4 魔法使いが初めてパソコン使って渡辺さんがてんてこまい(ボクだって、ふかふかカーペットでごろごろしたいお年頃なのです)
カミー・ペットフード株式会社、販売企画部。
十畳ほどの広さの部屋に、事務机が三つ並ぶ。
奥の一番大きな机では、化粧品を並べた部長秘書が、堂々と何時間もかけて化粧をしていた。
「あのう……田中さん。そこは、部長の席ではないのですか……?」
健二の後輩、渡辺がびびりながら正論を吐いた。中肉中背の渡辺は、スポーツマンらしく、顔は真っ黒に日焼けしている。
「あら、渡辺主任。こんなにか弱い女性に、そんな小さな机を使わせるおつもり?」
脅しともとれる、京子の一言。
「か弱いだって――ぷぷっ」
販売企画部の入り口横にある、高級牛皮ソファーに敷かれたふかふか毛布の上でまるでセレブの飼い猫のようなゆったり感を見せながら、クンネが呟いた。
「まあまあ、渡辺クン。ボクは、そんな小さなことには拘らないんですよ。そんなことより、ここ、よくわからないんだ。教えてくれる?」
渡辺の向かいの席に座ったトスナルは、自分の目前に置かれたパソコンの画面を指差した。
「もーぉ、トスナル部長! それはもう、何回も教えたじゃないですか! ほら、こうやって、こうやって、こうですよ――」
渡辺が、チャカチャカとマウスを動かし、トスナルにパソコン指導をする。
「そうかあ、ごめんごめん」
トスナルは、恐縮そうに、頭をしきりに掻いた。
会社に潜入して、三日目。
最初は、見たこともない文明の力であるパソコンを遠目から眺めていたトスナルが、今では時おり奇声をあげながら、パソコンに熱中していた。
「魔法使いがパソコンをやるなんて、世も末ね」
机に置かれたパソコンの電源を一度も入れていない京子が、嘆く。
「あ、そうそう。部長の名刺が出来上がったんですよ」
机の抽斗から、トランプケースほどの青い箱を取り出す、渡辺。
「ん? どれどれ。おー、いいねえ」
トスナルが、箱の中の紙の束から、一枚の名刺を摘み上げた。
『販売企画部 部長 ガブリエル・エドムント・トスナル』
大きな声で読み上げたトスナルは、満更でもない顔だ。
「アンタ……、いえ、部長、そんなお名前でしたの? 初めて知りましたわ」
今にも吹き出しそうなのを必死にこらえる、部長秘書。
「いえ、適当に付けました。頭文字を略して、G・E・T、ゲット。なんか、カッコよくないですか? これで『犯人、ゲットだぜ!』なんちって――」
一瞬にして、部屋の中の動きが止まる。
「じゃあ、ボク、社内の偵察に行ってきまーす」
まるで、冬のオホーツク海から吹き付ける嵐に襲われた、小さな港町……。そんな氷のように冷たい空気にいたたまれず、トスナルはそそくさと部屋を出て行った。
すると、トスナルと入れ替わりに、一人の若い男がこの部屋に入ってきた。テレビ局の、ADのような、雰囲気を持っている。
「クンネさーん、CMの撮影の時間でーす」
「うむ、わかった」
まるで、大物俳優のように踏ん反り返る、クンネ。
そのADのような男は、今や会社の『イメージキャラクター』となった黒猫を大事そうにお姫様抱っこすると、部屋を出て行った。
「クンネさん、写真撮影だの、CMだの、忙しそうですね」 呆れ気味の、渡辺。
「ふん、ちょっと調子に乗ってんのよ」
顔をしかめながら席を立った、京子。徐に移動し、トスナルのいじっていたパソコン画面を覗き込んだ。
そこに映し出されていたのは、画面一杯の「YOU LOSE(あなたの負け)」の文字と、良く見なれた何枚かのトランプカード。
「って、トランプゲームだったの? レベル低っ!」
京子が、腹を抱えて笑い出す。
京子は、うっぷんを晴らすかのようにしばらく大声で笑ったあと、渡辺主任に眼を向けた。その瞳は笑いの涙で満たされ、まさしく、赤い涙目状態だった。
「渡辺さん。私、近くのブティックを廻ってきますから、あとはよろしくね」
京子はそう指示を与えると、ツカツカとハイヒールの音を部屋に残して、そこを出て行った。
一人、ぽつんと取り残された、渡辺。
「……。社長、本当にあの人たちで大丈夫なんでしょうか?」
渡辺は、十階の窓から見える小さな都会の青空を、ぼんやりと見つめていた。
その頃、魔法使いのサラリーマン部長といえば――実は社長室にいたのだ。
「どうです? トスナルさん、何か掴めましたか?」
穏やかに話し始める、カミー・ペットフード会社社長、神谷健二。
「いえ、まだ何も……」
まさか『この三日間、パソコンでトランプゲームばかりやってました』――とは云えないトスナルは、俯き加減。
「それで、今日はどうしました?」
最初の日、ここに来た時に見かけたふかふかの白カーペットが気になっていて、ただその上でごろごろしたかっただけなんですぅ――とも云えないトスナル。
こっそりとやって来たのに、この時間に社長が部屋にいたのが、誤算だった。
「えっと、あの……そうそう! 実は、ボクの魔法を是非お目にかけようと思った次第でして――」
(おぉ、言い訳にしては、我ながらいい思い付きだ!)
コソ泥的魔法使いは、そう思った。
「ほう。魔法ですか。それはどんな?」
社長が、ソファーから身を乗り出す。
「ふふふっ……。これですよ」
トスナルは、黒ローブの内ポケットから水晶玉を取り出した。そして、紫のフェルト布をテーブルに敷いて、その上にコトリと水晶玉を載せた。
「今からこの水晶玉に、あなたの過去の記憶を映します。そこに、何かヒントがあるかも知れません」
ごくり。息をのむ、健二。
「ロセミ・テベスータ! 健二さんの記憶をたどれ!」
トスナルの呪文と同時に、透明な水晶玉が青白く輝き出した。続いて来た、一瞬の暗闇。やがて水晶玉に現れたのは、健二の記憶の映像だった
社長就任。大勢の人たちに囲まれ、喝采を浴びる健二。
(さすが、財閥ともなると違うね)
感心する、トスナル。
大学時代。翔子さんとの始めてのデート。青い空、広い海。翔子さんに愛の告白をする健二に、こくりと頷く、翔子さん。
(かあぁ。見るんじゃなかった)
急に重たい気分になる、トスナル。
高校時代。サッカー部の部室に集まる女子高生の群れ。抱えきれないほどのバレンタインチョコを貰い、苦笑する健二。
(けっ、モテモテじゃん)
鼻くそをほじくり出した、トスナル。
中学校、小学校――。相変わらず、モテモテのシーンばかりが続く。
(水晶玉、ぶち割ってやろうか)
哀れな中年魔法使いがそう思い始めたとき、水晶玉は急に鈍く光を発して、真っ暗な闇を映すだけになってしまった。
「ん、どした?」
トスナルは、慌ててぺんぺんと水晶玉を叩いたり撫でてみたり、両手に持って振ったりもしてみたが、変わらなかった。
「やっぱり……。魔法でも、ダメなんだ――」
健二が、がっくりとソファーにもたれ掛かった。
「やっぱりって、どういうことですか?」
「私には、小学校以前の記憶が、全く無いのです。何故か、自宅にも私の幼いときの写真が一枚もありません。母は、自宅が火事で焼け、すべて失ってしまったと云いますが……」
トスナルが水晶玉に手をかざして魔法を解くと、それは、もとのキラキラ透明な玉に戻っていった。
「確実に判ったことが、一つあります。それは、記憶を封印する何か特殊な力が、あなたに罹っているということです。ボクの魔法の力も及ばないようなね……」
「そ、そんな――。じゃあ、トスナルさんでもムリ?」
うな垂れて下を向く、健二。
すかさず、健二に向けて右手をかざした、トスナル。
魔法使いの眼が、黄色くうっすらとした、光を発している。
「――まあ、まだ諦めるのは早いです。ボクを、信じてください」
顔を上げた健二に、トスナルは自信有り気に、頷いた。
「まずは、ご両親に私が会ってみる必要がありそうです。この謎を解くキーマンがご両親であることは、間違いないでしょうから」
「判りました。明日、両親と会えるように、手配しておきます」
じゃあ、よろしく――。
トスナルはふかふかのカーペットに後ろ髪を引かれながら、社長室を後にした。