ファーストキスは異世界で
「遥人くん、酷い顔だが、大丈夫か?」
食堂で俺の左隣に腰かけた五味先生が
『火鼠の地獄焼き~お好みで零味唐辛子を振りかけて~』
を箸でつつきながら聞いてきた。
「酷い顔なのは元からだよな? ぎゃはは!」
俺がカッ! と目を開くと虎は黙った。
「先生は酷い顔なんかじゃないから!」
「……かっこいいし、美人……」
可愛い方の生徒二人がクソガキに反論してくれる。
元の世界ではイケメンなんて言われたことなかったが、俺はこの世界ではイケメンだった……!?
いや、俺の容姿を褒めたのは地球組だったわ。
「大丈夫ですよ。ちょっとした打撲程度です」
3人がかりでタコ殴りにされたが、相手は女性だ。
大してダメージはない。……嘘です。なにあの子たちの腕力? ゴリラにでも育てられたの?
「それより、校長はもういないんですね」
「そうよ。どっか行っちゃった」
給仕が終わったので、食事にとりかかったタビーさんが言った。
それなら一安心だ。
凜が台風なら、校長は超大型ハリケーンだろう。近くにいるだけで暴風に巻き込まれる。
「おぬし、負けてきたのか?」
俺の背後から声がかかった。……誰かいる。
だが、誰かわからない。
だって、生徒も教師も全員食堂にいるじゃないか——いや、一人思い当たった。
振り返ると、枯れ木のような老人がいた。
長い白鬚が、顎からおへその辺りまで伸びている。
座った俺とそう変わらない目線、枯れ葉のような色をした和服、手には杖をついていた。
「六笠先生!」
五味先生が言った。
やっぱりそうだ、自室に引きこもっている爺さんがやってきたらしい。
「初めまして、昨日からここで教師をしております、新谷遥人と申します。よろしくお願いします」
俺は立ち上がってにこやかに言った。
どうだ、大人っぽく見えただろう? 子供たちよ。
これで俺の評価はストップ高やでえ。
「ふむ。勝利した男の顔じゃの。しかし、傷だらけじゃわい」
耳が遠いのか、ぼけているのか、静かにスルーされてしまった。
爺さんは何やら俺の顔をみてぶつぶつ言っている。
「おぬしのことを強くするよう、小娘に頼まれておる。ついてこい」
小娘? 校長のことだろうか。
爺さんは現れた時同様に、唐突に去っていった。
「ま、待って下さい! 遥人さんは怪我をしていて……」
その後を千沙が追いかけて行った。
……ええ……。
着いていかないといけない系?
仕方なく残りの飯をかっこむと、俺は爺さんの後を追った。
「遥人くん。死ぬなよ?」
去り際に五味さんに怖いこと言われた。
おいおい、大げさだな。
外に出ると、爽やかな風が頬を撫でた。
夜空には、都会では絶対に見られない明るさで星々が燦然と輝いているので、少し先程度なら問題なく見える。
「かかってくるがよい」
校庭の真ん中で俺を待ち受けた爺さんが、静かに言った。
自信満々という調子でも、何でもない、気楽な言い方だ。
てっきり素振りでもやらされるのかと思っていたから、これは予想外。
……かかってきなさいと言われても、困ってしまう。
爺さんは抜刀すらしてないし、虎より小さく、触れば折れてしまいそうな相手とどうして戦えようか。
「こんな老人相手に戦えない。そう考えているのじゃろう?」
ズバリその通りです。
「まずは教訓其の一じゃ。相手を見た目で判断することなかれ」
「なっ!?」
爺さんの姿が消えた。俺は視線を外してはいなかった。
なのに、消えてしまった。
霊術か!? いったい、どういう——
「がっ!?」
肩に鋭い痛み、爺さんが俺の左肩に乳白色の刃を打ち込んでいた。
「儂が本気で打ち込んでおれば、おぬしの左腕は使い物にならなくなっておったぞ?」
「……っこの!」
右の拳で殴りつけようとするが、拳は宙を切った。
――まただ。消えてしまった。
「真剣さが足りぬな。なら、これならどうじゃ?」
背後から声がした。
振り返ると、校舎入り口の脇に立った爺さんの隣で、
人がすっぽりと入りそうな大きさの、巨大な水の玉が浮かんでいた。
……いや、実際に人が入っていた。
千沙が、巨大な水の玉でもがいている。
「わしに一太刀浴びせられたら女子を出してやろう。
余り時間はないぞ? どれだけ息がもつじゃろうの?」
「彼女は関係ないでしょう! やり過ぎです!」
「お前やお前の大切なものに刃を向けるものが、
いつも正論を言って聞いてもらえる相手だといいのう」
爺さんは顎髭に手をやり楽し気に言った。
その間も、千沙は苦しそうにもがいている。
――やるしかない。
「やったらああああ! うおおおおおおお!」
抜刀、構えも何もない。ただ、右手に柄を握りしめて疾駆する。
「ほっ! 目の色が変わりよったわ! それでこそじゃの!」
爺さんも口元に笑みを浮かべながら、俺へと駆け出した。
老人と思えぬ速度だ。
俺たちの距離は急速に縮まる。接敵、衝突。
「あああああ!」
「悪くない打ち込みじゃぞ! 小僧!」
鍔ぜりあい。
明らかに体格で劣る老人の、この膂力は何だ?
「せいっ!」
刀を弾かれた。絶対に間違えられない一瞬の判断。
左手を柄から離して殴りつけることに決める。
「くっ」
おれの拳骨は、爺さんの刀の柄の底部で阻まれた。
鉄と骨がぶつかって、骨が折れたか——熱く鋭い痛み。だけど、
「うおおおお!」
体当たり、爺さんがバランスを崩した。——ここだ!
「っらあ!」
俺の渾身の一太刀は、だが、闇を裂いただけだった。
爺さんの身体はまるで見えない手に引っ張られるかのように後空へとスライドしていった。
「面白い戦いをするわい」
そういう爺さんは、地面から3メートル程浮いていた。
おいおいそれは反則じゃないですかって。
「何を驚いておる? 教訓其の二じゃ。あらゆる可能性を想定せよ」
無理無理、かもしれない運転じゃないんだから。
爺さんが急に空飛び出すとか想像できませんって。
「さて、これからが本番じゃぞ? 精々足掻いてみせよ。
真丗解放。燼火、制圧せよ」
刀が熱され、赤くなり、さらに熱され、白熱する。
ただの木刀だったそれは、今や超高温に達しており、
刀の周囲の空間を歪めて見せてるほどに、滾っていた。
「隙あり、じゃな」
爺さんの姿が消える。いや、今度は微かに姿が追えた。
空中をジグザグに飛びながら接近してくる爺さんの姿が迫る。
接触するかというところで、爺さんが軌道を変えた。
――左。
その動きに辛うじてついていけたのは目だけで、俺がガードするよりも早く、
人体を豆腐のように切り裂く白熱する刃が俺の左肩から体に侵入して――
「いってえ!」
真丗解放したはずの殺意溢れる刃は、俺の左肩に痣を増やしただけに終わった。
ちょうど痣が出来ていたところなので痛さ、倍増である。
「驚いたの。こやつ、平然としておるわ。
触れただけで心の臓まで焼き尽くす、業火というのに」
「確か、高温の物体が白熱するのって、1300度くらいからだったよな。
爺さん、そんなものを人の肩に乗せるなよ。危ないだろ」
俺は左肩に乗っかる白熱した刀を素手で払いのけた。
「ふむ。それはそうと、おぬし――」
「オラアッ!」
爺さんの言葉を遮って、俺のパンチが爺さんの鼻頭に突き刺さった。
これは、千沙の分じゃボケ。
「教訓其の二だクソじじい。油断大敵。さあ、一発浴びせたぞ?
さっさと千沙を解放してくれ」
のけぞった爺さんにもう一発。これも千沙の分じゃボケ。
「ほっときて、ほい」
俺の右ストレートを、爺さんは脇に抱えるように捕まえると、
そのまま腰を落として俺の肩の関節を固定した。
「いでででででで!」
「本当の教訓其の二を教えてやろう。勝って兜の尾を絞めよ、じゃ」
「六笠先生! 怪我をさせないって約束で協力したのに!」
組み合っている俺たちに駆け寄りながら、千沙が怒鳴った。
大きな目の淵には涙が堪っている。
ていうか、グルだったんかい! 自力で脱出できたんかい!
「む、むう。今日はこのあたりにしておこう。傷を癒しておけ。
また明日の夕食後、続きをするぞ」
以外にも女の涙には弱いらしい爺さんは、校舎の中へ戻っていった。
「遥人さん、大丈夫ですか?」
「いや、大丈夫? だよ」
千沙に肩を貸してもらいながら、俺たちも校舎へ戻った。
アドレナリンによる麻酔が終わったのか地を踏みしめる度に、体が激しく痛み、脂汗が噴き出てくる。
そういえば、保健室とかあるんだろうか? 白衣を着た新キャラの美女がいたりしませんか?
「部屋で早く手当しましょう」
あっ。ないみたいですね。……それにしても、だ。
「霊術って凄いね。空まで飛べるなんて」
「あれが出来るのは恐らく六笠先生だけです。私でも小さなものくらいは浮かせられますが、自分自身を浮かせるなんて、とてもできません」
よかった。クソガキが空から襲撃してくるようになったら、たまったものではない。
「凄い力してたけど、あれも霊術の影響?」
「はい。あれも超高等霊術で、筋肉の動きを霊素で補助しています。私が知る限り、四人しか扱う者のいない霊術です。不完全なものなら、私も扱えますが」
俺は、着物屋で見せた超高速の千沙の一閃を思い出していた。
あれも、きっとそうなのだろう。
……なんだか、聞けば聞くほど切なくなる。
だって、俺は絶対に使えないんだもの。
チートで無双したかったなあ。
ほうぼうの体で部屋へと戻ってきた俺は、千沙に服を脱がしてもらった。
体中の痛みと、爺さんに打ち込まれた左肩が上手く動かないから仕方ない。
指は腫れて血が滲んでいたけど、骨が折れたわけではないようで、安心した。
でもたぶん、ヒビは入っている。
「うわあ……」
改めて見ると、俺の身体はボロボロだった。
青紫に内出血した部分が目に付く。
折角服を脱いだのに、これでは『ゆうべはおたのしみでしたね。』は出来ないだろう。はぁ。
「酷い怪我ですが、大丈夫です。治癒の霊術ですぐに完治しますから。少しの間、動かないで下さいね」
千沙は、俺の負傷箇所に手をあてると、目を閉じた。
(凄いな。治癒の霊術もあるんだ。ヒーリング! って感じか)
でも、別に何も感じない。
感じるのは、彼女の手のひらを通して伝わってくる体温の暖かさだけだ。
「……ごめんなさい。遥人さんは霊術が効かない体質だというのを、すっかり忘れていました」
だよね。
困ったことに、俺以外の全ての人間が霊術を扱えるこの世界では、打撲の薬なんてほとんどないらしい。
というわけで、俺は濡らしたタオルで千沙に患部を冷やしてもらうしか出来なかった。
まあ、大満足だけどね。
「明日は爺さんに一太刀くらい浴びせられるといいんだけど」
布団にうつ伏せになって、背中を冷やしてもらいながらぽつりと呟いた。
「え? 明日もやるおつもりなんですか?」
何故か驚いたような千沙の声。
「もちろん。だって、強くならないと、大切な物を守れないだろ?」
別に世界最強になれるなんて思ってないけどさ、最低限の強さは欲しい。
刃桜をもらった時に姫様が言っていた、守るための強さを。
「ほら、俺ってめちゃくちゃ弱いからさ」
「……遥人さんは、強いです。——とても」
いやいや、きみの百分の一くらいでしょ。マジで。
「仰向けになってください」
言われたままに、くるりと半回転して仰向けに。
それだけでも痛みが響いてくる。
……仰向けになったら、千沙の顔が目の前にあった。
長い髪の毛が、俺の顔や肩にかかる。どこか惚けたような彼女の目が迫り、濡れたように瑞々しい唇が——。
一秒、二秒、三秒――もうどうでもいい。
体の痛みも、どこかへ行ってしまった。
俺のファーストキスは異世界でした。
小春ちゃん。結婚式の衣装、いつか頼むね。