クソガキの逆襲
「遥人くん。朱色に黒い羽織が良く似合っているね。
ところで……昨日、頭でも打ったりしてないかい?」
「ええっ? そんなことないですよ~」
元気に出勤した俺が超絶上機嫌なのを見て五味先生がいった。
全然俺の言うことを信じていない眼をしているな。
まあ、頭も殴られたけどさ。
あっ、一つ言っておくけど、俺はまだ君たちの仲間、サクランボーイだ。
昨日はキスだけ。そのあとはお互いに真っ赤になっちゃって、
なんか気まずくって、朝も、千沙はすっげえよそよそしいし。
でも……柔らかかったなあ。
「う、うおっ!? は、遥人くん。どこかおかしければ、すぐに言うんだよ」
俺が脈絡なく破顔したのにビビった五味先生が気遣ってくれた。
そんなに引かなくてもいいじゃないですか。
「はい。五味先生、そろそろ移動しましょうか。
これから校庭で霊術の授業ですよね?」
俺は五味先生に向けて最高の笑顔でほほ笑んだ。
俺の胸中とは裏腹に、授業は地獄絵図だった。
俺が負傷して全力で動けないのをいいことに、ここぞとばかりに虎と凛が好き放題暴れ出した。
千沙も協力に駆け付けてくれて、三人で事態の収拾に励んだものの、
小型の台風と野生の虎は、子供ならではの狡賢さと炎と水を駆使して、
俺たちから逃げ回った。
「は、遥人くん! 頼む!」
凜の作った水龍に呑まれて、死にかけながらも何とか脱出した五味先生が言った。
俺の前方一〇メートル先で、五味先生が液状化させた地面に足を取られて凛がもがいている。
駆け寄る俺と自分の間に巨大な水の壁を作り出したが、関係ない。
臆せず突っ込むと、水の壁は光になって霧散した。
「この……ばかちんがぁああああああ!」
俺の、『男女平等体罰上等PTAかかってこいよパンチ』が凜に炸裂した。
その時――
ひひーん!
馬の嘶く声。まさか——
「やっべ! 見つかった!」
校庭の隅、本来なら倉庫でも有りそうな位置には、馬小屋がある。
そこで飼育されている内の一頭に、虎が跨ろうとしていた。
不味い。
慌てて同僚二人を見るが、五味先生は地面に突っ伏して動かないし、
千沙はMP切れでもう霊術は使えない。
改めて、無尽蔵の燃料を持つこの子供たちの強さを思い知らされた。
「っしゃあ! って、うわああああああああああ!」
何とか馬の背に乗った虎だったが、馬を全く制御できないようだった。
馬は駆け出し、俺たちの前を通り過ぎて行った。
その先には門があるが、今は固く閉じられている。
霊術の効かない鋼鉄製の門だ。
――と、
「おーっす! 元気に授業してるかー?」
門が開いて校長が現れた。最悪のタイミングだった。
「た、助けてえええええええ!」
門番の二名と校長が反応する間もなく馬は門を飛び出すと、そのまま駆けて行った。
――
「すみません。あいつらに授業をしっかり受けさせるのは、俺の仕事なのに……」
「いや、遥人くんは悪くないよ。怪我した体でよくやってくれた。悪いのは僕さ」
「いえ、私にもう少し霊量があれば、あそこで虎くんを捕まえられたんです」
職員室で、俺たち三人は一つだけ離れた位置にある大きな机に椅子――
校長席で佇む校長に言った。
「まあ、起こったことは仕方ないじゃん。それじゃあ、探しに行くとするかね」
校長は立ち上がり伸びをした。
「行くぞお前ら」
校長は言って、廊下に出た。
それについていくのは、俺、千沙、五味先生、タビーさんだ。
生徒たちは二階の居室で待機させている。
廊下には、彼らの監視役とし六笠のじいさんが座り込んでいる。
まあ、落ち込んだ凜の様子を見るに監視は必要なさそうだったが……。
本来は俺がその役目をするべきだが、爺さんには外に出て子供たちを探す体力がないらしい。
爺さんがめちゃくちゃ強いのは、有限である霊素を消費して得る一時の強さだ。
廊下を歩いていると、突然校長が足を止めた。
「……遥人、お前は六笠先生と残れ」
「俺も行きます」
「幾ら虎が強いといっても、手練れがこれだけいれば問題なく捕まえられる。
道中怪物がでるかもしれないし、悪人に襲われるかもしれない。
遥人、弱いお前は外に出せない」
校長にピシャリと言われた。
言っていることが正しいのはわかる。
俺は自分の身も自分で守れないクソ雑魚ナメクジなのだ。
要は足手まといの面倒なんて見れないから、お前は大人しく留守番してろってことだ。
——それでも、
「俺だって、あいつの先生です。だから、行かせてください」
まだ十歳の子供を、一人にしておきたくなかった。
校長の俺より小さな背中から、迷いが伝わってきた。
「お前に何かあっても、助けないぞ?」
「はい」
諦めたような、呆れたような、そんなため息。
みんなは、心配そうに話しの行方を見守っていた。
「……わかった。ついてこい」
「ありがとうございます!」
校舎を出ると、校長は馬小屋へ向かった。
全部で馬は8頭、今は1頭減って7頭。
誰も彼も、苦も無く馬に跨っていくので、俺は焦った。
乗馬経験などない。仕方なく、千沙の後ろに乗せてもらう。
ちょっと情けないが仕方ない。
しかし、女の子と二人乗り初体験が、自転車ではなく馬になるとは夢にも思わなかったな。
「よし! 出発だ!」
校長の言葉を皮切りに、次々と出走。おお、揺れる揺れる。
虎の脱走後、開けっ放しになっている門を通る際、門番が叫んだ。
「南西の方角に駆けていきました!」
「わかった! 留守を頼む!」
馬が進路を南西にとった。実際はどうなのか知らないが、多分そうだろう。
それにしても、方角の呼び方まで一緒とは、本当にこの異世界は俺たちの世界と似すぎているな。
何か理由とかあるのだろうか。
「ちょっとヤバいかも! 南西って言ったら、帰らずの森の方にゃ!」
タビーさんが声を張り上げた。
帰らずの森だって?
少なくともRPGならレベル1で入ってもいい場所ではないだろう。
やばい。俺がやばい。
「強いとはいえ、知識も経験もない子供だ! 急がないと!」
五味さんが答えた。
そうだ。
幾ら屈強な戦士でも、背後から忍び寄った毒蛇に噛まれたら死ぬだろう。
強くても、その力を発揮できずに死ぬことなど、多々あるのだ。
「遥人さん! 速度を上げます! しっかり掴まっててください!」
え? これって全速力じゃなかったの?
慌てて俺は千沙の細い腰にしがみ付いた。あ、いいです。これ。
馬が速度とともに振動を増した。
油断してたら落馬したかもしれない。あぶねえ。
風が千沙の長髪をなびかせている。
馬に乗った、美少女というのは実に絵になる。
君はジャンヌダルクか鶴姫か。
おっと、見惚れている場合じゃない。
「帰らずの森ってどんなところなんだ?」
これから行くかもしれないところだ。情報は大事だ。
「とにかく怪物の発生が多い森です。
老いたり病に伏せたりした人を捨てたという伝説があり、
そこから帰らずの森と呼ばれているらしいです。
怪物が多いのも、捨てられた人の怨念の影響だとか……」
なるほど。姥捨て山ならぬ、姥捨て森か。超怖えわ。
「かなり深い森で、迷ったら厄介なのと、怪物が多いので、特別な事情がない限り、近寄る人はいません。前回、森の怪物の一斉駆除が行われたのが50年前なので、怪物が大量にいると思います」
わかった。これ終盤に来ることになる場所だわ。
魔王城に行くために抜けなければいけないとかいう感じのやつ。
「でも、腕利きが四人もいれば、怪物が幾らいようが……」
当然四人の中に俺は数えていない。
「安心はできません。帰らずの森から現われた強大な怪物が、近くの村を滅ぼしたという伝承があります。
……それに、私と五味先生は、もう体内の霊素がほとんど残っていません」
そうだ。二人は無尽蔵のMPを持つクソガキに対抗するために、
校庭の半分を凍らせたり、
地面を液状化させたり、
暗黒面に堕ちたみたいに手から電撃を出したり、
世界記録を余裕で更新できそうな速度で走ったりと、
体内の霊素をふんだんに使いまくったのだ。
霊素の回復には時間と休息が必要らしいから、まだほとんど空のはずだ。
……もしかして、今は俺と同じくらいの強さなんじゃないか?
「真丗抜刀は出来ますから、そこらの怪物には負けませんが……」
まあ、俺と同じくらいの強さなら校長が連れて行きませんよね。
「霊素が空になっても、真丗解放は出来るんだっけ?」
「はい。本当に霊素が空になるのは、死んだ時だけですので、常に真丗解放はできます」
俺は霊術の凄さを目の当たりにして、この世界は剣士より魔法使いの方が圧倒的に強いのだと思ったが、
どうやらそうではないらしかった。
真丗解放――本来の力を発揮した刀の威力は凄まじい。
大木をバターのように切り裂くだけではない、その刃は、霊術を打ち消すのだ。
例えば、千沙は先ほどの戦いで、自分の背丈よりも大きい虎のファイヤーボールを両断してみせた。
何でも、輝く刀身には霊素を打ち消す作用があるらしい。
お分かりいただけたであろうか?
霊術が効かないという、俺の唯一のアドバンテージが揺らぎかけていることを。
まあ実際には刀で霊術を捌くには達人級の腕前が必要らしいし、霊術を回避できない時の緊急手段くらいのものらしいのだが。
お気づきいただけたであろうか?
千沙が達人級の剣士だということに。
マジで凄いなこの子。俺の付き人なんてしてていいのだろうか?
「……見つけた! 蹄の後だ!」
突然、先頭を駆けるタビーさんが叫んだ。
確かに、地面には微かに蹄のあとが見える。
ただ、走る馬に乗って、これを見付けるってどんな神業だよ。
これも何らかの霊術の成せる業なのだろうか。
俺たちは蹄の後を追って駆けた。そして、悪い予感は的中した。
「マジでこことはね。仕方ない。馬はここに置いていくよ」
俺は、苔むした巨木がおい茂る森林を見上げていた。
厚く生えた木々が先を見通すことを困難にしている。
その様は、侵入者を拒絶しているようでもあり、誘いこんでいるようでもある。
悪い予想は当たるももので、蹄はやはり、帰らずの森に続いていたのだ。
見るからにヤバそうな雰囲気がプンプンしている。
校長ですら、軽口を叩いていない。
「五味ちゃん。馬の番をお願い。
日が落ちても私たちが戻らなかったら、城に行って救援を呼んできて。
あと遥人、刃桜と一緒にこれを差しておけ。必要になる」
五味先生は、ほっと胸を撫でおろした。
この森に入れと言われたら、俺だって嫌だ。
でもクソガキに説教するためには仕方ない。俺は行く。
「警戒を怠るんじゃあないよ。死にたくないならね」
俺たちは帰らずの森へと足を踏み入れた。