6 おでん屋台で魔法使いがくだを巻く(今のボクにはタマゴが必要なんだぁ!)
「さあ部長、もう一軒行きますよお!」
ネオンまたたく、夜の飲み屋街。
頭にネクタイを巻いた、ヘベレケの渡辺。闇に紛れそうな黒服の魔法使いに、倒れこむように寄り掛かった。
「よおし、次もボクの奢りだあ!」
フードの中から覗く、銀色の髪と頬の赤く染まった童顔の男が、そう云った。
二人は、道端の赤提灯めがけ、肩を組みながらよろよろと歩いていく。
滑りこむように入ったのは、一軒のおでん屋台だった。
「いらっしゃい」
屋台のオヤジが、揉み手しながら、愛想笑いする。
「熱燗二つと、適当におでん」
虚ろな目で、渡辺がオヤジに指示を出した。
「ナヌ? 適当だとぉ! そんなんじゃダメだ、渡辺クン。……タマゴ。今のボクには、タマゴが必要なんだぁ!」
涙目で切々と訴える黒ローブの男に、渡辺の気持ちが揺れ動く。
「何も泣かなくても……。わかりました。じゃあ、タマゴ十個追加ぁ!」
「へいっ。タマゴ十個追加ぁ」
うれしそうに注文をくり返す、オヤジ。
「あれ? 部長、そういえば、なにか私に話があるんじゃなかったんでした?」
コップに注がれた熱燗をちびりとやりながら、殆どすわった目の渡辺が、訊いた。
「ん? ボクがキミに? んー、そんなこと云ったっけ?」
トスナルの前に置かれた、タマゴてんこ盛りの皿。
「ああ!」
トスナルが、ぽん、と手を叩き、右手の人差し指を渡辺に向ける。
「そうだった、そうだった。健二社長のご両親について、訊こうと思ってたんだ」
「社長の両親? 特に変わったところはありませんが……。大金持ちってこと以外は」
「……。大金持ちってのは、十分変わってると思うけどね」
タマゴを丸ごと一個、口に放りこむトスナル。
「ふぁふぉえふぁ、ふぉふふぁんふぉふぉうふふぁ、ふぉふぁふぃふぉふぁ」
「はい?」
赤ら顔で首を捻る、渡辺。
はふはふはふっ!
トスナルは、慌てて、コップ酒でタマゴを咽喉の奥に押しやった。
「ひゃあー。タマゴが熱くて死ぬかと思ったぁ……。だからね、『たとえば、奥さんの様子が、おかしいとか』って訊いたんだよ」
「様子……ですか?」
タマゴを頂こうと箸で突いた渡辺の右手を、トスナル部長がペシッとはたく。きゅるると口を尖らせる、渡辺主任。
「よくわかりませんが、あそこの家はかなり奥さんが強いみたいですよ。もともと、ご主人は婿養子ですしね」
「フムフム」
トスナルが、二つ目のタマゴに手を出す。
「財閥組織だって、実際には奥さんが全て取り仕切ってるみたいです。奥さんに頭が上がらないっていうか――。部長、ボクにもタマゴ一つくださいよぉ!」
べーっ
長い舌を思いっきり引き伸ばして拒絶する、魔法使い。
「…………。でもですね、奥さんは、悪い人ではないんです。僕が学生時代に彼の邸宅に遊びに行ったとき、すごく優しかったですから……」
「ホウホウ」
渡辺の箸の動きを、トスナルが鋭い目で監視する。
「ただ、健二さんの子供の頃の話になったとき、写真アルバムの話が出た途端、烈火の如く怒り出しまして」
「ナルホド……」
「やっぱり、あの奥さん、何か隠してますよ……。絶対、怪しい。他に気になることっていえば、動物嫌いってことですかね」
「ドウブツ? キライ?」
一瞬考えこみ、うっかり渡辺の箸から目を逸らしてしまった、トスナル。その隙を突いて、渡辺主任がまんまとタマゴ一個をせしめる。けれど、トスナルはそれに気付いていない。
「ほら、健二さんのルルですよ。絶対、自分に近づけさせないようです。犬嫌いって云っても、ちょっと度が過ぎてますよね」
勝ち誇ったように、渡辺が口いっぱいにタマゴをほおばる。そのとき、タマゴ一個を失ったことに気付いたトスナル部長が、忌々しそうに鼻をヒクヒクさせた。
「まあ、僕の知っていることは、それくらいです。それより部長、健二さんと翔子さん、最近おかしくありませんか?」
「おかしい? さあね……。ボクにはさっぱりわからないけど――」
トスナルは触れられたくない話題が出てきたらしく、上目遣いで口笛を吹きだした。
「健二さんも、最近、僕にグチるんです。『翔子さんが、冷たい』って……。部長、あの二人に何があったか、知りませんか?」
「いや、全然――。そ、それよりさあ、聞いてよ。お京さん、酷いんだよ。この前事務所でさあ、寒いから窓閉めましょうって云ったら、まったく聞いてないフリしてさ、ボクにそれを閉めさせたんだよ! まったく、秘書の風上にも置けないっていうか――」
力の限りに話を逸らそうとする、トスナル。渡辺主任の話を交えることなく、トスナルはここぞとばかり、心の底から溢れだす気持ちを吐きだしていった。
京子へのグチのオンパレードになってしまったトスナルの話。それに飽きてしまった渡辺は、いつしかコップを抱えたまま、寝入ってしまった。
(ふうう。どうやら、誤魔化せたようだ。)
ほっと息を漏らした瞬間だった。トスナルは突然、誰もいないはずの真横に人の気配を感じ、素早くそちらに振り返った。
「よう、トスナル」
「し、師匠! い、いや、マドガン導師!」
「オヤジ、ワシにも一杯、熱燗をおくれ」
いつの間にやらトスナルの横に座り、勝手に熱燗を頼んだのは、トスナルの魔法の師匠、マドガン導師であった。
トスナルの過去を唯一知っているともいえるマドガン導師は、まさに神出鬼没。
魔導師の着る深緑のローブの服装をして背は小さく、長く伸ばした髪と髭が真っ白いために、見た目はかなりの老いぼれジジイに見える。
そんな彼でも、師匠としての優しい面があり、この前の地下鉄駅での失踪事件では、推理に悩む弟子のトスナルの前に突然現れ、解決のヒントを与えた後に、忽然と姿を消したこともあったのだ。
コップ酒が目の前に置かれると、お爺さんは糸のように細い眼を更に細めた。
「……また急に現れましたね。いつもですけど」
「魔法使いは、急に現れるのが相場じゃ」
老いぼれ魔法使いは、注がれた酒の量がコップ並々であることを確かめると、幸せそうにほくそ笑んだ。
「ふー。やっぱりこの季節には、これが一番じゃの――。オヤジ、こんにゃく一つ」
「へいっ」
皺の刻まれた小さな手でコップ酒を飲む、マドガン導師。ごくりとやるたびに、長く豊かな白髭が上下した。
ぷはぁー
マドガンが満足そうに酒混じりの息を吐く。そして、目前に置かれた皿の上のこんにゃくを、魔法で空中に浮かし、パクリと口の中に入れた。
「ばっちぐーっ」
今では死語となったその言葉を、右手の親指を立てながら、マドガンがトスナルに向けて云い放った。
「で、今日は何でしょう?」
トスナルが師匠の親指を無視して、不安げに訊ねた。
「ピンチのあとに、チャンスあり。じゃなかった、師匠ありじゃ。不出来な弟子に、事件のヒントをあげようと思ってな」
(悪かったな、不出来で――)
酔っ払いの魔法使いの弟子にみなぎる、殺気。
「へんっ。とか何とか云って、ホントは酒をたかりに来ただけでしょ? マドガン導師」
ギクッ
導師の一直線に引かれた目が、わずかにひくついた。
「オ、オホン。失礼な弟子じゃな。ワシが云いたいのは、物心封印魔法のことじゃ」
けっ
トスナルは、虚ろな目で導師を睨みつけた。
「物体の持つ力を封印し、それに深く関わる人間の心をも封印してしまうという、あの魔法のことでしょ? そんなの……気づいて……ました……よ」
徐々にうつらうつら閉じていく、トスナルの両眼。
「ほ、ほう。少しは成長したようだな。では、これはどうじゃ。あのルルという、犬のことじゃが――って、聞いとるのかあ!」
トスナルはすでに前のめりに倒れ、があがあとイビキを掻いていた。
「……。この、バカ弟子が――」
ため息をコップ酒の中に漏らす、マドガン。
が、それもつかの間、老いぼれ魔法使いはランランとその目を輝かし、屋台のオヤジに向かって、張り切って注文を始めたのだ。
「じゃあ、弟子も眠ってしまったことだし、お酒をもう一杯。ついでに、竹輪と、がんもと、大根も頼む! コヤツのツケでな」
「へいっ、毎度ありぃ!」
こうして、都会のオアシス「おでん屋台」の夜は、静かに更けていった。