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09 編入前日(午後)

 その日、スチール・アンダー・ブラウンは朝から落ち着きがなかった。

 癖っ毛の栗毛を揺らし、大して広くもない部屋の中で座ったり歩いたりを繰り返している。気の良いクラスメイトから、いつにも増して気弱な顔をしていると指摘されるぐらいに、スチールは今日という日が不安だった。


 彼が不安を覚えるのも無理はない。今日、高等部に上がってから初めてのルームメイトがやってくるのだ。

 それも、今、学園で注目されている編入生。前情報はゼロに等しく、教えられたことは性別と名前程度。臆病であるスチールにとって、ルームメイトと上手く関係が築けるのかすら心配で仕方がないのに、それが大多数から注目されている人物となれば尚更だ。

 昨晩、寮母から「明日の夕方、編入生が入寮してくるからルームメイトとして色々と教えてあげて」と告げられた時は、何の冗談かと耳を疑った。自分よりも適人がいるはずだと遠回しに拒否したが、空室がスチールの部屋しか無かったことを理由にあっけなく却下された。スチールはそれ以上反論できず、こっそりベッドで泣き、己の不運さを恨んだ。


 スチールはいつも以上に気が重い一日を過ごし、放課後は例の編入生がやってくるのを部屋で待った。

 目に見えるところだけ綺麗に掃除し、ついでに床に置いていた教科書なども片付ける。普段から物を散らかしておく性格ではないので、片付けに時間はかからない。あっという間にやることが終わり、スチールは手持ち無沙汰になったので部屋をうろつくことにした。


(うぅ……ハイドラゴンが怖い人だったらどうしよう。いじめられるのは嫌だよぉ……)


 壁にかけた時計を見れば、寮母から伝えられた約束の時間を過ぎていた。そろそろ来ても可笑しくない。ベッドに腰掛けてソワソワと貧乏ゆすりをしていると、扉がノックされた。


「い、今開けます!」


 スチールは慌てて扉の前に立つと、深呼吸をした。できるだけ穏やかな人物であるようにと祈ってから、扉を開ける。廊下には、ふくよかな女性の横に、痩せた少年が立っていた。

 真新しい制服を着崩しており、ネクタイすらしていない。大きな鞄を足元に置き、右側に重心をかけて立っている。中背中肉のスチールより小柄だが、纏う雰囲気は重苦しく、目つきも悪い。スチールが思わず固まっていると、下からギロリと睨まれた……気がした。


(ひっ! こ、怖い……)


 スチールが「不良だ!」と密かに怯えていたが、寮母は気に留めず、にこにこと言った。


「ブラウン君。この子が新しいルームメイトのラース・ハイドラゴン君よ。ハイドラゴン君、彼はスチール・アンダー・ブラウン君。ここの細かいルールは彼から教えてもらってね」


「ラース・ハイドラゴンだ。よろしくな」


 それぞれの紹介が終わると、意外にもラースの方から挨拶をしてきた。握手こそ求められなかったが友好的な態度にスチールは面食らい、オドオドと返事をする。


「あ……よ、よろしくお願いします」


 意外と社交的なのかなと疑っていると、寮母がにこやかに手を合わせてきた。


「それじゃあ、ブラウン君、後のことはよろしくね。私はそろそろ戻るから。ハイドラゴン君、何か困ったことがあるならいつでも相談しにきてね」


「ああ、ありがとな。オペラさん」


 あとは二人に任せて良いと判断したのか、寮母は一言告げるとさっさとその場から立ち去った。このまま廊下で立ちぼうけするわけにはいかず、スチールは部屋にラースを招いた。


「と、とりあえず入ろっか」


「おう。邪魔するぜ」


 ラースは荷物を担いで部屋に入った。

 中にはベッド、学習机と椅子、そしてクローゼットがそれぞれ二つずつ用意されている。片方はスチールが使用しているのか、机の上には本が積み上げられ、ベッドの脇には小さな机を取り付けていた。


「えっと、荷物はそこら辺に適当に置いて。左のクローゼットは僕が使っているから、服を仕舞うなら右の方にお願い。机も同じく右を使って。ベッドは今朝、寮母さんが新品のシーツに変えていたから汚くないよ。あとは、えっと、個々の部屋に水道は通ってないから、トイレは各階の廊下の奥に、洗面所はそのすぐ脇。風呂は一階の大浴場を寮の皆で使うから——」


「なあ」


 スチールが早口で説明していると、途中でラースが言葉を被せてきた。スチールは慌てて彼に謝罪する。


「ご、ごめん。一気に説明されても困るよね。あっ! 口頭だけじゃわかりづらいよね。寮の中も案内するよ」


「あー、それはありがたいんだが、ちょっと待ってくれ」


 ラースは困ったように頭を掻き、床に置いた荷物を指差した。


「悪いが、寮の説明よりも先に荷解きをしていいか? さっさと片付けちまいたいんだ」


 スチールは自分の行動が空ぶっていたことに気がつき、顔を真っ青にした。


「あ、そ、そうだよね。ごめん、気を使えなくて」


「……そんないちいち謝らなくても、俺様は怒ってねえよ。アンタに迷惑かけているのは、こっちなわけだしな」


 そう言ってラースは荷物をベッドの上に置き、中身を取り出していく。私服数点と下着、教科書やらを並べていった。

 スチールはやってしまったと泣きたくなったが、しばらくしてラースの一人称に違和感を覚えて冷静になった。


(……え? 俺様?)


 スチールは疑問符を浮かべながらラースを見た。彼は備え付けのハンガーに制服のブレザーをかけているところだ。手際よくクローゼットの中に服を片付けていく様子は、冗談を言った後には見えなかった。


(え、俺様って言ったよね。何その変な一人称。突っ込んでいいのかな。突っ込むべきなのかな)


 完全に質問のタイミングを逃したスチールは、しばし悩んだあと「やっぱり怖いからやめておこう」と己の心の内に秘めることにした。

 スチールが下らないことにうだうだしている間、ラースはさっさと荷解きを済ませ、教科書を机に移動させた。縦に積んだそれらの一番上の一冊を手に取り、スチールに尋ねる。


「なあ、学校の授業っていうのはどんな感じなんだ」


「どんなって……」


 スチールは説明しづらそうに言った。


「他の学校と変わらないと思うよ。集団で授業を受けて、たまにテストがあって、また授業を受けての繰り返し。名門なだけあって、どの授業も難しいからちゃんと勉強しといた方がいいよ。……あ、あのさ」


 スチールは少し躊躇った後、思い切ってラースに聞いた。


「その、ハイドラゴンって、今まで学校に通ったことが無いって聞いたんだけど……本当なの?」


 ルフェニラ神国において、子供が学校に通うことは特別贅沢なことではない。

 法で義務と定められてこそいないが、ある程度の年齢に達したら、読み書きや計算を習うため学校に通わせるのが一般的だ。学費がかかる場所もあれば、教会関係者が無償で勉強を教えたりなどもしている。田舎の農村の子供ですら、暇を縫って学校に通うことができていた。

 そのため、学校に通ったことがない子供というのは、よっぽど辺境の地で生まれ育ったか、あるいは子供の稼ぎすら無いと生きていけない貧困家庭のどちらかだ。

 ラースの言葉に訛りはない。ということは、後者の理由で通えなかったのだろうか。不躾だとは理解しつつも、スチールは好奇心に負け、つい尋ねてしまった。

 彼の質問に対し、ラースの返答はシンプルだ。


「ああ。通ったことねえよ。家が貧しくて、通う暇が無かった」


「……そ、そっか」


 想像通りの回答に、スチールは何故か罪悪感を覚えた。

 無神経な質問をしてしまったと反省し謝罪しようとしたが、その前にラースが口を開いた。


「謝る必要はねえよ。ただの事実だ。ま、その情報がどこから漏れたのかは知りてえけどな」


 ラースが鼻で笑って、教科書を開く。パラパラとページを捲り、内容を確認しているようだった。そんな彼に、スチールはおずおずと言った。


「君のことは、学園の皆が知っているよ。すごい噂されているもん。学園長の愛人の子供だとか、実は他国の王族だとか。……編入試験が免除されて、コネでルフェニラに編入してきたとか。心ない噂も多いから、気をつけてね」


 ラースは手を止め、顔を上げた。その表情は、呆れた様子だった。


「たかが学生一人に、どうしてそこまで興味が持てるんだよ。暇なのか、そいつら」


「ルフェニラに編入生がやってくることなんて滅多にないから、皆珍しがっているんだよ。今の君は、きっと学園で一番の有名人だ。明日は質問責めで大変だよ。頑張って」


 ラースはげんなりとした顔で、教科書を机の上に放り投げた。


「……どこに行っても俺様は珍獣扱いか」


「え?」


「いや、なんでもねえ。それより、荷解きもほとんど終わったことだし、寮の案内を頼んでも良いか?」


「あ、うん。もちろんだよ」


 ラースの愚痴はスチールにははっきりと聞こえなかったが、すぐさま話題を変えられのでそれ以上は深掘りしなかった。

 時計を見れば、そろそろ夕食の時間だ。食堂が混雑する前に夕食を済ました方が良いなと、スチールは考えた。


「ハイドラゴン。先に食堂に行こっか。そろそろ夕食が食べれる時間だし。あまり遅いと学食が混むし、先に済ましちゃおうよ」


「………」


「ハイドラゴン?」


「——あ、悪い」


 ラースは財布だけ持っていこうと、鞄の中を探っていたところだった。スチールがもう一度名前を呼んで、ようやく反応する。


「この性で呼ばれるのに慣れてなくてな。呼びづらいし、ラースで良いぜ」


 ラースは鞄の底から財布代わりの小袋を見つけ、ポケットに突っ込みながら言った。

 友人が少ないスチールに取って、誰かを名前で呼ぶのは新鮮味があった。彼は嬉しそうに、頷いた。


「う、うん! じゃあ、僕のこともスチールって呼んで。ブラウンだと、他の生徒と被ったりするし」


「おう。よろしくな、スチール」


「こちらこそ、改めてよろしく、ラース」


 噂の編入生がルームメイトとしてやってきた一日目。

 スチールは彼と上手くやっていけそうだと、自信を持った。


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