あの命達を忘れない。
イラスト制作・猫じゃらし様。深く御礼申し上げます。
ドリームボックス――直訳すれば、『夢の箱』。
藪から棒な質問だが、その単語を聞いたら、あなたはどんな物を思い浮かべるだろう。
開けば願いを三つまで叶えてくれる、そんな童話に出てくるようなアイテムか。あるいは玩具やお菓子がぎっしり詰まった、子供が大喜びするような贈り物の箱だろうか。
本当にそんな物だったなら、どんなに良かっただろう。
俺にとって……いや、その意味を知る者にとって、それは忌むべき単語に違いない。他の連中がどう思っているかは知らないが、少なくとも俺にはそうだ。
正直はばかられるが、理由を説明しよう。
ドリームボックス――それは、『犬や猫の殺処分に使用されるガス室の通称』だ。
この収容施設には、居場所を失った犬や猫が収容される。
野良犬や野良猫が捕獲されて連れて来られるということもあるが、圧倒的に多いのは飼い主に捨てられ、ここに引き取られた犬猫達だ。
世話が面倒になった、引っ越し先でペットが飼えない、家族に嚙みついた……これらはほんの一例だが、共通しているのは、どれも『人間の身勝手』であるということだ。
ペットショップで可愛い子犬や子猫を見かけ、衝動的に購入する。命を預かるという自覚が不十分なまま、後先をよく考えないまま、まるでぬいぐるみのような感覚で買ってしまう人があまりにも多いのだ。
当たり前だが、犬も猫も成長する。大きくなって可愛くなくなった、思っていたのと違う姿になってしまった。そんな理由で長年一緒に暮らした犬や猫を捨てる者までいる。悪質なケースだと、動物をケージごと収容施設の前や山中に放置し、そのまま立ち去る輩までいるのだ。
市や県によって差はあるが、俺が勤めるこの施設では、犬や猫の保護期間は七日間。その期間内に新しい引き取り手が見つからなければ、ドリームボックスに送られて殺処分されてしまう。
俺の担当業務は、収容された犬の世話だ。鉄格子の奥にある収容スペースをきれいに清掃し、そして餌を与え、スキンシップもする……恐らく、もうじきドリームボックスに送られるであろう犬達を見守り、残された時間を少しでも良い環境で過ごせるようにさせてやること。それが俺の仕事だ。
ここにいる犬達の様子を見れば、そいつがどう生きてきたのかが推し量れる。距離を置いて吠えてくる犬は、野良だったのか、あるいは人間に虐待された過去があるのかも知れない。収容スペースの隅でただ震えている犬は、突然こんな場所に連れて来られて状況を飲み込めないのかも知れない。尻尾を振りながら歩み寄ってくる犬は、捨てられたということを理解していないのかも知れないが、かつては可愛がられていたに違いない。
だがどんな犬であろうと、八日以上ここにいることはできない。
日が経っていくごとに収容房を隔てる壁は動いていき、犬達はここにいる日数に応じて、『No.1~No.7』のプレートが付けられた房を順番に隣へ移されていく。期間内に新しい飼い主、または引き取り先が見つからなければ……その犬は悪いことをしたわけでもないのに、生きる権利を剥奪される。
保護する期間を延ばせばいい、そもそも殺処分なんて廃止すればいい……そう思う人はいるだろう。実際、俺も最初はそう思った。
だが、それは何も知らない奴の意見だ。
動物を収容施設にいさせれば、場所代や餌代がかかる。犬や猫を飼ったことのある人なら知っているだろうが、ペットを飼うにはバカにならない金がかかる。ここに持ち込まれる犬や猫が増え続ければ、それこそ経費は膨らんでいく一方なのだ。税金で賄われる予算に、余裕などありはしない。
前にこんなことがあった。
俺がゴミ出しをしていた時、一組の夫婦が犬の入ったケージを収容施設に持ち込み、うちの職員と話していたんだ。
理由は分からないが、飼えなくなった犬を引き渡しに来たに違いなかった。俺は作業をしつつ会話に耳を傾けていたが、あの時のやり取りが忘れられない。
「ここに置いていくと……この子は殺処分されますよ」
夫婦が持つケージの中にいる犬を指しつつ、うちの職員が言う。
血の通った人間ならば、そう言われれば多少は迷うはず……だが女の方が、少しのためらいもなく即答したんだ。
「構いません」
俺は、その言葉に頭が真っ白になっちまった。作業なんてできなくなった。
あの女、自分の言ってる意味が分かってるのかと思った。どんな事情があるにせよ、その犬はあんたの家族だったはずだろう。今は違うのかも知れないが、かつてはその犬に愛情を注いできたんじゃないのか。
未練も迷いもない夫婦の表情を遠目に見て、はらわたが煮えくり返る思いだった。
その犬が殺されるところを想像しても、何も感じないのか。まさか、不要になった物をリサイクルショップに持ち込むのと同じ感覚でいやがんのか。
犬だって生きてんだぞ、俺達人間と同じように命があるんだぞ……。
だが、俺には何もできなかった。ああいう輩には何を言っても無駄なのだ……俺に許されたのは、拳を握りつつ歯を食いしばることだけだった。
偶然にも、施設に引き渡される現場を生で目撃することとなったその犬。
“お兄さん、ぼくのパパとママはどこ?”
もちろん、その犬がそんなことを言ったわけじゃない。
だが俺には……鉄格子に身を寄せながら俺をじっと見つめるその犬が、そう言っている気がしてならなかった。
殺されることも、そもそも捨てられたということすらも……理解していないのだ。
やるせなくて、気の毒で……俺はその犬と視線を合わせていられなかった。
ここで過ごした七日間の時の中で、あの犬は自分が捨てられたことに気づいたか、あるいはドリームボックスの中で息絶える瞬間まで、あんな飼い主達を信じ続けていたのか……知る術などない。
死んだ者は、生き返らない。それは人間も動物も同じだ。
だがもしも生まれ変わることがあるのなら、あの犬が生まれ変わったなら……今度こそ幸せになって欲しいと思った。あんな下衆な飼い主じゃなくて、家族として一生をともに過ごしてくれるような人に飼われて、こんな悲しい最期を迎えてしまった分、今度こそ幸せになって欲しいと思った。
そんなことを考えても無駄だと分かっていたが、そう思わずにはいられなかったんだ。
その名称から、ドリームボックスは夢を見るように安楽な死をもたらす機械であるとの誤認を受けやすい。
だが実際は全然違う。暗いガス室の中に十数頭もの犬が押し込まれ、注入される炭酸ガスによって窒息し、地獄の苦しみを味わいながら絶命していくのだ。その証拠に、ドリームボックスの中にはもがき苦しんだ犬や猫の爪痕が無数に残されているのだという。
この施設に勤め始めた頃、モニター越しに、俺は一度だけ殺処分の現場を見たことがある。だが、すぐに見ていられなくなって目を逸らした。
“苦しい、苦しい! いやだ、ここから出して! 出してよぉっ!”
あいつらのそんな声が、耳に突き刺さってきたんだ。
数日間といえど、愛情をもって大事に世話をしてきた命達……情だって移るさ。
耳を塞いでボロボロ泣いて、わけの分からねえ叫び声を上げちまった俺の肩を、先輩の職員が優しく抱いてくれた。そして、『すまなかった。もういい、見るな!』と声を掛けてくれた。あの時の俺はもう、涙と鼻水で、さぞや酷い顔をしていただろうよ。
ドリームボックスのスイッチを、あいつらを捨てた連中に押させてやりたい! 今までに何度そう思ったかなんて、もう分からない。
この仕事を辞めようと思ったことなんて、それこそ数え切れないほどある。
事実、そんな辛い思いをするならさっさと辞めればいいと思うだろう。
だが、俺が辞めれば人手が減る。犬達の新しい飼い主や、引き取り手を探している職員達の負担が増え、救われる命が減ってしまう。
俺がやっているのは単なる雑用ではない、命を繋ぐ手伝いをする重要な仕事なのだ。自分にそう言い聞かせつつ犬達に接し続けてきたが、助かる犬よりも、殺処分されてしまう犬のほうが多いのが現状だ。
俺が億万長者だったなら、自分の屋敷にあいつらを全部引き取って住まわせ、保護するだろう。もしくは俺が神だったなら、その人智を超えた力を振るってあいつらを救うに違いない。だが、俺は億万長者でも神でもない。所詮無力な、ただの人間だ。
俺達人間は、日々様々な動物を殺している。
その肉を食うために豚や牛や羊を。俺達の健康や命を脅かす存在の排除として、熊や猪や鼠や猿を。野菜や果物を生きているものと扱うなら、飯の一食だけでも相当な数の命を頂かなければならない。
だが……あいつらはどうだ。
飽きたから、世話が面倒になったから、新しいのを買うから……。
そんな自分勝手で、信頼していた飼い主に殺処分を厭わず捨てられて、最後にはドリームボックスの中で苦しみ抜きながら死んでいき、その亡骸を焼却炉で焼かれる犬や猫達……。
あいつらに、あいつらに俺は何て言えばいい、どう謝罪すりゃいいってんだ!
俺は勤務を終えて帰宅する時、毎日欠かさず施設の敷地内にある慰霊碑に手を合わせる。別に規則とかじゃなくて、俺が勝手にやっていることだ。
きっと信じないだろうが、俺はこの施設で命を落とした犬達の顔をすべて覚えている。覚えておくことこそ、俺達人間のせいで天寿を全うできなかったあいつらへの贖罪だと思っているからだ。
もちろん、祈りを捧げても失われた命は戻らない。それでも俺は、ドリームボックスなんて残酷な機械が必要なくなる世の中が訪れることを信じ続けていたい。
俺は、あの命達を忘れない。
【ペットを飼う際の心構え】
年々、日本にて殺処分される犬猫の数は減少傾向にある。だがそれでも年間数万匹もの犬猫が殺害されており、断じて手放しに喜べたものではない。
適切な環境下で飼育すれば、犬も猫も十年以上は生きる動物である。ペットを飼うということはその命を預かるということであり、動物の一生に責任を持たなくてはならないのだ。
世話をするには当然時間を割かなくてはならないし、子供の希望で飼い始めたがすぐに飽きてしまった、可愛いと思って衝動的に購入したが、しつけができない、面倒だから飼育放棄ということも珍しい話ではない。動物が高齢になれば、介護の手間だってかかる。
また食事代だけでなく、生活用品にかかる費用や、病気やケガをした時には高額な医療費が必要となることもある。経済的負担の面も考慮した上で、ペットを飼うかどうかを判断しなくてはならないのだ。
金を払えば購入できるが、ペットは決して『物』ではなく、ひとつの『命』である。
ペットを捨てるという行為は、自身の無知や思慮の甘さの責任を全て動物に押し付ける行為に他ならない。
また、ペットを迎え入れることを検討しているのであれば、保健所や団体から引き取るという選択肢を是非考慮に入れて欲しい。
講習を受けたり審査を通らなければならないなど、ペットショップで購入する場合に比べれば多少の手間がかかる。また、多くが人間に捨てられた過去を持つため、二度と同じ思いをさせないという心構えも必要となる。しかし、ペットの里親となることで犬猫を殺処分の運命から救い出せるのだ。
他にも、既にしつけが完了していてストレスフリーな生活が送れたり、初期費用が安いなどのメリットもある。
新しい家族を探している犬や猫は、今も大勢いる。