06 腕試し
「ふー。食った、食った。なかなか美味い飯だったじゃねーか」
ラースは空となった皿を前に、腹をポンポンと叩く。その目の下からはクマが消えていて、心なしか声も弾んでいた。
時刻は夜七時。レオナルドとの対談後、ラースは宿で軽食と仮眠を取り体力を回復させていた。昼過ぎに寝て夕方頃に起きたので、彼は丁度良いと夕食を例の大衆食堂で取ることにしたのだ。
よほど腹が空いていたのか、ラースは注文した肉料理をすぐに完食した。楊枝を歯に使いながら、満足気な様子で店内を見渡す。
(案外、普通の飯屋だな。宿のある大通りに比べたら客のガラは悪いが、所詮その程度。目くじらを立てるほど治安が悪いってわけでもなさそうだ)
都市人口の七割が学生なだけあって、客はラースと同じ年頃の人間がほとんどであった。十代の学生らしく大騒ぎする者、こっそり酒を楽しんでいる者、堂々とタバコを吸い、カードで賭けを楽しんでいる者、様々だった。
そして何より目に付いたのが、彼らの大半が学校の制服を着ていたことだ。
学術都市ラプラスは、放課後や休日であろうとも、学生に己が所属する学校の制服の着用を義務付けているのだ。これは、学生への監視の意味もあるが、滞在許可を得ている証明にもなっている。店によっては、制服を着ていない客は来店できない場合もあるほどだ。ラプラスに住まう学生にとって、制服は学生証よりも重要な身分証明書だった。
そのため、現在私服であるラースは店の中でも悪目立ちしている。周囲からの訝し気な視線を、彼はわざと無視した。
(失敗したな。制服とやらを見繕ってもらった方が目立たずに済んだな。ま、過ぎたことは仕方がねえ。さっさと仕事を終わらせて、ホテルでもう一眠りするか)
頼んだ果実水を口にしながら、周囲を窺う。ラースは特に、出入り口付近の席でカードゲームをしている集団と、窓際の席でタバコを吸っている女に注目した。
(店内にそれらしき魔術師はいねえが、何人か腕の立つ奴はいるな。それで、この中のボスはおそらく……)
ラースは席を立ち、店の奥にあるカウンター席へと近づいた。目的は、一人で酒を飲んでいる男子生徒だ。
学生にしては大柄な男の隣に座り、声を掛ける。
「随分と高そうな酒を飲んでいるじゃねえか。羽振りいいなあ、アンタ」
「……あ?」
男は不機嫌そうにラースを睨んだ。熊のような男だった。お世辞にも人が良さそうには見えない、凶悪な顔付きだ。
男は酒を煽るのを止め、凄んだ声でラースに忠告する。
「たかるんだったら相手を選びな、チビ野郎。出稼ぎ中に痛い目に合いたくねえだろ」
どうやらラースのことを出稼ぎに来た労働者だと勘違いしたらしい。男は何事も無かったかのように酒を再開するが、ラースがその程度で引き下がるわけなかった。
「いやあ、こっちも偉い人からおつかいを頼まれていてね。アンタみたいな奴なら、理解してくれると思うんだが」
ラースは懐から小袋を取り出すと、机の上に置いた。口を少しだけ開き、中身を男に見せる。
袋には金貨が入っていた。店内の明かりを反射しキラキラと輝くそれに、男が眉を顰めた。
目視しただけでも袋はかなりの厚みがあり、二十枚はくだらないと予測できる。袋の中身が全て金貨だったとしたら、かなりの大金だ。出稼ぎに来た労働者が持ち歩くには、相応しくない金額。
訝しんだ男は声を低くして、ラースに尋ねた。
「誰の差金だ」
「おいおい、それは聞かない方がお互いのためってもんだろ。この金の出所を知って、アンタは幸せになるのか? この金が綺麗な物だとは、限らないんだぜ」
本当はラースの私財——つまり給料の一部を引き下ろしただけであったが、彼は飄々と嘯いて、小袋の口を閉じ懐に戻した。
「ま、紹介してくれないなら別に構わない。他を当たるだけだ。ただ、今回はお試しでこの金額だと言っておく。今後も取引が続くようなら、かなりの上客になると思うぜ」
ラースは頬杖を付き、男の返答を待つ。
男はしばし考える素振りをした後、カウンターの向こう側にいた従業員を呼び、耳打ちした。そして、ラースと向き直る。
「言っておくが、俺は案内するだけだ。交渉は自力でやれ」
ラースが無言で頷くと、男は席を立った。カウンターの奥へと向かうので、ラースも彼の後に続く。
厨房の横を通り、しばらく歩くと扉が見えた。店の裏口だ。男はその横で立ち止まると、顎で扉を指す。
外に複数人いるらしく、揉めている声が聞こえてくる。ラースは少しだけ躊躇った後、扉を開けた。
「いつまでとぼけるつもりだ。こちらは、もう証拠が揃っているのだぞ? いい加減、観念したまえ」
最初に目に入ったのは、凛とした声で話す、人形のような少女だった。
作り物めいた、整いすぎた顔立ちに、どこか艶かしさを感じる紫紺の瞳。スラリと伸びた手足は細く白い。
黒を基調としたブレザーを身につけており、全体的に華奢な身体だった。スカートもブレザーと同じデザインだ。赤いネクタイが全体を引き締め、上品さと高貴さを併せ持った印象を少女に覚えさせる。
そして、何より。
月光を浴びてきらめいた銀髪が、美しかった。
「あのような紙切れが証拠とは笑わせる。ルフェニラの質も落ちたものだね。名門といえど、所詮、まだ子供か」
少女に見惚れていたラースが、その声に現実へと引き戻される。声の主は少女と相対している少年だった。二人とも年齢は、彼と変わらないように見えた。
ラースは後ろ手で扉を閉め、周囲を見渡した。
店の裏口は、どうやら路地裏へと繋がっていたようだ。狭い道で少年と少女が言い争っており、その周辺に人気はない。大通りに面した場所と、路地の奥で、複数人の男が待機しているくらいだ。
少年が気づいたのか、ふとラースに顔を向ける。彼は黒いローブを身に纏い、己より背丈のある杖を地面についていた。杖に刻まれた紋様や装飾、そして何より、少年を見つめるとラースの目の奥がチカチカと痛んだ。
おそらく、幻術をかけているのだろう。それも、相当に高等な魔術を。
目的の魔術師は、おそらくこの少年だ。ラースは確信し、目の痛みを悟られないように振舞って、彼に近づいた。
「お取り込み中に悪いな。俺様も、アンタに用があるんだが……出直した方が良いか?」
ラースが少女を一瞥すると、少年は首を振った。
「いいや。もう話は済んだから、気にしなくていいよ」
「何を言っている。話はまだ終わっていな——!?」
少女は反発し、食い下がろうとするが、少年はそれを許さなかった。
杖で地面を叩き、少女の足元に魔法陣を展開させると、結界の中に閉じ込める。彼女は結界をばんばんと叩き、懸命に抗議をするが、その声は少年やラースには届かない。
少年が、結界越しに少女を嘲笑した。
「ちょっと大事な話をするから、君は黙っててね。落ちぶれたロクラグ家の、さらに出来損ないの末裔——レプリカ・ヴァン・ロクラグ君」
ラースはロクラグ、という単語に思わず反応する。
(どこかで聞いたような……どこだっけかな)
名前からして貴族ということはわかるが、何せラースは根っからの庶民だ。システィリア神国は人口も多ければ貴族の数も多い。生まれも育ちも貴族ではないラースが、それら全てを把握していないのは無理もないことだった。
「——!!」
少年の声は届いていたのか、レプリカと呼ばれた少女は顔を真っ赤にし、さらに強く結界を叩き始めた。しかし、結界はびくともしない。かなり強固な作りだった。
少年はレプリカに背を向けると、首を捻っているラースに手を差し出した。
「さて、待たせてすまなかったね。私はオリバー。ここ一帯を取り仕切っている魔術師だ」
ラースは腕を組んで、オリバーの握手を拒否した。
「アンタが違法な魔導書を売り捌いている連中のボスってことか?」
「うーん、まあ、一応そうかな」
オリバーはわざとらしく肩を落とし、苦笑する。
「それで、用件は何かな? 魔導書の売買? それとも、調合薬が欲しいの?」
ラースは直球に言った。
「アンタを捕まえにきた。大人しく、お縄につく気はねえか?」
レプリカが目を見開き、オリバーは薄く笑った。
「憲兵ごっこでもしてるの?」
「ま、そんな感じだ」
「そっか。命知らずだね、君」
オリバーは待機している男達に手で合図を出す。彼らは手を掲げ、魔法陣を頭上に展開した。
すると、路地裏全体が透明な膜で覆われた。結果を張ったのだと、ラースは理解した。
「君、結構強いでしょ? 私もそれなりに強いって自負しているけどさ、なーんか君と正面から戦ったら負けそうな気がするんだよね。ただの勘なんだけどさ」
彼が首を傾げるのを見て、ラースは乾いた笑いをこぼした。
「褒めても何も出ないぜ。感謝のハグでもすればいいのか?」
「いや、いらないよ。気持ち悪い。でもさ、不思議だよね」
喋りながら、オリバーは杖で地面を三回叩いた。
刹那、ラースの背後から、無数の影が落ちる。大量の黒い斑点が、地面に映し出された。
同時に、頭上から漂う冷気。だが、ラースの反応は薄い。緩慢に、呆れたように、後ろを振り返る。
代わりに、オリバーの後ろにいたレプリカが血相を変え、結界を何度も強く叩く。ラースへ必死に危険を伝えるが、本人に彼女の言葉は届かない。もし伝わっていたとしても、彼は無視していただろうが。
「君は特に武装しているわけでも、魔道具を隠しているわけでもなさそうなのに。強そうに思うなんて、私も臆病になったなぁ」
オリバーは照れ臭そうに笑う。
「だから、用心して、卑怯な手を使わせてもらうね」
そして、片手で杖を振り下ろした。
ラースの背後で構えていた無数の氷の刃が、彼を襲った。