終章 世界の続き
神が散る日 (スターダスト)から数日後、小高い丘の上では、子供達の笑い声が響いていた。
「ねえねえ、次はテトにも作り方おしえて!」
白詰草が咲き乱れる小さな平原で、二人の子供は無垢な瞳を輝かせ、楽しそうに笑っていた。
「えー、ルシアも作りたいよー、もっと大きな輪っかにするんだ!」
器用に結ばれた、白詰草の花冠を手にしたルシアは、テトを押し退け、前に出ようもがいている。
「ずるーい! ルシアはもう作ってもらったじゃん!」
ルシアも負けじとルシアの腕を引っ張るが、岩にゆったりと腰掛けた男が、小さな声で二人の子供を制止する。
「順番だ」
ルシアは小さく口を尖らせると、テトは手早く作られた花冠を受け取り、とても嬉しそうな表情を浮かべた。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
遠くの山で陽が沈み、橙色をした空が、少し綻んだ男の表情を優しく照らす。
麓の村からはテトとルシアの母親が迎えに訪れ、遊びの終わりを告げるように、大きく手を振って二人を呼んでいた。
「えー、もうおわりー?」
「早く帰らないとルシアのご飯なくなっちゃうよ」
「それはこまる!」
二人の姉妹は大事そうに花冠を頭に乗せると、急いで母の元へと走っていく。
母の足にしがみついた二人は、一度だけこちらを振り返り、母親と一緒に手を振って別れを告げた。すると男も一度だけ手を挙げ、小さな笑みを浮かべた。
男が村へと降りる三人を静かに見送ると、慌てた様子で花束を抱えたマリアが傍に立った。
「あれ? テトとルシアもう帰っちゃった? せっかく大きな花を見つけてきたのに……」
「お前が遅いからだ」
「ちぇー。かわいい子たちだったね。また会いたいなあ……ね? サタン」
「フン、あんな子供、俺の知った事ではない」
サタンはマリアから顔を背けたが、マリアは少し嬉しそうに笑っている。
「……お前はなぜ、俺を助けた」
一万年の神となったあの日、マリアはサタンの持っていた太陽の指輪 (ソレイユ・バーグ)を使い、サタンの蘇生を試みていた。指輪の力だけでは命を取り戻す事は出来なかったが、サタンの使用していたシエナ、不老不死の果実 (アンブロシア)の効力によって、滅んだ肉体を取り戻す事に成功させたのだ。
「あの時、私はあなたの心の中を覗いた。それはとても悲しい心だった……でも同時に、その闇に埋もれた光も見つけたの。あなたの過去、行い、全てを感じ取ることが出来たから……」
「俺は九人の選抜者を殺し、お前も葬ろうとした」
「確かにあなたは罪を犯したわ。そして私も、そんなあなたを助けてしまった。サンティさんや、一万年前の選抜者と同じように……でも、罪は償える、私とあなたは選抜者達の意志を継ぎ、一万年の世界を見続ける義務があると思ったの」
「…………フン」
いつしか子供達の姿は遠くに消え、次第に茜色の空が薄らいでゆく。
「罪を認め罰を受けるのなら、あなたは必ずやり直せるわ」
「それはお前が勝手に思っているだけだ」
「そうかしら?」
「だいたい、お前は神だぞ、神の間を抜け出し、外の世界と触れ合うなど、随分と自由過ぎるのではないか」
「だってあそこは静かすぎるもの。それにね、私は私なりに自分の足で世界を歩いてみたいの。あ、心配しなくても大丈夫だよ。時々はちゃんと神様の部屋に戻るつもりだから」
「勝手な事を……」
サタンはふいにマリアと視線を外すと、山並みの風景へと目をやった。サタンが押し黙ったので、マリアも隣に座ると、どこか懐かしそうに、白詰草に隠れるように咲く、小さな青い花を摘んだ。
「はあ……寂しくなっちゃった。もう少しあの子達とお話したかったなあ」
五枚の花弁をつけた小さな青い花は、過去のマリアと同じ、勿忘草だった。
夜の帳が降り、闇が辺りを包んでいく。肌寒い風が頬を触り、静寂が訪れた。
「フォーゲットミーノット」
「え……?」
突然口を開いたサタンは一言呟いて立ち上がる。
「俺の育った国の言葉で、私を忘れないで、という意味だ」
「そっか……はは、私にはもう、私の事を覚えてくれる人はいなくなっちゃったなー」
マリアは悲しみを払拭するように笑い、両手を広げて白詰草の草原に寝転がった。
しばらく黙っていたサタンだったが、ふと、マリアの方へ振り返ると、少し視線を逸らし、抑揚のない声で言う。
「俺はお前と一万年も時を共にしなければならないんだ。嫌でも忘れられるか」
その言葉を聴いたマリアは驚いた表情を浮かべたが、すぐに笑顔で微笑むと、嬉しそうに言葉を返した。
「ふふっ、あなた口は悪いけど、優しいんだね」
「迷惑な話をしただけだ」
一つの世界に夜が訪れ、どこかの世界に朝が訪れた。
勢いよく立ち上がったマリアは、両手を重ね、神の力で世界を見下ろした。
「私にどれだけの力があるかは分からないけど、きっとこの世界を美しいものにしてみせるわ」
「神が抱く苦痛は想像を絶する物だ、お前に耐えられるものか。隙を見せればすぐに俺が神になり変わってやるから覚悟しておけ」
「そうはいきませんよーだ! あ、そうだ。今はだめだけど、あなたがあの子達の笑顔をずっと忘れずにいてくれるなら、次の選抜者に選んであげるわ」
「はっ! 世界を壊そうとしている俺を、また選抜者に選ぶと言うのか? 馬鹿馬鹿しい、俺はテラにとって不要な因子だぞ、出来るはずがない」
「出来るよ」
マリアは淀みの無い声で言うと、まっすぐにサタンを見つめた。
「フン……」
覚悟の表情で、自信を見せるマリアに、サタンは僅かに動揺したが、すぐにマリアは表情を崩し、子供のような無垢な顔で笑った。
「だって私は、神様なんだから」
空には幾億の星が輝き、月がさらに青い光を照射した。
喜びと悲しみが同居するように、星と神と人も、同じ世界を共にする。
流れて消える青と紫の光に願いを重ねると、マリアは一歩前へと進み出した。決意に満ちたマリアの心を、夜風は触れる事も出来ずに通り過ぎていく。
こうして世界は再び、一万年の時を刻んでゆく。
完。