第4話:奇禍
「・・・ううん」
いつの間にか寝てしまっていたらしい。薄暗い部屋の中でリクはゆっくりと体を起こした。
一体どれだけの時間眠っていたのだろうか。リクは目覚まし時計に顔を近づけた。
ガシャン!
突然聞こえた音に体がびくりと跳ねた。階下から怒鳴り声が聞こえる。耳をすますと、それが父の声だとわかった。
ベッドから降りドアを開け、恐る恐る廊下を覗く。廊下の突き当たり、階段から身を乗り出すようにして、アキが下を覗きこんでいた。
「アキ!」
小声で呼びかけると、アキは怯えた顔でこちらを振り向いた。
「お兄ちゃん!下に何かいる・・・!」
開けたドアの隙間から滑り込むように入って来たアキが涙目で言った。
「何かって、まさか泥棒?」
リクの問いにアキはかぶりをふる。
「ううん・・・多分人間じゃない・・・・・・」
アキの言葉にリクは今朝の出来事を思い出した。怪物、化け物・・・。今までデマだと思っていたが、もしそれが本当なら、今、下の階にいるのは一体何だ?
怒声はおさまったが、かわりに物が壊れるような音が断続的に聞こえてくる。
「行こう、父さんが心配だ」
「で、でも」
不安な面持ちでアキが俯く。
「大丈夫、俺が付いてる」
部屋を出たリクの後にアキが続く。息をひそめ忍び足で階段を降りるにつれ、音が近くなった。皿が割れる音だ。
顔を半分だけ出して音がしたリビングを覗きこんだリクは、思わず息を呑んだ。
鼻をつく鉄の臭いと部屋の窓際に出来た赤黒い水たまり・・・血だ。その中に横たわる母は、ぴくりとも動かない。母の身体は上半身と下半身が切断されていた。リクは咄嗟に覗こうとしたアキの目を片手で覆った。
母の亡骸の数メートル手前には、バットを持った父の後ろ姿があった。
さらに父の正面、粉々に割れた窓の前。月明かりに照らされ黒光りするそれはいた。
鎌のような両腕に硬そうな甲殻を身にまとった姿、間違いなくそれは今朝の写真に写っていた化物だった。
──クチャ、ベチャ。
不愉快な咀嚼音に目を凝らすと、一定のリズムでそいつの口元が動いている。しばらく咀嚼した後、ペッと吐き出された何かが床に落ち、金属音が部屋に響いた。血のついた金属製のリング。母の指輪だ。
「うっ・・・」
胃の奥から酸っぱいものがこみ上げてきたリクはもう片方の手で自分の口を抑えた。
「おぉぉおおお!!!」
突然、雄叫びとともに父がバットを化物の頭目掛けて振り下ろした。
青草を刈るような湿った音がして、真っ白な壁紙に父の血が真っ赤な飛沫を描いた。父の右腕が宙を舞ってリクの足元に落ちた。質の良い包丁で切ったようにきれいな断面から骨が覗く。
「ひっ・・・」
驚いた拍子にアキの目を覆っていた手が外れた。同時に視界の開けたアキが小さな叫び声を上げた。声に反応して化物がアキを見る。震えながらアキが後ずさりをする。アキを自分の背に隠し、リクは右腕を押さえて膝立ちになった父に声をかけようとした。
「父さ・・・」
「来るな!!」
いつもの温和な様子からは想像出来ない声で父が怒鳴った。痛いほどに鼓膜が揺れた。
「でも・・・」
「いいから・・・。いいからアキを連れて早く逃げろ!」
「・・・わかった」
リクは全ての感情を押さえ付けてそう答えた。
「いい子だ。アキをよろしくな」
優しい声。小さい頃、父にあの声で褒められて、頭を撫でられるのがリクは何よりも好きだった。リクの頭に父との思い出が次々と浮かんでくる。
「また100点取ったのか!リクは凄いなあ!」
「マサヒコくんがお前のこと褒めてたぞ!いい友達が出来て良かったな、リク」
「なんだ?これはお前にはまだ早いぞ。リクが大人になったら一緒に呑もうな」
父さん。父さん・・・。
「父さん、ありがとう。大好きだよ」
リクは震える声を振り絞って笑顔を作った。
「父さんと母さんの分まで生きろ。愛してるぞ、二人とも」
立ち上がった父の背中は、誰よりも強く、誰よりも立派だった。僅かに見える父の横顔を一筋の滴が伝った。
「・・・行くぞ」
振り向いたリクはアキの手を掴み、自分の感情を悟られないように、わざと無機質な声で言った。
「何で!!嫌ああ!!放してお兄ちゃん!お父さん!!お父さん!!!」
リクは泣き叫ぶアキの手を無理やり引っ張って駆け出した。
玄関を飛び出したとき、後ろで刺突音が聞こえたが、決して振り向くまいと上を向いた。視界を流れていく風景が滲んで見えた。しばらく走り続けるうちに、アキも観念したのか、抵抗はしなくなっていた。
「何・・・あれ・・・?」
家からかなり走ったところで、細い肩を上下させながらアキが空を見上げて立ち止まった。リクも立ち止まり空を見上げる。
夜空に巨大な穴が空いている。黒く、吸い込まれそうな闇が街を見下ろしていた。それは今朝SNSの書き込みで見たものだ。
──全部本当だったんだ。
呆然とそれを眺めていると、不意にリクのスマートフォンが鳴った。明るさに目を細める。画面にはマサと表示されていた。
「もしもし」
「おいリク!早くそこから逃げろ!」
間髪入れずにマサが焦りの混じった口調で叫んだ。
「どういうこと?」
「化物だよ、化物!見えるだろ空のアレ。あそこから降ってきた化物にみんな襲われて、もう市内は大パニックだ!」
「警察とか消防は?」
「それが、あいつら硬くて銃弾が効かねえんだ!警官のおっちゃんがさっきやられるのを見たんだ!消防はわかんねえ。火事が多すぎて対応が追いつかないんじゃねえかな」
どうやら先ほどの化物は他にもたくさんいるらしい。だとしたらまずい。今すぐここを離れなければ、最悪アキも自分も死ぬだろう。
「お前ん家からだとこの先の国道が近いな。発電所がやられたんだか電線が切れたんだか知らねーけど、どこも電気がつかないみたいだ。化物から逃げてる途中で街の様子を見てきたが、道路はあちこちで事故が起きてて車で逃げるのはまず無理だな」
「となると、徒歩か自転車かってところか。マサは自転車?」
そういえばマサは、この間マウンテンバイクを買ったと自慢していた。
「こんな非常事態にモラルを持って行動できる人間なんてそう多くねぇよ」
マサが不機嫌そうに言った。
「盗まれたのか・・・」
「ああ、ホント最悪だ。ちゃんと鍵かけときゃよかったぜ。お前は?」
「家に化物がいて・・・父さんと母さんが・・・。アキを連れてここまで走って逃げてきたんだ。もうかなり遠いし、いまさら戻るわけにもいかない」
きっと戻ったとしても自分たちの自転車は盗まれているだろう。あの化物がまだ家の周りをうろついているかもしれない。いずれにせよ、戻るのは危険だ。
電話をするリクの隣で、アキは必死に涙をこらえている。
「そっか。その、災難だったな・・・」
電話口のマサの声のトーンが下がった。
「いいんだ、気を使わせちゃったね・・・」
「とにかく、今は一刻も早くここから逃げて逃げて逃げまくって、生き延びることが最優先だ!」
「そうだね。何とか頑張ってみるよ」
「そろそろ切るぜ。どっかで会えるといいな」
じゃあな、とマサが言うとスピーカーは無愛想な機械音を出し始めた。
「アキ、まだ走れるか?」
リクの問いにアキは小さくうなずいた。名残惜しさを感じながら、リクは通話終了のボタンを押した。
あともう少し進めば住宅街を抜けて国道に出る。国道沿いに数キロ行けばこの街から脱出できる。その先はどうしよう。いや、今はマサが言っていた通り逃げることが重要だ。他のことは生き延びてから考えよう。どこかアテが見つかるまでは、何としてもアキを守らなければ。
「行こう」
「うわあああああ!」
再び出発しようとしたとき、背後から悲鳴が聞こえた。声の方向に目を向けると、誰かが走ってくるのが月明かりに照らされて見える。声色からしておそらく男だろう。その後ろに、数体の化物がいた。家にいたものと違う姿をした化物だ。大きな拳が見える。
「アキ、こっちだ!」
アキの手をつかみ、リクは素早く近くの脇道に逃げ込んでブロック塀の陰に隠れた。
「来るな!ひっ嫌だ!い、があ・・・・・・」
ボキッという鈍い音とともに男性の声が途絶えた。塀のすぐ向こう側、ほんの数メートル先からゴリゴリという、すりこぎで何かをすりつぶすような音が聞こえる。アキは口を押えて必死に悲鳴が漏れるのを押えている。このままでは、見つかるのは時間の問題だろう。
リクはそっと道をのぞき込んだ。化物の一体が一定のリズムで人の頭よりも大きな拳を地面に叩きつけている。化物の体に隠れてよく見えないが、ペースト状になって地面に広がる赤黒い何かが確認できた。他の数体がそれを啜っている。叩きつける音は止まない。何度も何度も・・・。もはや原型の分からなくなった彼の体を叩いている。リクは恐怖で固まりそうになった体を無理矢理もといた場所に戻した。
あの男性のようになる前にここから離れなければ・・・。
リクは今来た方向と逆の道を見た。そうだ、最初から最後まで国道を通る必要はない。あれはあくまで目印であり、最終的に国道へ出られれば問題はない。
リクはゆっくりと立ち上がり、自分の口の前で人差し指を立ててアキに合図をした。アキは怯えた顔でうなずき、同じようにゆっくりと立ち上がった。
「住宅街を抜けて行こう、化物に見つからないように静かに・・・」
キーンコーンカーンコーン
不意に聞きなれた音が辺りに響き渡った。それが市内の各所に設置されているスピーカーの音だとすぐに気づいた。
・・・べ・・・ほう・・・
何だ・・・。音が割れてほとんど聞き取れない。スピーカーの損傷が激しいのだろうか。
「とくべつ、けいほう?」
アキが小さな声で呟いた。
とくべつけいほう・・・。特別警報・・・!災害が発生した時にニュースで流れていたのを思い出した。勧告などではなく、いわば強制的に避難をさせるものだ。余程の事では発令されない。
「災害・・・か」
間違ってもいないが合ってもいない。曖昧な表現だとリクは思った。無論、化物が人を喰い殺してるなどという事実を公表出来るわけがないのだが。そんな事をしたらパニックになる。
「・・・だったら、どうしろって」
リクは恨むように小声で呟いた。
「お兄ちゃん・・・?」
「ううん、何でもない」
心配そうに顔を見つめるアキに、リクは首を振る。きっと普段なら化物を倒す空想に浸って一人興奮していただろう。だが、今日のこの出来事は他人事ではないのだ。当事者になって初めてテレビの中の人たちの気持ちが分かった。見られる側の気持ち、見世物にされる気持ちが。きっと明日にはこの市の映像がニュースで取り上げられるのだろう。いつもテレビで好き勝手言っているコメンテーターの顔が浮かんだ。
「助けは・・・来ないのかな」
「うん、残念だけど期待はできないかな」
自衛隊は当分来ないだろう。駐屯地が近いとはいえ、まだ大して時間が経っていない。そもそも自衛隊に知らされてるかもわからない。待っているよりは逃げたほうが少しは助かるかもしれない。
「行こう、こっちだ」
歩きだしたリクの後ろをアキが付いてくる。さっきの放送で化物たちは一旦はスピーカーに集まるだろう。一瞬驚いたが、気を引くには十分な材料だ。できればこの隙に住宅街を抜けたい。
「どうしたの?」
「ううん、気のせいかな・・・」
不意に視線を感じ顔を上げたが、何もいなかった。警戒心が強くなっているのだろう。見間違いだと自分に言い聞かせてリクは先を急いだ。
「さすがに数が多いな・・・」
すぐに向かったとはいえ、大量のベーゼが襲来したのだ。到着した周辺の景色は既に火事や停電、それに伴う交通事故で阿鼻叫喚の状態に陥っていた。
「これよりベーゼの殲滅を開始する。人が多い所での戦闘はなるべく避けろ。だが、それと並行して人命救助を行う。一人でも多く避難させるんだ。難しい注文だが、できるか?」
「承知しました、少佐殿!」
即答である。隊員達の迫力に思わず朧は圧倒された。先の任務であおば市の惨状を目にし、隊員たちの意思が強くなったのだろう。チコとラスターもやる気だ。
「敵反応多数!包囲されています!」
ラスターの部下が叫ぶ。
「お出ましだな」
朧はそう呟き魔力を解放する。
「大歓迎って感じだね」
ナツメが嫌そうな顔で辺りを見渡す。
「はいはい、わかってるよ。オレに任せな」
部隊は既に魔力を感知した数十体のベーゼに囲まれていた。ヘッドホンをかけ直したラスターが、周囲のベーゼに向けて魔法を発動する。
「みんな耳、塞いでなよ。『リジェクト・ノイズ』」
「ギィィィ!!!」
「ガッ・・・!ゲ・・・・・・」
ラスターから放たれた超音波に被弾したベーゼの甲殻が次々と自壊していき、魔法の発動から5秒と経たないうちに部隊を取り囲んでいたベーゼは全て屍となった。
「そう簡単に近づけるなんて思わないでよね」
ベーゼの残骸を睨みつけながらラスターは言った。
「もっと早くそれ見たかったなあ〜?」
「・・・うっさい」
チコの悪態をラスターが雑にあしらう。行こう、と進むラスターに朧たちも続く。
「この市はさっきのあおば市よりも狭いみたい。その分ベーゼを探し易いけど、それは向こうも同じ事だから」
「そうだな。探知の調子はどうだ?」
「音波を飛ばしてるけど、遮蔽物が多いから反射してあんまり使えないかも。・・・だから、アレ」
歩きながらラスターが指さした先には周囲の建物より高めのビルがあった。
「あの屋上からオレが探知して敵の位置を逐次報告する。けど、多分オレ一人じゃ通信に対応しきれないから、そのためにウチの隊員も連れて来たんだ。てことで、行ってくるよ」
「了解した。頼んだぞ」
朧が答えるとラスターは部下を二人連れて軽々とビルの壁を駆け上がって行った。
通信が使える状態が確保できれば仲間同士での連携も楽になるだろう。
「ここから先はラスターの支援を受けつつ、前任務同様ツーマンセルでの行動とする。少し時間をかけ過ぎてしまったな。散開して各個撃破しろ。ゲート閉鎖までにベーゼを一匹でも多く倒し、生存者を一人でも多く助けろ!」
「はっ!」
「行くぞ、散!」
朧の号令を合図に隊員たちがその場から姿を消した。
朧はパートナーにナツメを連れて、住宅街に来た。屋根の上から見渡す限り、結構な数の火災が発生しており、夜空が反射で赤く染まっている。レイは屋根の端に立ち、手で双眼鏡の形を作ってそれを覗いている。おそらく何も見えていないだろうが、放置することにした。
「俺が索敵粒子を飛ばす。ナツメは探知に引っかかった箇所を重点的に見てくれ」
「了解」
「何か見えるか?」
「何も見えません!」
「ちょっと黙ってろ」
依然として遠くを見ているレイに朧は冷ややかな視線を送り、ナツメを見やった。
「うん、ちょっと待ってね」
そう言ってナツメが一度目を閉じた。彼女は特別な目を持っており、その目に宿った数ある能力の一つに千里眼がある。
朧がばらまいた粒子は生物の魔力を感知し、その数と魔力の大小を正確に知ることができる。しかし、見ることは出来ないので敵の形状を知るためにはこのように千里眼系の能力と併用する必要がある。人間を感知する場合であれば、朧の粒子のみでも敵の数、そして魔力から大まかな力量を把握することができる。しかし、ほぼ常に空腹で魔力量が安定しないベーゼを感知する場合は直接姿を確認しなければ詳しい種類がわからないのだ。先ほど朧が粒子をまいたのは、ベーゼの個体ごとの魔力から現在の捕食量を知るためである。
「南西の方角500メートル先、スカラベ574体、ファルクス23体、スレイマン36体」
「了解。ご苦労」
見開かれたナツメの瞳にはオレンジ色の模様が浮かんでいる。
「マーキングが完了した。引き続きよろしく頼む」
対人戦では相手が何らかの対策を講じている場合が多いのであまり実用性が無いが、ベーゼであればロックオンしたことを悟られはしないだろう。それを聞いたナツメが魔力を解放する。
「りょーかい。隊長の粒子反応を確認。対象をターゲットとして認識。行動予測術式展開。中距離弾道補正術式、反射追尾術式展開。魔導弾の制御適正化のためフェーズ2へ移行」
換装魔法で二丁拳銃と交換された長距離狙撃ライフルを構えたナツメが次々と術式を展開していく。彼女が扱う武器は全て専用に製作された一品物の特注品である。
今、彼女が構えているのはラオインMark-Ⅱと呼ばれる狙撃銃だ。ナツメが技師に頼み込んでやっと形になった試作機は彼女が試射した瞬間木端微塵になった。さらに同技師の自信作であった初号機も大破した。あの時の技師の発狂具合は付き添った朧の記憶にも鮮明に残っている。その後、様々な術式を並行して扱うナツメの使用に耐えられるように、本体を構成するパーツの一つ一つまで素材から見直されてやっと完成したのがこの銃だ。
その性能は凄まじく、使用者の技量と相まって規格外の兵器となっている。過去の作戦では、盗賊団のアジトにたった一丁で弾幕の雨を降らせ、一瞬で壊滅させた経歴がある。一つ欠点があるとすれば大人の男でも簡単に持ち上がらない程の重量だろう。耐久性の代償である。
あまり銃に詳しくない朧にはよくわからないが、愛好家のナツメ曰く発射時の衝撃がたまらないそうだ。
そうこうしてるうちに発射準備が整ったようで、ナツメが発射体制に入る。
「ラオイン、出番だよ」
トリガーを引く反対の手でナツメが銃身をわが子のように撫で、優しく呟く。次の瞬間、銃口が眩い光を発し、放たれた光弾が無数に分裂して住宅街に降り注いだ。朧の探知からベーゼの反応がみるみる減っていく。千里眼がなくとも、弾がすべてベーゼの急所を正確に撃ち抜いていることが朧にもわかった。
「全弾ヒット・・・!はあ、はぁ・・・最高」
呆気に取られる朧の背後でナツメの声が聞こえた。横にはラオインが無造作に転がっている。振り向くと今さっきまで隣にいたナツメが天を仰いで横たわっていた。
ああ・・・そうだった。
朧はラオイン最大の欠点を思い出した。単発発射ならば問題ないが、今のような高出力射撃を行うと、あまりの反動で使用者のナツメが後方に投げ出されるのだ。
「大丈夫か・・・?」
「愚問だね。ほ、ほら、ボクはこの通りピンピンしてるよ」
鼻血をたらし、額からも血を流しながら答えるナツメは、手足を投げ出して恍惚の表情を浮かべている。と思うと今度は急にナツメが深刻な顔つきになった。
「隊長・・・」
「なんだ、どこか悪いのか?」
「超・・・・・・気持ちよかったです」
「ああ、そうか」
ナツメに優しく微笑み、朧は彼女の脇腹に蹴りを入れた。ナツメの体は傾斜のある屋根の上を転がり、ゆっくりと地面に落ちていった。
「エスター中尉。ナツメ中尉の件は・・・その、残念であった」
「中尉の分も私たちが貢献しましょう、少佐殿」
「ああ」
転がっていたライフルを拾いあげ、二人が立ち去ろうとすると、屋根の端に手がかかった。
「置いていったら化けて出るよ」
「わ、ゾンビ」
血まみれで這い上がってきたナツメの近くにかがみ、ぐいっとレイがナツメを引き上げる。
「可愛い銃たちを置いて死ぬわけにはいかないからね」
「その前に怪我を治そうな」
「隊長に蹴落とされなかったらもう少し軽傷で済んだかもね」
過去に衛生兵をしていた経験のある朧は、チコには遠く及ばないが、多少回復魔法も使うことができる。今のナツメ程度の軽い怪我であればすぐに治る。
「ん・・・ありがと」
傷の消えた顔の血を拭いてやり、ナツメにライフルを返す。
「何だかそこまでベーゼを見かけないような気がするのですが」
「確かにそうだな。到着前に目視できた数からして町中が奴らで溢れかえっていてもおかしくはないのだが」
朧も感じていた疑問をレイが口に出した。朧も同意見だ。ナツメが顎に手を当て、会話に加わる。
「さっき攻撃する前に千里眼で遠くを見たとき、既にあちこちにベーゼの死骸が転がってたんだ。誰が見ても分かるような規則的かつ正確に心臓を貫かれたような傷が刻まれてたから、多分全員同じ武器でかなりの手練れだと思う。こんな芸当が出来るのは──」
「私からのささやかな労いだ。遅くなってすまない。国王陛下から承認をいただくまでに時間がかかってしまってな。気に入ってくれたかな、少佐?」
突然会話に割って入った聞き覚えのある声に、その場にいた三人は一瞬にして固まった。
「その声はヒース=シュタイナー少将閣下!?」
朧の通信機を見つめ、レイとナツメが驚愕の表情を浮かべる。二人のことは気にもとめない様子でヒースは続ける。
「言っただろう、援護すると」
「しかしそれは通信面のお話では?」
「もとはその予定だった。だが、二次攻撃は想定外だ。君たちが優秀なのは承知しているが、多くの人命救助が伴う折、数的不利は否めないだろう」
「確かにその通りです」
「そこで先だって私直属の102及び103部隊を、そちらへと向かわせた。基本的には別行動となるだろうが、何かあれば協力するよう伝えてある」
「お心遣い深く感謝致します、閣下」
「それでは、健闘を祈る」
朧が敬礼をすると、ヒースも同様に返し通信を切った。
「どうりで強い訳だ。あれをやったのがヒース少将の部隊なら納得がいくね」
ナツメが頷きながら先ほどの方角を見つめる。102、103部隊は戦闘時に良好な通信環境を確保するために、その障害となるものを本隊到着前に除去することを目的とした部隊だ。素性は明らかではないが、かなりの手練れ集団であり、単純な戦闘力で比べれば遊撃隊を凌ぐことは間違いないだろう。
「ああ、心強いな。だが俺たちも負けていられない。そろそろ千年界から行われているゲート閉鎖への働きかけが効果を現す頃だ。これ以上ベーゼが増えることは無いだろう。残りのベーゼを片付けよう」
「ところで、ベーゼの死骸は放置したままで良いのですか?」
レイが遠くを眺めながら尋ねる。
「問題ない。千年界であれば少なくとも3日間は死骸が残り続けるが、大地を流れる魔力が少ない地球では半日と経たず消滅する」
「詳しいんですね」
「まあな。次の場所に移るぞ。あとはあおば市と反対の方角へ続く国道方面だ。既に少将の部隊が向かっているだろうが、俺たちも急ごう」
リクとアキはなんとか横道を利用して市のはずれまで辿り着いていた。隣町まであと2キロ弱といったところだろうか。二人が目指す国道も、いつもは両親の運転する車でしか通らない道だ。そして現在二人が歩いているのは、民家も途切れ途切れになり始めた見知らぬ横道である。幸いここまでほとんど化け物はおろか死体にも遭遇しなかった。アキの精神的な負担も軽減出来ているだろうか。
サイレンを聞いたあと横道に入ってもうかなり経つが、見知らぬ道は未だ続いている。おぼろげな記憶をたどりながら遠くに見える国道の風景と二人の記憶を照らし合わせながら進んでいる。
「たぶん、この先を曲がれば国道に──」
言いかけたリクの体が曲がり角で何かにぶつかった。 見上げる間もなく目の前のそれは奇怪な叫び声をあげて襲いかかってきた。
「ギイイェエエォォォ!!」
リクは恐怖で硬直するアキの手を引き、全速力で走った。アキも必死に付いてくる。背後からは叫び声が猛スピードで追いかけてくる。
このままじゃ追いつかれる・・・!
そう思ったとき、急にリクの体が横に引っ張られた。バランスを崩しリクはアキと一緒に背の高い草むらに倒れ込んだ。
体を起こそうとした二人を、顔の前に出された人差し指が制した。草むらの外では化け物が不気味な声を出しながら自分たちを探し回っている。
「シーッ!静かに。無事で良かった、リク、アキちゃん」
「マサ・・・!?」
「北野さん・・・!」
驚く二人の前でマサがニッと笑った。
「どうしてここに?」
「たまたまだよ、運が良かったな。ヒーロー見参ってやつ?」
小声でマサがケラケラと笑う。いつもなら少しムッとする所だが、今回ばかりは本当に助かった。
「ありがとう。助かったよ」
「いや、まだ安心するのは早いぜ。さっきの騒ぎで化け物が集まって来てる。見つかるのは時間の問題だな」
マサの表情は暗い。
「じゃあどうすれば・・・」
「俺に考えがある。リク、スマホ貸せ」
「えっ?」
いいから、とマサは半ば強引にリクの手からスマホをもぎ取ると、自分のスマホに電話をかけた。すると、少し離れた場所で大音量でマサの着信音が鳴り響いた。数体の化け物が音のした方向に一斉に群がる。
「走れ!」
言われるがまま二人はマサに手を引かれて走り出した。すぐにリクたちに気づいた化け物が何体か追いかけてきたが、音に気を取られていた分距離を空けることができた。
このまま行ける。しかし、十字路にさしかかったとき、住宅街で見かけた大きな拳をした化け物が飛び出してきて、リクたちの前に立ちふさがった。後ろからも家にいた手が鎌のような化け物が迫っている。
目の前の化け物とリクたちの間を仕切るように立ってマサが言った。
「リク、合図したら俺と違う方向に走れ」
「どうする気だよ!?」
「決まってんだろ、俺が囮になって時間を稼いでやる」
「そんなこと出来ねーよ!お前までいなくなったら俺は・・・」
「おい、誰が死ぬっつった?いいからお前はアキちゃん連れてさっさと逃げろ!!俺もすぐに行くからよ!」
「マサ!!」
「おら付いてこい化け物!!俺と鬼ごっこしようぜ」
リクが叫んだ時には既にマサは駆け出していた。マサを追いかけて複数の化け物が次々とリクと反対の道になだれ込んで行く。
「絶対だぞ!!!」
リクの声にマサはいつも悪さをする時の顔でニヤリと笑った。
「・・・絶対、だからな」
言ったリクも隣のアキもぼろぼろと涙をこぼしていた。アキの手を握ってリクも走り出す。化け物は付いてきていなかった。
大丈夫。マサはきっと大丈夫。あいつは生きて戻ってくる。リクはそう自分に言い聞かせた。マサが命をかけて逃がしてくれたのは自分だけじゃない。アキを守るんだ。一緒にここから逃げるんだ。生き延びて、マサに会うんだ。
「がっ・・・!」
もう少しで市から出る、その時だった。急に右足の感覚が無くなってリクはその場に倒れた。
「お、お兄、ちゃん・・・!!そん、な・・・」
アキが傍にひざまずいて号泣している。
「どうした?悪い、転んだみたいだ。アキ、早く行こう・・・?」
「う・・・あ、あし、足!お兄ちゃん、の足が・・・!あああああ!」
「足?おれの足がどうか・・・」
そこまで言って気が付いた。
右足の膝から下が無くなっていることに。
赤黒い血だまりが広がっていく。
「うわああああああああああああああああああ!」
気づいた瞬間下半身から意識が遠のく程の激痛が襲ってきた。
痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
恐怖と痛みで頭がどうにかなりそうだった。
「嫌あああ!!やめて!離して!!」
アキの悲鳴で我に返ると、さっきの化け物たちとは違う姿をした化け物にアキが捕らえていた。薄暗いせいで細部までは見えないが、そいつのシルエットは人間に近かった。だが、明らかに人間と違うのは巨大な鉤爪のような左腕と、肩越しにのぞく異様な形状の翼だ。
化け物は必死に抵抗するアキを舐めまわすようにじっと見つめている。その様子にリクの中の怒りが頂点に達した。
「やめ・・・ろ!アキを、放せぇええぇェぇェェェ!!!」
リクは片足で立ち上がり化け物へと突進する。あと少しでアキに届きそうなところで野菜を切るような、サクッという音がしてリクの右腕の肘から下が地面にぼとりと落ちた。
よろめいたリクは鉤爪で数メートル後方に吹き飛ばされた。右胸から左の脇腹にかけて深く肉を抉られ、裂け目から肋骨が見える。
身動き一つに取れなくなったリクはただ泣き叫ぶアキを見つめてヒューヒューと息を漏らすことしか出来なかった。
いつの間にかアキ捕らえている化け物の隣に鎌の化け物に似た奴が立っていた。きっとあいつが自分の腕を切り落としたのだろう。
「ま・・・・・・て・・・」
リクの声を無視し、化け物たちはアキを連れてどこかへと立ち去ってしまった。
何で。
なんで・・・。
なんで自分たちがこんな目に遭わなければいけないのだろう。
一体何をしたというのだ。
なんで。
なん、で・・・。
「誰・・・ぞ!・・・れは・・・い」
「・・・だ・・・きが・・・る!」
「早く・・・・・・法を!」
薄れゆく意識の中で、誰かの声が聞こえた。
大変長らくお待たせしてしまい、本当に申し訳ございません。前回投稿からもう一年以上経ってしまい、もう私の作品の読者様はいないかも知れませんが、こうして戻ってこられたのも何かの縁。次回投稿がいつになるかは未定ですが、読んでいただければ幸いでございます。