帰らずの森
森の中は木立が密生していて、どこからも日は差し込んでこないため、まだ昼だというのに薄暗かった。
「大気中の霊素が濃いですね。怪物が多いというのも納得です」
俺の後ろを歩く千沙が言った。
俺たちは一列の隊列を作って蹄の後を追跡している。
先頭が校長。次にクソ雑魚ナメクジ。三番手は千沙。殿はタビーさんだ。
校長は何も言わないが、霊素の残っていない千沙と単純に弱い俺を中心にしているのは、俺たちを守るためだろう。
「化け物の匂いがプンプンするぜ」
匂いなんてしないし、獣の声も、虫の声すら聞こえないが、俺を覗くパーティメンバーは何かを感じているのだろうか。
霊素が濃いとか俺にはわかりません。
「馬を見つけたぞ」
先頭を歩く校長が言った。
どこか深刻なトーンに感じるのは、俺が神経質になっているからか。
「うっ!」
思わず目を背けてしまった。
確かに校長の言う通り馬がいた。
血だまりの中に、馬の脚だけが一本、残っていた。
「虎の足跡を探せ」
呼吸を落ち着かせながら地面に目を凝らして、虎の小さな足跡を探すが、あるのは蹄の後と、蹄より遥かに巨大な何かの足跡だけ。
虎の足跡がないということは、虎は馬と一緒に——
嫌な想像は、被りを振って追い出す。しっかりしろ、俺。
「ありました。ここです」
千沙の言葉に歩み寄ると、確かに小さな運動靴の痕があった。……よかった。
「……奥に続いているな。行くぞ」
今度の足跡は馬の者より遥かに追うのが難しい。
それでも、校長は目を皿にして進んでいく。
代わりに前方を警戒する俺の責任は重大だ。
目を凝らしていると、遠くで何かが木々の隙間を横切ったのが見えた。
シルエットしかわからなかったが、その大きさは
「何かがいます! 大きいです!」
注意を促す。全員が抜刀し、それぞれが光の剣を構えた。
俺の手には銀色の刃。
と、巨体が大地を踏み荒らす足音は聞こえないが、木々が揺れ出した。
緑の葉が舞っている。揺れているのは、巨木だ。こんな巨木が揺れることなど――
「上だ! 来るぞ!」
校長が叫んだ。
葉と一緒に、何かが降ってきた。
それは千沙を狙っていた。
彼女を抱きかかえて横に跳ぶ。
肩から地面に落ちて痛かったが、そんなことはどうでもいい。
一瞬前まで千沙が立っていた位置には、巨大な猿がいた。
逆立った白い毛に、赤い双眸、両手を地面につけた前傾姿勢にも関わらず、2メートルはありそうな猿が、牙を剥きだして獰猛な唸り声をあげている。
その猿が、遥かな高みから俺を見下ろしていた。俺の背丈の倍はある。
「穿て!」「切り裂け!」
校長とタビーさんが、ほとんど同時に術を発動させた。
巨猿の両側から、宙に横一列に並んだ氷の槍と、落ち葉を舞わせながら突き進むかまいたちが殺到した。
しかし、巨猿は地面を爆ぜさせながら跳んで、それを回避してみせた。
そのまま空中で巨木の枝を掴み、他の木へ移る。
それを何度か繰り返して、巨猿の姿は見えなくなったが、まだ諦めていない。そんな気がした。
「馬をやったのもあいつか!?」
「いや、あいつには血の跡がなかった。別のやつだろう」
「かなり強力な怪物のようですね」
「あいつはまだ諦めてな――来ました!」
早速二度目の襲撃をかけてきた。
俺たちの直上をとったことから、知能が高いのかと思ったが、今度は普通に走ってきた。二足歩行で。
「ハッ!」「にゃ!」
巨猿は、氷の槍とかまいたちの弾幕を右に左に跳んで何度か回避したが、ついに氷の槍に胸を貫かれ、沈黙した。
屈強な戦士でも、力を活かせなければこんなもんだ。
「よし。追跡に戻ろう」
派手に霊術を撃ちまくっていた校長とタビーさんの顔に疲労は見られないが、残りのMPが心配だ。この二人が先頭不能に陥れば、文字通り、帰らずの森からは帰れないだろう。
その後、何度か怪物の襲撃があった。
人に似た顔をした、三本角の鹿――、
ビッグライト当てましたみたいなお化けトカゲ――、
俺の腰くらいまである背丈の蜘蛛——、
それらを主に俺以外が撃退し、二匹目の巨猿に止めを刺した時だった。
森の奥から甲高い虎の絶叫が聞こえたのは。