9 斎藤さんからの天国行きチケットをもらってトスナルたちは大騒ぎ(だから爆弾なんていらないってばっ)
「斉藤……何云ってるんだ? って、一体ここは 何処なんだ?」
今気がついたばかりの健二社長が、動揺する。
「あのう……すみませんが健二さん、まずは翔子さんをお願いできますか」
トスナルは、預けられた翔子さんと渡辺の二人分の体重に耐えかねたように云った。
「ああ、すみません」
健二が、気を失った翔子さんを、大事そうに抱きかかえた。
苦しそうに肩を上下させて息をする渡辺を、左手で支えながら、トスナルが云う。
「そろそろ、正体を明かしてもいいんじゃない? 斉藤さん……いや、クラーナ!」
フワッハッハ――
再び部屋に轟いた、無気味な笑い。
「ほう……。よく判ったな。褒めてやるぞぉ。そう、オレの名はクラーナ。暗黒魔法団、関東支部長だ」
斉藤の声が、台詞の途中から、憎々しいクラーナの声にとって代わった。しかし、その姿は見えない。
「本当の斉藤さんは、どこだ?」
「今頃、車のトランクの中で、オネンネでもしてるんじゃない? 虫の息でな」
なんてことを――
トスナルの表情に浮かぶ、焦り。
「クラーナですって? ああ、この前のだっさい黒魔法使いね。何よアンタ、早くここから私たちを出しなさいよ!」 京子がいつもの調子で怒り出す。
「……。何度も云うが、トスナル。そこの派手女は、何とかならんのか」
悪の組織の関東支部長の声が、珍しく小声になる。
そればかりはちょっと――
そんな感じで、トスナルとクンネが首を振ったのと同時、
ふんがー
と雄叫びをあげながら、若き美人秘書が暴れ出した。ドアノブをその馬鹿力で開けようとするも、びくともしない。
フヒャヒャッ!
愉快そうに笑う、クラーナ。
「おうおう、良く見えるぞぉ……。水晶玉を通して、オマエラの苦しそうなそんな表情がな……。何て、楽しいんだぁ」
(そうか、水晶玉を使ってるのか……。ってことは、近くにクラーナはいない――)
ぎりりりっ
トスナルが、激しく歯ぎしりをした。
「それにしても、いつから斉藤のオヤジががオレ様だとわかった?」
「おまえ、斉藤さんの振りをして翔子さんの脅迫状を持って来たとき、真っ先にボクに渡しただろ? 普通は、母親である直美さんに渡すのに……。それがまず、変だったな」
「成程な……。失敗しちまったぜ」
「つまり、このボクを誘い出したかったってことだよね。そして、この部屋での翔子さんの様子。明らかに、暗黒の魔法で操られていた。あんなことができるのは、暗魔団しかない。それで、確信した」
パチパチパチ……。クラーナの拍手らしき音が、辺りで響く。
「上出来だ。ヘボ探偵にしては――。でも、もう遅いな。その部屋の唯一の出入り口であるドアは、オレの強力な魔法で開かなくしておいた。オマエ程度の魔力では、びくともしないだろう」
ヒーヒッヒ
薄気味悪い暗黒の笑いが、トスナルたちを包み込む。
「ちょっと、どういうこと! あんた、最初にそこまでわかってて、私たちも巻き添えにしたわけ?」
「いや、ほら、ボクが見破ったことをクラーナが知ったら二人の命も危なかった訳だし、みんなで罠にはまれば、返ってみんなで協力して何とかなるんじゃないのかなぁと思ったもんだから――」
忍び寄る鬼女の影を振り払おうと、「悪・霊・退・散」と呟くトスナルを救ったのは、クラーナの言葉だった。
「ふひゃっひゃっひゃ! オマエラ、夫婦喧嘩でもしてるのか?
――まあいい、そんなオマエたちに、オレからのビッグプレゼントだ。天国への招待チケットだぜ。五分後に開幕する、壮大な悲劇のな――」
(五分後?)
進撃を止めた京子。首を捻る、トスナル。ハッと何かを思いついたらしいクンネの目が、キラリと光った。
「トスナル! それはきっと、爆弾だ!」
ひいいい――
京子の悲鳴が轟く。健二は翔子さんを抱えたまま、悔しそうに唇を噛んだ。
面白おかしげに、クラーナが返答する。
「さあて、それはどうかな? でもまあ、オレは優しいから、一つだけ、この部屋から出られるヒントをあげよう。それは、『愛』だ」
「あい? あいって、英語でいうとラブ、漢字で書くと『ノ』を書いて『ツ』書いて『ワ』みたいの書いて……」
トスナルの首を捻る角度が、益々大きくなる。
「ええーい、まどろっこしい!
だから『愛』だって。オレ様が大嫌いで、身の毛もよだつ恐ろしい言葉だっていえば、わかるだろ? まあ、精々頑張ってな。それじゃ、オレ忙しいんで、バーイビー」
それきり、クラーナの声は聞こえなくなった。急に、しんと静まった、地下室内。
……。
しばらく続いた沈黙の後、京子が爆弾より前に爆発した。
「どうして、ここに来る間に、やっつけておかなかったのよ!」
遂にトスナルを捉えた京子が、トスナルの首を締め付ける。
「い、今はそんなこと云ってる場合じゃありませんよ!」
トスナルの首が、壊れた人形のように、がくがくと揺れる。
「あったー。これだ!」
部屋の隅に置かれた段ボール箱の前で、クンネが叫んだ。
「お京さん、渡辺クンを頼みます」
トスナル部長が、部下の体をぐうたら秘書にそっと預けた。気を失ったままの渡辺が、だらりと京子の腕からぶら下がる。
トスナルが、段ボール箱の前で佇む、クンネに近寄っていく。
カチッ、カチッ、カチッ……
箱の中から聞こえるのは、時を刻む音。
「間違いない……。時限爆弾だ」
トスナルが、段ボール箱へと手を伸ばしたときだった。
バチバチッ!
強烈な静電気のような黄色い火花が、トスナルの右手を襲った。
トスナルの手からしゅうしゅうと音を立ててあがる、黒い煙。皮ふが焼け焦げる、すえた臭いが部屋に充満した。
「ダメだ……。ここにもクラーナの魔法が掛かってる。無理にボクの魔法で解除しようとすれば、爆発するかも知れない――」
「そんなあ――」
恐怖に歪む、京子の表情。
「あと、三分か……」
健二が、抱えた翔子さんの頭越しに、腕時計を睨んだ。
と、そのとき魔法使いの助手、黒猫クンネが閃き、声をあげた。
「そうだ、トスナル! 瞬間移動魔法を使え!」
「そうか、その手が……」
一瞬、輝いたトスナルの表情ではあったが、すぐに曇ってしまう。
「ダメだよ、クンネ……。これだけの人数を一遍に運ぶには、相当の魔力が必要なんだ。集中するのに、かなりの時間がかかる。爆発までに間に合うかどうか――」
「バラバラに運ぶとしても、一回一回に使う魔力が大きくて、確かにトスナル一人では魔力が足りないかもな……」
クンネが、白いヒゲをプルプルと震わせながら、力を落とす。
(クラーナめ、そこまで計算をしていたのか……)
トスナルが、ぎりぎりと音を出して、歯ぎしりをした。
「……わかった。オイラが、力を貸そう」
不意に、妙なことを口走った、クンネ。その態度は何かを決心したようであり、表情には力強さも感じられる。
「え? クンネ、魔力あるの?」
初耳! トスナルの探るような目線が、クンネを突き刺す。
「いや、あの、それは……。魔法使いの傍に長くいたもんだからさ、てへへへ――」
たじたじの、クンネ。とそこへ、探偵秘書の一喝が飛ぶ。
「そんなことどうでもいいから、とっととやりなさいっ!」
「は、はいっ!」
震えあがった探偵と助手が、直立不動になった。
「あ、あと、二分!」
緊張に震える健二の声が、部屋にこだました。
「じゃあクンネ、ボクの肩に乗ってくれ。そしたら、ボクに念で魔力を送るんだ」
「お、おう。任せとけ」
トスナルの黒ローブにツメをかけ、肩へと駆けあがるクンネ。
「じゃあ、始めるよ」
オレンジ色の光に包まれる、一人と一匹の体。とそのとき、ドアの向こうから聞こえたのは、犬の鳴き声らしきものだった。
オオオ、オーン
「あの声は――ルルだ!」 健二が、叫ぶ。
ダン、ダダン、ダーン
次に部屋にこだましたのは、何かが激しく、連続的にドアにぶつかる音だった。
「きっと、ルルがドアにぶつかって開けようとしてるんだ。やめろ、ルル! おまえの力では、そのドアは開かない!」
「何だって、ルルが?」
つい、集中を切らしてしまった、トスナル。体から発するオレンジ色の魔法オーラが、少し弱まる。
「バカッ! 今集中を切らしたら、間に合わないじゃないか!」
クンネが、長い尻尾でトスナルの頭を叩いた。
「ええーっ、間に合わないの?」
気を失いかけた京子が、一瞬、よろけた。
ダーン、ドーン
なおも続く、ドアにぶつかる音。
(オイラの全魔力を使えば、何とかなるかもしれない……。でも、この姿のままでは――)
黒猫クンネが、そう思った瞬間だった。
ピンク色の眩い光がドアの隙間から溢れ、まるで溶けてしまったかのように、次第に鉄のドアが消えていく。
そこから部屋へ飛びこんできたのは、一匹の犬だった。
顔や胸、前足を血だらけにしたその犬は、部屋に入るなり弱々しい声をあげて、ばったりと倒れた。
「ルル!」
健二が、翔子さんを抱えたまま駆け寄ると、今度は犬のルルが、紫色のオーラに包まれていった。光の中で、姿を変えていく、ルル。
「も、もしや!」
トスナルも、ルルに近づいていく。
光が消えたとき、ルルは一人のメイド服を着た女性に変わっていた。
「ルルが……人間になった?」
何が起こったのか、理解できない健二。トスナルがそっと女性を抱き上げ、口を開く。
「そうか、愛か――。健二さん、この方はですね、あなたの――」
そのとき、トスナルの左腕に走った小さな痛み。女性が、力を振り絞るようにして、トスナルの腕を掴んだのだ。
薄目を開け、首を振る女性。
「僕の……何なんです?」 健二が、眉をひそめた。
「……早くここから脱出しないと! もう一分もないはず!」
突然、声をはりあげた、クンネ。現実に帰る、一同。
「ここを脱出するんだ! 早く!」 トスナルが、叫んだ。
左肩にクンネを乗せ、右肩で女性を支えるトスナル。京子は渡辺を左脇で米俵のように抱きかかえ、健二は意識のない翔子さんを、両手で『お姫様だっこ』した。
消えたドアをすり抜け、階段をそれぞれが駆け上がっていく。
階段の途中で、健二が送れ出した。つい先程まで眠らされていたせいか、激しく息が上がっている。
「しょうがないわねえ……。私に、翔子さんを貸しなさい!」
美人部長秘書は少し戻り、健二から奪い取るようにして、翔子さんを右脇に抱えこんだ。
うおりゃあ――
両腕で人間二人を抱えた女が、地上目掛けて階段を突進していく。
「……」 呆気にとられた、健二。
「さあ、健二さんも早く!」 トスナルの言葉に、慌てて健二も走り出す。
一行がビルの出口にさしかかったときだった。
「気をつけろ! 爆発するぞ!」
クンネがそう叫んだ瞬間、地下室から聞こえた巨大な爆発音。
「きゃああああ」 京子が悲鳴をあげる。
地下からの爆風が、ビルの出口から、皆を吐き出した。
ビル前の地面に転がった、トスナルたち。
黒い煙とともに、ビルが地響きのような音を立てて、傾いた。
「た、助かった……」
トスナルが、仰向けに倒れながら、ほっと息を吐く。
「寝転んでる場合じゃないぜ」
既に体勢を立て直していたクンネが、トスナルを見下ろした。
「……そうだな、探偵助手クン」
トスナルの瞳に、生気が甦っていく。
「お京さん、健二さん、翔子さんたちを頼みます。斉藤さんも、車のトランクから助けてあげて」
黙って頷く、京子と健二。
トスナルが、すっくと立ち上がる。その全身からは、力みなぎる黄色の光が溢れだしていた。クンネが、ひょいとトスナルの肩へ跳び乗った。
「クラーナのところへ」
クンネの言葉に、軽く頷いたトスナル。
「ボビアス、ポレティーア!」
地面にへたりこんだ京子たちの前から、黒ローブ姿の魔法使いとその助手が、砂塵を巻き上げ消えていった。