プロローグ
深夜2時半。突然鳴り響いた当直室の電話に、居眠りをしていた宿直医の宮島は飛び跳ねるように起きた。宮島が受話器を見やると、緊急回線を表す赤い電灯が点滅しているのが目に入った。事件か事故か。いずれにせよ、こんな時間に緊急回線で呼び出されるということは、何か大きな事があったに違いない。
「何事だ」
眠い目を擦りながら尋ねる宮島の声に、電話を取った看護師が振り返る。
「救急隊からです!回線を切り替えます」
宮島の返事も聞かずに看護師はそう告げ、宮島のそばにあった電話を指さした。
「はい、あおば市民病院の宮島です」
『こちらはあおば消防署救急課の橘です。これから重篤患者をそちらに搬送致しますので、受け入れの許可をお願いします!』
尋常ではない動揺が救急隊員の声から伝わってくる。宮島は努めて冷静を保とうと深呼吸をした。
「症状を教えてください」
『症状は外傷です・・・。しかし・・・』
「どうかされましたか」
『患者は全身に刃物によるものとみられる裂傷を負い、さらに左腕が切断されており、出血多量によるショック状態です』
宮島に促され、救急隊員が言葉を続けた。重大な傷害事件が発生したのだろうと、宮島は考えた。
「わかりました。緊急外来へお願いします」
「機器と手術室は手配済みだ」
宮島のただならぬ様子を見て、横で電話の内容を聞いていたもう一人の宿直医である志田が声をかけてきた。
「助かります」
宮島が礼を言うと、志田は軽く頷いた。
「宮島先生!」
ナースステーションから看護師が大声で宮島を呼んだ。
「今度は何ですか。患者さんたちが寝ているので、あまり大きな声は出さないでください」
宮島は看護師に歩み寄って受話器を受け取る。受話器に耳を当てると中年男性の声が聞こえてきた。
『あおば警察の田代巡査です。現在あおば市内で多数の重傷者が確認されています。いずれも裂傷をはじめとする重度の外傷、四肢の切断などが報告されています。さらに我々が確認しただけでも既に26名の死者が出ています』
「猟奇殺人・・・ですか」
『はじめは我々もそう考えていたのですが、最初の被害が確認された時刻からごく短時間で、同様の被害が広範囲で多発している上に、鑑識の結果、被害の外傷は刃物ではなく動物の爪による引っかき傷と判明しました』
宮島の言葉を田代は否定した。
「動物・・・?しかし、この辺りにそれほど殺傷能力のある大型動物は生息していないはずですが」
この国の北部であれば、熊などの大型動物が生息しているため、稀に人間への被害が報告されている。だが、仮に南下してきた熊による事件だとしても、被害の拡大が早すぎる。宮島は妙な胸騒ぎをおぼえた。
『確かにその通りです。それについては、現在調査を行っております。進展があり次第、また連絡します』
「これから沢山の人が搬送されてくる。忙しくなるぞ」
志田は宮島の肩を軽く叩くと、手術室の方へと消えていった。
「きゃあああ!!!」
看護師の悲鳴に驚いた宮島が入り口に目を向けると、腰を抜かして尻もちをついた看護師の横に全身血まみれの男性が床に倒れていた。
「大丈夫ですか!?」
慌てて駆け寄った宮島が声をかけると、男性はうわ言のように何か呟きながら痙攣を始めた。
「ストレッチャーを持ってきてください!早く!!」
「は・・・はい!」
宮島が怒鳴ると、青ざめた表情の看護師が弾かれたように駆け出した。
「ひどい傷だ・・・何があったんですか!」
宮島の問いかけに男性は反応せず、ぶつぶつと何か呟き続けている。宮島はそれを聞き取ろうと男性の口元に耳を近づけた。
「ば・・・・・・・・・の・・・・・・け・・・もの」
蚊の鳴くような声だが、男性は確かに『ばけもの』と言っている。
「化物・・・?一体何のことを・・・」
宮島が怪訝な顔をして男性を見つめていると、入り口のガラス扉に何かが当たる音がした。宮島が顔をあげると、ガラスにべったりと顔を押し付けた『何か』が病院の中を覗き込んでいた。非常灯の明かりに照らされたそれは、人間でも熊でもない、化物だった。
「なっ・・・」
宮島が驚いて声も出せないでいると、それは鎌のような両手を使ってゆっくりと入り口のガラス扉を押し開けた。室内の明かりに照らされ、それの姿がはっきりと宮島の目に映る。青黒い甲殻に覆われたカマキリを思わせる人間大の生物。その異形の姿に宮島は息を呑んだ。化物はコツコツとヒールのような音を立てて宮島たちの前に歩み寄ると、大きな鎌を男性に突き立てた。グチャッという音がして男性はそれ以降動かなくなった。
「うわあっ・・・!」
宮島が悲鳴をあげると、化物は首をぐるりと回して宮島を凝視した。顔の中心にある単眼が宮島をじっと見つめる。
「ギィィイイぃぃぃぃ!!!!」
劈くような化物の絶叫が響く。すると、それにつられたように病院の入り口に同じ化物がぞろぞろと集まってきた。
「な・・・なんなんだよ!」
恐怖で腰が抜けて動けない宮島に、化物は大きく鎌を振り上げた。
けたたましく鳴り響く目覚まし時計の音が、新しい朝の訪れを告げている。今日で17歳の誕生日を迎える一条リクは、まだはっきりとしない意識の中、眠い目をこすりながら目覚まし時計のスイッチを押した。5月の穏やかな朝日が差し込む窓の外からは、心地よい鳥のさえずりが聞こえている。
昨晩夜通し鳴り続けていた消防車や救急車のサイレンのおかげでひどい寝不足だ。せめてあと5分だけ、そう思い再びベッドに潜ろうとしたが、まるでリクの二度寝を予期していたかのように飛んできた「早く起きなさい!」という母の怒号によって至福のひとときは崩れ去った。
・・・憂鬱だ。せっかくの誕生日が月曜日なのも、リクを余計に憂鬱にさせた。
渋々ベッドから這い出し、洗面所で顔を洗い眠気を吹き飛ばした。そしていつものように左目に眼帯を着ける。
よし、完璧だ。中学時代に発症したこの病はリクの身体を蝕んでいた。四六時中空想に浸り、自分が特別な存在で強大な力を得たかのような錯覚をもたらす難病──そう、中二病である。本来なら歳を重ねるうちに完治するはずなのだが、誠に残念なことに彼はそれをこじらせてしまっていた。ふとした瞬間に中二病が暴走して周りにドン引きされることも多々あるが、普段はなんとか抑え込んでいる。幸い勉強に支障は無いので成績に関しては問題ない。2階の自室に戻り、制服に着替え髪をセットしてリビングに向かう。もちろん姿見の前で決めポーズを忘れてはいない。
階下に向かうと、リビングでは既に父と妹のアキがテレビを見ながら朝食をとっていた。
「おはよう」
「遅いよお兄ちゃん!」
リクに気づいた妹のアキが不満そうに言った。
「いつものことだろう」
テレビを眺めながら父が笑う。苦笑いを浮かべながら父の隣の席に着いて朝食の目玉焼きを口に運ぶ。
家族の弁当を作り終えた母も加わり、家族四人で何気ない会話をしながら食事をしていると、「お兄ちゃん」と不意に呼ばれた。顔を上げると、向かいの席でアキが満面の笑みを浮かべ「お誕生日おめでとう!」と誕生日を祝ってくれた。次いで両親も祝いの言葉をかけてくれた。リクは少し照れ笑いをして「ありがとう」とお礼を言い、湯気の立つ味噌汁の入ったお椀を手に取った。
「はい、これプレゼント!」
そう言ってアキが差し出した品物を見て、リクは味噌汁を吹きそうになった。どこからどう見ても缶詰である。それも猫用の。
「いや・・・何これ」
「お兄ちゃん最近魚が足りてないと思って!」
アキは悪びれる様子もなくウインクをする。
「お前な・・・」
リクは続く言葉が出てこなかった。
「好きでしょ?」
アキがニヤニヤしながらこちらに猫缶を差し出してくる。
「いや、いらねえよ・・・」
リクが猫缶を押し返すと、アキはニコニコとしながらそれをリクに押し返す。
「ありがたく食べるにゃ」
二人の間で行ったり来たりする猫缶を見て、父も悪ノリしてきた。
「俺は人間だ!」
憤慨したリクは缶詰を頬張る。美味。流れた涙の塩味がいいアクセントになっている。そのまま全て口に押し込み完食した。それにしても、人権とはなんだったのか。何か歪んではいるが家族の温もりのおかげか、心に重くのしかかっていた憂鬱な気持ちはいつの間にか消えていた。
「あはははは!お兄ちゃん最高!」
そんなリクの姿を見て、アキはゲラゲラと笑っている。アキとは幼い頃から仲が良く、誕生日や何か良い事があると、まるで自分のことのように喜び合ったものだ。兄妹で特に大きな喧嘩もせず今に至る。リクにとっては妹というより親しい友達のような存在に近い。昔に比べれば手の込んだお祝いはしなくなったが、二人とも高校生になった今でも、こうしてお互いの誕生日はジョークを交え明るく祝いの言葉を掛け合っている。今日のは少々度が過ぎるが。
朝食を終えてテレビに目をやると、先ほどまでとりとめも無い情報を伝えていたニュース番組は、ちょうど次のニュースに切り替わったところだった。神妙な面持ちのアナウンサーが、昨晩あおば市を襲った大規模な災害について伝えている。何が起きたのか詳細は不明だが、多数の死傷者が出ているようだ。ヘリコプターからの中継映像には、倒壊した家屋や未だに煙を上げて燃えるガソリンスタンドなどが映し出されていた。昨日のサイレンはそのためだったのだ。
「あおば市?隣町じゃないか」
父の一言でリビングの空気が一気に重くなった。あおば市はリクたちの住む二葉市の西に位置している。都市部ということもあり、人口はあおば市の倍近くある。そんな場所で災害が発生したとなると、かなりの被害が予想される。地震だろうか。しかし昨夜は揺れなど少しも感じなかった。
「災害・・・って何かしら?」
母が心配そうに呟いた。アキは不安そうな顔でテレビの画面を見つめている。昔から恐怖や不安を感じると黙り込んでしまう癖があるのだ。アキに「大丈夫だよ」と言うと、黙って頷いた。母には「わからない」とだけ返し、リクはスマートフォンを取り出してSNSアプリを起動した。検索画面に「あおば市」と入力し、次々表示される関連した書き込みに目を通していく。
『あおば市で災害!?』
『詳細不明ってなんだよ』
『え、なにこわ』
『地震?にしては範囲が狭いよな』
何度か画面をスクロールしてみたが詳しい書き込みは見当たらず、リクの欲しい情報はいっこうに見つからない。それでも粘り強く探していると、何か違和感を感じる書き込みを複数発見した。
『あおば市から避難してきた友達が、変な生き物を見たって言ってた』
『あおば市に化け物が出た』
『空に大きな黒い穴が』
『空からバケモノが降ってきた』
この変な生き物や化け物とは一体何を意味するのだろうか。そして、黒い穴とはなんなのだろう。空想の中で何度も思い描いた単語がリクを興奮させたが、今はそれどころではないと自分を落ち着かせる。一度見つけると堰を切ったように同じ言葉が画面から溢れてきた。ネット上の書き込みのため必ずしもこれらの情報が本物だと判断する事はできないが、隣町ということもあってか、それでも何か引っかかるものがある。リクは妙な胸騒ぎがしたが、そろそろ家を出ないと遅刻するとアキに促され、心配そうな両親に見送られながら家を出た。
はじめまして、彗と申します。耳をすませば、可愛らしいうぐいすの声が聞こえる季節ですね。そして、もうGW!もう予定は立てましたか?それとも旅行中でしょうか。私は残念ながら仕事で忙しいです・・・。私も旅行行きたいです。沖縄とかいいですよね!あの綺麗な海!また泳ぎたいです!