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第一章 選抜者マリア

 日蝕の前日。蹄の音が大地に響いていた。

 ロング・ソードを腰に据えたマリアは、黄金色をした長い髪を靡かせ、使い古したインバネスケープのボタンを留めた。

 胸元で小さく揺れた星型のペンダントは、母から貰ったものだ。

「シオン、止めても無駄よ。村を救う為には、帝国の騎士団を止めなければならないわ」

 巨大な一角を持つ銀馬、滑走する蹄 (モノケロス)に跨ったマリアは、緋色の瞳を国境の村ベンネルに向け、宙に浮かぶ文字に話しかけた。

 マリアを囲うようにして漂う青や紫の文字は、規則正しい動きで帯状に連なり、輪を形成させて中央に球体を浮かべている。

 前面に半透明の映像を展開させると、村までの距離を計算し、人口、地形、気象情報など、様々な情報を表示させ、マリアへ言葉を発した。

『マリア、止めはしませんが、無駄な事です。僅かな命を救おうと、戦争は止められません。ひとつの命を救おうとも、どこかでまた、ひとつの命が失われていくのです』

 電子音声は淡々とマリアに告げ、更に二枚の映像を並べた。

 映し出されたのは、焼き払われる村々と、無残に殺されていく人々の姿。マリアが戦地に赴く際に、シオンが必ず示すものだったが、それによりマリアの意志が変わる事はなかった。

「シオン、動く絵を見せたって私は止まらないわよ。何回言ったらわかるのかしら」

『その言葉は重ね重ね記録しています』

「記録じゃなくて記憶でしょ、それも何度目?」

『私は単なる意志を持つ演算装置でしかありません。人の持つ感情を理解するようには造られておりませんので』

「もう、その話はまた今度! さぁ、急ぐわよ、モノケロス!」

 モノケロスはマリアの言葉に反応し、四本だった足を六本に変え、更に速度を上げた。



 誰が数え始めたのか分からないほど、世界は永い歴史を紡いでいた。

 東と西の国は百年にも及ぶ争いを続け、戦争が多くの人々の命を奪う時代。国境付近では常に争いが起こり、近隣の町や村は毎日のように消えていく。

 マリアはそれを防ぐ為、たった独りで戦争に立ち向かっていた。ある時は軍を率いる将軍と対峙し、ある時は千を越える傭兵にも立ち向かった。

 マリアはまだ、幼さの残る十五歳の少女であったが、戦場では魔女と恐れられている。

 魔女と恐れられる由縁は、選ばれた物だけが所有出来るという、神の道具、シエナを所持していたからだ。マリアは太古より存在する、意志を持ったシエナ、シオンと、その他に六つのシエナを所有している。

 東国と西国の争いは長きに渡り続いていたが、マリアは互いの国の名前すら知らなかった。

 国境線は争いによって絶え間なく変わり、いつも犠牲になるのは貧困層の人々だった。

 貴族階級に近ければ近いほど、安全な中央の都市に住むことが出来たが、貧しい者は住む場所も満足に得られず、互いの国境に行き場を追いやられていた。

 マリアもまた、そんな貧しい土地に生まれた一人だった。

「見えてきたわ!」

『前方一キロ先、熱反応多数』

「新しい情報が欲しい、急いで分析して」

『総数百二十一、その動きから約六割は村の住民でしょう。残りは四部隊程度と予測します』

 シオンは情報をまとめて報告すると、左右に映像を分け、視界を大きく広げた。

 それを合図に、意識を集中させたマリアは、素早く自身の持つシエナの開放する。

「既に被害が出ている、短時間で制圧を行うわ。お願いみんな!」

 マリアの呼び掛けと共に、周囲には五つの光源が浮かび上がり、それぞれがマリアの指示を待っていた。

「兄さまはモノケロスと共に先行、ベルとフェンは空からの奇襲、父さまは高台を形成、狙撃を行います。母さまは私の保護を優先、お願いします!」

 マリアはモノケロスから飛ぶと同時に、右手を翳して叫んだ。

「ランスロットの勇志(兄さま)!」

 兄と呼ばれたシエナは、黒い甲冑に身を包んだ騎士だった。

 ランスロットはマリアと入れ替わりにモノケロスに跨ると、手綱を引いて速度を上げる。

「大地幾何学模様(父さま)!」

 次にマリアが呼んだのは父だった。

 大地に浮かび上がった線が交錯して設計図を描くと、隆起した土がマリアを持ち上げ、狙撃台を形成させる。

 狙撃台から村を一望したマリアは、両手を構え、二つの光源から双子の鳥を羽ばたかせた。

「双子座よりの流れ星 (ベルガモットとフェンネル)!」

 白と黒の鳥が空へ舞うと、マリアはシオンに向けて訊く。

「脅威の高い対象から順に狙う、単純で明確にお願い」

『風は追い風、微風、距離は七百八十メートル。三分後に強風の予兆、以降は狙撃が難しくなります。矢の数は――二十二本でよいでしょう』

 シオンの言葉を受け取った父は、砂を凝縮させ、二十二本の矢と大弓を形成させた。

「三分後に村へ到着する速度で進行して下さい、それまでに出来るだけ数を減らします」

 父は無言のまま静かに進行を始めると、シオンは最後の光源に話しかけた。

『弓兵を複数確認、母君は空からの防御を展開させて下さい』

 シオンの指示で飛んだ槍は、五つの穂先を地上へ向け、刃を輝かせたまま空中で静止した。

 戦いの準備が整った時、既にモノケロスとランスロットは戦の中心部に飛び込んでいた。

「みんな、殺めてはだめよ」

 マリアは静かに呟き、弓を引いた。放たれた矢は兵の腕を貫き、砂に戻って大地に消える。

「ぐぁっ!」

「狙撃!? どこからだ!」

 兵たちは突然の狙撃に驚きを見せたが、その心配もすぐに、別の恐怖へと変わっていく。

 空から滑空したベルガモットとフェンエルは、幼い少女の姿に変化して民家の屋根に着地すると、一番近い兵に襲い掛かった。

「悪いこはー、お前かぁっ!」

「殺しはしません、腕と足、一本ずつは覚悟して頂きますが」

 ベルガモットとフェンネルは兵たちの腕と足を一本ずつ折っていくと、ランスロットの方を向き、呆れた表情を浮かべて舌を出す。

「ランスロット兄ちゃん、だめだよ斬っちゃ、叩かなきゃ」

「殺生は騎士道に反しますわ」

 ベルガモットが口を尖らせ、フェンネルは冷たい視線を切ると、ランスロットは肩をすくめて、剣先に付いた血を振り払った

「すまない。この者達の鎧が、思っていたよりも薄いものでな」

 ランスロットは鉄の小手を握り締め、改めて兵を鎧ごと豪快に殴りつけた。

「ごふっ!」

 兵が壁にぶつかり意識を失うと、周囲からは次々と恐れの声が上がり始めた。

 全身を装甲する漆黒の甲冑、白金の剣は氷のように煌き、孔雀の羽飾りは堂々と空を向いている。返り血にも染まらない、夜よりも暗いその騎士を、兵たちはこう呼んでいた。

「こ、こいつ……ブラックナイトだ!」

「ブラックナイト!? 近くに魔女がいるっていうのか!」

 兵たちを一瞥したランスロットは、剣を掲げて勢いよく振り下ろした。ランスロットの剣は大地を真っ二つに割り、凍りつくような冷気を巻き起こした。

「ひぃぃぃぃぃぃ!」

「早々に立ち去れ、寄らば斬るぞ」

 ランスロットが仮面の奥で赤い目を光らせると、兵たちは慄き、蜘蛛の子を散らしたように逃げ去っていった。

「兄さま、きちんと叩かなければだめですわ」

「そうだよ、めっ、だよ兄ちゃん」

「何を言うかフェンネル、ベルガモット。殺さずがマリアの言いつけであろう? それに恐怖は、時として傷よりも深くその身に残るものだ」

 ランスロットは落ち着いたもの言いで二人に目をやると、静かに剣を鞘に収めた。


 村の中心部は制圧を完了したが、周辺では未だ村人たちが襲われていた。

「どれだけ争いを続ければ、あなた達は気が済むのよ!」

 マリアは叫び、二本の矢を放つ。一本は兵の足を貫き、もう一本は兵の兜を飛ばした。

『脅威対象、井戸より三メートル東、村人が危険に晒されています』

 シオンは的確に敵の所在を伝えていた。残りの矢は三本、村との距離は縮まり、狙撃の終わりは近い。

『二本です』

 対象は一人、なぜ二本必要なのかは分からなかったが、マリアは疑うことなく、二度弓を引いた。

 一本目の矢が命中する瞬間、突然の風に煽られ、軌道が村人の方へと変わった。マリアは一瞬硬直したが、直前に矢は砂へと変わり、続いた二本目の矢が兵の腕を貫いた。

「――っ。ありがとう父さま……シオン、今のはびっくりしたわよ」

『申し訳ありません、到来する突風予兆と重なり、一方が命中する計算となりました』

「村の人に当たってたら、一生恨んでいたわよ」

『父君ならば、矢を砂へ還すとは造作もないことです。付け加えると、恨みとは非科学的なもの、それにより、私に何らかの影響が及ぼされるとはありません』

「はいはい、わかったわよ。まったく、ああいったらこういうんだから……」

 マリアは展開された映像を押しのけるように手で払うと、狙撃台から飛び降りた。

 示された予定到着時間の数字は零を迎え、一本だけ残った予備の矢が、それと同時に砂塵となって消えた。シオンは傾きかけた太陽と同じ位置に重なり、ゆるやかに空で浮かんでいる。

 マリアは慎重に村の様子を伺ったが、死者がいないことは分かっていた。シオンが報告をしないということは、そういうことなのだ。

 村の中央へ辿り着いたマリアは、ランスロットたちと合流しようとしたが、民家の死角から影が飛び出し、一人の兵がマリアに弓を向けた。

「俺が魔女狩りを成功させてやる!」

 兵は不敵な笑みを浮かべながら弓を射るが、空から落ちた光が、一撃で矢を塵へと変えた。

「な、なんだ今のは……ちくしょう、もう一発!」

 驚いた兵は慌てながらも弓を引くが、再び目前に落ちた雷が磁場を生み、塵も残さず矢尻を消し去ってしまった。

「ま、魔女の呪いだ……うぁぁぁ!」

 兵が弓を落として逃げ出すと、マリアは怪訝な表情を浮かべながらシオンに目をやった。

「シオン、あなた知ってたのに黙ってたわね」

『はい。母君は開放されてから、まだ一度も行動を起こしておりませんでしたので。マリアの言葉通り、空からあなたを守りました』

「律儀にしなくていいの! 変なとこは人間っぽいんだから……」

「マリア、私は自立式高度演算処理装置・エクシオン。人工知能 (A・I)に人間のような感情のメカニズムは――」

「もう、わかったって!」

 マリアはうんざりした様子でシオンから目を背けると、歩み寄る老婆に視線を移した。

 おぼつかない足取りでマリアの元へ寄った老婆は、マリアの前で両膝を落とし、涙を浮かべて胸の前で手を重ねた。

「ああ、聖なる少女よ、またも我等を救って下さるとは。なんと慈悲深き……ありがたき、ありがたき」

「おばあさま、お怪我はありませんか? どうか頭を上げて下さい」

「このような老体を気遣って下さるとは、なんと恐れ多いことか……はぁぁもったいない」

 マリアの前でひざまずく老婆は、両手を握り締め、祈るようにマリアへとすがっていた。それを皮切りに、次々と姿を現した村人達は、我先にとマリアの元へ駆け寄っていく。

「マリアさま! 来てくださったのですね。ああ、本当に嬉しい」

「わー、マリアお姉ちゃんだぁ!」

 老婆に続き、大勢の大人や子供たちが近付くと、あっという間にマリアを取り囲んでしまう。「マリアさん、覚えておられますか、村長のジョルトです。本当に助かりました……なんと言葉を申していいのやら」

「ジョルトさん! 無事で何よりです。村の被害の方は……」

「確認してるところですが、命を落とした者はいないようです。村は……また立て直していかねばなりませんが……」

「ごめんなさい……私の到着がもう少し早ければ……」

 マリアは申し訳無さそうに俯いたが、ジョルトは大きく振ってそれを否定する。

「とんでもない! あなたが来て下さったから村が助かったようなものです! そうだ、マリアさん。よかったら村に滞在して下さい。せめてのもてなしはさせて頂きたいと思っています」

「そんな! 私が厄介になる事は出来ません」

「何を仰られますか、あなたがいなければ多くの村が滅んでいたでしょう。私たちの救いの女神を持て成さんとなると、他の村の者に知れたら、恥をかくのは私どもですよ?」

「ふふっ……ありがとう、ジョルトさん」

 ジョルトが笑顔を浮かべると、村の者達はこぞってマリア達を広場へ案内した。

「ささ、騎士さまもどうぞこちらへ……おや、騎士様は少し背が伸びられましたか?」

「いや、我輩は特に変わりは無く……」

 村の男達はランスロットの好奇に触れ、子供達は空に浮かんだシオンへと手を伸ばす。

「ねぇ、もじもじさん! あれ見せてよあれ!」

「うん、僕もみたいよもじもじさん!」

『私は自立式高度演算処理装置・エクシオンです。文字文字という名ではありません』

「えー、もじもじさん何言ってるかわかんなーい! ねぇ、早くあれみせてよー!」

「ほらシオン、早く万華鏡を見せてあげて。みんな楽しみにしてるわよ」

『命令とあらば、了解しました。拡張子三十五から四十までを開始』

 シオンは広場の中央に降りると、文字の展開位置を広範囲に広げ、半円形の映像パネルを出して、空に輝く星々の座標を取り込んだ。

『角度調整完了、平面曲線(サイクロイド)、展開します』

 シオンは小さな光の結晶を散りばめると、自身が天象儀となって村を包む大きさの映像を映し出した。赤や青に輝く星々は、ぐるりと空を一周し、色鮮やかな世界を生み出していく。

「うわぁ! すごくキレイ!」

「もじもじさんすごーい!」

 子供たちは空を仰いで走り出し、大いにはしゃぎながら笑顔を浮かべた。マリアは嬉しそうに笑うと、手を翳し、開放していた五つのシエナを静かに消していく。

「シオン、しばらくお願いね」

『了解しました、展開を継続します』

「不思議なシエナですね。会話が出来るシエナはマリア様以外には見たことがありません」

「ふふっ。シエナは……私にとって家族も同然なんです」


 世界には、シエナと呼ばれる神の加護が与えられた道具があった。

 各地に散らばるシエナの数は二千を超え、それを手にしたものは、大いなる力を得る事が出来るとされている。

 シエナは誰にでも扱える物だったが、それを見つけることが出来るのは、選ばれし者だけだと言われていた。それ故に、シエナを欲し、求める者は多い。

 権力者は不老不死のシエナを探し、戦士は力のシエナを追った。病弱な子を持つ親は治癒のシエナを願い、貧困者はシエナによってもたらせられる富を望む。

 シエナがどうしてこの世界に存在するのか、それを知る者は極端に少なかった。

 古くから存在する、神の力を持った道具。しかし一部の者たちは太古の歴史を知り。シエナの存在意義がどういったものかを理解していた。

 シエナは単なる道具ではない。シエナとは、来たるべき神の選抜を迎える為の資格であり、その為の力である。

 一万年に一度、神は生まれ変わる。古き神が絶え、新しい神が生まれる。次なる神になる者はシエナを所持する者の中から選抜され、神の選択が行われる。シエナを所持するということは、神に選ばれるということでもあった。

 しかし、そんな事実を、マリアは知らない。


 戦いの夜、村からの盛大な持て成しを受けたマリアは、村長の娘に案内され、秘密の泉を訪れていた。

 村人たちしか知らない秘密の泉、それは、川底から湧き出す高温の源泉が、川を流れる流水と交わり、小さな滝壺に暖かい泉を生み出す、自然の温泉場だった。

 さっそく光源から二人の少女を呼び出したマリアは、泉に足を浸して、暴れるベルガモットを掴まえた。

「こら、ベル! 大人しくなさい!」

「ううっ、水はキライですわ……」

「まったく……綺麗にしないと、狼に食べられちゃうわよ」

 マリアがベルガモットの服を無理矢理剥ぎ取ると、岩場からはフェンネルが泉に飛び込んだ。

「きゃっほーい!」

 さっそく漂う湯気と戯れていたがフェンネルだったが、二人をちらりと見ると、悪戯な瞳を輝かせて今度はベルガモットに飛びついた

「ベルぅ! ちゃんとお風呂に入るのだ! きゃはは」

「や、やめろフェン、水が、水が、ごぼごぼ……」

 ベルガモットを水中に沈めたフェンネルは、満足そうに片目をつむり、次の遊びを探しに進行する。

「フェンおいで、あなたも洗わないと……うん? どうしたの」

 呼び止められたフェンネルだったが、マリアの姿を確認すると、不思議そうに首を傾げてしまう。

「…………マリアちゃん、ぜんぜん胸大きくならないね。だいじょうぶ?」

「なっ!」

「ぶくぶく……マリアはいつも胸が小さい……」

 水面から口を出したベルガモットも同意すると、マリアは顔を真っ赤にして大声を上げる。

「フェン! ベル! 胸の事は言わないで!」

 恥ずかしそうに両手で胸を隠したマリアは、肩まで水に浸かって逃げるように後ろを向くが、今度はシオンが姿を現し、追い討ちをかけるようにマリアが裸姿の映像を展開した。

『ここ三年の成長記録です、胸部の生育は去年に比べると、膨張率は僅か0.8%となっています。これは絶望的な数字です。マリア、重大な問題と認識されるのであれば、即刻改善が必要とされます』

「ちょ、ちょっとシオン! いつの間にこんな……早く消しなさい!」

 慌ててシオンに飛びついたマリアだったが、映像の数々は宙で舞い、呆気なく水面に顔を打ち付けてしまう。

「ねえベル、どうすればマリアちゃんの胸は大きくなるのかな?」

「フェン、ないものは仕方ないわ。寄せて上げてごまかしましょう」


 村から灯が消え始めた頃、マリアは椅子に座り、髪を梳かしながら、いつものように五つの光源とシオンを浮かべていた。

 こうやって、シエナ達と会話をするのは、マリアにとって極当たり前のことだった。

「父さま、今日は死者を出さずに村を救う事ができました。村の人たちも元気そうです」

「そうだなマリア、よくやったぞ」

 父に褒めらたマリアは、少し恥ずかしそうに頬を染めた。

「いつか戦争が終わる日が来れば、マリアも少しは女の子らしくなるのかしら」

 優しい声で話したのは母だった。

「母さまったら、私ってそんなに女らしくないですか?」

 マリアは不思議そうに尋ねるが、双子のシエナは揃って笑う。

「きゃはは。マリアちゃん胸ないじゃん、今日会った村の女の子は、もっと胸が大きかったよ?」

「確かに、ベルの言うとおりだわ」

「フェン! ベル! 余計なことは言わないで!」

 マリアは意地悪な二人から視線を切ると、助けを求めるように隣の光源を見つめた。

「兄さまはどう思います? 私はそんなに……女性らしくないですか?」

 両手を胸に当てたマリアは、肩を落として俯くが、兄は自信に満ちた様子で言い切った。

「我輩が最も活躍した時代には、ラピュセルという勇猛で果敢な女騎士がいた。剣の腕は強く、隣国の姫よりも美しい容姿も持っていた。いくつもの戦に勝利し、皆からは勝利の女神と呼ばれ、決闘者と求婚者はずっと後を絶たなかったそうだ。ラピュセルも胸は小さかったと聞いたことがある、マリアも心配する必要はないだろう」

「どうしてみんな胸の話ばっかりするのよ! もう、知らない!」

 マリアは椅子から立ち上がると、光源を横切り、ベッドの中へと潜り込んだ。

「はぁ、ちょっと疲れたみたい」

『今日は二つの村を回りました。連戦により心身に負担を掛けたのでしょう』

 シオンはマリアの頭上で浮かび、録画された戦いの映像を映し出す。

「どこへいっても争いばかり……戦争はどうすれば終わるのかしら」

『どちらかの国が滅びれば、必然的に戦争は終わるでしょう。しかし、それには多くの犠牲が付き物ですが』

「それじゃあだめよ。誰かが傷ついて成り立つ世界だなんて」

『しかし、世界の動きは止まりません。あなた一人が動こうと、この時代の大きな波は、ただ過ぎて行くだけでしかありません』

「はーぁ、本当に神様がいてくれたらなぁ」

 シオンは映像を消すと、代わりに五桁の数字を表示し減少させた。

『マリア、神は存在します。それ故のシエナです』

「そんなこといったって、神様は何もしてくれないじゃない。誰かが苦しんでても、しらんぷり」

 ベッドの上で転がったマリアは、シオンの淡い紫の数字を眺めながら、指で触れようとした。

『それでは神に祈りますか』

 その言葉に、ふと、マリアの指が止まる。

「あら、現実しかものを言わないシオンが祈るだなんて、少しは人間らしくなってきた証拠かしら?」

『祈りとは現実的な行為の一つです』

「ほんとにー? じゃあ祈ってみようかな。戦争が無くなりますようにって」

『それでは駄目です』

「どうして」

『世界を救いたいのなら、自身が神になりたいと願い、祈るのです。神への意志が強いほど、あなたは神に近付けるのです』

「私が神様に? はぁ、シオンの言ってることはよく分からないわ。もういいや、私寝る。おやすみ、みんな……」

「おやすみマリア」

 五つの光源が声を揃えて言い、マリアが眠りにつくと、それらは静かに消えていった。

 ただ一つそこに残ったシオンは、月明かりのような淡い色調を見せると、マリアの心拍や熱量を測り、体に異常がないことを確認して、自らも待機状態へと移行する。

 月に雲が掛かり、辺りは暗闇に包まれていった。透き通った青と薄い紫に輝くシオンは、表示させた数字を止めることなく刻んでいく。

 こうして静かな闇の中で、マリアはまた、いつもの夢を見ていた。

 それは、マリアがまだ五歳だった時のこと。

 全てを失ってしまった、悲しい日の出来事。

 何度も蘇る辛い過去。父と母を失い、孤独を知った、忘れることの出来ないあの日。



 十年前。東部の国。

 マリアは百にも満たない人々が住む、鉄の村、ベリフルにいた。

 ベリフルは台形状に連なる山々に囲まれており、近くの街まで辿り着くには三日を要するとされた、世間から隔離された場所だった。

 荒れた土地での収穫は極端に少なく、小さく広がる森の資源は十分とは言えない。

 そんなベリフルの村が生活を営んでこれたのは、村の地下には旧時代の巨大な遺跡のおかげだった。遺跡からは輪の付いた大きな箱や、尖った棘鉄などが発掘され、村人達はそこから取れる鉄を売り、細々とだが暮らしていていくことが出来た。

「ねぇ、かあさま。まりあも、とうさまみたいに、おおきないのししつかまえられるかな?」

 暖炉の前で編み物をする母の足に抱きつき、マリアは大きな双眸を輝かせた。

「まぁ、マリアったら。女の子が狩りをするの?」

「だっていのししのほしにく、とってもおいしいんだもん! とうさま、きょうもつかまえてきてくれるかな?」

「そうね、今日は罠を仕掛けてくるって言ってたから、明日になったら捕まえてくるかもね」

「ほんとう!?」

「マリアがいい子にしてれば、きっと父さん捕まえてきてくれるよ」

「じゃあいいこにする!」

 マリアは目一杯の笑顔で微笑むと、母の足をよじ登り、膝の上に座った。

「マリアは甘えん坊さんね」

「えへへ」

 母が優しく抱くと。マリアは暖かい温もりに包まれながら、ゆっくりと目を閉じた。

 窓の外を吹く木枯らしも感じさせない、静かで穏やかな時間。いつまでも続く緩やかな流れ。

 だが突如、静寂を切り裂く爆発音が辺りで巻き起こった。

「きゃあっ!」

 大きな音に驚いたマリアが悲鳴を上げると、外から杖を握り締めた父、ヘクトールが姿を現した。

「ロナ、マリア! 無事か!?」

「あなた、一体何があったの。さっきの音は一体……」

「帝国の兵が攻めてきたようだが、どうも様子がおかしい。所有者が数名いるようだ……」

「シエナを持つ者が? 遺跡に眠るシエナを狙っているとでも……」

「わからん。遺跡の噂を聞いてやってきたのか、もしかすると俺たちのシエナを狙っているのやもしれん……とにかく急いでここを出るぞ、村の者も避難を始めている」

 外へと飛び出したヘクトールは、シエナ、対する黄金大蛇の(カドゥケウス)を使って障壁を張ると、辺りを警戒しながら見回した。

「ヘクトール! だめだ、村全体囲まれてやがる!」

「なんてことだ……」

 慌てて走ってきた村民は、腕に傷を負い、多くの血を流していた。

「も、もうだめだ、逃げ場なんてない……俺たち全員殺されるんだ……シエナを持った奴が五人もいやがる! しかもここにある筈だとか言って、何かを探してるようなんだ……」

「五人か……それに探しているとは、やはり狙いはシエナなのか」

 ヘクトールが振り返った瞬間、突然炎の渦が巻き起こり、民家が粉々になって吹き飛んだ。飛び交う火の粉が悲鳴と重なり、更に爆発は続く。

 爆発は次第に数を増していった、まるで、ヘクトールの居場所を知っているかのように、正確に音が近付いてくる。

「くそっ、村を壊滅させて奪う気か…………ロナ! マリアを逃がすぞ。奴等、シエナの為なら、子供にだって容赦はしない!」

「そんな!」

 マリアを抱いたロナの腕は小さく震えていた。ヘクトールは、一度マリアを見つめると、優しい表情を浮かべ、言った。

「マリア……どうか、俺たちの分も生きてくれ」

「とうさま!」

 マリアが父の元へ駆け寄ろうとした時、ヘクトールの肩を炎の槍が貫いた。

「ぐうっ! シエナの障壁を貫くとは、所有者か!」

 襲ってきたのは、シエナ、見境の無い突撃槍 (ドン・キホーテ)を所有する帝国の兵だった。

 ヘクトールは障壁を重ねて炎の槍を折ると、巧みに杖を捌き、帝国の所有者を地に叩きつけると、後からやってきた四人の所有者を睨みつけた。

 一度ロナを見たヘクトールが無言で頷くと、意を決したロナは、星型のペンダントを外し、マリアの首に掛けた。

「マリア、これは私の大切なシエナ……きっとあなたを守ってくれる。これを母さんだと思って、ずっと大切に持っているのよ」

「やだ……こんなのほしくない! かあさまがずっとそばにいて!」

「マリア……ごめんなさい。母さん、最後まであなたを守れそうにないかもしれない。だけど大丈夫、母さんのシエナが、きっとあなたを守ってくれるから……」

 ロナは涙を滲ませ、マリアを強く抱き締めた。

「やだよ、かあさま! とうさま!」

「泣かないでマリア……必ず生き延びて……争いばかりの世界だけど、父さんと母さんはマリアと一緒にいられてとても嬉しかった。ありがとうマリア、私たちを愛してくれて……父さんも母さんも、ずっとあなたを愛しているわ」

「かあさま――」

 突然立ち上がったロナは、マリアを抱いたまま暖炉の仕掛けを引いた。すると暖炉の炎が消え、火床が落ちて地下へと通じる空洞が顔を見せた。

「マリア、この先には遺跡に繋がる通路があるわ、そこから風の吹く方へ向かいなさい」

「やだよ! とうさまもかあさまもいっしょじゃないと!」

「父さまと母さまは村の人たち、そして、あなたを助ける為に戦うわ。だからお願い……早く行って! 大丈夫よ、あとで母さんたちも追いかけるから!」

 ロナは優しく諭すように伝えたが、幼いマリアにも、それが嘘であることが解っていた。大粒の涙を零しながら、必死に母の袖を掴んだマリアだったが、ロナは突き放すようにマリアを地下へと押しやってしまう。

「――かあさま!」

 鈍い音と共に暖炉の扉が閉ざされた。マリアの叫び声だけが地下で響き、母の返事が返ってくることは無かった。

 闇の中で淡く輝く蛍石の光が、辺りを照らしている。

 地下の通路はとても静かで、そこはまるで別世界にいるようだった。奥へと続く地下通路を見つけたマリアは、先に進む事しか出来ないと判断し、覚束ない足取りで、遺跡の奥へと歩いていった。

 しばらく進むと、巨大な地下空洞が現れた。古代の遺跡と呼ばれるその場所は、巨大な空間を広げ、天井からは錆びた赤い鉄の塔をぶらさげている。

 マリアは土と金属が混じる、冷たい感触の道を歩きながら天井を見上げた。村に生えた鉄の棘に、これほど大きな根があったことに驚いたが、マリアがそれ以上に驚いたのは、不気味に点滅する光の数々だった。

 それは蛍石の明かりではなく、規則的に発光する見たことの無い色の輝きだった。

 夕焼けよりも赤い色が二度光り、泉よりも青い色が一度だけ輝いた。鳥の羽に似た緑色の光が交互に点灯すると、何本もの紫色の線が、まるで生きているかのように蠢いた。

 マリアは不気味な光の数々に恐怖を感じながら、母から貰ったペンダントを握り締めた。言われたとおりに風の吹く方向へと進んだが、不安を拭い去る事は出来ないでいた。

「ひっぐ……うぅ、とうさま、かあさま……」

 マリアは必死に涙を堪えながら、遺跡の道を進んだ。暗闇にぶつかっては転び、錆びた水を踏む度、母の温もりを忘れそうになってしまう。

 黒い鋼の縄を頼りに小さな崖を下り、ガラス破片の道には丈夫な青い絨毯を敷いて渡った。

 上着のポケットから、父に貰った猪の干し肉を取り出すと、それを勢いよく噛み齧った。味わう暇も無くそれを飲み込むと、マリアは何度も頭上を見上げ、父と母が来るのを期待した。

 しばらく遺跡を進んでいたマリアだったが、遠くの方で声が聴こえた気がした。

「かあさま!? とうさま! まりあはここにい――」

 言葉を言い終えるよりも先に、マリアの耳に届いたのは聴いた事も無い男の声だった。

 慌てて口元を押さえたマリアは、無意識に息を殺し、相手との距離を知るために目を閉じて耳を澄ませた。

「これが旧時代の遺跡か……不気味な所だが、確かにシエナは眠っていそうだな」

「俺の斑鍍金の羅針盤 (ゴールドダウジング)もこの下で反応を見せている。これで俺も、中央軍に出世出来るってもんだぜ」

 我に返ったマリアは、急いで風の吹く方へと向かった。マリアの不安が膨らむたび、星型のペンダントは強い輝きを放っている。

「おい、今、下の方で白い光が見えなかったか?」

 男の声が遺跡の中に響いた。マリアは星型のペンダントを手で覆うと、風の吹く方向など忘れ、ひたすら逃げるように、遺跡の奥へと走っていった。

 段差を越え、坂を下り、轍を飛んだ時、マリアは足を踏み外してしまい、崖を転がり落ちてしまった。そこは蛍石の光も届かない、金属で囲われた暗く冷たい場所だった。

 遠くに響く複数の足音、既に見えなくなってしまった洞窟の天井。マリアは絶望に襲われ、思わず泣き出しそうになってしまったが、ふと触れた鉄の塊が小さな輝きを放つと、命を持ったように青と紫の光が壁を伝って流れていった。

「え……?」

『美しきシエナの輝き。何千年振りでしょうか』

「え……こえ? あなたが……はなしてるの……?」

 マリアは思わず母のペンダントを握り締めたが、声の主がそれ以上の動きを見せる事はなかった。マリアが冷たい鉄の板に触れると、小さな映像が反転し、青い文字が躍るように並んで繋がる。

『上層からの熱源が四、人が来るようです。今日は随分と訪問者が多い日ですね。あなたのお知り合いですか?』

 マリアは突然喋り出した光に怯える事無く答えると、不思議な光と会話を続けようとして近付いた

「ううん、ちがう。わるいひとたち」

『では、早々に立ち去った方が賢明なのではないでしょうか』

「あ……もしかして、あなたをさがしてるのかも。あなたは……しえななの?」

『厳密に言うと違います、私は人の手によって造られた、機械とシエナの融合体です』

「う……ん、よくわからないけど、あなたもにげたほうがいい。きっとわるいことにつかわれちゃうよ」

『私は命令に従うようプログラムされています。求める者がいるのならば、私はその者に従うのみ。残念ながら、私を作り出した者達は五千年も前に滅びましたので、次の使用者に委ねることします』

「でも、あのひとたち、たくさんひとをころすんだ……」

『どれ程の時が経とうと、人の行動は変わらぬものですね。人は常に等しき運命の元で生きています。しかしそれもまた、世界の一つなのでしょうが』

 青と紫の光は、いくつもの映像を展開させた。見たことも無い文字が交錯し、マリアの回りを浮かんで消える。光が明滅し、それによってマリアは声の正体を僅かに垣間見ることが出来た。それはとても大きな、金属で出来た壁のようだった。

「ねぇ、わたしがおねがいしたら、あなたはたすけてくれる?」

『それは、あなたが次の使用者になるという事でしょうか』

「わかんない……でも、いっしょににげたほうがいいとおもって……わたしひとりじゃ出られないから……」

『私は逃げる必要がありません。命令に従う事で私は存在価値を生み出しているのです。しかしあなたは違う、追われる者ならば、早々に立ち去った方が良いでしょう』

「かあさまとやくそくしたの。わたしはいきのびなきゃいけない。だから、おねがいします。わたしを……たすけてください。わたしを――いかしてください!」

 マリアは顔を上げ、切なる言葉で願いを向けた。そしてその思いは命令と捉えられ、青と紫の光が稼動する。

『コマンド受領。命令を実行します。所有者の委譲を進行、私は自立式高度演算処理装置・エクシオン。あなたの名を教えて下さい』

「まりあです」

 マリアが装置に触れると、エクシオンは文字を収束させ、ひとつの球体となって光源に姿を変えた。遺跡中が揺れ、振動は大地にまで伝わっていく。

 エクシオンはマリアにゆっくり近付いて重なると。その瞬間、マリアの周囲にはありとあらゆる文字が回り始め。いくつもの画面が展開されては消えていく。

『上層よりの数は八に増加。最優先でルートを選択します。レーダーマッピング開始、赤外線コード使用、電磁信号変換。演算を開始します』

「わぁ……すごい」

 マリアにしか見えない紫と赤の光線が、洞窟を這うように照らしていくと、エクシオンは一瞬にして遺跡内部の解析を終えた。

『マリア、まずは左の道を進んで下さい。その奥には外へと抜ける通路があります』

「はい!」

 マリアは言葉通りに道を進んだ。エクシオンは常に明かりを灯し、僅かな段差や、危険が及ぶ箇所を細部まで的確に伝えていた。

 マリアが遺跡を抜け、小高い崖の上に辿り着いたとき、遠い視界の先にベリフルの村を見つけることが出来た。薄い煙が漂う音の消えた小さな村。もうそこに、誰もいないことをマリアは知った。

 村は全て、焼き払われた後だった。

『強いのですね』

「ないてもとうさまとかあさまはかえってこない」

 しかし、その言葉を発した瞬間。マリアの目からは大粒の涙が零れ落ちた。

『マリア。あなたが生を望むのならば、私は最後までその命を果たしましょう』

 エクシオンはマリアに重なると、微量の熱を放出し、冷たくなったマリアの体を優しく温めた。



 月が雲に隠れた深い闇の中。マリアは突然目を覚ました。

『心拍数上昇。マリア、大丈夫ですか? 何か怖い夢を見ましたか』

「はぁ……はぁ……わ、私……またあの時の夢を……」

『少し風に当たりましょう。熱が和らげば、またすぐ眠りにつけます』

「うん……」

 マリアはシオンを纏い、小屋の外に出た。風はほどよく冷たく、火照った体を緩やかに冷やしてくれる。マリアは星型のペンダントを握ると、静かに手を翳し、確かめるように自身のシエナを開放した。。

 すると、浮かぶ五つの光源が、心配そうにマリアへ声を掛けた。

「眠れないのかマリア?」

「戦いのせいで、心が落ち着かないのかもしれないわね」

「マリアちゃん、気分転換におにごっこする? フェンネルもするよね?」

「ベルガモット、鬼ごっこは昼にするものだ」

「時には眠れぬ夜もあるだろう、それが人の心というものだ」

「グルルルルルルッ」

 マリアはシエナ達の声を聞くと、安心した様子で「大丈夫」と一言告げた。

 村の外へと向かったマリアは、村が見渡せる高台で月を眺めていた。

 柔らかな月の光に照らされて、町は静かに眠っている。五つの光源を消したマリアは、小さく息を吐き、呟くように漏らした。

「もう十年か……」

『時の経過はそれぞれ感じ方が違いますが、短く感じるということは、意義のあるものだったのだと推測されます』

「意義のある……か。私はただ必死に生きてきただけだよ。それにあなたがいなければ、私はあの場で死んでいたかもしれない」

『そのような事はありません。あなたは生きるべくして生きてきたのです。私との出会いも必然の導きであり、だからこその、五つのシエナとの出会いでもあるのです』

「そうなのかな……」

 現実しかものを言わないシオンが、不確定な言葉を並べた事に対し、マリアは曖昧な返事をすることしか出来なかった。

 シオンは時々、確信を持ったように話すことがある。それは、マリア自身には見えない何かを見通すように、これから起こる事を理解しているように、シオンはマリアに言葉を向けていた。



 シオンと出会ってからの十年、マリアは数多くの旅をしてきた。

 幼い子供が戦時の世を生きていく事は決して楽ではなかったが、シオンの助けにより、マリアは母の言葉通りに、ずっと生き続けることが出来ていた。

 マリアがシオンが出会ったように、マリアは五つのシエナに出会ったのは何かの巡り合わせだったかもしれない。シエナを所有する資格のある者は、シエナによって導かれ、邂逅する事が出来る。

 マリアが始めて全てを貫くもの (ブリューナク)に出会ったのは、ある嵐の日だった。

 荒野に吹き荒ぶ強い雨と、次第に強さを増す風を背に歩いていると、マリアの頭上に閃光が落ちようとした時、どこからともなく現れたシエナがマリアを雷から救った。

 穂先が五つに割れた鋭い槍は、マリアの元へ降り立つと、次々と襲い来る雷の全てを貫いていった。

 しばらくして嵐が収まると、太陽の光を受け止めてブリューナクが静止した。マリアはそっと柄に触れて礼を言い、そして「あなたも、わたしを守ってくれるの?」と訊いた。

 シエナを所有者する者は、シエナを道具としか見ていなかったが、マリアはシオンの例も有り、シエナには思いを乗せて語りかけていた。

 ブリューナクは、マリアに対し道具として従いの意志を向けたが、マリアはその身に触れながら「あなたは、かあさまのように優しくて温かい」と言い、返す言葉を求めた。シエナに対して人のような温もりを望んだのだ。

 瞬間、マリアは自身の中にシエナの意志が入り込んでくるような気がした。その言葉を受け取ったブリューナクは、姿を光源に変えると、マリアを包むように慈愛を持って抱きしめた。

 それからマリアはブリューナクを母と呼んだ。ブリューナクもまた、マリアの言葉を受けて一つの意識を生み、母のような存在として個を確立させた。

 それから一年後、マリアは砂漠の大地に描かれる幾何学の模様と出会う。

 大地幾何学模様 (デュビュロン・ナスカ)。それは土地の名だった。

 無限に生み出される砂によって常に変化し続ける大地は、人の住める場所ではない。その大きな変化のせいで、近くの村に住む者は被害を受けていたが、マリアがそこを歩くと、模様は静かに大きな花の巨大図を描き、大輪の花を咲かせてその動きを鎮めた。

 大地のシエナと言葉を交わしたマリアは、デュビュロンに父のような力強さを感じ、三つ目のシエナを、父と呼んで迎え入れた。

 この時になって始めて、マリアはシエナの大きな力を扱い、人々の為に何か出来ないかと考えるようになっていた。それはまだ、マリアが七歳の時だった。


 その後もマリアは多くのシエナと出会っていく。空から降る流星に遭遇した日もそうだった。世界の空を回り続けた星の欠片は、地上に落ち、広大な湿原を焼き払った。

 暴れ狂う炎を抑え込んだマリアは、それが均衡の崩れたシエナであることを知る。

 マリアは双子座よりの流れ星 (メテオレイン)の力を分割して再びの輝きを取り戻させると、意志を生んだ二人に、フェンネルとベルガモットという名を与えた。

 複数のシエナを扱い、徐々に力を身に着けたマリアは、その頃から戦場に姿を現すようになっていく。

 ある日、ただ人々の為に剣を振るい、ひた向きに世界へ挑むマリアの勇気を見つけた漆黒の騎士、ランスロットの勇士 (ナイト・オブ・ランスロット)は、自らの力で意識を生みだし、マリアの元へと赴いた。

 戦場で背中を合わせたマリアは、その力強さと勇士を心頼にすると、いつか母に願った兄の姿と思い重ねた。

 滑走する蹄 (モノケロス)は元々他者が所有していたシエナだったが、暴力による服従を命とされ、その扱いは酷いものだった。それを見たマリアは、初めてシエナの所有者と戦う事を決める。

 四のシエナとシオンとの連携を駆使するマリアの力は凄まじく、滑走する蹄 (モノケロス)を操る所有者は太刀打ちすることすら出来なかった。

 戦いに勝ったマリアは所有者からシエナを開放したが、滑走する蹄 (モノケロス)はマリアに付き従う意志を示し、共に行く事を決める。

 モノケロスは言葉を扱うことは出来なかったが、マリアとの疎通は可能で、新たな家族としてマリアたちに迎え入れられた。


 マリアにとって、シエナとは大切な家族であった。

 空っぽになった心を埋めてくれた、かげがえのない存在。亡き父と母を思い、六つのシエナに家族としての愛情を望んでいた。

 世の中には、シエナを商売の道具とする者、権力の象徴として利用する者、力として扱う者など、その使い方は様々だった。しかし全ての者はシエナを道具として扱い、意志を持つ存在として扱える者はいなかった。

 故に、シエナを扱うマリアの姿は極めて異質であり、人々からは魔女や聖女と呼ばれている。

 マリアは自分が大きな力を持っていることは十分に理解していた。西国の使者がマリアに接触を図った事もあった、東国が傭兵としてマリアを欲した事もあった。

 しかし、マリアは自分がどうすればいいのか分からなかった。何が正しくて、何が間違っているのか、ただ言える事は、人々が争いによって死んでいく姿を見るのは、とても辛いと感じる事だった。

 ここは東と西の国が争う小さな大陸。戦は百年経った今でも続いている。

 いつか争いの無くなる日が来れば このシエナたちと静かに生きていきたい。それがマリアの小さな夢だった。

「――いつか、そんな日が……」

『どうかしましたか、マリア』

「ううん。いつか争いの無くなる日がくるといいな……って」

『マリア、世界には一万年の神と呼ばれる存在があります。それは古くから繋がる歴史の一端。一万年に一度、神はその力を失い、次の神を選び出さなければならない。一万年に一度行われる神の交代。古き神が消える時、大地にはいくつものシエナが降り注ぎ、それに触れしものは大いなる力を得ることとなるであろう』

「そういえば、お昼もそんなこと言ってたね。何かの物語?」

『物語ではありません。世界で起こる現実の出来事です』

 シオンの言葉にマリアは訝しげな表情を向けたが、頭に浮かんだ疑問をそのまま投げかけた。

「どうして神様が交代しなくちゃいけないの? ずっと神様は、神様でいればいいじゃない」

『それは神のみぞ知ることでしょう』

「えー、こんぴゅたーのシオンでも、わからない事があるのね」

『こんぴゅたーではありません、正しくはコンピューターです。しかし私は多くの力と情報を与えられすぎました。人の力による拡張や人工知能の埋め込みは、量子演算処理装置としての域を越えようとしているのかもしれません。私の中にある公算が拡大を続けているような兆しを抱えています。これは人の言葉で言うところの不安といった現象なのかもしれません」

「……やっぱりシオンの言葉は全然わからないわ。でも、不安って言葉を使うのは珍しいかも。それで考えすぎはよくないわ。ほら、元気出して。そのうち分かる日が来るはずよ」

 マリアはシオンに手を伸ばし、優しい笑顔を向けて言った。

『理解……出来ません』



 北から南に伸びる国境線。そこは、何度も往来した国の境目。マリアがフィルデラの街へ行くのは、今回で五度目だった。

 街といっても、そこは戦争により消滅した、誰も住んでいない廃墟の街だった。

 朝靄の残る、まだ空が暗い時間。マリアはモノケロスに身を預け、遠い空を眺めていた。

「なんだろう……今日は空気が重い気がする……雨でもふるのかしら?」

 いつもと違う空の色に、マリアは一抹の不安を抱えながら、手綱を強く握った。

『マリア、本日は日蝕が訪れる日です、今日は運命の日となるやもしれません』

「日蝕? 日蝕なら以前も見たことがあるわ。少しの間、夜になる現象でしょう? それに運命の日ってどういうこと」

『いいえ、一万年に一度起こる日蝕の日、黒き太陽が昇る日、それは神への選抜が行われる日なのです』

「それって昨日の話の続き? 私がそれに選ばれるの?」

『そこまではわかりません』

「もう、何よ! 昨日からわからないばっかりじゃない。ちゃんと情報をくれなきゃ、私もさっぱりよ」

『私にも不確定な事柄は多くあります。しかし……人間の言葉で言うところの予感といったものでしょうか。何かを感じるのです』

「あら、シオン。昨日といい今日といい、随分と人間っぽい言葉を言うようになったのね、好きよそういうの」

『曖昧な返答は、機械として正しくありません』

 シオンがそこまで言い終えると、途端にマリアの表情が変わった。

「シオン、お喋りは終わりよ。街が見えてきた」

『国境線が以前より西側へ移動しています。一つの川が潰れ、砦が三箇所に増えています、人口は二割減少、争いの悪化を懸念します』

「わかったわ」

『どちらに付きますか? 蓄積されたデータ量から推察するに、西側の領土が58%、東側の領土が42%との判断となります。平衡を保つならば、再び東へ領土を拡大するのが妥当ではないでしょうか』

「いいえ、このまま中央線で介入するわ。砦があるということは、そこに住む人々もいる筈よね? 砦を壊すような戦いは避けることにする」

『了解しました。コマンド実行、演算を開始します』

「全てを貫くもの(かあさま)! 上空で雷を放って下さい。魔女が現れた事を皆に知らしめます」

 マリアの指示で飛び上がった光源は、その姿を穂先が五つの槍に姿を変化させ、辺りに轟音を撒き散らした。

 その音に反応した東と西の兵たちが武器を取ると、マリアもまた、枯れた川の中央で剣を抜く。

「戦いは何も生まない! 即刻戦争を止めて下さい! 同じ人間同士が争い、世界を奪い合う行為は悲しいだけです! 互いが理解しあい、共存することを望むのです! 争いよって生まれる犠牲はあってはなりません! 武器を捨て、対話の道を選んでください!」

 マリアは双方に強く訴え掛けたが、それが聞き入れられないのは理解していた。何度言葉を唱えても、百年続く戦が止まることは無い。

 どうすれば世界を救えるのか、そんなことはいくら考えても、思い浮かばない。シエナをいくつ所有しよと、力を持とうと、人の心が変わらなければ、全ては同じままなのだ。

「魔女め!」

 マリアの言葉を否定するように一本の矢が放たれた。

「――命は取りません、破壊に繋がる全ての物は消します!」

 大地が競りあがり、マリアを襲う矢は土の中に埋もれた。それを合図に東西の兵がマリアを敵と判断する。

 東西の兵はマリアを魔女と呼ぶ。シエナを操り、強大な力で戦争を妨げる敵だからだ。

 東西の民はマリアを聖女と呼ぶ。シエナを操り、多くの人々を救う者だからだ。

 これが正しき行動だとは思っていないが、世界から消え行く命の数を減らすことは出来る。争いはいつまで続くのか、いつまで続けるのか、それは誰もわからない。しかし、戦争は全てを奪うだけで、何も産み出さない。

 マリアが腰からロング・ソードを抜いた時、太陽が影に覆われた。

「日蝕!? 思っていたよりも早いっ!」

『マリア、聴こえますか、マリア、返答を――』

 同時、シオンが何度もマリアの名を叫んだが、マリアはその意味が分からなかった。

 闇が全てを包み、声が消えた。風を切る矢の音も、抜き放たれた刃の響きも、兵士の声までも無くなった。だが、消えたのは音だけではない。そこにあった全てが消えたのだ。

「これは一体……」

 マリアは暗い闇の中でただ呆然と立ち尽くしていた。考ええる間もなく闇が薄れ、人の気配を感じたマリアは、闇を貫くように剣を突き出した。

「そこ!」

 闇から抜け出したマリアは、剣を構えたまま、小さな部屋の中に立っていた。

 マリアが感じた人の気配はひとつではなかった。長いテーブルには十脚の椅子が並び、そこには八人の男女が着席している。

 一番奥に座っている者は食事を摂り、向かいに座った者はいくつもの本を開いていた。その他の者達が落ち着いた様子でマリアを見つめると、待ち侘びた様に幼い少女が声を漏らす。

「ようやく来たようだな、だが時間は無い。まずは話を聞いてもらおう」

 一万年に一度の日蝕の日、選抜の時。

 マリアは最後の選抜者として選ばれ、平等の間へと足を踏み入れていた。


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