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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

夜の森と星の屋敷

作者: 和島大和

 私は独り。

誰も周りに居ない。

ううん、誰も寄ってこない。

なぜなら、私は人間じゃないから。

元は生物ですらない存在。

 私が住んでいるのは昼が存在しない森。

一日中夜の森。

正確に言えば、樹木があまりにも多すぎて、昼と夜の感覚が無くなるくらい暗い森の中。

迷宮の樹海なんていう呼ばれ方を人間の中であるらしい。

 そして、私の正体は「屋敷」

そう、あの「屋敷」

人が住んでいるはずの「屋敷」

かつては人間が住んでいた巨大な「屋敷」

迷宮の樹海の中にある、たった一つの「屋敷」

それが私という存在の全て。


 私は長い長い年月の果てに意識を持った屋敷といってもいい。

どうしてそんなことになったのか、分からない。

 目覚めから既に数百年が経ってる。

当然、お腹は空かない。

おトイレに行く必要もない。

会話をする必要もない。

私は人間じゃないから。

人間はいないから。


 樹海の外では人間たちが争い続けていて、樹海の被害も少ないくない。

 もしかしたら、この森の防衛能力なのかもしれない。

私を作ることで私に森を護れと言っているかのよう。

私の中には、かつて暮らしていた人間の武器が大量に地下に眠っているから。

 人間はいつもそう。

新しい兵器を手に入れたら張り切って実験してみたり、いきなりどんなものなのかも分からないままで使う。

 環境にどれだけ大きい影響を与えるのか、人体にどれだけの影響を与えるのか、自然へのダメージがどれだけ大きいのかを全く考えていない。

いや、寧ろそれを知ろうとして使う。

 まるで新しいおもちゃを貰った子供みたいに喜んで新しい兵器を使いたがる。

 自己中心的に使う。

 悪いことに使う。

威力が大きければ大きいほど、人間は喜んでその兵器を大量に生み出すの。

 その人間の毒牙が、わたしの森にも進出しつつある。

私は元から、この森を護らなければならない使命感だけは持っていた。

でも、何かしたくても動けない。

 人間は森の木々を色んなことに利用した。

家を建てたり、生活に使ったりする。

本来ならそれが一番望ましいこと。

生き残るためなら、使わざるを得ない状況なら燃やされようと切られようと構わない。

 でも、人間は森を戦場にして戦ったりする。

夜の様に暗い森の中で隠れるには丁度良いし、それだけ高い木も多いし、それほど高くない木も多い。

その分の根の大きさがあるから、隆起した地形は戦いに於いては隠密性を更に高めることになって、木を使う事でサバイバル性を上げることにもなる。

 私は涙を流せない。

屋敷だから。

人間じゃないから。

肉体がないから。

あるのは感情を持った心だけ。

屋敷が心を持つって可笑しな話だけど、でも事実。

だから、何もできない自分に無力感で一杯になったことも沢山ある。

 聞こえてくるのは森の悶え苦しむ叫び声だけ。

もう嫌だった。

消えて無くなりたかった。

人間の手によって早く燃やして、消してほしかった。

でもそれも叶わない。

私が居るのは森の最深部。

人間が来れる場所じゃない。


 私は独り。

誰も周りに居ない。

ううん、誰も寄ってこない。

なぜなら、私は人間じゃないから。

元は生物ですらない存在。

―――のはずだった。



 「…やっと見つけた」


 青年は突然現れた。

中に赤いシャツを着て、その上から白いコートを身に纏い、サラサラの銀髪で右目を隠している。

海のように澄んだ青色をしている。

 全体的に長身華奢の体型で、優しげのある雰囲気を纏っている。


この男は最深部に居るはずの私の居場所を、容易く見つけた。

誰だろう?

何の用だろう?

分からない。

怖い。

初めて見る人間。

森の木々達から話には聞いていた。 

人間は残虐非道で、唯我独尊的な自己中心思想で、他殺主義…とにかく酷い言われようだった。

だから怖い。

不安で、怖くて、今すぐにでも消えてなくなってしまいそう。


 「安心してくれ、俺は君の味方だ。

  君の助けを呼ぶ声を聞いたから来させてもらった、ある組織を率いる王子様さ。」


 クスッと笑いながら青年は名乗った。

一見すると優しそうな雰囲気を纏っている。

つい安心してしまいそうな、そんな雰囲気を纏っていた。

 でも安心なんかできるはずない。

いきなり目の前に現れた人間を見て、叫ぶ声を聞いたから来たから、味方だから安心してくれなんて…そんなの出来るはずがない。

 私の警戒と恐怖心に呼応して、周りの木々たちがガサガサと揺れ始める。

意思表示が出来ない私の代わりに、森が代理として表現してくれる。


出て行け! 来るな! 帰って! 

屋敷故に喋る事も出来ない私にとって、こうして為すがままになりながら、相手が帰ってくれることを願う以外に出来ることなんてない。


 「ははっ、すごい…警戒しちゃってるみたいだね。

  ま、無理もないか。

  信用して、なんてすぐには言わない。

  信用したくないならそれでいいけど…俺は信用している。

  君が心を開いてくれるその時を、ね。」


 優しく微笑みながら言ってくれる。

これが本当の事だったらどれ程救われるだろう。

私は独りだった。

周りには誰も居ない。

それが当たり前として捉えて来てから幾年を重ねたか。

 でも、そんな簡単に信用できるはずがない。

この男も、森を壊す人間のように、私を燃やして焼き払うつもりで居るんだ。


 「俺は ガーディアン・ヴァルトっていう組織で、この森を護ることを目的にしてる。

  君が助けを求めていたからこうして参上したって訳さ。」

 

 聞いたこともない組織。

それをこの人が立てた。


 「君は人間を怖い存在として受け取っている。

  確かにそうだし、その解釈は間違ってはいない。

  でも、全員が全員…そんな人間だって訳じゃないんだよ。

  寧ろ優しい人間の方が多いし、一緒に居ると暖かくて心地良いのが本来の人間なんだ。

  僕は君にそれを知って欲しいって思う。」


 彼は満面の笑みで言った。

なに、この宗教人みたいな胡散臭い人間は…。

信じられない。

信じたくもない。

どうしてこんなに気楽に話しかけてくるの? 関わらないで欲しい。

第一、誰かも分からない人に助けられても、私にどうしろというの?


 「さて、その姿のままじゃあ話しづらいし、キミの真意を知る事も出来ない。

  こういうのはどうかな…?」


 彼が呟いたと同時に辺り一面に拡がる光。

その光が治まると、青年は大きくなっていた。

見上げるほどに大きく…。

 そう…見上げることが出来る。

私の視線が私の上に向けられることに、自分でも驚いた。

そして視線を両手、両足に向けた後、服に向けた。

小さな手、短い脚、靴は履いていない。

白いワンピースを着ていて、全体的な肌色は雪のように白いみたい。


 「………。

  それがキミの姿か…思わず見惚れてしまうほどに可愛らしいな。

  特にその花緑青色(エメラルドグリーン)の髪と瞳は、目を見張るものがあるね。」


 青年が放った言葉の意味が分からない。

 私が呆気に取られてる意味を読み取ったのか、青年は鏡で私を映してくれた。

そこに立つのは腰まで長く伸びた、花緑青色(エメラルドグリーン)をした少女。

見惚れるほどじゃないけど、それなりに可愛い部類に入るかも知れない容姿をしていた。


 「魔法で人の姿にしたんだ。

  本当に可愛らしいよ。

  それで、君の名前は…?」


 名前? 考えれば考えるほど、今まで名前なんてものが一切なかったと気付く。

それはそうだろうと思う。

屋敷に対していちいち人のような名前を付けようなんて考える人は居ないだろうし…居てもそんな多くないと思う。


 「………。」


 そもそもどうやって声に出せば良いの? どうやって言葉を発せれば良いの? お腹が減れば自然とお腹が鳴るというのは分かる。

便意を催せば自然とトイレに行こうという気になるのも分かる。

 でも、どんな想いをすれば言葉に発することが出来るのか分からない。

自然と出るなんてことはない。

 実際、こうして色んなことを考えてはいるのに、それが言葉として出て来ない。

この青年のように流暢に話すことが出来ない。

当たり前のように話している青年を不思議そうに見る以外に私にはできないからこそ、いつまで経っても何も言わない私に嫌気が差したのかもしれない。


 「もしかして、だけど…言葉が分からなかったりする?」


 そんなことはない。

言ってる事は分かるし、何を伝えたいのかも分かる。

だから、私は首を左右に振った。

勿論無言で。

 更に言えばどうすれば顔の表情が変わるのかも知りたい。

きっと今の私は、恐ろしく無表情だと思う。

彼は苦笑しながらも笑顔を絶やさず、私を見つめた。


 「俺の事はそうだな…リーダーって皆言ってるし、キミにもそう呼んでもらおうか。

  といっても、見た感じ言葉は理解できても発することは出来ないみたいだけどね。」


 リーダー。

人間の言葉で統率者を表す言葉らしいことは知ってる。

それを言葉にできないけど、私は彼をリーダーと呼ぶことにした。

 でもどうして、リーダーは私を人に? そもそも魔法を使えたり、一体何者なのかな? 何よりどうして私の存在だけじゃなくて、ここに居るっていうのを知っていたのかな? 


 「色々と疑問に思ってる? …屋敷の状態なら表せなかった感情や考えを、こうして人になる事で表現しきれている今の君は、顔に出やすいみたいだね。

  おかげで、俺としてもより君に関することが解かるようになったよ。

  君が抱いた疑問の一つ…これで解決したんじゃない?」


 リーダーは私から目を離すことなく、笑顔を絶やすことなく首を傾げてくる。

確かに、どうして人にしたのか、という疑問は知ることが出来た。

だから黙って首を縦に振った。

彼も嬉しそうに微笑む。

 でも、もっと他に知るべきものなんてたくさんある。


 「俺は元々貧民窟の出身でさ、いつ死んでもおかしくない状況にいたんだ。

  そんな時に魔導師を名乗る人が『うぬの望むままに求めよ。さすれば(ことわり)に顕現せしめる魔法を手にし、万物の頂点に君臨せしめる。但し魔法を使えるのは十度のみ。それを使い果たせば、うぬの命は燃え尽きるであろう』…なんて言って、俺に魔法の力を授けてくれたのさ。

  あのまま何も出来ないままだったら、今の俺は存在していない。

  そして、この魔法の力で僕は自分の屋敷を持ち、ガーディアン・ヴァルトを立ち上げて、貧民窟で苦しむ人たちを救済したんだ。

  でも、その屋敷が帝国軍に燃やされてしまってね。

  そしたら夢の中で君の助けを呼ぶ声を聞いてこうしてここに来たって話さ。

  ちなみに、俺は貧民窟の人達を救済しているから、既に帝国軍のお訪ね者って事なんだよな…。」


 リーダーは魔導師を名乗る人に魔法の力を授かり、その魔法の力で自分と同じ境遇の人を助けているってことね。

でも、それが帝国軍…人間の国にとっては都合が悪かったみたい…よく分からないけど…。

そして夢の中で私の叫ぶ声を聞いてこうして来て、私を人として貴重な魔法を一つ使ってしまった。

 本当にこれでよかったのかな…。

たった十回の限られた魔法の使用回数なのに、私をこうして人の姿に変えて良かったのかな。

もしかしたら、私を人の姿にした魔法を使わなかったら、救える人もその分増えたんじゃないのかな。


 「でも、良いんだ。

  誰を敵に回そうが…困難が立ち塞がろうが…君とこうして会えたことに喜びを見出している。

  後悔なんてしていないし…もしかしたら君を変えてしまったこの魔法で救えた人は居たかもしれない。

  だけど君を救うために俺はここに来て、そしてこうして救うことが出来た。」


 彼は微笑みながらそう言った。

私を救う…どうやって救うのか、それと人になる事と何の関係があるのか分からない。

寧ろ、森を壊す人間と同じ姿ということに少なくない嫌悪感を抱いてしまう。


 「ただ一つ安心して欲しいんだ。

  俺は…俺達は…決して君たちを傷つけたりなんてしない。

  必要なら傷つけてしまうかも知れないけど、自分たちの欲望の為に貪るつもりはないから。」


 真剣な顔で告げるリーダー。

真摯に、誠実に、堂々と告げるその姿勢は、私が噂で知る人間とはかけ離れて頼りがいがあって、優しさもあって、勇ましさもある人に見えた。

 こんな人が世の中の全ての人間だったなら、どれだけの自然が、どれだけの森や木々たちが救われることなのだろう。

そう思わざるを得ない、そんな表情。


 「…まぁ、今日会ったばかりの相手からこんなこと言われても信じられないかもしれないね。

  無理はしなくても良いから、少しずつ…ゆっくりと信頼を得ていくことにするよ。

  あと、残りの魔法の使用回数なんだけど、僕の右目に刻まれているんだ。」


 そう言って銀髪で隠れている右目を捲った。

その光景に思わず息を呑む。

 彼の右目は血のように赤くなっていて、その瞳には金色の数字が刻まれていた。

「3」という生々しい数字は、残りの使用回数を示しているという。

半数を切っているし、生きている内に使える魔法はたった二回。

三回目を使ってしまえばリーダーの命は尽きてしまう。


 「本来なら君の了承を得られるように魔法を使おうとも思ったんだけどさ。

  どうも、それをする必要性は無くなったみたいだ。

  こうして人として存在で来ているのなら、それ以上に求めるものなんてないし、文字を覚えて、言葉を覚えて、俺たちと同じ食事にありついて楽しく生きることが出来るんだからね。」


 満面の笑みで、本当に心の底から嬉しそうに笑っている。

私もその笑顔を浮かべられるくらい、表情というものを知らないといけないかもしれない。

こうしてリーダーと一緒に居たら、その気持ちを芽生えさせることが出来るのかな?


 「そうだ…折角だし、名前を決めてしまおう! 花緑青色(エメラルドグリーン)だから…それに合わせるように名前を付けてみたいな…。」


 リーダーは顎に手を添えながら、どこか楽しそうに考え事をする。

私に名前…以前なら考えることすらなかったこと。


 「……よし決めた! 君は今日から「エメリー」だ! 可愛い名前だろう? 俺に子供が出来たら「メアリー」って名前にしようって、ずっと考えていたんだ。

  それを基盤に、君のその綺麗な花緑青色(エメラルドグリーン)の髪と瞳に因んで付けた。

  ッという訳で勝手で悪いんだけど、これからも宜しくね、『エメリー』。」


 エメリー。

初めて付けられた名前。

初めて呼んで貰えた名前。

なんだか心が満たされた気がする。

それがたとえ勝手に付けられた名前だったとしても、今の私にとっては大切な名前。

 無くて当然と考えていた物を与えられた喜び。

それは私の心を太陽の光のように温かく包み込んでくれた。


 「……やっと笑顔を見せてくれたね。

  気に入ってくれたようで良かったよ。」


 笑顔? 私は今、笑っていたの?


 「ははっ! その驚いた顔も良いね…笑顔も、君の感情を表出させた顔は、何よりも可愛らしいよ。」


 楽しそうに笑いながら褒めてくれるリーダーの言葉。

これは本心からの言葉? それとも、私を取り入れるだけの単なる上辺だけの言葉? 分からない。

でも、仮に本当の言葉であるのなら、嬉しい、かも知れない。


 「…まぁ、信じられないなら今はそれで良いよ。

  でも、嘘を吐くのは帝国の貴族たちだから、俺は嘘なんて吐くのも嫌いだから吐かない。

  信じろとは言わないけど、少なくとも君の機嫌を取るための上っ面の言葉じゃないって事は理解してほしいな。」


 憂いを帯びた苦笑。

その表情から嘘を言ってるようには見えない。

 初対面だから

 あまり知らないから

 信用できない

 こんな考えを抱くのは間違っている? 分からない


 「あまり思い悩まなくても良い。

  エメリーが気にすることじゃないし…君は今のままで、ありのままで良い。

  これからの事は僕たちが教えてあげるから、取り入れるか否かは自分で決めるんだよ。

  といっても、今は僕とエメリーしか居ないから気にするほどのものじゃないんだけどね。

  その内、ガーディアン・ヴァルトの皆と顔を合わせないとな。」


 さっきの顔とは一変して明るい笑顔を浮かべる。

そのまま、私の頭に大きな「何か」が被さった。

その「何か」は大きくて、少し重くて、温かい。

頭の上に乗せられた大きな存在感。

 私は撫でられていた。

小さな身体の私の頭を、髪を、リーダーは毛並みを撫でる様に触れていた。

その瞳はどこか悲しげで、寂しげで、それでいて楽しげな、不思議な色をしていた。


 「さて、と。

  俺はそろそろ帰ろうかな。

  屋敷の姿に戻りたくなったら念じればいいよ。

  それじゃあ、また今度来るよ、エメリー。」


 屋敷の姿に戻ることが出来る。

そうなればリーダーとは離れ離れになる。

そして、ここで彼を返してしまえば、またこの森で独りになる。

 ようやく見つけた「他者」

孤独を解消でき得る存在。

満たしてくれた存在。

信じる信じない以上に、感情を持ってしまった私は人を、「他者」を求めていたのかもしれない。

 私は背を向ける彼に手を伸ばしそうになって止めた。

 リーダーは人間。

その考えが頭をよぎった瞬間に私は手を止めていた。


 人間は怖い

 人間は嫌い

 人間は信用できない

 もしかしたら嘘を吐いて私に近づいているかも知れない


 一度疑い始めれば信じることが難しくなる。

信じても簡単に疑うことになってしまうのに。

疑ってしまうと次に信じられるようになるのに、凄く時間が掛かる。

 離れて行く背中。

寂しさと同時に安心を感じる。

その矛盾した心情は、私の中で困惑でしかなかった。



 それからというもの、リーダーは独りで私の下を訪れてくれるようになった。

色んな話を聞いた。

色んなことを教わった。

 リーダーは人間の中でも貧民窟…奴隷と呼ばれる身分の人。

その中で魔術師に出会って、魔法によって大きな屋敷を建てた。

 屋敷は会話が可能で、私みたいに人の姿にもなれた。

リーダーが屋敷を立てたと同時に、人型になるように魔法を掛けたみたい。

そして、その屋敷にも名前がなかったけれど、リーダーは「サファエル」という名前にしたらしい。


理由は「蒼玉色(サファイア・ブルー)の髪と瞳だったから」


 リーダーは誰よりも独りを望んでいたけど、同時に寂しがりなんだって自分で言う。

屋敷を建てたのもそういった理由だったみたい。


 私はいつ意識を持ったのか、どうして意識を持ったのか、何も知らない。

気付けば意識だけを持った屋敷だった。

言葉を発さなければ、感情も発する事がない。

それどころか生物の姿でもなかった私は、意識があったとしても無駄だった。

ただ聞かされるのは森の声だけ。

 毎日のように聞こえてくる森の木々の声だけ。

悲痛な声だけ。

その声は私に言う。

 「人間は酷い」 「人間とは関わってはいけない」 「人間こそが罰を受けるべきだ」 「どうして私達が…」


 ハッキリ言ってうんざりだった。

森の声は、今目の前に居る人間とは似ても似つかない人間の話ばかり。

なのに、こうして森の中に入ってきてくれるリーダーの事を評価することがない。

森の木々たちは疑いの目を緩めることはないみたい。


 私はリーダーから色んな話を聞くと同時に、文字を勉強していた。

声を発するのは、難しいかもしれないって言われた。

それは、私が今まで殆ど人と関わらなかったのも一因していて、建てられてから月日が流れているのが原因かもしれない、という話だった。

 お話したい。

でも、それは叶わない。

それならせめて、文字で会話を…意思を通じ合わせてみたい。

その想いが通じたようにリーダーが教えてくれる。

 リーダーの教え方は分かりやすい。

短い内に言葉を覚えていく。

少しだけ間違える事はあるけれど、それでも伝えるくらいのことは可能なくらい、文字を覚えた。


 「今度、俺の仲間を紹介したいんだけどどうかな? 今のエメリーは俺の事を悪く思わないみたいだし、俺も悪いようには見ない。

  文字も覚えて、俺に対しての意志疎通が可能になった今だからこそ、提案してみたんだけど…どう?」


 リーダーは私の成長具合を加味しながら、仲間との…ガーディアン・ヴァルトの仲間との面会を提案してきた。

私は自分でも驚くくらい、簡単に頭を縦に振った。

そして言葉を書く。


 『はやくあいたい。みんな、きっといいひとたち、ちがいない、おもう』


 まだ片言しか文字として表せることは出来なかったけれど、私の今の気持ちの全てをリーダーに向けていた。

仲間に会いたいという私の意思を、リーダーは真っ向から受け取って「分かった」と言って了承してくれた。

 とても嬉しかった。

仲間に会えることもそうだけど、今はしっかりと私の考えを理解してくれて、受け入れてくれる。


 数日が過ぎて、リーダーは大勢の人を連れてきた。

私のすぐ隣にリーダーが立ち、仲間のヒト達に話をしている。

私の顔を見て珍しそうにする人、警戒心を抱いている様にこちらをジッと睨む人、近付いて頭を撫でてくれる人。

 色んなヒトが私の周りで動いて、喋って、接してくれた。

すごく警戒していたと同時に、すごく充実している。

 人間は嫌いだし、怖いし、何をするのか分からないけれど、この人達からは悪いものを感じなかった。

最初は睨んでいた人達も、時間が経つにつれて笑顔を向けてくれた。

 その日は屋敷の前で焚きものをして、大勢の人間たちと共に飲食を共にすることになった。

私の為に食材を用意してくれて、私の為に唄を歌い、私の為にお話してくれた。


 「楽しんでもらえて良かったよ。」


 私が屋敷の屋根の上で星を見ていると、リーダーが覗き込んできて、話しかけてきた。

コクンと頷く。

彼の言う通り、楽しいから。

 言葉を発することなく、私は上を見上げた。

木に隠れて殆ど見えないけれど、僅かに見える星々。

上を向いても周りを見ても、木、木、木。

視界全てが木々によって覆われてしまっている。

 私は人間のことを考えていた。

人間は残虐非道で、唯我独尊的な自己中心思想で、他殺主義…とにかく酷い言われようだった。

だから怖い…そう思っていた。

でも今、私の目の前にいる人間はどこまでも優しい。

少なくとも、話に聞いていた人間ではないことは分かる。

 でも、こうして目の前にいるのは本当に本当の意味で優しくしてくれている? 何も求めず、私や森を消すためにこうして近づいている訳ではない、と言い切れる?

 正直言いきれない。

だって、私はリーダーじゃないから。

自分のことは自分が一番よく分かっている。

 私は楽しい。

こうして皆と交流していること、皆とお話して、色んなものを食べて騒いでいること、これらが何よりも楽しくて嬉しい。

 それが分かる。

 それは私だから。

 私のことは私が一番よく知っている。

 誰が何と言おうと、私は私のことを知っている。

でも、目の前の人間のことは分からない。

自分ほど明確に、明瞭に、確実に、既知とすることはできない。

どこまでも未知で、どこまでも不明瞭で、不安定な認識しかできない存在。

だから、私は彼のことを知ることはない。

知ることができない。

 仮に知ることができても、せいぜい八割知れたら良いくらいで、残りの二割で私の嫌悪する部分を持っていてもおかしくない。

 新たな不安が、私の中で渦巻いた。

前までは純粋に不安を抱いたけれど、こうして深く関われば関わるほどに……知れば知るほどに……知らないものも増える。

それに対する不安がある。

 どうせならすべてを知りたい。

リーダーの信念、思考、意志、意思、感情のすべてを。

でも、それはできない。

私は私で、私はリーダーとは違うから。

 彼を知らないことで生じる不安を打ち砕いて、彼を知らなくても信じてあげなければならない。

そうしないと、彼は私から離れてしまうかもしれない。

せっかく手に入れた温かみを失うかもしれない。

それだけは避けたかった。


 「どうかした?」


 リーダーは不思議そうな顔でこちらを見ていた。

いつの間にやら、私は彼の顔をジッと、ただジッと見つめていたらしい。

どうしてかは明確。

彼に対する不安がために見つめてしまった。

 でも、それを彼に伝えることはできない。

だからこそ、彼にこの気持ちを感づかれることはない。

何を思っていようと、何を考えていようと、何を企んでいようと、他人である以上は知ることも、知られることもない。

そのことに対する不安が私にもあり、きっと彼の中でもあるのだろう。

でも、彼はそれでも私を信じることを選んでいる。

それは何となくだけどわかる。

自意識過剰とかじゃなく、ただ純粋に、そう考えていると確信する。

理由を聞かれてもわからないけれど、そうした「根拠のない確信」が私の心の支えになっている気がする。


 「………。」


 リーダーは真剣な眼差しでジッとこちらを見返してくる。

少し気圧されそうになりつつも、私もじっと、まっすぐに見つめる。

数分が経って、ようやく彼の視線は私から離れた。


 「…やっぱり…何を考えているのかは分からないな。

  君を知るには仕草と表情で判断する他ないんだけど、その表情はあまり変わらない。

  おまけに言葉を発することができないなら…伝わりにくさに拍車が掛かる。」


 溜め息を吐きながら、リーダーは呟いた。

悲しそうで、寂しそうで、どこまでも儚い、そんな顔だった。

何を考えているのか、分からないのはお互い様なのね。

 私は体を傾け、隣に座るリーダーの肩に頭を預けた。

紙もペンもない今の状態で意思を伝えることはできない。

だったら、少しでも伝えたい。

私が、私として彼を信じているということを。

 不思議な気持ちだった。

私は屋敷で、人の体を得て、少ししか期間が経っていない。

その中で私は、彼を求める。

 温かいから? 安らぎを感じるから? 拒まれないから?

理由は様々にあるのかもしれない。

どれも納得できそうで納得できない理由。

何をどうしたのか、己は何を求め、何を為したいのか、自分でもよく分からない。


 「……俺を…励ましてくれているのか?」


 リーダーは問うてきた。

 私の感情を

 私の思考を

 まるで私を求めるように、まるで私に縋りたいと願うように

私は反応しなかった。


 「……俺を…助けたいのか?」


 しばらくの沈黙の後に再び投げかけてくる質問。

これにも私は反応しなかった。

 そうじゃない

 私が求めるものは一つ


 「俺で…安らぎたいのか?」


 頷く

 なるだけ分かりやすく

 相手の肌に伝えるかのように

 コクンと大きく頷いた


 「そうか……俺なんかに対して、君は安らぐために、こうして縋ってくれるんだな。」


 私はリーダーの衣服の袖を握りしめる。

なげやりにならないでほしい。

「なんか」呼ばわりして自分を貶めないでほしい。

 私は彼に救われた。

人間が嫌いだったけど。

人間が怖かったけど。

彼のおかげで人間に対する心情も、依然と比べて幾分かマシになった、気がするから。

 それを伝えたい一心で、彼の袖を力いっぱいに握りしめた。

伝わるかは分からない。


 「…あぁ…俺は幸せだな。

  俺のような存在に、こんなにも縋ってくれる子がいて…俺のために体を預けてくれる子が居る。

  これほど幸福なことなんてあるだろうか。」


 違う。

 そうじゃない。

 そんなことを言って欲しいわけじゃない。

 その言葉は私が使うべき言葉。

 私の方こそ幸せ者だから。


 

 ここまで考えて私はふと思った。

彼はどうしてこんなことを考えるのだろうかと。

そして、どうしてこんなにも彼を求めているのか。

 考えれば簡単だった。

彼は貧困窟出身で、働いて当たり前の身分だった。

働かないと死ぬ。

それを実感していたから働いた。

 でも、こうして私が縋ったことで、彼は初めて求められる喜びを得たのかもしれない。

だけど、ここで私は新たな疑問を見つけた。

ガーディアン・ヴァルトの人たちはどうなのか。

彼等もまた、リーダーを慕って、縋って、喜びを得ているはず。

だったら、リーダーにとって、私じゃなくても幸福と感じてもおかしくないはず。


 その幸福すら当たり前の中で、なおも感謝の心を忘れていないのか

 幸福が似合わないと無意識で思っていて、与えられることで幸福を得られることに喜びを見出すのか

 自分を低く見積もりながら、自分には過ぎたものだという事なのか


 解からない。

人間の考えることは複雑すぎる。

でも、今のリーダーに私は何も言えなかった。



 それから数日。

リーダーの統率の下で、私のすぐ近くでガーディアン・ヴァルトは活動を開始。

密かに帝国軍との決戦を画策していた。

リーダーを中心として反乱を起こし、帝国の圧政から解放しようというもの。

 私はただ彼の傍に居るだけ。

私にとって兄のような存在になっていた。

 会議の途中、不意に外が騒がしくなる。


 「この場に居る者共よ! 我々は帝国皇帝陛下直属の近衛部隊である。

  速やかに投降し、祖国へ戻れ! 貴様ら貧民窟の連中が勝手な行動に出ることで、我が国の秩序が乱れつつあるのだ! 祖国への帰還を拒むのであれば、帝国に対する、皇帝陛下に対する反逆と見なし、老若男女問わずに殺傷する!!」


 忠告。

帝国軍にこの場所が露呈し、その近衛部隊を名乗る連中がここまで来た。


 「ふむ…思っていたよりも早かったみたいだね。

  さて…どうするか…。」


 リーダーは考える。

この場を取り仕切るための最善策を。


 「交渉するしかない、か…。

  大丈夫、俺もこんなところで死ぬ訳にはいかないからね。」


 リーダーは交渉を決意した。

私はその判断が恐ろしかった。

人間は何をするのか分からないというのは、私の中で消えた訳じゃないから。

 この組織の人達は大丈夫、という確信はあるけれど、それ以外の人間はやっぱりまだ信用できない。

何をされるのか、解ったものじゃない。

ただ、リーダーは不安げにする私の頭を撫でた後、屋敷の扉を開いて外に出て行った。

咄嗟に私もついて行き、その手を握る。

リーダーも拒むことなく、その手を握り返してくれる。


 「懸命だな、ガキ。」


 近衛部隊の隊長らしき人間がニヤリと笑いながら言った。

全身銀色の甲冑を身に纏い、両刃の剣を腰に差している。


 「ガキ呼ばわりされるのはあまりいい気分じゃないですけどね。

  しかし、我々は投降するつもりはありません。」


 リーダーは余裕の笑みを見せながら告げる。

この場に於いてのこの言葉は宣戦布告もいいところ。

投降しなければ殺されるのに、リーダーは一片の迷いはない。

堂々として、どこから生まれるとも知れない笑みを浮かべていた。


 「…それは残念だ。

  さて、貧民窟の害虫(バーミン)共、投降しないという事は、貴様らは死をお望みという所か。」


 「違うよ…僕たちは自由をお望みなのさ。

  帝国の支配下には下るつもりなんてない。

  これまでどれ程の苦痛を味わってきたと思ってるんだい? たまたま生まれた場所が貧民窟だった、というだけで害虫(バーミン)なんて罵られたり、暴力や迫害を受けたり、強制労働を強いられて身も心も滅ぼしたり…ここに来たことで救われたんだ。

  君のように貧民窟出身でも何でもなく、ただただ皇帝のお膝元なんて安定した傘の下で生きるしか出来ないお堅い頭では理解することすらも不可能だろうけどね。」


 「理解…理解だと? 貴様、食物を汚す害虫の気持ちを考えたことでもあるのか? 貴様が食すパンの原材料の小麦の気持ちを考えたことがあるのか? ただただ生きるために必要で、それを殺生し、摂取して生きる中で、摂取されるままのモノの気持ちをいちいち考えるのか? それと貴様等、害虫(バーミン)共は同じだ。」


 男とリーダーの問答。

二人の表情は何処までも余裕で、傍に居るだけの私ですら気圧されてしまいそうになる。


 「考えない…でも、害虫たちや食物と害虫(バーミン)の人間は違う。

  違う存在として確立し、人間として扱われて然るべきだ。」


 「図に乗るなよ、ガキが…害虫(バーミン)が人間として扱われて然るべき、だと? 貴様らは所詮害虫でしかないのが何故解からんのだ? 貴様等は人間ではなく、害虫(バーミン)なのだ! 思い上がりも甚だしい!!」


 リーダーの言葉に、男は顔を歪ませる。

殺意を込めた眼差し。

怨嗟を含ませた怒号。

それでもリーダーは諸共しない。 


 「ふふっ…そうか。

  なら、そう思っていればいいよ。

  僕たちがどうあっても害虫である、と判断するのなら、同じ人間の君も、皇帝なんて奴でさえも同じ害虫(バーミン)だという事だ。」


 リーダーは凶悪な笑みを浮かべながら男に対して発する。

その言葉を受けた男の顔は、鬼の形相…憤怒と憎悪を含ませた絶対的な敵愾心を抱いた顔になる。

今すぐ殺そうという想いが、殺意が、ビリビリと伝わってきた。


 「思い上がるなよ、害虫(バーミン)が!!! 皇帝陛下を侮辱した罪として、貴様を…」


 言葉はそこで途切れる。

一瞬にして男の頭が消滅していた。

ハッキリと見える首と胴体の断面。

 数瞬の後にドバッと勢いよく血が噴き出した。

そのまま男は倒れる。

 リーダーは私の手をギュッと握り締めていた。

そちらに目を遣る。

その顔には恐怖が滲み出ていた。

目を見開き、微かにカタカタと震えている。

只事ではないのは、私にも分かった。


 「やれやれ…副隊長とあろうものが、安い挑発に乗せられてよぉ。

  その上、一枚乗せられ…テメェこそ皇帝陛下を愚弄しているという事に気づいていないのかよ? ……といっても、もう言葉は交わせんか。」


 後ろから現れたのは銀の甲冑を身に纏いながら、兜を被っていない青年。

青髪短髪の赤い瞳を持っていて、これがこの部隊の隊長だと悟った。

圧倒的な存在感。

圧倒的な戦力差。

理不尽なまでの力。


 「あー、俺ぁハルスっていう名だ。

  一応こう見えても、近衛部隊の隊長をやってる身でね。

  皇帝陛下に対する忠誠心だけは誰にも負けるつもりはねぇし、陛下を侮辱する奴はどんな奴であろうと殺すのをモットーにしてんだ。

  …ま、こいつはそれをしたからこそ殺した…ただそれだけのことだ。」


 ハルスと名乗る男はやる気が無さそうに目を細めながら名乗った。

それと同時に首のないさっきの男の身体を、ハルスは蹴り上げる。

首のない死体は無造作に倒れる。


 「そして、テメェ等もまた皇帝陛下を侮辱した。

  その罪はそうだな…重いぜ?」


 近衛部隊の隊長の呟きと同時に、私のすぐ後ろに居た女性の身体が音を立てて爆発した。

まるで風船が割れたようにそれでいて生々しい音。

 肉が裂け

 骨が砕け

 臓腑が瞑れる音。

 身体から飛び散った赤い液体

 柔らかい物体が私の全身に降り掛かる。

途端にグシャッと身体を地面に叩きつける音が辺りに響かせた。

 赤黒い付着物は温かみを帯びていて、周囲一帯に鉄の臭いを充満させる。

手に乗ったそれを、私は自身の視界にも入れた。

 人が持つ熱を持ちながら、それは心地よさのモノではない。

私はその場を動けなかった。


 「……ママ!!!」


 私の斜め後ろに居た少女が隣で変わり果てた女性に縋る。

死んだ女性は少女の母親だったのかもしれない。

リーダーはその光景を見ては、海色の瞳を大きく見開かせた。

驚愕と絶望と憤怒を帯びていた。

 

 「おっと…またやっちまったぜ。

  これで何人目だろうな? 汚物より劣る存在の抹消って奴は。

  穢れた血肉で自然が汚れてしまっては、我らの存在も危うい。

  ま、こうしてまた一つだけでも綺麗になったことで良しとしますか。」


 ハルスという男は冷然と、まるで当然のように、食事をするかのように呟いた。

そればかりか女性の死を悼むこともせず、罪悪感の欠片もなく、ただただ自然に、殺すべくして殺したと言う様に言い放った。

その上で自分の行為を正しいこととして認識している。

 ここに来てようやく身を以って理解した。

森たちが言う様な人間像を、そのまま体現した人間が、私の目の前に居る。

その事実が突きつけられる。


 「ふざけるな!!!」


 リーダーはこれまで見せたことのないほどに激昂し、剣を引き抜きながら飛びついていった。

無我夢中という風情で突っ込んでいく。

その瞳に徹底的な殺意と怨嗟を携えながら。

彼の接近に周囲の兵士たちはただ立っていた。

そして見下すように、醜い笑みを浮かべている。

 リーダーの刃は切っ先をハルスに向けて、そのまま懐を貫いた。

確かに貫いた。

でも、リーダーは驚愕の目を浮かべて、ハルスはやる気がない目でリーダーを捉える。

 刹那、リーダーの身体は屋敷目掛けて吹き飛ぶ。

そのまま私たちの頭上を通過し、背後の屋敷を貫き、二階の部屋の壁に叩き付けられていた。


 「予想以上に脆弱だな。

  ……あーあ、興醒めだぜ!…やめやめ。

  全軍、撤退するぞー。

  (コウ)ちゃんには、適当に伝えりゃいいや。」


 棒読みで気怠そうに後頭部をボリボリと掻きながら振り返る。

同時に兵士たちも背中を向けて森の奥に向かって行った。


 どういう事? ここに居る全員が抱いた共通の疑問。


 「ま、待て…っ!!」


そこに、リーダーが屋敷から出てくる。

 体中が血だらけで、赤い筋を全身に刻んでいる。


 「……生憎俺ぁ残業は嫌いでね。

  お前は弱すぎるから…もう少し力を付けてから相手をしてやるよ。

  んじゃ、またな!」


 言った瞬間にハルスも兵士も全員が姿を消した。

残されたのは私達ガーディアン・ヴァルトだけ。


 「くそおおおおぉぉぉぉぉ!!!!」

リーダーは満身創痍の身体を引きずりながら、無念を込めた咆哮を立てた。





 ガーディアン・ヴァルトの犠牲は少なくないものだった。

全員が全員を家族の様に接していたこともあって、独りが死んだだけでもショックは大きかった。

私も、悲しかった。

人が死ぬという事が悲しい事だと知った。

少女もまた、母親を失った事に絶望し、泣き続けた。

 でもそこで、リーダーはあることを提案した。

それはとんでもない提案。


 「僕は彼女を魔法で生き返らせる。

  そして、魔法で森に強力な結界を張る。

  それこそ、神の道具でも使わない限り解放できないもの。

  最後に魔法を使ってこの森と、数多く存在する別の世界の扉を開く。

  飢えからも解放され、他の世界から力を貸してくれる人物が来るはずだ。」


 私を含め、その場にいた全員がリーダーを見つめる。

次々に上がる抗議の声。


 そんな事をする意味なんてない。

 アンタが命を投げ売る必要なんてない。

 戦おう!そうして真の自由を勝ち取ろう!!


 様々な声が上がる。

その声をリーダーは手を掲げて制止させる。

私も不安のあまり、言葉を発することが出来なかったけれど、ただただ、彼を見つめていた。


 「皆聞いてくれ。

  この判断は正しいとは言わない。

  ただ、帝国軍の連中は恐ろしく強い。

  今の我らがいくら多くの人を集めて立ち向かったとしても、絶対に歯が立たない。

  ならば、俺は俺の命と引き換えに局所的な安全と、平和と、自由をこの森に布いてみせる。

  俺が命を失ったとしても、エメリーが支えてくれる…彼女が屋敷として存在する限り、決してこの森を侵食されることなどない。

  そして、彼女自身にも強力な防御障壁を展開させ、決して消えてしまわないようにする。

  残りの魔法の回数をこの瞬間に注ぎ込む! 自分勝手だが、解って欲しい! 私は常に君たちの傍で見守っていると誓う!!」


 力強く、リーダーは言い切った。

そして、私の方に目を向け、微笑みながら目線を合わせて来る。

その瞳には決意と寂しさが同時に現れているみたいだった。


 「君には辛いことばかり強いているみたいで申し訳ない。

  ただ、今この状況を打開できるのは、魔法を使える俺だけだ。

  だから、後のことは君に任せるよ…。」


 私に優しく囁いてくれる声は、何とも弱々しい。

 厭だ! 厭だ!! 厭だ!!! 彼が居なくなれば、誰に私は頼ればいいの? 誰が私を支えてくれるの? 誰も居ない。

ガーディアン・ヴァルトの人達も、リーダーが死んでしまえば、きっと帝国軍のように残虐になるに違いない。


 「信じてくれ…俺が組織したガーディアン・ヴァルトの皆は、みんな幸せを享受した過去を持っていない。

  痛みを知る人間は、誰よりも優しい…誰よりも愛を求め、愛を注いでくれる。

  それが、俺の組織だ。

  君がこれから俺の代わりに支える組織…必ず、君なら俺以上に組織を纏められるはずだ。」


 激しく首を振る。

 そんな訳あるか! そんな簡単な訳がない! 言われなくても解っている。

そもそも私は数日前に人間を知り、人間の良い所も、悪い所も目で見て身体で感じた。

ようやく人間がどういった存在なのかを目で見るに至った。

それがいきなり人間を纏めろ、なんて無茶にもほどがある。


 「……不安だろうね。

  でも…それでも…俺は信じている。

  必ず成し遂げられると…成し遂げた経験がないからこそ、成し遂げられると信じている。

  俺はもう居なくなるけど…俺を少しでも信じてくれるのなら、自分を信じろ。

  自分が信じられないなら、君を選んだ俺を信じてくれ。

  そしていずれ、君が君自身を信じ…君が信じた仲間を信じて、強く生き続けて欲しい。

  これが…最初で最後の…俺の…願いだ。」


 真剣な表情で淡々と告げた。

信じられないならリーダーを信じる。

私を選んだリーダーを信じて、この組織を率いる。

その後は私が私自身を信じて…私が信じる仲間を信じる…。

 なんとなく、本当に漠然として定まらないけれど、なんとなく分かった気がする。


 辛い

 悲しい

 寂しい

 心細い

 怖い

 色んな感情の中で、私は一つの決断をした。

私がこの組織を率いる。

リーダーが信じる組織を、リーダーが信じた私が率いる。

 彼の意志がそうだというのなら、私の意思もまた同じ。

断るなんてことは出来なかった。

 力強く頷く。

その様子に、リーダーは満足げに、それでいて安堵と喜びを得た表情をした。


 「それじゃあ、また会おう…天の楽園は近い…。」


 意味深な言葉の直後、リーダーの身体は光の粒子となって消えた。

その様子を見て、ショックを受けた者、決意を固めた者、ただただ泣き崩れる者…様々な人間が居た。

 次の瞬間、世界は停止した。

否、急停止したかのように急展開と同時に世界が塗り替えられた。


 森全体に広がる青い結界。

 先ほど殺された女性の復活。

 屋敷の近くに不自然に出現した扉。


 結界は神の道具ですら破ることなど出来ないほど強力。

 復活した女性は起き上がり、近くに居た少女と抱き締め合う。

 屋敷近くに顕現した扉は、恐らくリーダーが言った通り、異世界に繋がるものなのだろう。


 私は、「屋敷」という存在でありながら、このガーディアン・ヴァルトを率いていかなければならない。

出来る出来ないではなく、やるんだ。

出来ないのなら信じる。

全てを信じる。

 それは恐ろしく怖い事で、全てを委ねるに等しく、裏切られてしまえばたちまち壊れてしまう脆弱な思想。

それでも、私は信じる道を選んだ。

リーダーもそんな私を信じて光となった。

私にできるのは、彼のためにも精一杯この組織を統治しながら、「屋敷」として生き続けること。





 かつては人間が住んでいた巨大な「屋敷」

迷宮の樹海の中にある、たった一つの「屋敷」

それが私という存在の全て。

 そして今は、そこにガーディアン・ヴァルトという人間の組織を統治する存在という、概念が付与した。

与えられた。

私の恩人によってもたらされた、新たな生き方。

 人間たちは私をよく支えてくれる。

私は相変わらず言葉を覚えきれていないけれど、少しずつ…本当に少しずつ言葉を話すようになった。

意思を伝えられるようになった。

 人間でいう所で三歳児らしい。

よく分からないけれど、組織の三歳児を見ると、自分の言語レベルと変わらないのは分かった。

その分、組織の人達は本当に良くしてくれる。

私を仲間外れにすることなく、よく支え、よく可愛がり、まるで家族の様に接してくれた。

いや、この仲間たちは私にとっても家族も同然かもしれない。

 こうして生きているのも悪くはないのは確か。

前までの私になら考えられない生き方。

だから今を必死に生きる。

必死にこの組織の人を護る。


 やがて、結界の外部の人間たちから、この森を「夜の森」と呼ばれるようになり、私の事は「星の屋敷」と呼ばれるようになった。

意味はなくとも、普通の森ではなく、普通の屋敷ではない事の表れらしい。


 どうでも良いけれど、私はそうして多くの人間に知れ渡る存在になった。

これが良いことなのか、悪いことなのかは分からないけれど…少なくとも「独りではない」という事は確信した。


 私はいつまでも、いつまでも護っていく。

 この森も、この組織も、この体も。


 なぜなら、私が一番に尊敬した人が遺したものの全てだから…。




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