~緊急速報~ 俺、大人になる
「え、ええ!? 一緒って、寝るのもかよ!?」
「あの……も、もし遥人様がご不満なら、私は廊下でも寝れますから……」
「いや! 全然ご不満じゃないです! 一緒に寝よう!」
これは下心ではない。
こんな少女を廊下で寝させるなんてことを、許すわけにはいかないからだ。
繰り返す、これは断じて下心ではない。
ぐぅー。
俺の腹が何か寄越せと抗議した。
仕方ないだろう。朝にお雑煮食べてから、何も口にしていないんだから。
クソガキとの鬼ごっこで、体力もガッツリ消費したしね。
「そろそろ夕食の準備が終わる頃ですから、一緒に食堂に行きましょうか?」
「ああ。行こう」
千沙の提案に即、同意し、再び一階まで降りた。
彼女と並んで歩き、職員室と、教室と、大浴場とを通り過ぎ、食堂に到着する。
そこが食堂というのはすぐにわかった。
それは何故かって?
『幻世食堂~あなたの舌、唸らせます~』
と立て看板が置いてあったからだ。
立て看板の下の方には、
『本日のメニュー~昇天天馬ごちゃまぜ風~』
と可愛らしい丸っこい文字で書いてある。
……食えるなら何でもいいやと思っていたが、
すみません。チェンジでお願いします。
「これ、大丈夫なのか? 食べたら昇天したりするんじゃないか?」
「大丈夫です! とっても美味しいんですよ!」
千沙は眩しい笑顔でそう言って、
入口の引き戸をスライドさせた。
途端に、堪らない匂いが鼻孔をくすぐった。
中は簡素な造りになっており、理科室くらいの空間の中央に、
長テーブルと丸椅子が整然と並んでいる。
入口から見て反対側の奥、窓の傍が厨房になっており、
そこでは二十歳前後に見える一人の女性がおたまで鍋をかき混ぜていた。
茶色がかった癖のある毛から覗く涼しい切れ長の大人びた目と、
猫科を連想させる引き締まった体つきが、とてもクールかつセクシーだ。
でもどこか愛嬌があるのは、桜の刺繍が入ったエプロンと、
可愛らしい猫耳が良く似合っているから――ん?
「け、獣耳! 猫耳が付いてる!」
俺は大きくのけぞって声の限り叫んだ。
だって、今まで会ってきた人たちって、なんか、凄く普通だったから、
こういうファンタジーなキャラクターはいないんだと思い込んでいた。
「にゃ、にゃんだ! お前、あたしの耳を馬鹿にしてんのか!」
まるで縄張りで侵入猫を見付けた猫のように、
フゥーっと威嚇するように声を出す女性を、俺は遠慮なく眺めまわした。
馬鹿にするだって? おいおい何を言うんだ。
リアル猫耳の綺麗なお姉さんって、きみたちにどんなものか想像できるか?
多分その想像よりも、実物は相当にグッドだぜ。
リアル猫耳を付けた美人なお姉さん。それは——
「最高だと思います」
俺は今日一番の笑顔でそう言った。
「お、おお!? そんな満面の笑みで言われると、て、照れるじゃにゃいか……。
でも、そう言ってくれると嬉しいのにゃ、ありがとにゃ!」
猫耳のお姉さんは、赤面して床に向かって言った。
「ほら! 早く座りましょう遥人様!」
まだ料理は出来上がってないみたいだし、食堂には猫耳と俺たち以外には、
まだ誰も来ていないしで、急いで座る必要は見当たらないのだが、
何故か千沙は俺を急かすように着席させた。
「あのさ。猫耳の人って、この世界では普通なの?」
ただ待っているだけというのも退屈なので、千沙に聞いてみた。
「珍しいですよ。体内の霊素の影響で、肉体に変化が出ることがあるんです。
霊量が高い人がなる場合が多いみたいですね」
ということは、コックのお姉さんは実は相当な霊術士というわけか。
「あのさ。……それなら男でも獣耳の人がいるわけだよね?」
俺は猫耳のおっさんを想像したことによる吐き気を堪えながら聞いた。
オエー。
「いえ。男女で変化の仕方が違うんです。
獣のような耳が生えることは、女性にしか見られません」
ほっ。一安心。
目に悪い化け物と、街中でエンカウントする危険性はないわけだ。
「そうか。それなら、どんな変化をするのか教えてくれないか?」
「はい! 殿方の場合は頭に角が生えたり、皮膚の色が赤や青に変色します」
完全に赤鬼青鬼じゃないか。くわばらくわばら。
「女性の場合は獣のような耳が生えたり耳が尖って長くなったりします。
他にも変化の仕方はありますが、大抵の変化はこういった形に収まります」
女性の場合は猫耳やエルフね。
オッケー。諸手を挙げて歓迎しよう。
「凄いな。言葉使いまで変わるなんて」
俺は猫耳お姉さんのあざとい猫言葉を思い出しながら言った。つい口元が緩む。
「いえ、あれはこの仕事を任された時に、姫様に命じられたらしいです」
おいおい姫様。
あんたひょっとしてキマシタワーの建設業者か?
「あの……は、遥人様は、獣耳のある女性が好きなのでしょうか……」
どこか心配そうな千沙の声色。上目遣いに涙目なのはどうしてだろう。
俺が獣耳愛好者だとして、彼女に何か問題でもあるのだろうか。
「……いや。獣耳は可愛いと思うけど、
大切なのは見た目より中身だと思うから……さ」
真っ赤な嘘である。
真実を述べるなら、
「大切なのは見た目と見た目と見た目で、その次の次の次くらいに中身だな!」
になるが、それを正直に言う男など、どこの世界にもいないだろう。
「遥人様! そのお考え、私、ご立派だと思います!」
ほら、好感度アップしたろ?
もしこれが正直に言っていれば、
「遥人……チッ、さまぁ? ふーん、そ~なんれすかぁ?
ま、あっしにはぜ~んぜん興味ないっすけどぉー(鼻ほじー)」
という反応が返ってきていただろう。間違いない。
「ねえ。これちょっと味見してにゃん」
背中越しに声がしたので顔を上げると、猫耳お姉さんが後ろに立っていた。
手には小さな皿を持っており、それを俺に押し付けるように渡してくる。
見ると、琥珀色の澄んだ液体が揺れていた。
『昇天天馬ごちゃまぜ風』
のパワーワードと共に、処女厨のペガサスが頭を駆けて行ったが、男は度胸だ。
それを受け取ると、覚悟を決めて一気に煽った。
「……!? こ、これは!?」
旨い。
みそ汁のようであり、中華スープのようであり、ミネストローネのようであり、
……すまん適当言ったわ。
とにかく、食べたことのない味だった。
でも旨いのは本当です。
「どうにゃ? あたしの作った料理は旨いにゃん?」
「旨いです。それも凄く」
正直な感想を述べた。すると、
「もう! タビーさんったら! 遥人様にはちゃんと敬語を使ってください!
あと遥人様! 私だって、料理は得意なんですからね!」
何故か千沙が怒ってしまった。
猫耳お姉さんはタビーって言うのか。
やっぱり、漢字なのかな? どういう字を書くのだろうか。
「別にいいよ。俺の方が年下なんだし」
「本人がこう言ってるんにゃからいいのにゃ。なっ? 遥人?」
そこまで馴れ馴れしくしていいとは、誰も一言も言っていないのだが、
全然不快じゃないし、むしろ嬉しいのでそのままにしておく。
「だ、だめです! 年下でも、遥人様は神様なんですし、殿方ですし、
よ、呼び捨てだなんて、そ、そんな! そんなことはダメなんです!」
千沙は凄く動揺していた。
感情が顔に出やすい彼女だ。顔には怒りと動揺がはっきりと見てとれた。
「神様じゃないし、そんな敬られるようなこと何もしてないからさ。
別に畏まってもらわなくてもいいんだよ」
「そ、そんなことは——」
「だから、千沙も普通に話してよ。様付けも敬語もいらないからさ」
「だめで——えっ?」
まるで彼女だけ時を止められたかのように、ピタリと制止した。
ぶんぶん振り回していた腕も、宙で固定されている。
霊術か何かで本当に時を止められたのではないかと俺が心配になるくらい、
長い時間停止したあと、表情だけが変化しだした。
嬉しそうな、悩んでいるような、表情を隠したい、でも隠せない。
ああ。やっぱり嬉しい、といった具合にコロコロ表情を変えたあと、
「あの……敬語はどうしても……なので、は、遥人……さん。
こ、これでよろしい……でしょうか?」
顔を赤く染めて、、顔の角度は斜め四五度、上目遣いの涙目、
ほんのり上記した柔肌、さらにダメ押しとばかりに遠慮がちな口調と、
怒涛の役満を決めて彼女が言った。
だから俺は、親指を立ててこう返すのさ。
「完璧だ」
「遥人くん。ぱぁふぇくと、とは、一体どういう意味なのかな?」
いつからそこにいたのか、俺の右隣には当たり前のように、
五味先生が涼しい顔で着席していた。
彼の存在感がどうにも薄く感じるのは、霊術を使用しているのだろうか?
「完璧、という意味ですよ」
「ほう、完璧とは、何に対しての言葉なのだい?」
「千沙が凄く可愛かったから、つい口から出てしまった言葉です。
深い意味とかはありません」
ボンッ!
左隣で何かが爆発した。
「かかかかかわいいって、なななななな何を!? ふ、ふええあ」
五味さんの出現を切欠にするように、食堂には次々と人が集まってきた。
二人仲良く手を握って現れた喜多見とレイチェル。
一体何があったのか、全身泥まみれで入って来た虎と凛
(泥を落としてから入れと注意したら、十秒で綺麗になって帰ってきた)
それに——
「こんばんは」
姫様。
「えええええええええ!? ひひひひひ姫様!?」
俺の言葉ではない。地球組以外の言葉だ。
皆、一様に驚愕し、即座に床に片膝をついて頭を垂れた。
最初から俺に溜口だったタビーさんも、厨房から慌ててかっ飛んできて、
ほとんどスライディングするように同じポーズをとっている。
驚いたのは、地球出身の、喜多見、レイチェル、凛、クソガキまでもが、
それに倣って神妙に跪いていることだ。
一人だけ目線が高くなったのに気付いて、俺も慌てて椅子から降りる。
「いいのですよ。どうか楽にしてください」
だが、誰一人楽にしないので、姫様は困ったような溜息をついて
「顔を上げてください。遥人様」
「えっ? あっ……ああ」
顔を上げた眼前に、姫様は両手で大事そうに抱えた何かを差し出してきた。
赤い布に包まれて見えないが、何か細長いもののようだ。
「どうぞ。受け取ってください」
言われて、それを恭しい動作で受取る。
持った瞬間にわかった。これは——
「刀……」
布を取り払うと、中から現われたのは、目貫された黒い柄に、
鉛色の唾、紅色の鞘に包まれた——日本刀だった。
「この国では、男性も女性も、成人は帯刀することになっているのです」
そうだ。五味先生も千沙も、タビーさんも、
——姫様ですら、腰に一本の刀を差している。
「何故かわかりますか?」
優しく語り掛けてくる姫様に、俺は少し考えて、それをやめた。
こういうものは、考えるのではなく、感じたままを伝えるべきだろう。
「……大切な物を守るため、とか?」
「そうです。しかし、その刃は、大切な物を守るものであると同時に、
誰かの大切な物を傷つけるものにもなり得るのです」
姫様の言う通りだ。
力とは、使うもの次第でどうとでもなる。
正義も悪もリモコン次第なのだ。
「帯刀することは、責任を負うことです。力を持つことの責任を」
俺は姫様の話しを黙って聞いた。
透き通っているのに、何故か力強い、不思議な声だった。
「遥人。あなたに問います。あなたが信じるもののため、
殺し、殺される覚悟があるのなら、あなたの刀を抜きなさい」
姫様の口調が、穏やかなものから、厳しさを感じさせるものへと変わった。
少女の身体から発せられているとは思えない、凄まじい圧力を感じる。
でも、突然覚悟と言われてもな。
そうだ、今日は何もかもが突然だった。
突然異世界に来て、先生になって、いつのまにやら大人になって……。
正直さ。
人を殺すとか殺されるとか、ぶっちゃけよくわかんないんだよ。
でも——
「姫様。正直に言うとさ、俺、責任とか、覚悟とか、人の生き死にとか、
全然実感も湧かないし、よくわからないんだ」
姫様は何も言わない。
何となく、みんなが、俺の言葉に耳を傾けているのが空気でわかった。
「でも、困ってる人がいたら何とか助けてあげたい。それじゃあだ——」
「よろしい。抜きなさい」
確信の込められた、短い一言。
曇りのない、真っすぐな瞳が俺を見つめていた。
その眼は、俺の眼球とか、水晶体とかを見ているんじゃなくて、もっと、
奥の奥にある何かを見つめている気がした。
俺は、その眼を見つめ返しながら右手で柄を握り、左手で鞘を持った。
ゆっくりと、鞘から引き抜いていく。
現れた刀身は、乳白色の結晶の様だった。
光に当たって、僅かに反射をみせるそれは、透き通ってもいないし、
濁ってもいない。見る様によって、如何様にも色を変える、そんな色。
やがて、俺が刀を抜き終えると姫様は口を開いた。
「刀を振るうは腕に非ず。心しておきなさい」
「わかりま……わかりました?」
「納刀を」
「——はい」
抜いた時と同様、ゆっくりとした動作で刀を収めた。
「銘は『刃桜』。
あなたの刀が、常に正しき心と共にあらんことを、切に願います」
「それはわかっ……うわっ!」
突然姫様が胸に飛び込んできた。
「遥人様。どうか……。どうか、よろしくお願いします」
「わ、わかった……りました」
それだけ絞り出すように言うと、すぐに姫様は俺から離れた。
一瞬俺の胸で、酷く辛そうな表情が見えたのは気のせいだったのだろうか。
今、俺の目の前で静かに佇む姫様は、穏やかに微笑んでいる。
「ふふっ。お食事前に申し訳ありません。
先ほど出来たばかりのあなたの刀を、早くお渡ししたかったものですから」
ペコリ、と、頭を下げてお姫様は踵を返した。
どうやら、突如として食堂で始まった俺の成人の儀は終ったらしい。
お姫様が食堂から出て行った瞬間、同僚や生徒たちにもみくちゃにされた。
「遥人さん!? なんで姫様と抱き合って……なんでぇ!?」
「と、とにかく、おめでとう遥人くん! 成人祝いだ、今日は飲もう!」
「あかんのにー! 先生はまだ二十歳なってないからあかんのにー!」
「おっさんが飲まねえなら、俺がその酒もらってやるぜ!」
「お前、このばっかやろ! 十歳で酒に手を付けていいと思って——」
「隙あり! いっただきにゃ! ぷはー! うんめえ!」
「ちょっとタビーさん!? あなたいつの間に!?」
「先生、絶対飲んじゃだめですよ。飲んだら私、軽蔑しますから」
「……私も…………ダメだと思います」
なんか、今日は俺の人生史上、類を見ないくらい色々あった。有り過ぎた。
この世界は決して、俺が望んだ異世界ものじゃなかったけれど、
それでも、この世界で初めての食事は、騒々しくて、無茶苦茶で、楽しかった。