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最後のプレゼント

作者: らんらら

『最後のプレゼント』


やっぱり、素敵。

マトリンはちらりと相手を見つめます。


窓からの昼下がりの光の中、金色の髪がきらきらして。

その横顔。優しい口もと、長いまつげ。

胸がとくとくして。

息苦しくて。


手に持つ本で、顔を隠します。



マトリンはトマトの嫌いな女の子。今年、十歳になります。

トマトは嫌いだけれど12月は大好きです。大好きなクリス兄さんがクリスマス休暇で帰って来るからです。

隣に住んでいた従兄弟のクリス兄さんは大学生になって遠い街に行ってしまいました。小さい頃から遊んでくれた優しいお兄さんが遠くに行ってしまった日には、マトリンはこっそりたくさん泣きました。


久しぶりに会ったマトリンの大好きなクリス兄さんは、随分大人っぽくなっていました。自分で買ったという赤い小さな車から降りたとき、マトリンに手を振ってくれました。着ていた白いコートが風にふわりと揺れました。

マトリンが密かにその大きな背中や、逞しい手に胸をときめかせたことをクリス兄さんは知りません。かけよって抱きしめたかったのに、恥ずかしくて出来なかったことも。



「マトリン、マトリン」

ママの呼ぶ声。

「ママが呼んでいるよ?いいのかい?」

「どうせお手伝いしなさいって言うの。だからいいの」


マトリンはクリス兄さんのお部屋の大きなベッドにごろんと横になって、たくさんあるクリス兄さんの本からお気に入りの物語を引っ張り出して読んでいました。

階下ではマトリンのママと、そのお姉さんのクリスのママが、クリスマスの準備のためにジンジャークッキーを焼いています。香ばしいバターの焼ける匂いにマトリンは長い金色の髪をシーツに泳がせて何度も寝返りを打っています。

そろそろ、三時のお茶の時間。


マトリンはイスに座って本を読んでいるクリスに、ふと思い出したように言いました。

いえ、本当はずっと言いたかったのだけれど、どきどきしてしまうので、なるべくそれを顔に出さないようにとタイミングを計っていました。

ゴロゴロしたのもクッキーの香りのせいじゃなくて、早く言わなくちゃとあせっていたのです。だって、クリスマスの夜はどんどん近づいてきます。


けれど、静かな横顔のクリスは気付かない様子で、真剣に何かを読んでいました。

「あのね。クリス兄さん」

クリスが本から顔を上げました。


その緑の瞳に見つめられてドキドキするのは何もマトリンだけではありません。だって、ママでさえステキな青年になったわねと頬を染めていたくらいなのです。

「クリスマスの夜、一緒に踊ってね」

言いました、ついにマトリンは言いました。いえ、目標はもう少し高かったのだけど、今はまだそれが精一杯。

例年、クリスマスはマトリンの家に伯母さんや伯父さん、少し離れた町に住むお祖母ちゃんとたくさんの従兄弟が集るのです。リビングのソファーやクッションは取り払われて中央にクリスマスツリー。すでに準備は整っています。毎年必ず誰かがダンスを始めて、マトリンも小さな頃から伯父さんのリードでくるくる回って喝采を受けたものです。親戚の中で一番年下のマトリンは家族のお姫さま。

ここ数年は少し恥ずかしくて踊っていなかったけれど、今年はクリスがいるのです。

新しく作ってもらったフワフワしたワンピースを着ると心に決めています。

そして。

一緒に踊って、マトリンの手を引いてくれるのはもちろんクリス兄さん。他には考えられません。


けれど。次にクリスが言った言葉にマトリンはひどく落胆しました。

「ごめんね。マトリン。僕はクリスマスの三日前からバイトで忙しくてね。二十六日に帰ってくるんだ。だから、今年はパーティーにも出られないんだよ」

優しく笑って立ち上がると、ベッドに起き上がっていたマトリンの頭をなでてくれました。

マトリンがよほど悲しい顔をしていたのでしょう、大きな手で抱きしめてくれました。

「よしよし」

「やだ!私子供じゃないわ!」

マトリンは熱くなった頬を押さえて、クリスを見上げました。

「アルバイトなんて必要ないのに」

八つ当たりのマトリンに、やっぱり子供だとくすりと笑って、青年はクローゼットから何かを引っ張り出しました。

それは、真っ白いフワフワした毛皮のついた、真っ赤な。そう。

この季節にあちこちで見る。サンタクロースの衣装でした。

「ほら、これを着てお仕事なんだよ。マトリンは兄妹や従兄弟の中で一番末っ子だから、サンタクロースのこと好きだろう?だから打ち明けたんだよ」

「ケーキ屋さんの呼び込みなの?それとも、デパートのビラ配り?」

マトリンは口を尖らせたまま両腕を組んで胸をそらせます。マトリンが喜んでくれると思ったのでしょう、クリスは少し残念そうな顔をしました。

マトリンはそれどころではありません。

せっかく勇気を振り絞って、ダンスの申し込みをしたのに。

「私、クリス兄さんがそんな格好になるのは嫌だわ」

「大切な仕事なんだよ。子供たちにプレゼントを配るんだ」

「分かった!教会のボランティアね!?優しいクリス兄さんらしいけれど、家族を犠牲にしてまですることじゃないと思うの!せっかく、久しぶりに帰ってきたのに!会えなくてとっても寂しかったのに」

「寂しかった?」

そこでマトリンは慌てて口を押さえました。

くくく、とクリスは響く声で笑います。

「マトリン、僕はお仕事でサンタクロースになるんだよ」

そんなの分かってるわよと頬を膨らめるマトリンに、クリスは笑いながら続けます。

「ほら、サンタクロースは世界に一人きりって言うわけじゃないだろ?僕はこのあたりを任されたんだ。三年間ずっと、サンタクロースになりたいって申請してやっとなれたんだよ」

「そんなにステキなお仕事なの?クリスマスパーティーを諦めて?皆、来るのよ?クリスにだってたくさんのプレゼントが届くのに」

「大切なお仕事だからね。ほら、似合うだろ?」

そういってクリスは髭を顔に当てて見せました。優しい瞳とすんなりした顎にそれはなぜか似合っていました。


ひげの下の笑顔にマトリンはまたドキドキして、じっと見詰めていられなくなってしまいました。

「じゃあ、サンタさん、マトリンにもプレゼントくれるの?」

「そうだよ、マトリンの寝ている隙にそっと入ってきて」

マトリンはドキドキがひどくなって胸を両手で押さえました。

大好きなクリス兄さんがたとえサンタのお仕事のためだといっても、そんな風に会いに来てくれるのはとても嬉しい。

「わかったわ!私、イヴの日は、絶対に寝ないで待ってる」

あははは。

クリスは笑いました。

「それじゃ、サンタクロースが困るじゃないか」

クリスがいたずらに白い髭をマトリンのほっぺたに当てました。

それはくすぐったくて、少し甘い蜜の香りがしました。



クリスマスの二十四日。本当にクリスはお出かけしたままで。

そのためにマトリンは誰に誘われても踊ろうとしませんでした。せっかくステキなワンピースなのに。今日はお気に入りのブルーのリボンで決めたのに。

壁際においた自分のイスに腰掛けて、みんなの様子を眺めていました。

でも夜中には。

きっと、クリス兄さんが来てくれる。


そうだ、せっかくおめかししたんだから、このまま待っていようかな。


「マトリン、可愛いドレスだね、一緒に踊ろうよ」

マトリンの三つ上の従兄弟のトーマスがマトリンの手を取って引っ張ります。

「いいの、私、今日は踊らないの。階段で足をひねって少し痛いから」

「なんだ、そうか。じゃあ、チキンを取ってきてあげるね」

優しいトーマスを見送って、マトリンは次に近寄ってきた伯父さんに笑いかけます。

「おや、マトリン。今日はやけに大人しいじゃないか。そうしているとお母さんにそっくりだね」

「やめてよ、伯父さん、ママには似たくないの」

ははは。おじさんは赤くなった顔いっぱいに笑顔になって笑いました。

「ほら、そういう言い方も、そっくりなんだ」

マトリンは大いに気分が悪くなって、ぷくっと頬を膨らめました。

おじさんはそれを見て余計に楽しそうで、手に持っていたシャンパンのグラスが空になると五杯目を飲もうとテーブルに戻っていきました。


ママは大嫌い。

マトリンはイスの上で膝を抱えました。


だって、パパを連れて来てくれない。


マトリンのママとパパは離婚して、今は離れ離れで暮らしています。

パパに会いたいのに、ママの許可がないと会いに来られないのです。


私は会いたいのに。パパも私に会いたがっているのに。

それをママが決めるのはおかしいわ。


マトリンにはそれが納得できないのでした。



その夜。

階下ではまだ大人たちが楽しそうに笑っているけれど、マトリンは一番小さいこともあって、二階の自分のお部屋へと上がっていきました。

いつものクリスマスなら、一人先に寝るのはつまらないといって駄々をこねるマトリンですが、今日は違います。

「あらあら、珍しくいい子なのね。いい子にはきっと、サンタさんが素敵なものをプレゼントしてくれるわよ」

ママのこの言葉はマトリンを満足させました。そう、クリスのサンタクロースが来てくれるのです。プレゼントよりそれが嬉しいのです。


そうよ、そのために。クリスに会うために早くベッドに入るんだから。



そうして、マトリンはいつクリスが来てもいいように、ふわふわのワンピースのまま、ベッドにもぐりこんで部屋の明かりを消しました。空はお月様が出ていて、窓からさす灯りは、青く白く、床を照らし出しています。

マトリンはじっと目をつぶっていました。

トーマスが母親鳥のようにたくさんの食べ物を運んでくれたので、マトリンはお腹がいっぱいで、気をつけないと本当に眠ってしまいそうです。

ふっと頭が真っ白になりかかるたびに、だめだめ、と小さく頭を振りました。


何度目か、そんな風にしたときです。

カタンと音がしました。


クリスかな。

マトリンはそっと布団の中の手を握り締めました。

ドキドキして、この音がクリスに聞こえちゃうんじゃないかと本気で心配していました。


がたん、がさがさ。

誰かが。窓から入ってきました。


暖炉がないから、窓なんだな。危ないお仕事だな。


そんな風に思ったとき、ふわりと夜の風と一緒に甘い香り、そう、あの白い髭の香りがしたのです。


クリスだわ!


そこで、マトリンは目を開けました。


「わ!」

驚きました。

すぐ目の前に覗き込むサンタクロース。

月明かりの中でも、ぼんやり白く光っていて、優しい緑の瞳が笑っています。

「クリス兄さん!」

ぎゅっと抱きついてしまいました。

だって、だって。

ずっと待っていたんだから!

「マトリン、いい子にしていたかい?」

マトリンは大きく頷きました。

「じゃあ、プレゼント、何がいいかな」

「プレゼントはいいの、クリス兄さんとダンスがしたいの」

サンタクロースはおやおや、と笑って、マトリンの手を引くと床に立たせました。

不思議と手をつないでいるとマトリンも同じように光っているみたいです。窓が開いているのに全然寒くない。

床もひんやりしないのです。


「ね、踊りましょ」

けれどクリス兄さんは困ったように首を傾げました。

「今夜は忙しいんだよ。困ったな」

「じゃあ、一緒に行くわ」

「お仕事だから、小さなマトリンには難しいよ」

「大丈夫!だって、プレゼントを配るだけでしょう?それに、私もときどき窓から出て、屋根を伝って隣のお部屋へ入ったりするの。得意なのよ」

「大変だよ?」

「平気だもの!」

クリス兄さんは笑って、じゃあ、お手伝いしてもらおうかなと言ってマトリンに着ていた赤いマントを付けてくれました。


それは温かくて、優しい甘い香りがして。

それから、ちょうどマトリンが着ていた真っ白なワンピースにとっても似合って可愛らしかったのです。嬉しくなってマトリンはクリス兄さんの後について、窓の外に足を踏み出しました。



「おっと、忘れちゃいけないね、ほら、これをはいて」

裸足だったので、クリス兄さんが担いでいた白い袋から、赤茶色の上質なブーツを出してくれました。

誰かへのプレゼントなの、と尋ねるとクリス兄さんは小さくウインクしました。


屋根の上にはうっすら白い雪が積もっています。いつの間にか降っていたのです。マトリンは気付かなかったので、真っ白に見える街並みを嬉しそうに眺めます。

「さ、マトリン、急がないとね。まずはほら、隣の窓からトーマスに届けるんだよ」

「そうね、あのね、今日トーマスはとっても優しかったの。親切にしてくれたのよ」

「そうだね、じゃあ、マトリンが届けてみるかい?」

マトリンは少し緊張しながら頷くと、クリス兄さんが開いてくれた窓から、とんと降り立ちました。

部屋の中は薄暗くて。マトリンは床に自分の影が映るのを不思議な気分で見ていました。


ぐっすり眠っているトーマスの枕元に、マトリンはクリスが渡してくれたプレゼントの箱をそっとおきました。それはトーマスが前からほしがっていた飛行機みたいでした。

「メリークリスマス、今日はありがとう」

そう小さく挨拶して、マトリンは頬に軽く口付けをしました。

「むにゃ」

トーマスは眠ったまま嬉しそうに微笑みました。

そのまま寝返りを打って、お布団を抱きかかえるようにして背を向けてしまいました。


窓から外に出ると、クリス兄さんが待っていました。

「さて、お隣に移らなきゃいけないんだ。おいで」

そう言ってマトリンの手をとります。


足元はもう屋根の一番端。雪も積もっているし、なれないブーツでマトリンは怖くなりました。月明かりで雪は青く光っています。

いつの間にかクリス兄さんの手をぎゅっと握り締めています。

小さく見える庭には、飾ってあるスノーマンのお人形が見えます。人形に雪が積もって本物のスノーマンだわ、それをクリス兄さんに報告しようとした時です。


お兄さんは小さな口笛を吹きました。

音もなくふわりと。

影がマトリンを覆います。何かが月明かりをさえぎったのです。足元ばかり見ていたマトリンは怖いのも忘れて空を見上げます。


それは、大きなトナカイでした。

マトリンは本物の馬を見たことがありましたがそれに似ていると思いました。もっと細くて小さなものを想像していたのに、それはとっても大きいのです。見上げないと視線が合いません。馬よりは細い口が二カッと開いたかと思うと白い息が風に広がります。

「今、ねえ、今笑った!」

「気のいい奴だからね」

クリス兄さんの言葉に応えるようにトナカイはツヤツヤした枝のような角を傾けて、クリス兄さんの肩に擦り付けています。

「よしよし、甘えているんだよ」

「すごい!」

「驚いた?」

「うん、素敵、素敵!」

マトリンもそっとトナカイの頬に手を伸ばします。マトリンが触るまでじっと待っていてくれたようです。さらりと温かい。

マトリンが嬉しくなって笑うと、トナカイもまたにかっと口を広げます。

そこでマトリンは気付きました。

トナカイは宙に浮いていました。小さな金色のそりを後ろにつけて、そこにはまだたくさんの白い袋が乗っています。

これは夢かもしれない。

マトリンは思い出しました。


サンタクロースなんていないのに、こんな夢を見ていて、私ったら。寝ているんだわ。

どうしよう、今クリス兄さんが来たら会えない。


「どうしたの?」

サンタクロース、夢の中のクリス兄さんはにっこり笑ってマトリンの手を引きます。

「大丈夫だよ、ほら、おいで」

「あのね、今は夢の中なの?」

マトリンはふわりと抱き上げられて、気が付けばトナカイの背にクリス兄さんのサンタクロースと一緒に乗っています。

「そう思うのかい?」

穏やかに笑うクリス兄さんは金色の前髪をゆらりと夜風に揺らします。綺麗な緑の瞳。見つめられるとドキドキしちゃう、それは夢でも同じだわ。

マトリンは迷いました。


夢でも、クリス兄さんに会えるなら、ううん。


夢なら、何を言っても、何をしても大丈夫なのかもしれない。

それにこうしてサンタクロースになり切って二人きりでクリスマスの夜をトナカイでデートするのも素敵。

本当じゃなくてもすごく素敵な夢だわ!


マトリンは首を大きく振って、後ろから支えてくれるクリス兄さんにそっと背中を預けます。温かい、とくとくした鼓動が聞こえるような気がします。



ピピー!!

ちょうど、トナカイが二人を乗せて静かに地面に降り立った時でした。

何処からか甲高い笛の音がしました。


「こらー!」

背後から怒鳴る声。

見ると黒い人影がマトリンの家の前の通りを走ってきます。どうやら警官のようです。


「いけない」

クリス兄さんはトナカイの手綱をぎゅと引きます。

トナカイはクンと小さく鳴いて走り出しました。

「なあに?どうして追いかけてくるの?」

「この頃は物騒だからね、泥棒と間違えられるんだ」

「大丈夫よ、ちゃんとサンタクロースだって分かれば許してくれるわ」

けれどもトナカイは止まらずに走り続けます。


そのうち、サイレンが鳴り出しました。パトカーです。

それはだんだんと近づいてくるみたいで、マトリンは後ろを振り向きましたが、背中をぴったりと支えてくれるクリス兄さんの大きな肩で見えません。

「掴まったらダメなんだよ、マトリン。僕には時間がないんだ。プレゼントを配ってしまわなきゃいけないから」

「なんだか、盗賊とお姫様みたい」

くくく、と背中でクリス兄さんが笑ったのを感じました。


まだサイレンは追いかけてきます。

二人を乗せたトナカイは少し重たそうで、一生懸命走っています。遅い時間だからもう通りに人はほとんどいません。


「そこの怪しい奴、止まりなさい!」

ついに、警官の叫ぶスピーカーの声が聞こえるほどになりました。


クリスは、ますますトナカイを速く走らせます。蹄が雪を蹴り上げ、後ろのそりは右に左にとゆらゆらして。トナカイは少し疲れたように白い息をたくさん吐き出しています。


「頑張って!」


マトリンがその頭をなでてあげると、大きな真っ黒な瞳がくるりと動きます。長いまつげには霜が凍り付いてキラキラ光る。瞬きと同時にきらりんと星のような氷の欠片が風に流れていきました。


ビルやアパートの立ち並ぶ駅の近くまで来ると、ぐんと曲がって、狭い路地に入りました。ここなら車は追ってこられません。

「待てー!」

パトカーから降りた警官が、走ってきたようですが、そんな速さでは追いつきません。

「えへへ、やったね!」

マトリンがぎゅっとトナカイの首に抱きつきました。

そのときふわりとマトリンの被っていたフードが風に飛んで、金色の長い髪が広がります。ちょうど、パトカーのサイレンの音や警官の声で家々の窓から人が顔を覗かせます。


「サンタクロースだ!」

頭上のどこかで小さな男の子の声がしました。


「困ったな」

クリスは狭い路地でトナカイを歩かせながら、後ろを振り向きます。

「子供に見られるとサンタクロース失格なんだ。せっかく採用してもらったのに」

「サンタクロースでいられなくなるの?」

「そうだよ」

「空を飛んだら?」

「もっと目立ってしまうだろう?」

「じゃあ公園で」

人のいないところと考えて言いかけて、マトリンはいい事を思いつきました。

「ね、お家に帰りましょう?温かいし、誰にも見つからないわ。だって、クリスのおうちだもの、サンタクロースのクリスがいたっておかしくないでしょ?きっと皆喜ぶわ!」


クリスはそこでトナカイを止めました。

街の路地裏。薄暗いビルの影に、小さな青白い街灯の下。ささ、と猫らしい陰がどこかに隠れました。

ひらりと飛び降りると、マトリンに手を差し伸べます。

嫌な予感。

「私だけ置いて行っちゃうんでしょ?いやよ、一緒に行くんだから」

トナカイの首にしがみつくマトリンの背を、クリスは優しくなでました。

「違うんだよ、マトリン。トナカイは目立つからね、ここからは歩いていくよ。また必要になったらいつでも呼べるからね」

温かいトナカイの背中から見つめると、丁度同じ高さにあるクリス兄さんの瞳が優しく笑いました。

「ね、お家に帰りましょ」

こんな風に誰かに追いかけられるし隠れなきゃならないし、高いところにも登らなきゃいけないし。それに、パーティーにも出られない。

「サンタクロースは大変だわ。危ないわ」


クリス兄さんはマトリンの髪をそっとなでました。

「さ、降りて」

仕方なくマトリンは引きずられるように硬い地面に降り立ちます。

「クリス兄さん、もう帰りましょうよ」

マトリンは拗ねたように足元を見つめます。クリス兄さんの足元にはたくさんの白い袋が置かれています。振り向けば、いつの間にかトナカイは姿を消していました。


「ね、マトリン。わかってほしいんだ。僕はサンタクロースの仕事が大好きなんだよ。みんなが待っているだろう?マトリンのように、ベッドの中で今か今かと待っている子供たちが大勢いるんだ」

「なんだか、嫌だわ。クリス兄さんはマトリンだけのサンタクロースでいてほしいもの」

わがままだと分かっています。

それでも、これは夢なんだから。言いたいこと言っていいんだとマトリンは思いました。

だから、クリスの真っ赤な服をしっかり抱きしめています。

「マトリン、いい子でないとそばにいられないんだ」

「え?」

ふわりと風が吹いて、その冷たさにマトリンは驚きました。

さっきまで寒さなんて感じなかったのに。


「待って!」

目の前のクリス兄さんが薄くなってしまったようなのです。

赤い色は向こうの雪が透けて見えています。


消えちゃう?私が悪い子だと消えちゃうの!?

まだまだ、この素敵な夢を見ていたい。


「やだ!ごめんなさい!私もお手伝いするわ!だから、ね!消えないで。まだ夢から覚めたくないの!」

「じゃあ、手伝ってくれるかい?僕はいつもの優しいマトリンが好きなんだよ」


その言葉はマトリンを真っ赤なトマトみたいにしました。

どきどきして、ふわふわして。

何とかうなずいたマトリンに、クリス兄さんは飛び切りの笑顔をくれました。


「さあ、行こう。夜明けまでに配ってしまわないとね」

袋の一つをマトリンも拾い上げて、そうしてクリスと目が合うと笑いました。

「うん、私もがんばるわ」



それから二人は、アパートのらせん階段を上って、途中から二階のベランダへと飛び移ります。

「怖かっただろう?よくがんばったね」

そう褒められるとマトリンはもっともっとがんばりたくなります。


子供部屋の窓だけは不思議とどこも開いていました。

まるで、そう。

みんながサンタクロースを待っているかのように。

みんながマトリンを待っていてくれるみたいに。


赤い大きな靴下を下げた窓辺を抜けるたびに、マトリンも嬉しくなってきました。幸せそうに眠る子供たちの顔を見ていたら、自然とマトリンも笑顔になりました。

きっと、朝起きてすごく喜ぶんだろうな、そんなことを考えていました。


そうして、何軒も何軒も少し危ない目に合いながら、背の高いサンタクロースと小さな赤いマントのサンタクロースはプレゼントを配ってまわりました。



小さな街だと思っていたのに、こんなにたくさんの人がいるのね、とマトリンは感心していました。そうして、クリス兄さんがこのお仕事をしたいといっていた理由が分かった気がしました。


駅の裏手の小さな借家の赤ちゃんに、真っ赤な小箱を置いて外に出ると。

クリス兄さんがぐんと伸びをしました。

ごちゃごちゃした通りも、今は真っ白に塗りたくられて、絵本の中のようです。こちらを見て笑うクリス兄さんが言いました。

「楽しかった?」

マトリンは大きく頷きました。

「来年もサンタクロースを一緒にしたいわ、私、クリス兄さんとお仕事するの」

ふと、淋しそうにクリスは微笑みました。

「さっき、ほら。見られてしまっただろう?小さな男の子に。だからね、僕も今年で最後だ。サンタクロースにはもう、なれない」

「え…?」

「でも最後だから、ちゃんと全部プレゼントを渡したかったんだ。あんなふうに誰かに見つかってしまったりするから、サンタクロースも仕事が出来なくなって全員にプレゼントを届けられないことがあるんだ」

クリスは歩きながら話してくれました。

「ほら、普通はおじいさんだろう?けれど、今では建物は何階もあって登らなきゃいけなかったり、警察に追いかけられたりするからね。それに、子供が眠る時間が遅くなっているから、配れる時間が短くなっているんだ。大変になってしまったから、僕みたいな若いサンタクロースが増えているんだよ」

「ふうん」

なんだか、夢のくせにずいぶん現実的だわ。マトリンはそれでもクリス兄さんの話を感心して聞いていました。

「毎年大勢のサンタクロースが採用されて、でも、僕みたいに子供に見つかってすぐに続けられなくなってしまう。解雇されるとね、サンタクロースだった時の思い出は消されてしまうんだ」

そこで、マトリンは気が付きました。


「ねえ!ねえ、クリス兄さん?もしかして、最初にクリス兄さんのサンタクロースを見つけてしまったのは、私?」


それには何も応えずに、クリスはニコニコ笑っていました。


私が眠らないで起きていたから。

だからあの時からもう、クリス兄さんはサンタクロースでいられなくなってしまったの?


サンタクロースのクリス兄さんはとても素敵でした。楽しそうでした。


なのに、私のせいで続けられない。

悲しくなって、マトリンは何も言い出せません。

もう、取り返しがつかないのです。


なのに、クリス兄さんはとても優しく笑ってくれます。


「さあ、そんな顔してないで。後一つだよ、マトリン。お待たせしました」

「え?」

「君へのプレゼント、まだだったね」


そうしてクリス兄さんはマトリンの背中を押して、一緒に歩き始めました。

雪の中を、ぎゅ、ぎゅと小さな音を軋ませて。


そうして、二人がたどり着いたのは、狭い路地の先にある小さな一軒の家でした。

窓辺には小さなツリーとメリークリスマスの文字が吊られています。

そう、まだその部屋には灯りが点っていました。


「ほら、ここだよ」

「誰の家?」

「会いたかっただろう?」


そっと窓からのぞいてみました。


温かそうな小さなお部屋。リビングのようです。窓のすぐ近くには小さな、本当に小さなベッドが置いてあります。

フワフワした白い毛布の中には誰もいません。

ふらりと影が横切りました。


パジャマ姿の綺麗な女の人がまだ小さな赤ん坊を抱っこしていました。泣いている様で、高く上げたり、背中をとんとんしたり。その赤ちゃんを覗き込んであやしている、男の人。大きな背中。

見たことがあります。

あれは。


「パパ!」

マトリンは思わず声が出てしまって、すぐに口を手で塞ぎました。


すごく幸せそうに、女の人と顔を見合わせて笑っている。


きゅん、と。

マトリンは唇をかみました。

「私は、会いたかったのに。クリスマスに会いたかったのに」

うつむいたマトリン肩をふわりとクリス兄さんが包みます。

「パパは、私には会いたくなかったの?」

「そんなことないと思うよ。ただね、たくさんの家を見てきただろう?いろんな家があって、いろんな家族がいて。君のパパもここでこうして新しい家族を作ってる」

「クリス兄さん、ひどいわ。これ、こんなの。こんなプレゼントなんかいらない!」

マトリンは悲しくなって、叫びました。


「マトリンはいい子だった?」

「え?」

背後のクリスを見上げると、やっぱりクリスは透明になりかかっていました。悲しそうに笑っています。

「マトリンは、この一年、いい子だったかな?」

クリスの瞳はじっと、マトリンを見つめました。それから、目をそらします。


「ううん。違うわ」

マトリンは足元の雪を、ブーツのつま先でツンツンとつつきました。

「私、悪い子だった。ママのこと、いつも苛めてた」

視線を落としてうつむくマトリンに、クリスは小さく頷いていました。

「パパに会えなくてママも淋しいのに、それでもママのせいだって、いつもママを困らせていたわ」

「ママに会いたい?」

マトリンの足元には小さな涙の粒が落ちて、赤茶色のブーツにうっすら積もった粉雪を溶かして流れていきました。


「じゃあ、今度こそ、最後のプレゼントだね」


静かな夜明け。明るくなりかかる透明な空を、トナカイが横切ります。


小さな星が朝の風に消えそうになりながら、それでも光っています。

マトリンはクリスに支えられながらトナカイに乗っていました。横向きに座って、ぎゅっと背後のクリス兄さんにしがみつきます。クリス兄さんの手がしっかり腰に回っているので怖くありません。


「ねえ、空を飛んだら見つかっちゃうって」

はたはたと風に舞うマントを押さえながら、マトリンは一生懸命クリス兄さんの首に抱きつきました。少し、まだ少し涙が出る顔を見られたくないのです。


「もういいんだよ」


これが最後の仕事だから?

マトリンは切なくなって、また少し涙が出ました。


そうして、二人を乗せたトナカイはマトリンの家の前に降り立ちました。

とたんに朝日が金色に照らし、巻き上がった雪煙が風にふわりと立ち昇ると、トナカイとクリス兄さんを包みました。

「あ」



何もかも。

トナカイも、そしてクリス兄さんのサンタクロースも消えていました。


マトリンは一人雪の中に座り込んでいました。


「マトリン?」

二階のマトリンのお部屋の窓に、ママの顔が見えました。

それはすぐに消えて。

マトリンが立ち上がって膝の雪を払う時には、玄関の扉が開きました。

「マトリン!もう!どこに行っていたの!?心配したのよ」


ママが駆け寄って抱きしめてくれました。

赤いマントがなくなったマトリンは冷たい風に震えていたけれど、ママの胸は温かくて、クリスのひげと同じ少し甘い香りがしました。

「ママ、ごめんね」

マトリンは心からそう思いました。


心配したトーマスが駆け出してきて、キッチンでは伯父さんが温かいミルクを用意してくれました。泊まって行った従姉妹たちも叔母さんたちもお祖母ちゃんも、みんな起きていて、マトリンを囲んでテーブルに着きました。

そうして、マトリンが話すサンタクロースのお話を、じっと聞いてくれました。

「素敵な夢を見たのね?」

ママが笑います。

こうなるとマトリンには夢だったのかどうか分かりませんが、説明しても夢にしかならないからそうしておきました。


夢だったんだろうって?

いいえ、きっと違います。

本当にクリス兄さんのサンタクロースはいたのです。


だって玄関には、マトリンがはいていた新しいブーツがキチンと並んで置かれています。


「ね、クリスが最後にプレゼントしてくれたのはなんだったの?」

トーマスが聞きました。

「それは、秘密」

マトリンはパパに会ったことは話さないでおきました。

それは、クリス兄さんがくれたプレゼントを大切にしたいと思ったから。

みんなの笑顔を大切にしたいから。




それは、去年のクリスマスの出来事でした。

少しだけ大人になったマトリンは、今、ママと一緒にクッキーを形作りながら、クリス兄さんの帰りを待っています。


あれから二日後に帰ってきたクリス兄さんは、マトリンの話を聞いて不思議な夢を見たんだねと笑っていました。サンタクロースのバイトの話をしても、ちっともわかっていないようでしたし、あの時言っていたように、お仕事を辞めたから忘れてしまったのかもしれません。

けれど。

マトリンは覚えているのです。



だから、クリスが帰ってきたらお部屋に入れてもらって、真っ赤な衣装があるかどうか。

確かめてみようと思うのです。


もちろん。大好きなクリス兄さんとおしゃべりするのが一番の目的ですが。




この作品は2007年のクリスマスのために書き下ろした短編童話です。

楽しんでいただけたら嬉しいですね〜。

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― 新着の感想 ―
[一言] こんにちは、松果です。 ついに(笑)らんららさんも「小説家になろう」の仲間ですね。よろしくお願いします。 童話を楽しませてもらいました♪ 十歳といえばそろそろサンタさんの夢から醒める年頃でし…
2008/08/25 14:46 退会済み
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