第3話:首刈りのチコ
公園に生存者が運ばれて来るにつれ五番隊は徐々に慌ただしくなってきていた。休む間もなく隊員達が動いているが、さすがに少人数では対処の限界がある。帰ったら上に断固抗議してやろう。しばらく休暇を貰うのも良い。ベーゼの侵入を防ぐため公園の周囲に結界を張り終えたチコは、不機嫌そうな顔で立ち上がった。
「怪我人の処置を急いで!重篤患者を優先で治療するから私のとこに連れてきて!手の空いてる人は治癒結界の強化を!」
チコは隊員たちに指示を出しながら、ある一つの疑問を抱いていた。発見された生存者と遺体の数を合わせても、この市の人口に全く足りないのだ。朧からは人口は10万人ほどだと聞いている。しかし、作戦開始から現在までにここに運び込まれた生存者の数は1500人ほどだ。他の隊からの報告をもとに、犠牲者数を推測すると9万人ほどだろうか。チコの魔法で遺伝子照合は既に済んでおり、遺体の身元特定もほとんど完了している。しかし、考えてみると8000人ほど足りないのだ。捕食されたとしても基本的に体の一部は何かしらの形で残る。運良く市外に避難できた人もいるだろうから、多少の誤差はあるが。とすると考えられるのは一つしかない。
「連れて行かれた・・・?」
チコはそう呟き眉をひそめた。ベーゼが捕食をせずに人間をさらうという事例が数年前のベーゼ襲撃の際に報告されている。だが、未だに目的はわかっておらず、さらわれた人間が戻ってきたことは無い。今回もそれなのだろうか。
「チコさんあれ!」
「どうしたの!?」
鋭く響いた隊員の声に意識を戻される。隊員が指さす方向を見ると、負傷者の血の匂いを嗅ぎつけてベーゼがぞくぞくと集まって来ていた。スカラベの大群だ。
「あちゃー、こりゃ困った。ラッセル、サイモン!援護して!」
「おう任せろ!」
「あいよ!」
五番隊の武闘派二人がチコの呼びかけに元気よく応じた。下級のベーゼならば結界の中に侵入することは不可能。つまりこの中にいる人達はひとまず安心だ。しかし、結界の外が敵だらけでは今後搬送されてくる負傷者を中に入れることができない。放置するわけにはいかないため、こいつらを片付けねばならない。
チコは二人とともに結界を飛び出し、大声で叫んだ。
「この人たちには指一本触れさせないよ!」
チコの声に反応したのか、ベーゼたちが独特の叫び声を上げながら一斉に攻撃を仕掛けてきた。チコは足を肩幅に開き、掌を外側に向け両手を横に広げる。
「いっくよー!『四重障壁』!!」
四段階に分かれた衝撃波が、寄ってきたスカラベの群れを消し飛ばす。防御用の魔法だが、至近距離で放つことで展開時の攻撃判定を利用して相手を吹き飛ばすことができる。スカラベ程度ならまとめて粉々にするだけの威力はある。しかしチコの攻撃で少し数が減ったとはいえ、すぐにそれ以上の数が押し寄せる。
「うっわ・・・全然減らないや」
なおも止まない攻撃を防御魔法で防ぎながら、チコはラスターに通信を入れた。
「もしもしラスターくん!?」
『あー、チコちゃん大丈夫?五番隊の周りで音の反応がどんどん増えてってる』
応じたラスターは、相変わらず無気力そうな声だ。
「絶賛大ピンチだよっ!もっと早く連絡入れてよこのポンコツ!」
連絡の遅かったラスターにチコは悪態をついた。
「うるさいな!こっちも全隊と連絡とってるから手一杯なんだよ!このチビ!」
嫌悪の表情を浮かべたラスターが親指を下に向けて怒鳴る。
「はあ!?あんただって私と身長たいして変わらないじゃん!」
チコも負けじと応じる。
「ま、まあまあチコちゃん!ラスターくん!そんなに怒んなって。ケンカしてても敵は増えてくぜ?」
エスカレートしていく口論に見かねたラッセルが仲裁に入る。
「それくらい元気よく怒れるなら、まだまだ余裕そうだね」
ラスターが鼻で笑いながら言った。
「なっ・・・」
「勘違いしないで。ちゃんと他の隊にも連絡入れとくから。オレが一番近いから直ぐに向かう。それまで持ちこたえて」
「なら、許してあげる!」
なんだかんだ言っても、ラスターは仲間を大切にする。チコはその言葉を信じることにした。それまでは何としても食い止めねば。
「わかった、急いでね!」
チコは通信を切った。いつの間にか結界を除く周囲の地面がスカラベの大群で埋め尽くされていた。人の頭ほどのゴキブリの様な虫がカサカサと地面を這い回り、不快な音が辺りに満ちている。羽を持たない事だけは幸いだが、触りたくはない。一匹だけなら新兵でも楽々倒せるスカラベだが、大群だとそうもいかない。現にチコも手こずっている。
「うへえキモチワルイ!」
チコは足に登ってきていたスカラベをはたき落とし、跳躍して後方の屋根に移った。
「ラッセル任せた!頼りにしてるよ!」
「ああ任された!!」
チコが叫ぶとラッセルは太い雄叫びをあげ、手に持った巨大な斧でスカラベたちを次々と粉砕していく。
「いいぞー、ラッセル」
虫の体液まみれになっても気にせず戦う頼もしいラッセルを眺めながらチコは先ほどの憶測についてまた考え始めた。
「おーい、チコちゃんも戦ってよ!」
サイモンが剣を振るいながら叫んだ。
「んー。ごめんちょっと考え事!」
「数の差がやばいでしょこれ!」
「うるせー!働けこんにゃろー!!」
納得のいかない様子でまだ小言を言っているサイモンにチコは叫ぶ。
「ひでえ!わーったよ。けど、オレもラッセルもあんまり長くはもたないぜ」
「怪我したらすぐ治してあげるよ!動けなくなるまで戦わせてあげるから安心してっ!」
チコがウィンクをすると、サイモンの表情が固まった。そんな彼に笑顔で手を振りチコは再び思考の世界に戻った。
ベーゼたちは人間をさらって一体何をしているのだろうか。もちろんゲートに飛び込めば、彼らの世界へ行くことは可能だろう。そうすれば、確かめることができるかもしれない。ただ、生きて帰れる保証は無いが。
「はあ・・・わからんなあ」
チコはため息をついたところで、目の前の影に気がついた。顔を上げるとそこに立っていた人型の何かが、周囲の風景に溶け込むようにふっと消えた。
「やっば!」
チコが後方へ飛び退いた瞬間、今まで自分がいた場所の瓦が砕け散った。
「最悪!ハーミットじゃん!」
チコの口から心の声がもれる。A区分の中でも特に嫌われていることで有名なハーミット。ファルクスやスレイマンは他の区分よりもやや知能や戦闘能力が高い程度で、きちんと対策をすれば大した敵ではない。しかし、ハーミットはそうはいかない。
一体何が嫌われる理由なのかというと、ハーミットは全身を覆う甲殻が特殊で、周りの景色と同化する能力を持っているため、肉眼での視認はまずできないのだ。おまけに機動力は身軽で素早く動き回るファルクスをも凌ぐ。A区分討伐で調子に乗った兵士が一体何人奴に葬られてきたことか。
個体差はあるものの、基本的にハーミットは鎧をまとった騎士に似た外見で、剣のような武器を携帯している。探知魔法が使えないと死角から致命傷を負わされる可能性が高く、隊長格でさえ戦うのを嫌がる程だ。朧やラスターのような探知魔法があれば話は別なのだが、あいにくチコは探知魔法を持っていない。
「見えないってのはずるいよね!男なら正々堂々と戦いなさ・・・っぶな!」
とっさに飛び退いたチコの鼻先数センチを斬撃が通過した。切られた前髪がパラパラと舞った。おととい美容院に行ったばっかりなのに!チコは心の中で文句を言った。
「あーもー!どうやって戦えっていうのさ!朧っち・・・助けてー!」
チコは悲痛の叫びを上げた。その時、背後でかすかに足音がした。
「しまっ・・・・・・!あ・・・ぐ・・・」
後ろに殺気を感じた時にはもう遅かった。背中から刺された刃の先端がへその上辺りから突き出ている。血がついて視認可能になった刀身が暗く光る。どうやら内臓を貫通しているらしく、体内で血が広がっていくのがわかる。激痛で声も出ないうえにこの場所は丁度、下からだと死角になるため助けも来ない。
まずい・・・非常にまずい。
「ぎ・・・あぁっ!!」
刺さっていた剣が一気に引き抜かれ、再び激痛が走る。チコは腹部を押さえながらその場に跪いた。開いた傷口から血が大量に流れ出ている。白い制服の生地がみるみる赤黒い液体で染まっていく。
揺らぐ視界の中、ふとチコはあることに気づいた。足音が増えている。
ハーミットが二体・・・?・・・ いや、もっといる。本当に・・・。
「・・・最悪だよ」
足音が近づき、風を切る音とともに剣が振り下ろされた。瓦が舞い上がる。
だが、そこにチコの姿はなかった。一瞬姿を見せ、不思議そうに辺りを見回した3体のハーミットのうちの1体の顔面に拳が叩き込まれた。あまりの衝撃に耐えきれず、ハーミットの頭部は吹き飛び、頭部を失った胴体が深緑色の体液を周囲に撒き散らしながらその場に崩れ落ちた。驚いたもう一体はチコから距離をとって再び姿を消した。
「はー、痛った・・・がはっ・・・」
咳き込んだチコの口から血が流れ出た。動いたせいもあるが、やはりダメージが大きい。なんとか持ちこたえ、治癒魔法を使おうとするも、追い討ちをかけるようにチコに正面から蹴りが入る。気配で気づき、体に当たる寸前でガードしたものの、体重の軽いチコの体は水切りの小石のように屋根の上で跳ね、隣の家の窓を割って部屋の中に転がった。迷彩を解除し、コツコツと軽快な足音を立てながらハーミットが窓に近づいた。
「そう言えば、チコさんはあだ名があるって聞いたことがあるのですが、どんなあだ名ですか?」
現在一番隊は出会ったベーゼを駆逐しながら移動している。移動中の朧にレイが尋ねた。
「ん、ロリババアか?」
「違います!それ後でチコさんに言いつけますからね!!私が訊いてるのは武闘大会の時のお話です!」
「いやそれは勘弁してくれ・・・。対戦相手の男が口の悪い奴でな。浴びせ続けられる罵詈雑言に、最初は優しいチコも苦笑いしながら流していたんだがな・・・」
「それで、どうしたんです」
レイがごくりと唾を飲み込む。
「最後はチコがブチ切れて試合会場は半壊。慌てた相手の男は分身を大量に召喚して逃げ回ったんだが、チコはその分身全ての首をむしり取りながら壁際に男を追い詰め、トドメをさす寸前でストップがかかった。男の顔をかすめて打ち込まれたチコの拳が壁に大穴を空けていたよ。あのまま続行してたら、相手は死んでただろうな。それから、チコはこう呼ばれてるんだ」
──首刈りと。
「ギィィ!?」
部屋をのぞき込んだハーミットの右目が甲殻ごと抉り取られた。混乱したハーミットがよろめく。薄暗い部屋の中、遊撃隊のメンバーが恐れる化け物の姿がそこにあった。
「・・・おい」
怯えた様子でハーミットが後ずさりする。チコの腹部の傷口がみるみる塞がっていく。チコを囲むように展開された魔法陣の光が、彼女の血に濡れた顔を下から照らした。
「・・・フェーズ2」
顔に付いた血液が、チコの顔で何かの紋章のような模様を描き始めた。恐怖に耐えきれず振り返り駆け出したハーミットの頭を、背後から伸びてきた手が掴んだ。回された手は残ったハーミットの目を潰しながら顔を覆うように掴んでいる。あまりの力にハーミットがうめき声を上げながら後ろに仰け反る。チコの獣のような息遣いがハーミットの横顔にかかる。
「頭よこせや」
ハーミットの耳元で、裂けんばかりに口角を上げてチコが小さく囁いた。
「戻ったぞ」
時刻は午後6時。朧が五番隊の場所まで到着すると、ちょうど二番隊、三番隊も戻ってきたところであった。朧は全隊が揃ったのを確認し、生存者の容態を確かめるために結界へと2、3歩進んだところで歩みを止めた。
結界から少し離れた場所、朧の視線の先には、近寄る事をためらう程の殺気を放つチコの後ろ姿があった。肩が大きく上下しており、かなり息が荒い。深緑の体液にまみれた両手にはハーミットの首がぶら下がっている。隣に来たラスターが「アマゾネスかよ」と呟いた。
「・・・チコ?」
朧が呼びかけると、チコは弾かれたように振り向き、「おかえり朧っち!」と言って満面の笑みを浮かべた。しかしその口元は吐血の為か血が滲んでおり、腹部も破れた衣服が赤黒く染まっている。おまけにその体は、チコの血のほかに身体中インクを掛けられたようにハーミットの体液まみれだ。
「ひどい傷だな・・・大丈夫か?」
朧が歩み寄るとチコはみぞおち辺りまで服をまくり上げた。
「ううん、大丈夫だよ!ほらこの通り。おや〜?朧っち結構紳士なんだねえ」
思わず顔を背けた朧に、ニヤニヤしながらチコが答えた。白く細いウエストは、きれいに傷が消えていた。
「なっ・・・!からかうな!分かったからもう服を下ろせ」
「でもね、フェーズ2使っちゃった・・・」
言われたとおり服を下ろしたチコは残念そうに視線を落とした。チコが倒したハーミットは全部で5体。それだけの数を相手にすれば仕方の無いことだ。
ところで、服のシミから予想される出血量からして、普通の人間であればまともに動けるはずがないが、目の前のチコはケロッとしている。近くまで来たレイが不思議そうにまじまじとチコを見つめているのはそのためだろう。
「どうしたのレイちゃん?もしかしてお姉さんのこと心配してくれたの〜??いやあ、優しいなあこの子は〜!」
視線に気づいたチコが満面の笑みで両手を広げ、レイににじり寄る。
「いや、そうですけど、そうじゃなくて・・・ってなんでこっち来るんですか!?やめてください生臭いです!ひっ・・・た、隊長助けて!いやあああああ!!!」
チコに抱きつかれたレイが朧に手を伸ばしながら悲鳴をあげる。
「うわあ、なにあの拷問・・・」
ラスターが口元を抑えながら呟いた。帰ったらレイに美味いものでも買ってやろう。すまん、と朧はレイに手を合わせた。
「俺たちじゃなくて・・・良かったな・・・」
「うん・・・。いや、アンタは粒子化して逃げるだろが」
ラスターがジットリと朧を睨めあげる。
「当たり前だ」
朧は大きく頷いた。
「てゆーかね!」
不意にチコが振り向いた。
「うわっ!?」
「ひいっ!?」
朧とラスターは二人して情けない悲鳴をあげた。
「来るの遅いよ!アタシ死ぬかと思ったよ!?」
2人を睨みつけながらチコがこちらに歩み寄る。解放されたレイは、地面に横たわり「・・・私もうお嫁に行けないです・・・・・・」と泣いている。可哀想なことに、生臭い体液まみれになってしまっていた。
「す、すまない」
「こっちも急いだんだよ・・・」
詰め寄るチコの迫力に押された二人が後ずさりする。
「へえ、急いだんだ。ほんとに?か弱いアタシはお腹貫かれたのにどうしてキミたちは無傷なのかな?」
「いや、それは・・・」
「やっぱり実力の差じゃないかな」
やめろラスター!なぜこのタイミングでケンカを売るんだお前は!?
チコの部隊はほとんどの隊員が負傷者の手当をしていたのだからそもそも戦闘員が少ないのだから仕方ないのだ。それを分かった上でケンカを売っているのだラスターは。
「あんたねえ・・・!」
「こっち来ないで粘液オバサン」
チコのこめかみに青筋が浮かぶ。チコが今にもラスターに掴みかかろうと一歩踏み出た。
「喧嘩してる場合か!これからもっと忙しくなるぜ!」
朧は心の中でガッツポーズをした。割って入ったのはホムラだ。ナイスだナルシシスト。しかし、彼はなぜか腰の周りに浮き輪のようなコンクリートが付いており、猛烈にダサい。
「な・・・おまえ」
朧をはじめとする全員がその姿を見て言葉を失った。
「どうした?みんなオレの顔に見とれちまって。やっぱカッコイイもんな、オレ!」
相変わらずのナルシシスト具合だ。いや違う、そうではない。全員の視線が集中しているのは腰だ。
「こんな時に海水浴とか、頭がおかしいのかなアイツ。あれで海入ったら溺れ死ぬよ」
朧の耳元でラスターが囁いた。
「頼むからやめてくれ」
耐えきれず朧が顔を逸らすと、ホムラは不思議そうな顔で皆の顔を見回した。見られた者たちは次々と顔を逸らす。
「お前ら何でオレを見てくれないんだ!?」
お前のせいだ、とは誰も言えない。そろそろ限界だ。朧は素早くその場を離れ、まだ倒れて泣いているレイを抱き起こした。
「うぅ、ぐす・・・もう、動きたく、ないです・・・」
「帰ったら温かい一番風呂に入れて、駅前に新しくできた店のケーキを買ってやるから・・・な?」
「わかり、ました・・・ぜったい、ですよ?」
レイはこくりと頷き、袖で涙を拭うと、ゆっくりと立ち上がった。
「さ、さて俺は生存者の様子を確認してくる。後を頼んだぞ。行くぞ、レイ」
「えええちょっと朧っち!?」
「きったねえ!覚えてろよ・・・」
何を言われようがここは逃げるが勝ちだ。残された二人に表情筋の軋む音が聞こえてきそうな作り笑いを浮かべ朧はそそくさと歩き出した。
結界の中は常に治癒魔法が発動しており、負傷者を自動的に治療している。直接治癒魔法を使うのとほとんど変わらない速度で多くの治療を効率的に行える反面、発動・維持には相当な魔力を必要とするため、必然的に数人がかりで発動しなければならない。
雨風を防ぐためのテントや仕切りなどが持ち込まれており、組み立て式のベッドなどと一緒に各所に設置されている。
朧は情報収集も兼ね、レイと二人で生存者の何人かに話を聞くことにした。
「助けてくれてありがとうね」
しゃがんで視線を合わせた朧に、おばあさんが弱々しい笑顔を浮かべた。
「いえ・・・ご無事で・・・何よりです」
朧も弱々しい笑顔を返した。このような状況を招いたのは、紛れもなく自分たちだ。しかし、自分が謝罪しても何も変わらない。この人の家族はもう、帰って来ない。
「おい」
「はい・・・」
立ち上がって振り返った朧の胸ぐらを、男が掴んだ。制服の襟で首が絞まり、苦しさで朧の顔が歪む。敵意をあらわにした眼差しが朧を捉える。止めに入ろうとしたレイを朧は目で制した。
「なんでもっと早く来なかった!?てめえらが来なかったせいで俺の娘は化け物に食われて死んだんだ!!てめえらの、せい、で・・・」
言いながら男の声は怒気を含んだものから次第に嗚咽へと変わっていく。朧の服を掴む手が離れ、男はそのまま朧の足元に泣き崩れた。嗚咽を漏らしながら男は続ける。
「本当は・・・わかっ、てんだ。こんなこと、したって、娘は、生き返らない・・・って。せっかく助けてくれたのに、ごめんなあ、兄ちゃん。許して、くれ・・・ごめんな」
「いえ、そんな・・・」
そこで初めて、朧はこの男が傷だらけだということに気が付いた。おそらく最後まで娘を守ろうとしたのだろう。塞がりかけた傷から血が滲んでいた。朧は言葉に詰まり、それを見下ろすことしかできなかった。
「これ以上、娘さんの様な犠牲者を増やさない為に、私たちは戦います。決して逃げません。どうか私たちに、お任せ下さい」
顔を上げた男の前に膝立ちになり、レイはまっすぐに男の目を見つめた。その目には涙が浮かんでいた。
男は一瞬驚いたような顔をしたが、ゆっくりと頷きやがて気絶するように眠りに落ちた。静かな寝息が聞こえる。
「きっと不安だったんだと思います。・・・家族を失う辛さは、私もよく知っていますから」
そうだこの子も・・・。朧の脳裏に、まだ幼かったレイとレンの姿が浮かぶ。朧は黙ってレイを見つめた。
「私は平気ですよ。ほらほら、次行きましょう!休む暇はありませんよ!」
朧の様子に気付いたのか、レイは静かに微笑んだ。少し気を遣わせてしまったと心配する朧の背中をレイが押す。
「そうだな、向こうのほうも行ってみよう」
「はい!」
その後も聞き取りを続け、気がつくともう日が落ち始めていた。オレンジ色だった西の空が濃い紫色に染まっていく。時刻は先ほど7時をまわったところだ。
ふと朧は異変に気がついた。少し前から結界の外が何やら騒がしい。朧とレイは様子を見るために結界から出た。
「おい、あれ見ろ!」
隊員の誰かが空を指差しながら叫んだ。遠くの空に空間の歪みが発生している。距離からして隣町だろうか。歪みは徐々に形を整え、巨大なゲートが口を開けた。ここからでは豆粒ほどにしか見えないが、ゲートから大量のべーぜが降下しているのが見て取れる。朧は昼間の招集の際に、ロロが言っていた事を思い出した。
「まさか・・・!」
朧の通信魔法にコールがかかった。相手は統合情報部隊からだ。朧が応答すると、間髪入れずに無機質な声が聞こえてきた。
「ヒースだ。あれが見えるな?」
「ええ、視認しております」
「どうやらロロの言ったとおりになってしまったようだ。・・・奴らに地球の座標が特定された」
ヒースの口調にあまり変化はないが、雰囲気から少し焦っているのがわかる。
「ゲートの閉鎖が可能であれば、それまで我々が時間を稼ぎます」
ヒースのことだ、策もなしに連絡など寄越すはずがない。朧はヒースの言葉を待った。
「私達が奴らのゲート情報を改ざんする。多く見積もって1時間だ。それまでよろしく頼む。陛下には私から伝えておく」
しばしの沈黙の後、ヒースが答えた。彼の後ろでは絶え間なく怒鳴り声にも似た伝令の嵐が聞こえている。かなり慌ただしい様子が伝わってくる。
「了解しました。すぐに向かいます」
「頼んだぞ」
朧は通信を切り、振り返って叫んだ。
「これより、新たにゲートより出現したベーゼの殲滅にあたる!戦える者は一番隊を援護しろ!」
朧が一息に言うと、隊員たちから雄叫びが上がった。まだ余力は十分のようだ。
「チコ、五番隊の隊員を何人か借りても大丈夫か?」
負傷者の治療に五番隊は欠かせない。しかし五番隊の隊員達は、さきほどの任務で救助した人達の治療で手一杯であるため、あまり無理強いはできない。
「私が行くよ!他の子たちは手が離せないからね。それに戦闘員は多い方がいいでしょ?」
「ああ、お前が来てくれるなら心強い。ホムラ、二番隊は結界の護衛を頼む」
「任せろ!気をつけろよ」
ホムラが朧の肩を叩いた。
「オレも行く。体が鈍るの嫌だし」
ヘッドホンを外しながらラスターが言った。
「二人来て。あとは留守番頼むよ」
「はっ!」
ラスターの指示に三番隊の隊員が敬礼をした。殲滅任務のメンバーは、一番隊にチコ、ラスターの二人そして、各隊から借りた数名の隊員を加えた編成だ。他の隊員達はホムラの指示のもと、引き続き結界の護衛をしてもらうことにした。
「傾注!!」
チコが声を張り上げる。全員の視線が朧に集中する。朧は大きく息を吸い込み、命令を下した。
「全員準備はいいな?これより新たに出現したベーゼを叩く。目標は変わらず敵の殲滅及び住民の救出、並行してゲート閉鎖までの時間を稼げ!」
「了解!!」
勢い良く応えた隊員達は、全員が装備を最前線用に切り替えている。
「ゲート真下に転移するよ。魔法陣の中に入って」
ラスターを中心に半径十メートルほどの魔法陣が地面に描かれた。全員の体が淡い光に包まれていく。ラスターが使ったのは、地球に来る時に使ったゲート魔法とは違う、瞬間転移魔法だ。同じ世界の中でしか使用出来ないという制限があるが、その分発動までの時間が短い。
「さて、行こっか!」
片手でもう片方の拳を覆ったチコの言葉とともに、朧たちは隣町へと転移した。
お久しぶりです!長らくお待たせして申し訳ございません・・・。最近夏バテでまともに食事をしていません。皆さんもお気を付けて・・・