娑婆の空気はやっぱり旨いっすわ
凄く不満そうな吊り目のお姉さんから刃桜を返してもらい、俺は大きな木製の両扉から出た。
やっぱり娑婆の空気は旨い。
「遥人さん!」
扉のすぐ外では、兄弟たちが待っていた。
一番に駆け出してきたのは千沙だ。
「ちょっと、俺汚れてるから……」
千沙は、俺の言葉を無視して、服が汚れるのも構わず抱き着いてきた。
「ああ……。こんなにボロボロになって、ごめんなさい。ごめんなさい」
どうすればいいのかわからず、その頭を撫でてやった。
「話は聞いたよ。やるじゃないか」
校長が俺たちに歩み寄りながら言った。
「先生、お体は大丈夫ですか?」
「……凄く痛そう………」
「うっわ、ぼろっぼろやなあ。よお千沙先生もこんなんに抱き着けるわ」
「…………(にやつきながら無言で、俺の腫れあがった頬をつつく)」
可愛い生徒たちが俺のお勤めを労ってくれた。
「遅くなっちまった。さあ、さっさと帰ろう」
安心して気が抜けたのか、校長の言葉が一瞬の内に遠のいていく。
足が体重を支えられなくなり、俺は力なく千沙にもたれかかった。
遠のく意識が最後に捉えたのは、
「えっ? 俺のせい? 俺がつついたから?」というクソガキの言葉だった。
「う……」
「おはようございます。遥人さん」
ボンヤリとした意識、千沙の声が、遠くで聞こえるような、近くで聞こえるような、ふわふわした感じで聞こえた。
「う……うわぁ!」
全然近かった。
どれくらい近いかと言うと、俺の耳に千沙の唇が触れそうになるくらい。
異常事態に強制的に意識が覚醒し、飛び起きた俺が見たのは……同じお布団で身を横たえながら俺を見上げる千沙、そして身を起こした俺の上半身は裸だった。
「あ、あれええええええええ!?」
おはよう童貞諸君、私は先に卒業させてもらったようだ。
はっはっは。
ではなくて、残念なことに千沙はちゃんと部屋着を着ているし、俺もパンツは履いていた。
ここは、俺と千沙が同棲生活を送っている愛の巣だ。
意識を失っている間に学校へと帰ってきたらしい。
「お体は大丈夫ですか?」
「ひゃい!」
言いながら、千沙が俺の胸板に手を這わしてきたので、思わず変な声がしてしまった。
な、何だ!? 何かエロいぞ!? そういうことか!?
「私のために……こんなお怪我を」
どうも俺の身体に出来た痣に優しく触れているらしい。エロい感じではなかったわ。
「いや、好きでやったことだから。それより俺こそ、折角選んでもらった衣装を汚しちゃってごめん」
首を振る千沙。
「私、……男の人が嫌いだったんです。ううん、今も」
俺より低い位置にある千沙の頭が俯いてしまったので、俺には表情が分からない。
「人の嫌がることを平気でして……。私、姫様に遥人さんの付き人を仰せつかった時に、殿方だと聞いて凄く不安でした」
ぽつぽつと独白を続ける彼女の頭を、俺は黙って見つめる。
彼女の滑らかな髪が、いつもより綺麗に見えた。
「でも、遥人さんは……とても素敵な人で。……ふふっ。昨日初めて会った人にこんなこというのって、変ですよね? でも私、本当にそう思ってますから」
千沙が俺の胸に頬をつけた。
肌と肌が触れ合う感覚が、強烈な電流となって俺の身体を走り抜けた。
「遥人さん。本当にありがとうございました。私、お礼に何を差し上げても大丈夫ですから。……その、いつでも心の準備は出来てます」
千沙が震えているのが俺の胸を通して伝わってくる。
やっぱりこれはエロいやつでした。
す、据え膳食わぬは男の恥っていうし、い、いいよね!?
俺が彼女の肩を抱こうとしたその時、
こんこんこん。
ちさー。はるとおきたー? ご飯出来たけどどうするー? みんなと一緒に食べるー?。
ノックと、タビーさんの声。
最高のタイミングですよ。俺はご飯より食べたいものがあったんですよ。
「えっと、どうします?」
千沙が俺の胸から顔をあげた。
「行こうか」
俺は心で泣いて、手早く服を着ると、二人で部屋を出た。