳裏に甦る。


 小さな影。こちらを見る目玉。そして、声。


 ミヨコは青くなって、再び心配そうにする教師達と二人に、自分の身に起こったことをゆっくりと話した。


「――多分、あれはタァくんなんです」


 最後の方は涙声になって、話しながらミヨコの中で行きついた結論を口にした。


 タァくん――タケルは、ミヨコが小学二年生の時に同じクラスだった男の子だ。席が隣だったこともあってミヨコと仲が良く、よく一緒に登下校をしたり遊んだりしていた。


 二年生のある日、偶々放課後に教室に残っていた数人で、かくれんぼをして遊ぼうという話になった。

 そこにはミヨコもタケルも加わっていて、ジャンケンで鬼になった子が机に突っ伏して数を数え始めると、参加者は各々校内に散っていった。

 ミヨコは一階の昇降口に置かれた掃除用具のロッカーの中に隠れたが、すぐに見つかってしまった。

 その後は次々に参加者が見つかって、最後はタケルだけになった。

 タケルは隠れるのが上手いらしく、最終的には全員で捜したが、彼はちっとも見つからなかった。

そうこうしている内に夕方になり、もう帰らないと親に怒られてしまうし、これだけ捜しても見つからないのなら飽きて先に帰ってしまったのだろうと結論を出し、皆は帰宅することになった。


 そしてその翌日、学校は突然休校になった。

 その次の日に登校すると、タケルは学校に来なくて、教師から彼が亡くなったということを聞かされた。


 大人達は詳しいことを教えてはくれなかったが、子ども達の間で真実と噂される話が広がるのは早かった。

 かくれんぼをした翌日――つまりは学校が休校になった日の早朝、出勤した一人の教師が校舎の脇でタケルが倒れているのを発見したという。彼は既に事切れていて、その頭上に当たる図書室の窓が開いていたことから、そこから落下して頭を打ったのではないかということだった。


 その話を聞いてすぐ、かくれんぼに参加していたミヨコ達は思い至った。

 あの日、タケルは図書室に隠れていたのだ。そして誰にも見つけてもらえず、図書室の扉も鍵を閉められて、唯一内側から鍵が開けられた窓から出ようとして、落ちたのだ。


 ミヨコ達は、怖くなった。自分達が見つけてあげられなかったから、先に帰ってしまったから、タケルは死んだのだ。

 だから、今の今までこの話を誰かにしたことはなかった。怒られるのも責められるのも、まだ幼いミヨコ達には恐怖しかなかったのだ。


 だが今夜のことがあって、ミヨコは堪らずポツリポツリと話していた。それを、教師達もメイもハヤトも、黙ってただ淡々と聴いていた。皆、真実は知らなくとも、きっとそんなこともあったのだろうと薄々思っていたのかもしれない。


「タァくん、やっぱり怒ってた。わたし達が、タァくんを置いて先に帰っちゃったから……夜の学校は、怖かっただろうから……もっとちゃんと捜していたら…………」


 握って皺ができた白いシーツの上に、ポロポロと零れる涙が染みを作る。

 今更後悔したところでなかったことにはならないが、ミヨコの心の中はタケルに対する謝罪の言葉で一杯になった。ミヨコ達は、きっと許されないことをしたのだ。


「……でもそれは、お前達が悪いわけじゃないだろ」


 その声に顔を上げると、ハヤトがいつにない真剣な表情をしていた。


「勿論、そのタケルって奴が悪いわけでもない。みんな、ただ一緒に遊んで、勘違いして、間違ったかもしれないけど、悪いわけじゃない」


 間違ったのに、悪くない。矛盾したように聞こえる二つの言葉に、ミヨコは目を瞬かせる。


「そうだよ。誰も、悪気があってやったことじゃないでしょ」


 メイも目元に涙をためつつ、ハヤトに同意した。


 二人とも、あの時のかくれんぼに参加したメンバーではない。そもそも、二年生の時はクラスが違った。

 噂になっていた内容は知っていただろうが、ミヨコが知る詳細なところまでは分からないはずだ。

 けれど、二人はミヨコの言うことを信じて、誰も悪くないと言ってくれる。


 それは嬉しい。が、やはりタケルは怒っていたのだ。

 どうして見つけてくれなかったのかと、あんなに怖い声で言ったのだから。


 ミヨコが再び俯くと、今度は担任教師が彼女の肩にそっと手を置いた。


「タケルくん、怒ってるのとは、ちょっと違うんじゃないかな」


「……え?」


 彼女の言葉に、ミヨコは思わず訊き返した。


 あの時のタケルの声は、確かに怒っているように聞こえた。顔は見えなかったが、ミヨコを怖がらせに来たのだから、そうに違いないのだ。

 しかし、彼女は優しい口調で続けた。


「ミヨコさん達は、来年の春に卒業してしまうでしょう? だから、最後にお別れを言いにきたんじゃないかな」


「……でも、凄く怖くて…………」


「今、貴女達は六年生だけど、タケルくんはきっとまだ二年生なのよ。どうやってお別れをしたら良いのか分からなくて、ちょっと怖い感じになっちゃったんじゃないかな。先生は、そう思うけど」


 タケルは二年生の時に死んでしまったから、年齢も重ねられずに、あの頃のまま成長が止まってしまっているのだろうか。


 教師に優しくそう言われると、本当はそうなのではないかと思えてくる。予想外の意見は驚いたが、ミヨコの中にすんなり入ってきた。


 教師はにっこり微笑んだ。


「今度、かくれんぼをしたメンバーと一緒に、タケルくんのお墓参りに行こう。そうしたら、きっとタケルくんも嬉しいよ」


 思い返してみれば、恐怖と後悔が先行して、彼の葬式にも墓参りにも行っていなかった。

 もしかしたら、タケルはそれを淋しいと感じていたのかもしれない。そう思ったら、怖がることよりも、見つけてあげられなかったことよりも、彼に会いに行かなかったことの方が申し訳なくなってきた。


「……はい」


 頷いてみたら、少しだけ心が晴れたような気がした。


   *


 雨垂れの黒い線が目立つ白壁に、小さな花束を置いた。吹いた風が黄色い花弁を揺らして、長く伸びた髪の先を靡かせる。

 ミヨコが頭上を仰ぐと、陽を反射させる窓が二つ、縦に並んでいるのが見えた。下が二階の理科室、そして上が三階の図書室だ。


 ミヨコがこの小学校を卒業して、二年と少しが経過した。進学した市立の中学校も、来年で卒業になる。時が経つのは、早いものだ。


 あれからミヨコの背は伸びて、色々なことを知って、けれどあのことを忘れることは決してなかった。

 忘れられない、と言った方が正しいのかもしれない。忘れてはいけない、とも思っている。


 あの時、担任教師が言ってくれた言葉は、当時のミヨコには真実だと感じられた。大人の言うことだから、間違ってはいないと思ったのだ。

 けれど、小学校を離れて時間が過ぎていくと、あれはミヨコを安心させる為の教師なりの嘘なのかもしれないと思うようになっていった。


 勿論、本当のことは誰にも分からない。教師の言ったことは正しかったのかもしれないし、間違っているのかもしれない。

 それを知っているのは、タケルだけなのだ。けれど、もうそれを訊く術はない。


 ミヨコは手を合わせて数秒目を瞑り、開いた瞳に今一度図書室の窓を映す。そうして、制服のスカートを翻した。



 彼女がその場を去って暫くの後、黄色の花束が風もないのにかさりと音を立てた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 爽やかな読後感が良かったです。 それから、ホラーという超常が綺麗に辻褄合わせされているのが面白かったです。 読んでいて楽しかったです。ありがとうございました。
[一言] ホラーのはずなのに、救いがある読後感。 素敵な作品でした!
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