1.やらかしちまった中学生
2045年12月。日本時間午前2時38分。
人類は、その日を境にランクアップを始めた。そう、記録されている。
今やもう50年も昔のこととなろうが、人類においてそれが共通見解であった。
後に生物学者たちが『宣言の産声』と名付けた事象、それは全くもって原因不明な開始の号令。記録の多く残された現代ですら、それを解明しようと躍起になっている人々が未だに絶えない。
太古より、人類は衰退を続けていた。発展しているように繕われたのはあくまでまやかしである。そういう、技術的躍進ではないのだ。
その時人類は、存在そのものが躍進したといえよう。
十六の塔が地を割り、バベルを思わせるような不思議建造物が地震を伴って出現した。方法も理由も不明な、人類を変貌させた神の一手。
塔は、生まれたばかりの赤子のように泣き叫んだ。十六の塔が寸分の狂いもなく同時に震え出したそうだ。当時からみればもはやカオスであったろう。そんな塔による影響――否、恩寵とは、人間の脳を『覚醒』させるという助長であった。
震災に転じて神災、『宣言の産声』の蔑称。この災害はそう呼ばれるまで、酷い影響もあった。しかしながら、齎した良き影響はそれを利益に転じさせるまで大きい。
人類はこの影響による『覚醒』という独特の現象を【発現】と呼び、現れた、当時の人々にとっては神技に等しきそれらは【異能】と謳われた。
しかし現代社会において、その【異能】とやらは当たり前に成り果て、そう呼ぶ者は少ない。仕方ないだろう。世界中に溢れかえり、世界総人口約86億人のうち九割九分九厘。それだけが大なり小なり【能力】を持つようになったのだから。
世界共通で【発現】したものを【有能】と、逆をまた【無能】と呼ぶ文化が定着したのはそれからすぐのことであった。
そんな社会では勿論のこと能力を悪用しようとするものが現れる。セオリーを貫いて悪役を買って出た者たちを、ここ日本では埃と呼ぶ。そして面白半分に、それらを片付ける【有能】を掃除機だなんて命名されては、もう上下関係なんてわかりやすいことこの上ない。
――掃除機を育成する機関が出来上がるまで、10年かからなかった。
進歩した人間を育成するその機関――最高峰の一角と称される学校が日本にもある。
その名は『国立東京昇華総合校』、僕はその中でも、割合重要な科に所属する生徒。
そんな僕の、ちょっと波乱な学生生活を綴る物語。
ちょっとばかり楽しかった、僕の黒歴史……かな。
むかしむかし、と言っても50年ほどの『古き時代』では、当時でいう異能だの特殊能力だのは特別視され、万能なものだと思われている節があった。
今や、そんな思想はまとめて捨てられてしまったようだが。
真に稼働する大脳により、ヒトは本当に異能が使えた。それらは全て、科学的根拠がつけられると豪語されているが、実をいうとそんなことはない。
まだまだ分からないことだらけだし、そんな理屈は単なる意地に過ぎないのだ。
だがそんな中、人々の共通認識が存在する。それは全ての根源――『集合意識』と命名されたそれに捧げる【対価】があることだ。
例えをあげてみよう。
僕の前には分岐する道がある。単純な二分岐である。付け加えるならばマイ通学路。
しかしながら僕は、はたしてどちらに進むのが正解なのかわからない。
原因は昨夜から深夜にかえて行った春休みの課題消化である。なにせ今日が提出日、初日からやらかすわけにもいかず僕は本気を出さざるを得なかったわけだ。
自身の能力を〈一辺倒〉と、僕は呼んでいる。
入れ替え可能のステータスパラメーターみたいな能力だ。応用性が高く、だがしかし保有者が極めて少ない特異的なもの。
僕が行ったことは、体時間の加速――脳の負荷が最も大きいステ振りだ。これによる代償は、僕の場合多少の記憶混乱による、致命的方向音痴を発揮することである。
わかってはいた。だがしかし、ラッシュの波に乗ればなんとかなると思っていたのだが……ここで出てくるのが隠しパラメーター、疲労である。
「入学式当日、寝坊しかけるとか馬鹿なのか、阿保なのか……」
いつもなら彼女がチャイムの一つでも鳴らしてくれるのだが、何を隠そう優秀評価受けし彼女は入学式の生徒代表をおしつ――志願したのだった。だから今日は何してくれないと端から分かっていたことであろうに。
「仕方ない、走るか」
この記憶障害は【能力】の使用時間に大まかだが正比例している。推測するに、あと6時間ほど続くことになるだろう。そんなの、待っていられるわけがない。
体力には自信があるのだ、僕は。
「斯くして髙橋優稀君は学校に遅れた訳なんです。ね、先生」
「ね、とかお前舐めてるのか。しかし、課題を完璧に熟したことは褒めてやろう、学年ではお前と小鳥遊しか全提出していないからな」
おいマジかよ、あいつ何故あの量できたんだ……僕のチートな能力があってこそできた芸当なはずなのに。なんだか悔しいな。
家を出てからフルマラソン完走レベルで走って、ようやくたどり着いた気がする。どうしたって僕が得られないものが運である。始めの分岐を間違える、その時点でもお先真っ暗が確定していたのだから。
よく頑張った、僕。重い荷物を背負ったまま、よく挫けなかったよ……。
「入学式が長くて命拾いしたな。だが、後で校長室には行っておけ。実質的に、お前は入学を認められていないからな。さっさと公認されておけ」
今年も担任らしいこの教師、姓を小野寺という。名は忘れた。
男よりクールなこの人は、事実性格がカッコイイ。長く艶やかな黒髪と起伏のはっきりした女性的ラインを見ることがなければ、美形男性と勘違いしておかしくない。何せこの人、まったくスカートなどの女性的服装をせず、中性的な恰好しかしないのだ。そのくせ似合っているのだから文句が言えない。高身長、羨ましい。
なんてしょうもない思考を音にせず零す。吐いた息には疲れが滲んでいた。
「わかりました。あ、そうそう。僕のクラスは結局どこなんですか?」
「技術特化クラス1年A組だ。間違えるなよ」
「うっす」
「私に対しての返事はハイかイエスだ」
「ハイ、イエスマアム!」
職員室内で唐突に大声を出す僕へ白い目が向けられる。ここの教師は自分の生徒以外にめっぽう厳しい。校内派閥があるせいで、こうなってしまったわけだが。
まぁ、僕には関りの薄いことよ。さっさと、用事を済ませてしまおうか。
「私はお前の母でも上司でもない……」
呆れのあまり蟀谷に手を当てる彼女を背に、そそくさと職員室を後にした。
――この学校は少しばかり特殊である。
小中高等教育だけではなく、それに連なり大学まで付属校を持つのだ、国立なのに。
この国立校は世界的に屈指の育成校であり、イメージ的には国内において国際ラインが最も発展している羽田とか関空とか成田周辺あたりにできそうなものだろう。その方が世界中から生徒を集められると考えるはずだ。
しかしここには現実がぶつかった。圧倒的に土地がない。
というわけで、土地があり、問題ないくらいに交通整備が成っている。加えて環境が悪くない地域を選んだそう。それがここ東北の宮城、仙台駅から六駅ほど離れた場所である。
建設には丸々9年かかった、だがしかし、十分な施設がここには揃う。
僕はこの学校の初等科に六年生の初期から転校した。それは【発現】したからである。50年前とは違い、鳴りを潜める『宣言の産声』で【発現】する人々は今やいない。あれはあくまできっかけだったのだ。六歳から十八歳ごろは一般的だが、それ以下が稀に【有能】となる前例もある。しかしいままでそれを超えて【発現】したものは存在しない。そのような人々を【無能】と社会では定義したのだ。
この学校は表向きにはただの有名校であるが、裏では【有能】と【無能】の差別が激しい学校である。それだけ両者間の差は激しいのだ。入学を希望しても【無能】は容易く叩き落とされる試験内容だし、たとえ入学できても浮くのは確実。だからこの学校は転入・転校なんてものはざらなのだ。珍しくもなんともない。勿論定員ありきだが。
ラッキーなことに、この学校内では電子干渉装置――通称デバイスの使用が義務づけられていて、学校の地理がからっきしだった転校当初ですら迷うことは無かった。
そして、流石に今の方向音痴状態でも、道が示されれば迷いはしない。
学校の中心にある職員塔、区画的にその南東方向が中学用の区域である。原則的に、別の区域をまたぐことは許されず、僕たちはこれから3年間、ほとんどそこで学校生活を送る。まぁ、勿論例外はあるのだが。
各区域――別名校域にはそれぞれ独特の特徴がある。校舎の位置から構造まで異なり、かねてから楽しみにしていたのだ。
中学の校舎は職員塔から歩いて十分ほどのまだ近い位置にあった。なにせ敷地の正門から職員塔まで徒歩20分――直線距離を通るにもかかわらずそう言われているのだから、この程度まだましな方である。
因みにだが、この学校では年に200件ほど行方不明事件が発生する。だがその全てが解決されていたりする。二重の意味で恐ろしいところだ、ここは。
「はぇー、随分と明るい感じだな。日陰者には眩しすぎてこまっちゃう」
南を向く校門を通ると、反射光の眩しさについ目を眇めてしまう。なぜあんな所に大窓を設置したのか不思議で仕方ない。
「あぁなるほど、学食……そりゃ明るくて結構」
不思議と思ったら即デバイス先生を頼るのが現代っ子の証である。校内に入ったことで利用可能となった『information』を開いてみれば、二階と三階をまたぐ、豪勢なつくりの学食の内装と学食メニューが表示される。中学生は給食ではないようだ、残念。
王道を模った桜並木の導入路をこつこつと踏みしめて歩く。何だか今まで中学生という実感はなかったが、ここでようやくその緊張が襲ってきた。
――おせぇよ、ふざけんな。
にたりとその感情に笑って、不思議と感じ始めた恐怖を吹き飛ばす。
この学校には多くの『バケモノ』が存在する。そんな奴らと相対することが、一体どれほどのスパイスとなるのか。
「せいぜい僕の人生を彩ってくれよ……!」
強がりながら、僕はそう宣言する。休み時間で騒がしい校舎に向かって堂々と。
一学年400人前後、こんなマンモス校で――僕はトップを狙う。
負けてなんか、やるものか。
と、意気込んで教室に入ってみれば……
はい、やっぱり浮きました。
仕方ないよね。周りはもっぱら他人、クラス内自己紹介なんて午前中、入学式後に終えている。小学校からの繰り上がりもちらほらと見えるが、別段好かれているわけでもない僕に積極的となる人などそういない。
それに、まだ緊張抜けぬ昼休み。唐突に現れる異物のような人間。
皆が僕を警戒している。獣のような眼を据えるように向けてくる者もいて、僕だって迂闊に動くことはできない。何より僕は人と積極的に関わろうとは思わない性質だ。
ぎゃーぎゃーわーわー騒がしい校内、こそこそと潜めた音すら聞こえてしまう教室は一際異質さを感じさせる。入学早々不快なものだ。
「……あ、ユウ」
「……? あ、時雨か。今日はご機嫌いかかですか」
「たいへんよろしゅうございますよ。えぇ、誰かが押しつ……こほん、譲ってくださいました生徒代表挨拶が思わぬ好評で、満足しておりますので。それに、今朝方は面倒なひと手間がなかったものですから」
「あらあら、そうでしたかシグレサン。面倒で悪うございます」
ふふふふふっ。暗雲に似た表情で笑む二人の間には、不気味な視線が交わされた。
周囲から奇異的視線を向けられるが、『上がり』の人たちはまたか、とでもいうような呆れを見せていた。
いつもの挨拶である、二言三言こうしていがみ合いをすると何となく噛み合うようになるのだ。逆にこれがないといずい、中々言葉が出なくなってしまう。
「時雨ちゃん、この人誰? カレシさん?」
「ううん、違うよ。単なるクラスメイト、それ以外の何者でもなく」
笑顔で言うなよ、ちょっと悲しくなるじゃん。僕はもう少しくらい深いと思い込んでいたよ、ライバル的あれでさ……。
平然と人を傷つけるこの見た目は割と好い方の少女、名を小鳥遊時雨という。実にアニメチックな名前で羨ましいと思う気持ちは初対面のころから持ち続けている。
さらっと、恐らくだがとりまき的存在となった女子をあしらった後に、彼女がこっちにやって来たかと思えば、逸れて着いた前の席。
――今年も、か。
「うん、そうだよ。よろしくね」
「ったく、『持続型』だからといって乱用するな」
「仕方ないでしょ、読めちゃうんだもん」
彼女とは小三のときに出会った。僕が彼女のいる学校に転校したからである。その時に隣となったのがこの優等生で、その翌年も同じクラス、しかも出席番号が隣り合わせ。
しかし後に、特異的能力が【発現】した彼女はここの『推薦』を得て転校。その後を追うように【発現】した僕が同じく『推薦』を受け、またもや転校。運命という未だ明確化されない現象ならば、僕たちがカップルとなっていても可笑しくないが、この小憎たらしい人間にはどうにも好意が持てない。第一運命様はソンナ易い構造をしていない。
そんなことを、目を瞑って考える。
「今、失礼なこと考えてたよね」
「いんや、現実を見ていただけ」
この娘、実は人としてかなり尊敬できる。小学校では有名なので隠すこともないが、彼女が持つ能力は『解読』なんて超フツーの能力――を、極限まで突き詰めちゃったパターン。『能力事典』曰く、『解読』は脳の処理能力を上げるだけの、ある意味無個性らしい。だが、彼女曰く、
『私くらいになると〈人の心を読む程度の能力〉もついてくるの』
と。明らに引用臭を漂わせる発言には流石に引いた。実技が伴うから尚怖いんだよ。
「大丈夫だった? 私、入学式遅刻した人初めて見たよ。どうして寝坊できるかなぁ」
「寝坊はどうしようもない。あとあれだ、道に迷った」
「はぁ、何でまた。どうやったら2年も通う通学路で迷えるのやら……」
勿論隠そう、【代償】であることを。
彼女は私の能力を知らない、むしろ知っている人がマイノリティー。恐らく、ただの方向音痴とでも考えているのだろう。どれだけ呆れられたって仕方ないことだ。ただ、そこに少しの心配が見えてしまうあたり、彼女は実に心優しい。正直で純粋なのだ。
「あ、そうだ。このあと実力テストあるけど、真面目にやりなさいよ」
「断る」
「あなたねぇ……」
呆れられても嫌なものは嫌なのである。テストなんてものは自分の能力を不必要に定義し、それを学校へ強制的に登録せねばならない鬼の行事だ。しかも内容はパターンにはまったモノばかりで、もはやテスト配布前に模範解答がつくれてしまうほどだ。
それを真面目に……気が知れない。
だから僕はいつも遊ぶのだ、面白おかしく変えてやる。
最近では適性検査、所謂中学受検で出された作文問題。四〇〇字詰めの原稿用紙の最上段を横に読むと『つまらないもんだいありがとうございます』となるようにしておいたが、その努力に気付いた人はどれくらいいただろう。
僕の虚しい努力に気付かれなくても、こうして遊ばなければ一時間などもう耐えられん。まぁ、たまに面白い問題が出るから真面目に解いてやることもあるが。
「真面目にはやらんよ、やっぱり」
「意地でも譲らないわね……でもどうせ、さらっと学年一位になるんでしょ?」
「なぁ、思うんだけどさ、学年一位が二人いたら面白くない?」
「突然何を言い出すかと思えばしょーもない。誰かさんみたいに満点合格なんてできないの、それが現実なの。オーケー?」
「いやいや、まず僕がいなかったら、お前の学年一は確定だろ? それに僕が合わせればいいだけじゃん。なぁに安心しろ、思考パターンは大体理解してる」
「怖いこといわないでよ……」
隠そうとはしているところが妙に傷つく、彼女の顔からにじみ出ている僕への嫌悪。感情の変化が激しいから、感情に対して鈍感な僕でも感じ取れてしまうのだ。
しかしながら、計二年近い間身近の存在が彼女だけであったため、考えそうなことを予想するなんて慣れたこと容易いこと。
「んでさ、相談なんだけど……なんか食べ物持ってない?」
「え、まさか。食べてない?」
「もちのろん」
「そこは威張るところじゃない……はぁ、でも残念ね。あと五秒よ」
「さん、にー、いち。あ―――」
らーらーらーらー、らーらーらーらー。感心するほど雑な棒読み音声が、チャイム代わりなのか流れる。いつの時代も殆ど変わらないビックベンの鐘の音を奏でているのだからそうなのだろう。
通例、昼休みには5分前で予鈴が鳴るものだが、僕が教室に着いたのがせいぜい3分前。聞き逃していたに違いない。時間見ない悪癖がまさか昼食を奪ってくれるとは……。
「ま、まぁ、頑張って……ほら、テスト間の休みに帰るだろうし、ね?」
「……ちょっとムカついたから本気出すわ」
「え、ちょ、待って待ってそれだけはやめて! ほんとは私、学年一位キープしないとヤバイの! ねぇお願いだから満点だけは止めて、お願い!」
「だが断る」
「あぅ……終わった。仕送りが、減っちゃう……」
おいおい、本気で絶望しきった顔するなよ……やる気失せるだろ。
まぁ、初等部では手を抜いていたが、中等部からは本気を出すと始めから決めていた。今までの会話は単なる戯れに過ぎない。
「この教室まで遠いな――これだからこの校舎は嫌いなんだッ」
なんて愚痴を吐きながらたいそうご機嫌斜めのご様子で入ってきたのは我らが担任。その手に抱えるのは未だに紙媒体を用いるテストだろう。なんて資源の無駄なんだ、とは思うが、盗難などを防ぐためにもこれが最も合理的らしい。
投げるようにそれを教卓に置くと、疲れの籠った溜め息が一つ。教師の苦労が窺える、あんなことになるなら絶対に教師になんてならないと誓った今日この頃です。
「よし。テスト、やるか。まずは禁則事項だが――」